自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヒマラヤ大師の語る、純粋愛

2013年11月23日 | 健康と直結する”一元論”について

 海の水は一滴でも大海と一体    平成25年11月23日

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 著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた

11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、

ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 

偉大なる法則の働きを

実証されるのを実際に見るために、

大師がたの生活の中に親しく

入り込むことを許してくれた。

私のノートを今ここに、

“極東における、大師たちの生活と教え”

と題して、発表するが、そこに盛られた内容を

そのまま受け入れるか、否認するかは、

読者の自由である。

 

 

ブログで神様やキリストさまのことを

書くと、治癒力・生命力自然発動との関連性で

首をかしげる方達もいるでしょう。

私どもは決して信仰の誘いをしているのではなく

信仰の奥にある真理について語りたいと

思います。

その真理は、体と心の法則にもつながるからです。

自然治癒力はこの、法則の応用です。

究極の癒しは心と体の関連を知って初めて

もたらされると多くの体験に基づいて

信じているからです。

 

 

ヒマラヤの大師は以下のように説いている:

”私たちが一切の智慧と一つになり、

自分がその知恵の一部分に実際になっていること。

 

この智慧が大原理、即ち、神であることが

決定的に分かったとき、

全宇宙の一切の智慧が、私たちとともに

働いていることを自覚する。”                               

宇宙の智慧 とは抽象的に聞こえるかもしれない。

例えば、大海が宇宙意識であるとする。

その大海を構成している一滴の水が、私たちの個人意識とも

喩えられる。

一滴の海水を取り出してみても、何にも力のない

水滴でしかない。

これを大海に戻すと”津波の力”にもなり、

”海流の流れ”にもなる。

 

大海という 大きな叡智の法則と 私たちの中に流れる

本質的要素が、一体化していることを想いだせと大師は言う。

なぜなら、私たちはその大海を構成している一滴の水だから。

そのとき、唯物的人生観も 自信に欠けた不完全な自分自身の

観方も大きく変わるだろう。

 

大いなる智慧は、宇宙意識でもある。

それに繋がろうと想えば、自分という存在が、

その宇宙意識を構成しているメンバーであることを

知ることだ。

 

大師は続けていう。

”私たちが好むと好まざるとにかかわらず、

信ずるか信ぜざるかにかかわらず、

これは事実である。

これは智慧の法則である”

と ・・・

 

智慧の法則、

調和の法則、

愛の法則、

供給の法則、

悦びの法則、

そして無限の生命、

それらの法則すべてを満たしている存在を私たちは

太古の昔から

神 と呼んできた。

 

私たちが その 法則の一部分であること、

それだけが、変わらない普遍の真理だと

大覚者は太古の昔より、いろいろな方法で

私たちに語りかけ教える。

だから、私たちは、決して退歩を語らない。

決して、最悪のケースを想像しない。

決して、希望を忘れない。

その理由は簡単だ。

常に その覚者の示す、最終目的地に向かって

移動しているからだ。

 

それが私たちの宿命であり、

その目的地こそ、磁石のプラスとマイナス

のように、引き合う、大海そのものなのだ。

 

大師はよって、次のような言葉を

伝える。

”法則としての神を別の言葉で定義するのなら

すべての愛を合計したのが、大原理、即ち

神である。

神はすべての情愛、すべての沸き立つ想い、

すべての愛に満ちた場、眼差し、言葉、行い

それらの結晶、総計である。                                                     

大いなる愛にせよ、小さな愛にせよ、

高尚か低俗か、利己的か人道的か

いずれにかかわらず、およそ、自分に愛が

他者から寄せられたとき、いつか、必ず、

無限の愛を引き出していく。

 

我々が、己を忘れて愛したとき、宇宙愛の

真っ只中に いるのだ。

最も小さなものと思われたものでも、

無限の愛によって、絶対的完全さへ向かって

急速に変化していく。”

どんな愛でもよい。

こうでなければならないというのは 一つもない。

 

どんな愛にしても、それがために転倒しても、

傷ついても、罵倒し合っても、苦い思い出しか

残っていなくても、善いのだ。

必ず、それを布石として、もっと、純粋の愛に

すこしずつ、近づいていくだろう。

そして、純粋の愛 を与えられるまでになったとき

与えた人も与えられた人も、無限の宇宙の愛に

いだかれて、”急速に変化” していく。

生命 生き通しの完全なる生命体であるこの身を

自覚することも、このようなプロセスに基づく。

 

大師は次のように述べる。

私たちは 死せる我(mortal mind) が内なる生命へ

目覚めて、その生命が私たちを死者より蘇らせる。

私たち周囲の自然は、実はすべて目覚めている。”

ヒマラヤの実在する齢推定数百歳と言われる

大師たちは そういう意味で多かれ少なかれ

目覚めている。

その中のさらに、大覚者と呼ばれる大師たちは

自分の望むままの肉体年齢で 時として人前に現れる。

 

それは思考が肉体を”老いるもの”、あるいは 単なる

”物質”と 認識せずに永遠の 時空を超えたところで

自分の内在する実相(真の姿) と繋がっているからである~

と言われる。

 

ヒマラヤの大師は そのことに関して 次のように述べている。

”私たちがこの正当なる相続[須田注:神の資質を受け継いでいる

という真理] に目覚めたとき、私たちの身体が常に美しく、

純粋なる霊体であり、もっとも、神聖、荘厳、真実なる神の宮

であるという、永遠の昔から伝えられてきた真理に

目ざめるのである。

 

その時、私たちの身体は、本来この至高なる状態より

いまだ、かつて低下したことはなかったのだという

確信が出てくる。

低下したというのは、実は、人間が勝手にそう思い込んでいた

のである。

このような迷いが消えるとき、私たちの体はその本来の

神性なる姿を取り戻す。”

 

印度のヒマラヤに今も住んでおられるこうした

神人合一にきわめて近い境地の悟りを開いた大師たち。

 

サイババ師は、印度がなぜ

高い霊性を備えた国の一つとして 

世界中からの求道者が真理を求めてくるのかと言えば

印度がまだ高い霊性を保っているからと言い、

その霊性は何に依っているかと言えば、

わずか数人の真に悟った神人合一のヒマラヤの大師の

純粋な愛の祈りのおかげであると明言している。

 

 

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

 S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 霞が関書房

 

 

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