自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヨガの大元不二一元論のイロハ(5)

2021年03月24日 | 健康と直結する”一元論”について


エカムサット(壱に帰一する)の真意     2021年3月24日

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多様性の中の”統一性”をエカムサットとサンスクリット語で呼ぶ。

この真理が大切な理由は、それを知ることで、心の平和を保ちやすい

ということだ。

今、どんな状態で健康面、経済面、社会環境や人間関係が表面化

していても、その多様性の中には、究極的に一つの”本当の姿”

しかないと、一歩立ち止まり、反芻して、状態の正常化のために

必要な安定した心持ちを見つけ出すことができるという点だろう。

 

先回は一人の男性を例に挙げた。

彼が、家庭では父親、会社では部長、親しい友人間では”~君”と

呼ばれて、その場に応じた顔を使い分けている男性を例にあげて、

様々な多様性を演じる一人の男性、という設定で、エカムサットの

意味をお話した。

多様性の中の”壱”とは 何をさすか?

それは、いわゆる、神と呼ばれる存在である。

神という言葉がしっくりこない人は、ご自身が信仰している対象でも、

無神論者の方にとっては、”宇宙の法則”と言う言葉、

学者肌の方にとっては、”数式のようにぶれない科学的法則”という表現

でも、同じ意味合いと理解していただきたい。

 

多様性を示すのには、ゼロ(0)を用いたい。なぜなら、多様性とは、

変化とその現れを示すものだから、実体がなく、泡のような現象でも

あるからだ。

実体とは、実存しているもの、つまり、”在って在るべき者・物”だから、

これが”神”と呼ばれる実態で、”壱(いち)”と示した。

すると、1のあとにゼロをつければ、無数にその、多様性は広がる。

10から10000000・・・

無限に、数は増殖できる。

そこには”数”が増えるという実体があるように思いがちだが、

もし、一(いち)を取ってしまったらどうだろう? 

すべては無に帰す。つまり、零になる。

 ヴェーダ哲学ではこう、考える。

”身体、心、知力(学力)、地位、名誉、財産”などを表すものは、

ゼロにしかすぎない。

1である、神だけが、存在しているだけである。神だけが主人公なのだ。

私たちは、それを知って、常に、自分の本質である’神’に、

繋がっているように、心の内の神経を集中すること。それによって、

私は、私として、永遠に存在するものであることが、理解されるだろう。”

 

だからといって、森の中に人を避けて籠って、社会生活を断念することは、

現実的ではない。

サイババ師はこう、述べた:

”あなた方は、自分の親類縁者、身近な社会環境の中で、

義務を果たすべきです。

しかし、このように自分の義務を遂行しながらも、決して霊的な

[スダ注;自分の中にある神聖な資質の学び]から逃れてはなりません。

あなたの世俗的生活は精神生活と調和するようにしなければなりません。

あなた方がこの世に生きている限りは、そこの規則や規制は

無視できません。

しかし、何をしていようとも、人生の霊的な目標である’至高者’を

見失ってはなりません。

一方、父母、親類、富、不動産、その他なんであっても、あなたに

属するモノは何一つ'無い’という事実を認識するべきです。

これらすべてが、カゲロウのように儚く、それらはあらゆる心の

迷いの本体である、’変化する身体’に関係しています。”

 

心の迷いの本体である、”身体”とはどういう意味で、

述べられているのだろう?

年を重ねれば重ねるほど、ある一つの事実を痛切に感じる。

それは、身体は確実に変化していっていることだ。

幼児期、青年期、成年期、老人期と分けてみれば、外見的にも

体力的にも、身体機能は刻一刻と変化してきている。

一方、”わたし”というアイデンティティーはこの身体を持っている

限り、変わらない。

言い換えれば、個人の気質や個人的性格の特徴や’らしさ’は、

変わらず継続しているから、人がどんなに老いても、

その人としてのアイデンティティーは残り、その人を認識できるわけだ。

 ヴェーダ哲学では、こうした虚ろいやすい形式(この場合は身体の変化)

は、幻影だと説く。

身体は、’自分’と呼ぶ資質の中でも、本当に変わらないコアな部分、

”アートマ”の人生という河を渡る道具だと捉える。

身体は、大切な河を渡るための”船”であるのだから、メンテナンスをして、

大切に扱うべきだが、目的地に着いたら用済みとして廃棄される時も

必ず、来るものである。 

そのことを、サイババ師はわかりやすく次のように講義した。

 ”あなたの身体という船に水漏れや穴が開かないように注意して、

船が浸水しないようにします。

つまり、心配事があなたの心の中に入り込んで、病気に

かかりやすいような状況をつくることは

避けましょう。

それが船の浸水を避けるという意味です。

常に船は清潔に保たなければならない。

それは言い換えれば、神様という清掃する専門家に、

助けを借りて、祈りやジャパ(神の名を反復して唱えること)、

瞑想、神への愛行などを実行することです。

清掃やの仕事と床屋の仕事が違うように、あなたの心を、

清らかなにするためには、神様だけが不純物を

あなたのハートから取り除くことができるということを

忘れないでください。

 しかし、この身体は、あなたの衣服にしか過ぎない。

あなたが自分の身体を、あなた自身だと、考えるのは、

無知によるのです。

無知を取り払うこと、それはどうしたら、できるか・・・

それは、決まりきった、修行をすることではありません。

あなたの頭で”真理”を”認識”するだけのことです。

’真理の認識’とは観念的なことではありません。

あなたが、’身体’ ’感覚’ ’心’ ’知力’ ’アートマ(神我)’

の性質’などを 把握して理解して

認識しさえすれば、宇宙の神秘をマスターできるでしょう。” 

(以上、サイババ師の言葉)

 

では、次回から、その一つ一つを、見て行きたいと思う。

 

 

 

 

 

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