自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

インドに1週間 急いで行ってきました 

2017年02月01日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

 

なんでこんなに 埃【誇り]っぽいの? やっぱり、デリーはデリー   

2017・2.1

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今日は、個人的お話で恐縮だが、

今回のニューデリー・ショートステーのお話。


最近のインドでは 近頃 突然モディ首相が高額紙幣を

明日から廃止するとメディアに発表して以来、

一部の大金持ち、小金持ちの間でパニックが起こっていた。


銀行の口座に、高額紙幣を入れれば、無駄にならないが、

箪笥の中にしまってあった大金を銀行に預けたくても

規制額が定まっていて、しかも、銀行に入れられる期限

も定まっていたからだ。 


噂では 高額紙幣 日本円で千円、5千円の紙幣が 

紙屑のように、道端に紙屑のように散らばっていた

などという話まで出た。 


突然の荒療治的手段は、いわゆる闇の金を一斉に処分して、

銀行の口座になるべく持ち金を預金してもらい、

所得と納税額を明確にし、今後 先進国のようにカード社会・

市場への転換が主眼だったようだ。


同時に外国人の預金に関する規制も強まった。

こうした話が去年の暮 日本に住む私に届き それにやや

巻き込まれた形で一月の半ばに、インドに向かうことになった。

 

出発日は、1月16日だった。

出発するのを決めたのはわずか1週間足らず前、1月10日で、

それから、ヴィザや航空券の取得に忙しかった。


きっかけは、自分が以前インドで働いていた時の給料を

振り込んでそのままにしていた、外資系銀行が

インドから撤退することを決め、口座はすべて凍結、

そこに入っている預金額返金のため、個人名義宛の

チェックをインド宅に送ってきたことだった。


そして、インド宅にいる息子が、たまたま 封筒を開いて

確認したのが、今年に入ってからという状況だった。

そのチェックの期限は2017年1月20日だった。


国際電話でそれを知らされても、日本にいる当人に

それをどうしたらよいか手立てもなく、放っておくしか

なかった。


その外資系銀行の口座は去年の8月に凍結されていたので、

もし、そのチェックが手にあっても、入れる口座はなく、

現金化することも規制により赦されず、新しい他の口座を

作るといっても、居住ヴィザではないので、無理だった。

 

その話を、何気なく、私の日本語教室の生徒で、今は

実業家になったS氏に話した。

S氏は、”コネを使ってインドの銀行に特別に口座を開いてくれる

という。


そこに、その届いたチェックを入れるべきだ、

みすみす、飛行機代を払っても、どぶに捨てるような

ことしないほうが良い”、

と ビジネスマンらしく提案してきた。 


インドの政府に還元されて、何かに使ってもらえるのなら

それもお世話になった感謝の印、悪くないなどと言うと、

”本気で言っているのですか?”と流暢な日本語で驚き、

”それは、外資系銀行の利益になるだけで 何とか、

自分の財産なのだから、取り戻すべきだ” と主張する。


そうこうしているうちに、すでにインドのとある銀行に

手配を進めていたS氏の中継で 先方の口座を作る予定の

インド銀行担当者から、私にメールが届くようになった。

 

そのころ、私は、S氏のエネルギーに影響を受けて、やっと、

重い腰をあげて、ヴィザや切符を手配を始めた状態だった。

 

チェックの期限が1週間足らずなので、私がインドに

着いたらすぐ、口座ができるように、前もって、

必要な書類のスキャンをインドの銀行に送るよう 

担当者からは出発前から、指示が入ってきた。

 

慌ただしく、ヴィザをとり、チケットの手配をしながら、

その波に乗るかのように 準備期間一週間があっという間

に過ぎ、息をつく間もなく 協力体制十分の元日本語生徒

S氏と 16日早朝、成田空港で待ち合わせ、インドに出発した。

 

着いた翌日から銀行で口座を作る手続きをして、二日後には、 

外資系の自分の名前のチェックを新しい口座に入れられると

いう 段どりがついた。


ホット胸をなでおろした翌日、マネージャから電話が入り、

そこにあった落とし穴に気が付いた。


厳しくなった政府の金融統制の背景の中、外国人は自分の

口座でも、自分あてのチェックや、現地通貨を入れること

できないという中央銀行からのお達しで、私の持っている

チェックは受け入れられないという連絡が入った。


又、ゼロから振り出しにもどり、しかも、あと二日間しかない

期限つきで 次の手段を講じることになった。


S氏は ”まだ、自分はあきらめていません。 

インド中央銀行に行って、他の方法を考えましょう。”と言ってきた。 


が、私の直観は、外資系の銀行、まだ2月まで出机がおかれて

いるというのなら、そこに座っている銀行担当員と交渉する

価値があると感じた。

 

結局、チェック期限が残り2日という切羽詰まった1月19日、

銀行のカウンターで、手段を聞いた。

すると、ある税務署充ての書類、フォーム10を造れば、

日本に送金する手段は残されているという。


そこで、旧知の関係者や、過去お世話になっていた

公認会計士と連絡をとりあい、早急に書類を作成して

もらうことに、再び、デリーの町をタクシーで奔走した。


ようやく、20日に間に合い、書類を提出したものの、

20日を過ぎた、24日、帰国する日、再度の書き直しを

銀行側から要請され、出発数時間前まで

すったもんだして再発行の書類を届けた。


すべて、周りの人たちの協力のもとに事が回り、

事態は進展し、望んだ方向に動いていた。

(2月2日補足*先ほどインドから連絡はいり、

国際送金は何らかの入力不完全で日本に届かず、

インドの銀行にもどってしまったとのこと。。。

万事がインドではこのような調子で悠長に行われ、

結果は期待外れになることも少なくはないのです。

1に忍耐、2に忍耐、34、なくして5に忍耐 というところです。(苦笑)

 

お金(チェック)に振り回され日々でしたね、という

感想を言う人がいる。

そうかもしれないが、むしろ、周りで支えてくださる人の手に、

力をいただきながら、お御輿(みこし)に乗っていた

という気分であった。

必要以上に余計なエネルギーを使うことなく、皆さまの支えに

身を任しながらの、体験をさせていただいた~というのが

素直な感想だ。


急展開と時間が飛ぶような速さの中、異次元の世界にいるように、

ふと、私は感じる時があった。 

その感じるものこそ、私へ無形のプレゼントだったが、

それは次回に詳細にお伝えしたい。


独りではまず、日本で何もせず、対処せず、一度は捨てた

お金だったからこそ、それを生かして使おうという意識も生まれた。・・・ 


そこで、今回、日本から持ってきたわずかなドル紙幣を、

使うべき人に渡そうと想ったのだった・・・ 

誰に? 

前から気になっていた人間関係があった。

その外資系銀行の幹部だった、G氏は私の社会的後見人でもあった。 

まず、その方を訪れ、その方がサポートしているチャリティー団体に 

今回のご報告とあいさつを兼ねて、わずかを寄付させて

いただいた。


次に、スラム街に住む、かつて私の生活を支えてくれていた

人たちが浮かんだ。


自分と息子がインドにいたときに 家で親子2代にわたって

働いてくれた家族や、働いていた会社の掃除係の真面目なKさん、

チュチュ・チャチャ、の愛犬2匹に(父が容態の悪い時、一時帰国した

際、日曜日を含め、毎日、通いで餌を与えてくれた)サントシさん、

そうした人たちの家族が気にかかった。


8年間、運転手を務めた、Bさんは 人づてに私がインドに

帰ってきたと聞くと、そのたびに電話をくれて、

お茶に誘ってくれていた。 


 彼らはスラム街のような、長屋のようなデリーの落とし穴

のような場所に住んでいた


Bさんは今回も、お茶に誘うため家に挨拶がてら来た。

彼の案内で、久しぶりに、彼の家に行くことにした。 


 塗装していないわずかな道幅の歩道は、汚泥に覆われ、

そこをノブタや牛が歩き、野良犬が闊歩していた。


 水たまりには悪臭が漂い、大人数の家族の割には、

一部屋しかない家が多いので、定職のない住人たちは 

 ほとんど地べたにしゃがみこんで、日光浴をしながら 

数人ずつ固まって、おしゃべりしながら過ごしているような

場所に、彼らは住んでいた。

 

 ~続く

 

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