自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

”愛か不安かのどちらか”~ 自動筆記’神’の言葉から

2024年11月05日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方
”神との対話”から
11月5日
*********

昨日載せた記事の内容が
鮮明な言葉で語られている
”言葉”を 見つけました。

今日は引用いたします。

”神からのメッセージ” を自動書記のような
かたちで受け止めた著者が、質問形式に書いた
本(*1)からの 一節となります。

**************

”人間の行動のすべては、愛か不安に根差している。
人間関係だけではない。

ビジネスや産業、政治、宗教、子供たちの教育、国家の
社会問題、社会の経済的目標、戦争や平和、襲撃
防衛、降伏に影響を及ぼす決断、欲しがったり、

与えたり、ため込んだりわけあったり、団結したり
分裂したりという意思決定、自由な選択のすべてが、
存在しうる ただ 二つの考え から発している。

愛 という考えか、不安という考えか・・”


すると、書記している本人はこの、”降ってわく言葉の
主”(神)に対して、質問します:

”決断しようとすると、不安が勝ってしまうほうが
多いですね。

これはなぜですか?


その答え:

”不安を抱えて生きるように、教えられているからだ。

あなたがたは、適者生存、いちばん強いものが勝利を
得る、いちばん、利口なものが成功すると聞かされて
きた。

子供のころからずっと、劣ったものが負けると
良い聞かされてきたためだ。

あなたがたは、適者になろう、強くなろう、利口に
なろうと必死になり、どんな状況でも、少しでも
劣っていれば、負けてしまうという不安におびえる。

あなたがたは、もちろん、不安に支えられた行動を
選択する、そう教えられてきたからだ。”(以上31・32頁)

さらに・・

人間の行動には二つの動機しかない。
不安か、愛か。

ひとの思考も行動もすべて、愛か不安か どちらかを
根拠としている。

ほかの考えは、すべて、この二つから派生したものだ。

この二つは最初の思考、最初の力だ。

人間の存在というエンジンを動かしている生の
エネルギーだ。

人が何度も何度も、同じ体験を繰り返す理由もここに
ある。

人が愛し、つぎに破壊し、そしてまた、愛するのは
そのためだ。

常に、一方の感情から 他方の感情へと揺れ動くからだ。

愛は不安を支え、その不安は愛を支え その愛がまた
不安を支える・・・” (31頁)


(*1)
”神との対話” ニール・ドナルド・ウォルッシュ著
サンマーク出版
1998年



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ヴァイブレーションの根源(2)シーソーゲーム

2024年11月04日 | 健康のための心の波動




行動が波動を作る・・・11月4日(月)
*******************


今日は、11月1日の内容の続きで、ヴァイブレーションに
関しての内容は、(3)となります。

心がヴァイブレーションを生むようです。
(脳は?となると、感情は、直接は心の諸産物といわれるので)、
心が根源と考えます。

では、その”揺れの種類”はという話になります。
揺れは幾種類もあるように見えますが、根源の感情は
たった、二つのみです。

”愛と恐怖” です。

***********

恐怖の反対は、安心と考えますが、安心はどこから来るか?
といえば、”愛”です。

は、嵐の海に、舟を止めておくための、錨(いかり)
の役目をしますから、どんな状況でも、心は、どこかで、
落ち着いていられます。


は、難しく考えなくても、簡単に表現できるはずです。
それは、誰でも持っているし、自覚するかどうか、だけの
違いです

は、受けるものでは無く、与えるものだからです。

頼ったり、懇願したりして、得られるものではなく、自分から
率先して、相手に与えようとすれば、たとえ、笑顔ひとつでも、
それは  の表現です。

そうこうしていれば、常に、愛 を持ち続けることは可能です。


それが、’恐怖’に対して、対抗する大きな力になりうるか、は、
自覚していれば、理解できることでしょう。


の反対は、憎しみでは?と考えますが、憎しみは”恐怖”から
きます。

誰かから受けた言動が、憎しみのきっかけになる場合、
それは、相手を失う事への恐怖
急に変わったように見える相手への恐怖、
安定していたこれまでの関係の心のバランスを崩される
ことへの 恐怖
などが根底にあるからでしょう。


悲しみは? 

愛と恐怖しかないといわても、悲しみだって、大きな
感情の波と誰もが思います。

でも、結局、それは、”愛の不足感”から来ます。

一番の悲しみは、する人が逝ってしまうこと
でしょう。

その時、’死は表面的な次元の移行で、いつも、
その人の魂は、自分と共にある’という、互いのの確信が
あれば、 ’いつかあの世で会いましょう’と笑顔で語り掛ける
ことも可能でしょう。

悲しんでいては、亡き人は、あちらで、喜んでいないと
笑顔で、思い出してあげれば、その亡き人への最高の
愛”の表現だと感じます。


苦しみは?

恐怖も のどちらか?、その関係性はないように
思えますが、それは、恐怖”からきます。

同じ状況の中で、ある人は、”苦しい”と感じ、ある人は、
”挑戦し甲斐がある”と、とらえるのは何故でしょう?

しいと感じる反対には、それに連想させる、何らかの
恐怖心があるからです。

丁度、注射が怖いと泣く園児が、 打たれる直前に
’痛いのを味わう’という恐怖感に似ています。

過去にそれに似た体験や、苦しさを思い出したとき、
恐怖感の大きさと並行して、苦しいという思いが強く
なるのではないでしょうか。

しかし、どんなに、苦しい場面でも、””があれば、
思ったより、楽に、それを乗り越えられるはずです。

愛する誰かのために受ける苦労が 良い例です。

傍目で どんなに、’苦しそう’に見えていても 本人は、
その行為の中に、’喜び’すら感じているかもしれません。


愛に傾いているか
恐怖に傾いているか

心のシーソーは、今、その、どちらかに傾いて
いるはずです。


今の私は、どちらの割合このシーソーゲームをして
いるのか?
と、
私は、瞬間瞬間、心を見つめるよう、努力してますが
’恐怖’の連鎖は、強いので、難しい時が多々あります。


前回書いた、大衆意識に自分の心が寄り添ってしまうと、
”恐怖”に傾いていくことが多いようです

厳密に言えば、怖い というより、何か、虚しさや、うつ的
などんよりした重い感情が、心に雲のように、覆っていくので
わかります。

あ、これは、よその人達の’恐怖感’の塊(かたまり)に、影響を
受けているかもしれないと感じたら

意識的に、の比重を足すようにします。

恐怖側の傾きが大きくなり、足が地につかなく
(新たな行動さえ億劫で起こせなく)なる前に、何とか、
愛側のシーソーの方に、意識をもっていくわけです。

意識を持っていくだけでなく、思いつく、何らかの
愛の行動を起こそうとします。

私の場合は、それでも、効き目がないときは、
身の回りの場所の、掃除を始めます。

掃除機をかけ、拭き掃除を終えるころには、
部屋の空気が一掃されるのと同時に、心も何か
軽くなります。

すると、自然と、新しい次の”愛”の行動へのヒントが
見つかることが多いものです

たとえば、誰かに喜んでもらえそうなことを
考える・・

これは、良い言葉を、身近な人に、かけたり、
笑顔で対応するだけでも、相手の心が和むことで
こちらも、共有できる、愛の表現の一つでしょう。

よく、天気が悪いから とか、気圧が変化するから、
今朝から気分が冴えない という人がいます。

それも一理はあるかもしれませんが、大体は、そんな日に
は、外からの、エネルギーに感化されやすいか
しれません。


こんな時は、自分に優しく、他人にも優しく、
自分が喜ぶこと、他人に喜んでもらえることを、
できるところから、見つけて、実行してみること
でしょう。

”波動は現実を作る” ということが真なら、逆さも真です。

”行動は、波動を作る” ということです。

の行動は、自然との波動を広げて、それが共鳴して
さらに、幾重にも、広がっていくことで、自分の心も、
いつの間にか、晴れやかに、嬉しくなって
いく・・ようです。





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ヴァイブレーション🙈🙊🙉の意味

2024年11月01日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質



脳内の 見ざる言わざる聞かざる
*************

前回のブログ内容の続きです。
**********


脳内には、ある特殊な細胞群がある。

そこでは、繰り返し、放出されたヴァイブレーション
にふさわしい、状況を再現するといわれる。

そこではまた、他者から放出した 想念や行為、動作や
イメージなどのヴァイブレーションを選択的に受け取る
ことができろう。

受け取った後、その脳細胞部に、記録させ、定着させる
らしい。


”他者からの想念”、いわゆる、大衆心理の波動の力は
相当なものだ。

なぜなら、これが、自然災害や、地球上紛争 あるいは、
異常気象なども含めて、人類の歴史上、これまで繰り
返され、近年、また新たな問題として、あらわれてきた
災厄の原因の一つ、と、考えられているからだ。

どういうことかというと、

災害や事件を体験した人の突然の不幸に対する、恐れや
どうしようもできない不甲斐なさ

あるいは、そうした災害や事件の情報を 吾がことの
ように親身に、受け取り、それらの仮想イメージを強く
持った人は、そうした想念の同派数の、ヴァイブレーション
を 体外に放出している。

すると、先に述べた、その人の細胞群に、その
ヴァイブレーションは、刻まれると同時に、それを無意識に
受け取った人の脳細胞にも、選択されて残り続ける。


すると、この災害や事件の ”恐怖や、不安”は、
眼には見えないが、あっという間に、世間的な概念として
普及していく。

それは、大衆意識に溶け込み、そのヴァイブレーションは
想像を絶した、大きな力となっていく。

”創造”とは、”想像”に元を発するからだ。

建築でも、絵画でも、衣服でも、デザインがあって、現実の
形となる。

同様に、”恐怖の想像”は、このデザインにあたるから、
知らずの間に、マス化したとき、すでに、創造される過程の
最後に達しているのだ。

”念は現実化”するという、”唯心所現の法則”により、
現実に そうした災害や事件として 地球上に起こって
きたし、起きている。

この現実化させる”念”は、私たち、一人ひとりが、
相乗効果で ”恐怖や不安”を膨らませていったときに、
できあがる。

それが、重なり合ったとき、大衆意識となり、
その、ヴァイブレーションの力にほかならない。

戦争、脅迫事件、詐欺事件、強盗事件、地震、火事、
噴火などの、自然災害なども、知らずのうちに、
長い年月を経て、一人ひとりの脳細胞に蓄えられた、
ヴァイブレーションが大衆意識の一部となり、
生みだされていくのだろう。


だとしたなら、どうしたらよいのだろう?
どんな対策を、施せるのだろうか?


それは、そうした”恐怖”を感じた時、”感謝”という、
今、与えられている恵み(当たり前の生活)に、
心の羅針盤の針を、振り向けることから始まるのだ
と思う。

毎日、ニュースやSNSで いやがおうにも耳に目に
飛び込んでくる、こうした情報を、必要以上に
ミミを傾けないことも 必要かもしれない。

何度も何度も、恐怖を煽られる言葉を聞いていると、
脳内細胞に染み込むその確かさも、比例して、大きく
なっていく。

こうした 一連の、恐怖を感じさせる社会現象や事件に
自分の脳細胞が、汚染されないよう、努めて意識すること
必要だろう。

不安を煽る情報は、様々な媒体から、頭に入ってくる。

それを中和させるためにも、積極的に 純粋な
ヴァイブレーションを、脳内に張り詰めていくことが
”恐怖心”に汚染されない、手段の一つかもしれない。

純粋なヴァイブレーション、いわゆる、”善き言葉、
善き思い、善き行い(人の為になる)をしていく” 
ことで怒りや不安などを、意識的 積極的に浄化
させていける。


ここで、思い出す、かの有名な彫刻に彫られている、
一連の仕草がある。


東照宮の🙈 🙊 🙉 の彫刻(見ざる、
言わざる、聞かざる)の、お猿さんたちの姿だ。

この、仕草こそ、自分の脳細胞内に、
”怒りや不安”の種の発芽を、最小限にとどめる方法だ。

つまり、恐怖や不安を煽るものに対して、
観ない、聞かない、言わない”の 徹底である。

これが、まさに、このお猿さんたちの、メッセージ
でもある~と 聞いたことがある。






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