Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2020年12月25日、私たちの主イエズス・キリストの御降誕(圣诞节 예수성탄)、聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)のテキストをラテン語・日本語・中文・韓国語でご紹介します

2020年12月25日 | ミサ聖祭

2020年12月25日、私たちの主イエズス・キリストの御降誕(圣诞节 예수성탄)、聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)のテキストをラテン語・日本語・中文・韓国語でご紹介します。

IN NATIVITATE DOMINI 主の御降誕  圣诞节 예수성탄
I classis cum octava II classis 一級祝日  八日間付き  一等复式附有特典的八日庆期【白】 .
Ad primam Missam in nocte 夜中のミサ聖祭(第一のミサ) 第一台弥撒 子时弥撒 .
Statio ad S. Mariam maiorem ad Præsepe 指定巡礼聖堂:聖マリア大聖堂の厩の祭壇 集合祈祷于圣母大堂 .
Ant. ad Introitum. Ps. 2, 7. 入祭文 詩篇、2ノ7 进台咏(咏2:7) 초입경(성영2.7)
Dóminus dixit ad me : Fílius meus es tu, ego hódie génui te. 主は私に仰せられた。おまえは私の子である、私は今日おまえを生んだ、と。 上主曾对我说:“祢是我的儿子,我今日生了祢。” 주 내게 이르시되 너는 내 아들이니 나 오늘 너를 낳았노라 하셨도다.
Ps. ib., 1. 詩篇、2ノ1 (咏2:1) (성영2.1) 
Quare fremuérunt gentes : et pópuli meditáti sunt inánia ? なぜ、国々は乱れ騒ぎ、民は無益なことを企てるのか。 异民为何叛乱,万民为何策划妄事? 어찌하여 외인들은 분노하며 백성들은 헛된 것을 생각하느뇨. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와 …
Dóminus dixit ad me : Fílius meus es tu, ego hódie génui te. 主は私に仰せられた。おまえは私の子である、私は今日おまえを生んだ、と。 上主曾对我说:“祢是我的儿子,我今日生了祢。” 주 내게 이르시되 너는 내 아들이니 나 오늘 너를 낳았노라 하셨도다.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Deus, qui hanc sacratíssimam noctem veri lúminis fecísti illustratióne claréscere : da, quǽsumus ; ut, cuius lucis mystéria in terra cognóvimus, eius quoque gáudiis in cælo perfruámur : Qui tecum vivit. 天主よ、御身はこの至聖なる夜を、まことの光の照らしで輝かせ給うた。願わくは、この世で、天主の光の奥義を知ったわれらに、天においても、主と共に世々に治め給う御者の喜びを味わわせ給え。御身と共に、(…)。 天主,祢以真光的照耀,使此至圣之夜顿现光明;我们现今在世上、幸已认识祢圣子的光明之奥迹,求祢赏赐我们、将来在天上也得享祂的欢乐。祂和祢……。 천주여 너 이 지극히 거룩한 밤을 참빛의 광채로 비추신지라. 비오니 이미 세상에서 그 빛의 비사를 안 우리로 하여금 또한 하늘에서 그 빛의 복락을 누리게 하소서. 저 너와 성신과 …
Léctio Epístolæ beati Páuli Apóstoli ad Titum. 使徒聖パウロの、ティトへの書簡の朗読。 书信 서간경
Tit. 2, 11-15. ティト 2ノ11-15 (铎2:11-15) (띠또서2.11-15)
Caríssime : Appáruit grátia Dei Salvatóris nostri ómnibus homínibus, erúdiens nos, ut, abnegántes impietátem et sæculária desidéria, sóbrie et iuste et pie vivámus in hoc sǽculo, exspectántes beátam spem et advéntum glóriæ magni Dei et Salvatóris nostri Iesu Christi : qui dedit semetípsum pro nobis : ut nos redímeret ab omni iniquitáte, et mundáret sibi pópulum acceptábilem, sectatórem bonórum óperum. Hæc lóquere et exhortáre : in Christo Iesu, Dómino nostro. いと愛する者よ、すべての人間の救いのもととして、天主の恩寵はあらわれた。それは、幸福な希望と、偉大な天主であり、救い主であるイエズス・キリストの光栄のあらわれを待ちつつ、この世において、思慮と正義と敬虔とをもって生きるために、不敬虔と世俗の欲望をすてよと私たちに教える。イエズスは、私たちを罪からあがない、善業に熱心な民を、ご自身のためにきよめようとして、私たちのためにご自分をお与えになった。じゅうぶんな権威をもって、すすめ、いさめ、以上のように話せ。 挚爱的弟兄:天主——我们救主的恩宠,已经在一切人面前显示出来。它教训我们弃绝异端,一切敬邪神之事及世间私欲,在世上生活,要淡泊有节,公义待人,热心事主。等待所盼望的真福,并等候我们至高天主和救世主耶稣基督光荣的来临。祂为我们牺牲了自己,从一切罪恶中救赎我们,洗洁我们,使我们作祂特选的百姓,热心行善。这一切,你应该说的,该用来劝勉人,又用你的全权,责备人,不可叫人轻看你。 사랑하온 자들아 우리 구세주 천주의 성총이 모든 사람들에게 나타나사 우리를 가르치심은 우리로 하여금 사악과 세속 욕망을 끊고 복된 희망과 대천주이신 우리 구세주 예수 그리스도의 임하심을 기다리면서 이 세상에서 절제있고 의롭고 진실하게 살게코저 하심이니라. 저는(구세주) 우리를 모든 악행에서 구원하시며 성의에 합하고 선공에 열심한 백성을 당신을 위하여 조찰케 하시려고 당신을 우리에게 주셨으니 이것을 우리 주 예수 그리스도 안에 말하며 권면할지어다.
Graduale. Ps. 109, 3 et 1. 昇階誦 詩篇、109ノ3,1 台阶咏(咏109:3,1) 층계경(성영109.3,1)
Tecum princípium in die virtútis tuæ : in splendóribus Sanctórum, ex útero ante lucíferum génui te. 御身とともに主権は御身の力の日においてある。聖徳の輝きにおいて、明けの明星の前に、私はふところからおまえを生んだ。 祢诞生之日,在圣德光华之中,王位就与祢同在;晓明之前,宛如朝露,我就生了祢。 네 능력의 날에 네게 권세 있도다. 성인의 영광중에 샛별 있기전에 나 너를 낳았노라. 
V/. Dixit Dóminus Dómino meo : Sede a dextris meis : donec ponam inimícos tuos, scabéllum pedum tuórum. V/. 主は、わが主に仰せられた。私の右に座れ、私が、おまえの敵をおまえの足台となすまで、と。 上主对吾主说:祢坐在我的右边,等我把祢的仇人,屈作祢的脚凳。 주 내게 이르시되 나 네 원수들로써 네 발판을 삼기까지 내 우편에 앉아 있으라 하셨도다. 알렐루야.
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 2,7. Dóminus dixit ad me : Fílius meus es tu, ego hódie génui te. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ、V/. 詩篇、2ノ7 主は私に仰せられた。おまえは私の子である、私は今日おまえを生んだ、と、アレルヤ。 阿肋路亚,阿肋路亚。(咏2:7)上主曾对我说:祢是我的儿子,我今日生了祢。阿肋路亚。 알렐루야 알렐루야.(성영2.7) 주 내게 이르시되 너는 내 아들이니 나 오늘 너를 낳았노라 하셨도다. 알렐루야.
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음
Luc. 2, 1-14. ルカ 2ノ1-14 (路2:1-14) (성루까2.1-14)
In illo témpore : Exiit edíctum a Cǽsare Augústo, ut describerétur univérsus orbis. Hæc descríptio prima facta est a prǽside Sýriæ Cyríno : et ibant omnes ut profiteréntur sínguli in suam civitátem. Ascéndit autem et Ioseph a Galilǽa de civitáte Názareth, in Iudǽam in civitátem David, quæ vocatur Béthlehem : eo quod esset de domo et fámilia David, ut profiterétur cum María desponsáta sibi uxóre prægnánte. Factum est autem, cum essent ibi, impléti sunt dies, ut páreret. Et péperit fílium suum primogénitum, et pannis eum invólvit, et reclinávit eum in præsépio : quia non erat eis locus in diversório. Et pastóres erant in regióne eádem vigilántes, et custodiéntes vigílias noctis super gregem suum. Et ecce, Angelus Dómini stetit iuxta illos, et cláritas Dei circumfúlsit illos, et timuérunt timóre magno. Et dixit illis Angelus : Nolíte timére : ecce enim, evangelízo vobis gáudium magnum, quod erit omni pópulo : quia natus est vobis hódie Salvátor, qui est Christus Dóminus, in civitáte David. Et hoc vobis signum : Inveniétis infántem pannis involútum, et pósitum in præsépio. Et súbito facta est cum Angelo multitúdo milítiæ cæléstis, laudántium Deum et dicéntium : Glória in altíssimis Deo, et in terra pax hóminibus bonæ voluntátis. そのころチェザル・アウグストから、全世界の人口調査を命じる詔勅が出た。この人口調査は、クィリノがシリア総督だった時におこなった調査の前のことだった。人々はみな、名をとどけるために各自の故郷に帰っていった。ヨゼフはダヴィドの家系でありその血統なので、すでに懐妊していた妻のマリアと共に、名を届けるために、ガリラヤのナザレトの町からユダヤのダヴィドの町ベトレヘムに来た。そこにいる間に、マリアは、産期みちて、初子を生んだので、布につつんで、まぐさおけに子を横たえた。それは、旅館に部屋がなかったからである。ところで、その地方に野宿して、夜、羊の群れを番する羊飼いたちがいたが、主の栄光があたりをてらし、主の天使が近くにあらわれたので、かれらは大いにおそれた。すると、天使は、おそれることはない。全ての人々のための大きなよろこびの知らせを、あなたたちに告げよう。今日、ダヴィドの町で、あなたたちのために、救い主がお生まれになった。すなわち、主キリストである。あなたたちは、布につつまれてまぐさおけに寝かせてあるみどり子を見るだろうが、それがしるしである」といった。するとたちまち、天の軍勢の大群が天使に加わり、「いと高き所には天主に栄光、地には善意の人々に平和」と天主を賛美した。 那时,凯撒奥古斯督出了一道谕旨,命令天下百姓登记户口。这次户口登记,还在际理诺做叙利亚总督时的那次之前。于是大家动身,各归本城去登记。若瑟因此也从加黎利的纳匝肋城上犹太去,到名叫白冷的达味城——因为他本是达味一族一系的人——要同他的聘妻、玛利亚报名登记,那时玛利亚正有身孕。他们在那里时,她的产期到了,产下头胎儿子,用襁褓裹起来,放在马槽里,因为旅馆里,没有他们的地方。正在那边,有些牧人宿在田野中,守夜、看守着他们的羊群。主的一个天神在他们身边显现,而主的光辉四面照着他们,他们大大的惊骇。那位天神对他们说:“不要害怕!我今报告你们一个关切全民的大喜信:救主今日为你们诞生在达味的城里了!祂是主、基督。给你们这个标记:你们要见到一个婴孩,裹着襁褓,卧在马槽里。”随即有一大队的天上军队,同那天神一齐赞颂天主说:“在彼高天,光荣归于天主;在此下土,和平给予祂钟爱的人们。” 유시에 아구스도세살이 조칙을 내려 하여금 천하에 호적을 하게하니, 이 첫번 호적법을 시리아 총독 시리도 봉행하는지라, 모든 사람이 호적하기 위하여 각각 관향 읍내로 갈새, 요셉이 다윗 가문의 족속인고로 갈릴래아 땅 나자렛읍에로부터 유데아에 다위부 이름 베드름에 올라가서, 하여금 자기 아내 마리아와 한자기로 호적하려 하니 이는 잉태하신지라. 마침 거기 계실때에 해산할 기한이 차 그 맏아들을 낳아 포대기로 싸 구유에 뉘시니 대저 숫막에는 자리를 얻지 못하심이러라. 그 근처에 목자들이 있어 밤을 새우며 순경돌아 그 양의 무리를 수직하더니, 홀연 천신이 가까이 서고 또 천주의 광채가 저들을 두루 비추매 크게 놀라는지라. 천신이 저들에게 이르되 ‘놀라지말라. 만민이 다 즐거워할바 큰 기쁨을 너희게 고하노니, 대저 구세주 그리스도 너희를 위하여 오늘 다위읍내에 탄생하시니라. 너희들이 이 표로 알터이니 포대기로 싸 구유에 누인 영해를 너희가 얻어보리라’ 하고 홀연 허다하 천상군총이 그 천신과 합하여 천주를 현양하여 이르되, ‘지극히 높은데서는 천주께 영광이요 땅에서는 마음이 좋은 사람들에게 평화함이로다’ 하더라.
Credo 信経 信経 (신경외움)
Ant. ad Offertorium. Ps. 95,11 et 13. 奉献文 詩篇、95ノ11,13 奉献咏(咏95:11-13) 제헌경(성영95.11,13)
Læténtur cæli et exsúltet terra ante fáciem Dómini : quóniam venit. 主の御前に天は喜ばんことを、地は喜び踊らんことを。主は来給うたればなり。 在上主面前,愿诸天欢欣,全地踊跃,因为祂已经来了。 주의 면전에서 하늘은 즐거워하며 땅은 용약할지니 대저 저 임하시는도다.
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Accépta tibi sit, Dómine, quǽsumus, hodiérnæ festivitátis oblátio : ut, tua gratia largiénte, per hæc sacrosáncta commércia, in illíus inveniámur forma, in quo tecum est nostra substántia : Qui tecum vivit. 主よ、願わくは、今日の祝い捧げ物が御身に受け得れられんことを。御身の聖寵が与えられ、このいとも聖なる[天主の本性と人間の本性との]交換を通して、私たちの本質がそこにおいて御身とともにあるかのお方の本性においてわれらが見いだされれんことを。御身と共に、(…)。 主,祈望今日圣节的献仪、蒙得祢的悦纳;望祢藉着在圣祭中的神圣交换、恩赐我们能和现今在祂身上有我们人性与祢结合的耶稣,臻于相似。祂和祢……。 주여 오늘 첨례의 제물을 네 성의에 합하게 하실지며 또한 우리 체가 너와 한가지로 그리스도 안에 있사오니 빌컨대 우리로 하여금 네 풍성한 은혜로 이 신성한 관계를 인하여 저와 합치케 하소서. 저 너와 성신과 …
Præfatio de Nativitate Domini. 御降誕の序誦 圣诞节的颂谢引 .
Vere dignum et justum est, æquum et salutáre, nos tibi semper, et ubíque grátias ágere: Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus. Quia per incarnáti Verbi mystérium nova mentis nostræ óculis lux tuæ claritátis infúlsit: ut, dum visibíliter Deum cognóscimus, per hunc in invisibílium amórem rapiámur. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cœléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes: Sanctus, Sanctus, Sanctus... 主よ、聖なる父、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。なぜなら、托身した御言葉の玄義によって、われらの精神の目に、御身の輝きの新しい光が、輝き出でし故なり。そは、われらが目に見えるやり方で天主を識り奉る時、これによって見えざるものらの愛に我らが心ひかれるためなり。ゆえに、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共に、また、天の万軍と共に、われらはきわまりなく、主の御光栄の讃歌を歌い奉る。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、… 主、至圣的父、全能永生的天主,我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。因为、由于圣子降生为人的奥迹、祢荣耀的新光已在我们的心目前照耀,使我们每当静观这位有形可见的天主,就不得不为祂所吸引去爱那无形的事了。为此、我们随同诸位天神、总领天神、上座者和宰制者以及天上万军、合唱光荣祢的圣歌,无穷期地说:圣、圣、圣……。 .
Ant. ad Communionem. Ps. 109, 3. 聖体拝領誦 詩篇、109ノ3 领主咏(咏109:3) 영성체경(성영109.3)
In splendóribus Sanctórum, ex útero ante lucíferum génui te. 聖徳の輝きにおいて、明けの明星の前に、私は、ふところからおまえを生んだ。 黎明之前,在圣德的光华之中,我就生了你。 성인들의 영광 중에 샛별이 있기 전에 나 너를 낳았노라.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Da nobis, quǽsumus, Dómine, Deus noster : ut, qui Nativitátem Dómini nostri Iesu Christi mystériis nos frequentáre gaudémus ; dignis conversatiónibus ad eius mereámur per veníre consórtium : Qui tecum. われらの天主なる主よ、願わくは、この奥義をもって、主イエズス・キリストの御降誕を新たにして喜び奉ったわれらを、聖い生活をもって主に一致させ給え。御身と共に、(…)。 主,我们的天主,我们藉这奥迹,欢欢乐乐地庆祝我们主耶稣基督的圣诞;求祢恩赐我们今世常度圣善的生活,来日好能同祂永远相会。祂和祢……。 우리 주 천주여 비오니 우리 주 예수 그리스도의 성탄을 비사로 지냄을 즐기는 우리로 하여금 또한 적당한 행실로 저의 친우가 되기에 합당한자 되게 하소서. 저 너와 성신과 …


Merry Christmas to all of you! 私たちの主の御降誕のお祝いを申し上げます!

2020年12月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

私たちの主の御降誕のお祝いを申し上げます!

幼子イエズス様の祝福が豊かにありますように!







あと数日ですが、私たちの主の御降誕のお祝いを申し上げます クリスマス特別献金のお願い

2020年12月24日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!
 
愛する兄弟姉妹の皆様、
 
あと数日ですが、私たちの主の御降誕のお祝いを申し上げます。私たちのためにお生まれになる主イエズス・キリストにふさわしい礼拝と賛美を捧げましょう。
 
人となった天主であるイエズスさまのために、かつて人々は家を提供することができませんでした。そこで王の王は馬小屋でまぐさ桶におかれました。
 
しかし私たちは愛の主の愛に答えたいと思い、拙いながらできる限り天主に相応しい良いものを主に捧げたいと思います。
 
私ども聖ピオ十世会は、主の御恵みで、カトリック教会の常に愛し行ってきたことを行い続けております。
 
皆様の応援があれば、私たちの次の世代にカトリック信仰という宝をより良く伝えることができるようになります。
 
特に東京でも、御聖体を敬い大切にし、イエズスの聖心の愛に答える聖堂があることを欲しております。
 
愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力でより相応しい聖堂を主にお捧げし、皆様にはより祈りやすい環境でミサ聖祭や秘蹟に与ることができるようにすることができます。
 
もしも幼きイエズス・キリストに捧げるクリスマスのプレゼントとして聖伝の聖堂を東京に設置することができるように、皆様からの御援助を頂けるならば、心から感謝を申し上げます。
 
ゆうちょ銀行
名前(口座名義)「聖ピオ十世会東京 教会建設基金支援会」
セイピオジッセイカイトウキョウキョウカイケンセツキキンシエンカイ
ゆうちょ銀行からの振込は:
記号:14030 番号:36673311
ゆうちょ銀行以外からの振込は:
支店名:四〇八(ヨンゼロハチ) 預金種目:普通 口座番号:3667331
 
あるいは
 
ゆうちょ銀行
名前(口座名義)「聖ピオ十世会大阪 教会建設基金支援会」
セイピオジッセイカイオオサカキョウカイケンセツキキンシエンカイ
 
ゆうちょ銀行からの振込は:
記号:14090 番号:43009071
ゆうちょ銀行以外からの振込は:
支店名:四〇八(ヨンゼロハチ)預金種目:普通 口座番号:4300907
 
天主様の祝福が豊かにありますように!
 
トマス小野田神父
 
We wish you a most blessed merry Chritmas!
Come and let us adore this Divine Babe, Our Lord Jesus Christ with deep gratitude and adoration due to Him. How we sicerely desire to offer Him a worthy place of worship here in Tokyo! It would be extremely gratious if you wish to give us your kind support to continue our Traditional Catholic Mass! With your generosity, we would like to have our chapel where Our Lord is loved and prayed.
 
If you wish to deposit your donations to our account, please kindly be informed:
Account name: "Sei Pio Jisseikai Tokyo Kyokai Kensetsu Shikin Shienkai"
[セイピオジッセイカイトウキョウキョウカイケンセツキキンシエンカイ]
Transfer from Japan Post Bank: 14030 Account number:36673311
Transfers from other than Japan Post Bank: Branch Name:Yon Zero Hachi [四〇八]
Deposit class:Ordinary [普通] 
Account Number:3667331
 



 

私たちの主イエズス・キリストの御降誕の朝課の第三夜課の対訳版をご紹介いたします

2020年12月24日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御降誕の朝課の第三夜課の対訳版をご紹介いたします。

In III Noctúrno 第三夜課
Ant. 7 Ipse invocábit * me, allelúia : Pater meus es tu, allelúia. [アンティフォナ] 主は私に呼びかけるだろう、アレルヤ。御身は私の父である、アレルヤ 
Psalmus 88 (2-38) 第八十八篇
88:2 Misericórdias Dómini * in ætérnum cantábo. 我は主の御憐憫を永久に謳わんかな、わがロもて汝の信実を千代万代に告げんかな。
88:2 In generatiónem et generatiónem * annuntiábo veritátem tuam in ore meo. それ、汝は曰えり、「憐憫は永久に、天に立てられたり」と。汝の信実もそこに備えられん。
88:3 Quóniam dixísti : In ætérnum misericórdia ædificábitur in cælis : * præparábitur véritas tua in eis. 「我はわが選びたる者と契約を結べり、我わが下僕ダヴィドに誓いたり。
88:4-5 Dispósui testaméntum eléctis meis, iurávi David, servo meo : * Usque in ætérnum præparábo semen tuum. 我は永遠まで汝の後胤を備え、汝の王座を築きて千代万代に及ぼさん。」
88:5 Et ædificábo in generatiónem et generatiónem * sedem tuam. 主よ、諸天は汝の奇しき御業を、聖者等の集会にては汝の信実を、頌えん。
88:6 Confitebúntur cæli mirabília tua, Dómine : * étenim veritátem tuam in ecclésia sanctórum. 蓋し雲の中にて誰か主に匹儔ぶ者あらんや、天主の子等の中にて誰か天主の如き者あらんや。
88:7 Quóniam quis in núbibus æquábitur Dómino : * símilis erit Deo in fíliis Dei? 聖者等の会にて頌栄えられ給う天主は、偉大にして、その周囲にあるすべてものに優りて畏るべし。
88:8 Deus, qui glorificátur in consílio sanctórum : * magnus et terríbilis super omnes qui in circúitu eius sunt. 万軍の天主なる主よ、誰か汝に匹儔う者ぞ。主よ、汝は権能あり、汝の信実は汝を囲繞る。
88:9 Dómine, Deus virtútum, quis símilis tibi ? * potens es, Dómine, et véritas tua in circúitu tuo. 汝は海の力を支配し、またその波涛の動搖を靜め給う。
88:10 Tu domináris potestáti maris : * motum autem flúctuum eius tu mítigas. 汝は傲る者を挫きて、傷つける者の如くにし、汝の大能ある御腕もて汝の敵を打散らし給えり。
88:11 Tu humiliásti sicut vulnerátum, supérbum : * in bráchio virtútis tuæ dispersísti inimícos tuos. 諸天は汝の有なり、地もまた汝の有なり。地球とこれに満てる物とは、汝の基し給える所、
88:12 Tui sunt cæli, et tua est terra, orbem terræ et plenitúdinem eius tu fundásti : * aquilónem, et mare tu creásti. 北と海とは汝の創造り給える所なり。タボルとヘルモンとは汝の御名によりて喜び躍らん。
88:13 Thabor et Hermon in nómine tuo exsultábunt : * tuum bráchium cum poténtia. 汝の御腕は権能を具えたり。願わくは汝の御手を強くし、汝の御右手を挙げ給わんことを。
88:14 Firmétur manus tua, et exaltétur déxtera tua : * iustítia et iudícium præparátio sedis tuæ. 義と審判とは汝の王座の基なり。憐憫と信実とは汝の御面前に先だち進まん。
88:15 Misericórdia et véritas præcédent fáciem tuam : * beátus pópulus qui scit iubilatiónem. 至福なるかな、歡び叫ぶを知る民。主よ彼等は汝の御顔の光の中を歩み、
88:16-17 Dómine, in lúmine vultus tui ambulábunt, et in nómine tuo exsultábunt tota die : * et in iustítia tua exaltabúntur. 汝の御名によりて終日喜び躍り、汝の義によりて挙げらるべし。
88:18 Quóniam glória virtútis eórum tu es : * et in beneplácito tuo exaltábitur cornu nostrum. 実に汝は彼等のカの光輝なり。我等の角は汝の御好意によりて挙げられん。
88:19 Quia Dómini est assúmptio nostra, * et Sancti Israël, regis nostri. 寔に我等の支援は主の、即ち我等の王イスラエルの聖なる者のそれなり。
88:20 Tunc locútus es in visióne sanctis tuis et dixísti : * Pósui adiutórium in poténte : et exaltávi eléctum de plebe mea. かの時、汝啓視の中に汝の聖者等に語りて曰いぬ、「我は力ある者に祐助を与え、わが庶民の中より選びたる者を挙げたり。
88:21 Invéni David, servum meum : * óleo sancto meo unxi eum. 我ダヴィドのわが下僕たるを見出でて、之にわが聖油を塗れり。
88:22 Manus enim mea auxiliábitur ei : * et bráchium meum confortábit eum. 実にわが手彼を助けん、わが腕彼を強くせん。
88:23 Nihil profíciet inimícus in eo, * et fílius iniquitátis non appónet nocére ei. 敵は彼に向かいて利なく、不義の子等は累ねて彼を害うことなからん。
88:24 Et concídam a fácie ipsíus inimícos eius : * et odiéntes eum in fugam convértam. 我彼の面前よりその敵を断ち、彼を憎む者等を逃走らしめん。
88:25 Et véritas mea et misericórdia mea cum ipso : * et in nómine meo exaltábitur cornu eius. わが信実とわが憐憫とは彼と共にあり、その角はわが名によりて挙げらるべし。
88:26 Et ponam in mari manum eius : * et in flumínibus déxteram eius. 我彼の手を海の上に、その右の手を河川の上に置かん。
88:27 Ipse invocábit me : Pater meus es tu : * Deus meus et suscéptor salútis meæ. 彼は我を呼ばん、「汝はわが父、わが天主にして、わが救拯の支柱なり」と。
88:28 Et ego primogénitum ponam illum * excélsum præ régibus terræ. 我また彼を長子となし、地の王等に優りて高き者となさん。
88:29 In ætérnum servábo illi misericórdiam meam : * et testaméntum meum fidéle ipsi. 我永久にわが憐憫を彼に対いて保ち、わが契約を渝ることなく彼に守らん。
88:30 Et ponam in sǽculum sǽculi semen eius : * et thronum eius sicut dies cæli. 我またその後胤を世々の世々まで、その王座を天の日数の如く、存続かしめん。
88:31 Si autem derelíquerint fílii eius legem meam : * et in iudíciis meis non ambuláverint : されどもしその子等わが法を棄て、わが規定のままに歩まず、
88:32 Si iustítias meas profanáverint : * et mandáta mea non custodíerint : わが義を瀆し、わが誡命を守らずば、
88:33 Visitábo in virga iniquitátes eórum : * et in verbéribus peccáta eórum. 我杖もてその不義に、打擲もてその罪に、報いん。
88:34 Misericórdiam autem meam non dispérgam ab eo : * neque nocébo in veritáte mea : さりながらわが憐憫を彼より取り去ることなく、わが信実に背くことなからん。
88:35 Neque profanábo testaméntum meum : * et quæ procédunt de lábiis meis, non fáciam írrita. なお我はわが契約を瀆さじ、またわがロ唇より出でたることを空にせじ。
88:36-37 Semel iurávi in sancto meo : Si David méntiar : * semen eius in ætérnum manébit. 我曽てわが聖にかけて誓えり、我ダヴィドに虚偽を云わじ、その後胤は永久に存し、
88:38 Et thronus eius sicut sol in conspéctu meo, * et sicut luna perfécta in ætérnum : et testis in cælo fidélis. その王座はわが眼前に日の如く、永久に円満なる月の如くあらん、天にある証人は信実なり。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Ipse invocábit me, allelúia : Pater meus es tu, allelúia. [アンティフォナ] 主は私に呼びかけるだろう、アレルヤ。御身は私の父である、アレルヤ
Ant. 8 Læténtur cæli, * et exsúltet terra ante fáciem Dómini, quóniam venit. [アンティフォナ] 天は喜ばんことを。そして地は主の御前に喜び躍らんことを。主は来られるが故に。
Psalmus 95 第九十五篇
95:1 Cantáte Dómino cánticum novum : * cantáte Dómino, omnis terra. 汝等主に向かいて新しき歌を唱え、全地よ、主に向かいて唱え。
95:2 Cantáte Dómino, et benedícite nómini eius : * annuntiáte de die in diem salutáre eius. 主に向かいて唱え、その御名を褒め、日に日にその救拯を告げよ。
95:3 Annuntiáte inter gentes glóriam eius, * in ómnibus pópulis mirabília eius. 異邦人の間にその御栄光を、諸々の民の間にその奇しき御業を宣べよ。
95:4 Quóniam magnus Dóminus, et laudábilis nimis : * terríbilis est super omnes deos. それ、主は偉大にして大いに讃うべく、諸々の神に優りて畏るべき者に在す。
95:5 Quóniam omnes dii géntium dæmónia : * Dóminus autem cælos fecit. そは異邦人の神々は皆悪鬼なれども、主は諸天を造り給いしに由りてなり。
95:6 Conféssio, et pulchritúdo in conspéctu eius : * sanctimónia et magnificéntia in sanctificatióne eius. 讃美と美麗とその御眼前にあり、聖と御稜威とその聖所にあり。
95:7 Afférte Dómino, pátriæ géntium, afférte Dómino glóriam et honórem : * afférte Dómino glóriam nómini eius. 汝等主に帰せよ、異邦人のやからよ、主に帰せよ、栄と誉とを。
95:8 Tóllite hóstias, et introíte in átria eius : * adoráte Dóminum in átrio sancto eius. 主に帰せよ、その御名に頌栄を。供物を取りてその大庭に入れ、
95:9 Commoveátur a fácie eius univérsa terra : * dícite in géntibus quia Dóminus regnávit. その聖なる庭にて主を拝せよ。全地はその御面前に搖らげかし。
95:10 Étenim corréxit orbem terræ qui non commovébitur : * iudicábit pópulos in æquitáte. 汝等、異邦人の間にて云え、主の統治し給えることを。実に彼地球を堅く立て給えり、そは搖るがざるべし。彼公平もて民を裁き給わん。
95:11 Læténtur cæli, et exsúltet terra : commoveátur mare, et plenitúdo eius : * gaudébunt campi, et ómnia quæ in eis sunt. 諸天は楽しめ、地は雀躍りせよ。海とこれに満てる物とは震動けかし。
95:12 Tunc exsultábunt ómnia ligna silvárum a fácie Dómini, quia venit : * quóniam venit iudicáre terram. 田畑とその中にあるすべての物とは喜ばん。その時の森のあらゆる樹木も雀躍りすべし、
95:13 Iudicábit orbem terræ in æquitáte, * et pópulos in veritáte sua. 主の御面前にて。そは彼来り給えばなり、地を裁かんとて来り給えばなり。彼は地球を公平もて、民をその真実もて、裁き給わん。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Læténtur cæli, et exsúltet terra ante fáciem Dómini, quóniam venit. [アンティフォナ] 天は喜ばんことを。そして地は主の御前に喜び躍らんことを。主は来られるが故に。
Ant. 9 Notum fecit * Dóminus, allelúia, salutáre suum, allelúia. [アンティフォナ] 主は知らせ給うた、アレルヤ、御自分の救いを、アレルヤ。
Psalmus 97 第九十七篇
97:1 Cantáte Dómino cánticum novum : * quia mirabília fecit. 汝等主に向かいて新しき歌を唱え、そは彼奇しき御業をなし給いたればなり。
97:2 Salvávit sibi déxtera eius : * et bráchium sanctum eius. その御右手、その聖なる御腕は彼のために救拯をなせり。
97:3 Notum fecit Dóminus salutáre suum : * in conspéctu géntium revelávit iustítiam suam. 主はその救拯を知らしめ給えり、その義を異邦人等の眼前に顕し給えり。
97:4 Recordátus est misericórdiæ suæ, * et veritátis suæ dómui Israël. 彼はイスラエルの家に対いて、その御憐憫と信実とを思い出で給えり。地の果も皆我等の天主の救拯を見たり。
97:5 Vidérunt omnes términi terræ * salutáre Dei nostri. 全地よ、主に向かいて歓喜の声を挙げよ。歌え、雀躍して、楽を奏でよ。
97:6 Iubiláte Deo, omnis terra : * cantáte, et exsultáte, et psállite. 小琴もて主に讃歌唱え、小琴と讃歌の声ともて、
97:7 Psállite Dómino in cíthara, in cíthara et voce psalmi : * in tubis ductílibus, et voce tubæ córneæ. 打延べたる喇叭と角笛の音ともて。王たる主の御眼前にて歓び叫べ。
97:8 Iubiláte in conspéctu regis Dómini : * moveátur mare, et plenitúdo eius : orbis terrárum, et qui hábitant in eo. 震動け、海と之に満てる物、地球とその中に棲める物。
97:9 Flúmina plaudent manu, simul montes exsultábunt a conspéctu Dómini : * quóniam venit iudicáre terram. 河川は手を拍て、山々も共に喜び踊れ、
97:10 Iudicábit orbem terrárum in iustítia, * et pópulos in æquitáte. 主の御眼前にて然せよ、そは彼地を裁かんとて来り給えばなり。彼は地球を正義もて、民を公平もて、裁き給わん。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Notum fecit Dóminus, allelúia, salutáre suum, allelúia. [アンティフォナ] 主は知らせ給うた、アレルヤ、御自分の救いを、アレルヤ。
V. Ipse invocábit me, allelúia. 主は私に呼びかけるだろう、アレルヤ。
R. Pater meus es tu, allelúia. 御身は私の父である、アレルヤ 
Pater noster, et proséquitur secréto qui es in cælis : sanctificétur nomen tuum : advéniat regnum tuum : fiat volúntas tua, sicut in cælo, et in terra. Panem nostrum quotidiánum da nobis hódie : et dimítte nobis débita nostra, sicut et nos dimíttimus debitóribus nostris : et absólvitur clara voce: 天にましますわれらの聖父よ(沈黙の内に唱える)願わくは、御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。(次は大きな声で終える。)
V. Et ne nos indúcas in tentatiónem. われらを試みに引き給わざれ。
R. Sed líbera nos a malo. われらを悪より救い給え。
Absol. A vínculis peccatórum nostrórum absólvat nos omnípotens et miséricors Dóminus. 我らの罪の鎖から、全能の憐れみ深き主が我らを解き放ち給わんことを。
R. Amen. アメン
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Evangélica léctio sit nobis salus et protéctio. 福音の朗読が私たちにとって救いと保護とにならんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 7 第 7 朗読
Léctio sancti Evangélii secúndum Lucam ルカによる聖福音の朗読
Luc. 2:1-14 ルカ2章1-14
In illo témpore : Éxiit edíctum a Cǽsare Augústo, ut describerétur univérsus orbis. Et réliqua. そのころ、皇帝アウグストゥスから全地の人口調査のための勅令が出た。云々。
Homilía sancti Gregórii Papæ 教皇聖グレゴリオの説教
Homilía 8 in Evangélio 第八説教
Quia, largiénte Dómino, Missárum solémnia ter hódie celebratúri sumus, loqui diu de evangélica lectióne non póssumus : sed nos áliquid vel bréviter dícere, Redemptóris nostri Natívitas ipsa compéllit. Quid est enim quod nascitúro Dómino mundus descríbitur, nisi hoc, quod apérte monstrátur, quia ille apparébat in carne, qui eléctos suos adscríberet in æternitáte ? Quo contra de réprobis per prophétam dícitur : Deleántur de libro vivéntium, et cum iustis non scribántur. Qui bene étiam in Béthlehem náscitur. Béthlehem quippe domus panis interpretátur. Ipse namque est, qui ait : Ego sum panis vivus, qui de cælo descéndi. Locus ergo, in quo Dóminus náscitur, domus panis ántea vocátus est : quia futúrum profécto erat, ut ille ibi per matériam carnis apparéret, qui electórum mentes intérna satietáte refíceret. Qui non in paréntum domo, sed in via náscitur : ut profécto osténderet, quia per humanitátem suam, quam assúmpserat, quasi in aliéno nascebátur. 主が寛大に与え給うがゆえに、今日は私たちは荘厳なミサを三回ささげます。福音の朗読について私たちは長くは話せません。しかし、私たちの贖い主の御降誕は私たちをして何か短く話すように動かします。主が御降誕しようとするとき、何故この人口調査がなされたのでしょうか。それは、この方が肉において【人間として】現れになった時、御自分の選ばれた人々を永遠に書き込むためだったこと明らかに示すため以外ではありません。これに反して、預言者を通して滅びの人々についてはこう言われています。「かれらは生きる人々の書から消し去られんことを。かれらは義人たちと共に記されぬことを。」実に、この方はふさわしくベトレヘムでお生まれになります。ベトレヘムとはパンの家と解釈されるからです。この方こそ、こう言った方です。「私は天から下った生けるパンである。」従って、主がお生まれになるその場所は、以前パンの家と呼ばれていたのです。何故なら、そこで肉の質量を通して現れるべき方は、将来、御自分の選ばれた人々の精神を内的に飽かすだろうからです。主は、両親の家ではなく、道すがらでお生まれになり、お取りになった人間の本性を通して、よそ者として生まれたということを示すためでした。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. 主よ、われらをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝
R. Beáta víscera Maríæ Vírginis, quæ portavérunt ætérni Patris Fílium : et beáta úbera, quæ lactavérunt Christum Dóminum: * Qui hódie pro salúte mundi de Vírgine nasci dignátus est. [応唱] 幸いなるかな童貞マリアの御胎、それは永遠の御父の御子を運んだ。そして幸いなるかな主キリストに乳を授けた乳房。主は、今日、世の救いのために童貞女からお生まれになった。
V. Dies sanctificátus illúxit nobis : veníte, gentes, et adoráte Dóminum. 聖とされた日は私たちに輝いた。民々よ、来たれ、主を礼拝せよ。
R. Qui hódie pro salúte mundi de Vírgine nasci dignátus est. 主は、今日、世の救いのために童貞女からお生まれになった。
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Per evangelica dicta, deleantur nostra delicta. 読まれた福音を通して、私たちの過ちが消し去られんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 8 第 8 朗読
Léctio sancti Evangélii secúndum Lucam ルカによる聖福音の朗読
Luc. 2:15-20 ルカ 2:15-20
In illo témpore : Pastóres loquebántur ad ínvicem : Transeámus usque Béthlehem, et videámus hoc verbum, quod factum est, quod Dóminus osténdit nobis. Et réliqua. そのころ、羊飼いたちは互いにこう言いあった。ベトレヘムまで行こう、主が私たちに見せてくださったその言われた言葉を見よう。云々。 
Homilía sancti Ambrósii Epíscopi 司教聖アンブロジオの説教
Liber 2 in cap. 2 Lucæ, circa médium 第二巻ルカの第二章の真ん中頃
Vidéte Ecclésiæ surgéntis exórdium : Christus náscitur, et pastóres vigiláre cœpérunt ; qui géntium greges, pécudum modo ante vivéntes, in caulam Dómini congregárent, ne quos spiritálium bestiárum per offúsas nóctium ténebras pateréntur incúrsus. Et bene pastóres vígilant, quos bonus pastor infórmat. Grex ígitur pópulus, nox sǽculum, pastóres sunt sacerdótes. Aut fortásse étiam ille sit pastor, cui dícitur : Esto vígilans, et confírma. Quia non solum epíscopos ad tuéndum gregem Dóminus ordinávit, sed étiam Ángelos destinávit. 生まれつつある初代教会の始めを見なさい。キリストはお生まれになり、牧者たちは目覚め始めました。家畜のように以前は生きていた異邦の民々の群れを彼らは主の牧場に集め、夜の闇の中を通じて霊的なけものらの襲撃を群れが苦しまないようにするのです。牧者たちはふさわしく目覚めていますが、彼らは良き牧者から養成されているからです。従って、群は民であり、夜は世界、牧者たちは司祭らです。或いは、次のように言われる者は牧者でなければなりません。「警戒しておれ。そして固めよ。」主が群れを守るように命じたのは司教たちだけではなく、天使たちをも定めました。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. 主よ、われらをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝
R. Verbum caro factum est, et habitávit in nobis: * Et vídimus glóriam eius, glóriam quasi Unigéniti a Patre, plenum grátiæ et veritátis. [応唱] みことばは肉となって、私たちのうちに住まわれた。私たちはその栄光を見た。それは御父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
V. Ómnia per ipsum facta sunt, et sine ipso factum est nihil. 全てはみことばによって作られた。作られたもので御言葉によらずになったものは何一つない。
R. Et vídimus glóriam eius, glóriam quasi Unigéniti a Patre, plenum grátiæ et veritátis. 私たちはその栄光を見た。それは御父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
V. Glória Patri, et Fílio, et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Et vídimus glóriam eius, glóriam quasi Unigéniti a Patre, plenum grátiæ et veritátis. 私たちはその栄光を見た。それは御父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Verba Sancti Evangélii dóceat nos Christus, Fílius Dei. キリスト、天主の御子が、私たちに聖なる福音の御言葉を教えんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 9 第 9 朗読
Léctio sancti Evangélii secúndum Ioánnem ヨハネによる聖福音の朗読
Ioánnis 1:1-14 ヨハネ1:1-14
In princípio erat Verbum, et Verbum erat apud Deum, et Deus erat Verbum. Et réliqua. 初めにみことばがあった。みことばは天主と共にあった。みことばは天主であった。云々
Homilía sancti Augustíni Epíscopi 司教聖アウグスティヌスの説教
Tractátus 1 in Ioánnem, circa médium ヨハネの福音注解1真ん中
Ne vile áliquid putáres quale consuevísti cogitáre, cum verba humána soléres audíre, audi quid cógites : Deus erat Verbum. Éxeat nunc néscio quis infidélis Ariánus, et dicat, quia Verbum Dei factum est. Quómodo potest fíeri, ut Verbum Dei factum sit, quando Deus per Verbum fecit ómnia ? Si et Verbum Dei ipsum factum est ; per quod áliud verbum factum est ? Si hoc dicis, quia hoc est verbum Verbi, per quod factum est illud ; ipsum dico ego únicum Fílium Dei. Si autem non dicis verbum Verbi, concéde non factum, per quod facta sunt ómnia. Non enim per seípsum fíeri pótuit, per quod facta sunt ómnia. Crede ergo Evangelístæ. あなたが[みことばについて]何か低俗な考えを持たないように、あたかも人間の言葉を慣れ聞くときにあなたが普通に考えているものであるかのように[考えないように]、どのように考えるべきかを聞きなさい。「みことばは天主であった。」今、或る不信仰のアリウス派の人が出て来て、こう言ったとしましょう。「天主のみことばは創られた」と。天主がみことばによって全てを創り給うたのに、どうやって天主のみことばが創られたなどということがあり得るでしょうか? もし天主のみことば自体も創られたのなら、いったいどんな別のみことばによって創られたのでしょうか? もしあなたが、みことばのみことばによって創られたというのなら、私はこれこそが天主の御一人子である、と言いましょう。しかし、もしあなたが、みことばのみことばを認めないのなら、[みことばは]創られず、それによって全てが創られたと認めなさい。何故なら、それによって全てが創られたものは、自分で創られることはできなかったからです。従って、福音史家を信じなさい。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. 主よ、われらをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝。
Hymnus 賛歌
Te Deum laudámus : * te Dóminum confitémur. 天主にまします御身(おんみ)をわれらたたえ、主にまします御身を讃美し奉る。
Te ætérnum Patrem, * omnis terra venerátur. 永遠(えいえん)の御父(おんちち)よ、全地は御身を拝みまつる。
Tibi omnes Ángeli, * tibi Cæli et univérsæ Potestátes : すべての御使い(みつかい)ら、天(あま)つ御国(みくに)の民、よろずの力ある者、
Tibi Chérubim et Séraphim * incessábili voce proclámant : ケルビムも、セラフィムも、絶間(たえま)なく声高らかに御身がほぎ歌をうたいまつる。
Sanctus, Sanctus, Sanctus, * Dóminus Deus Sábaoth. 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍(ばんぐん)の天主、
Pleni sunt cæli et terra * maiestátis glóriæ tuæ. 天も地も、御身の栄えと御霊威(ごれいい)とに充ち満てりと。
Te gloriósus * Apostolórum chorus, ほまれにかがやく使徒のむれ、
Te Prophetárum * laudábilis númerus, ほめたとうべき預言者のあつまり、
Te Mártyrum candidátus * laudat exércitus. 潔(きよ)き殉教者(じゅんきょうしゃ)の一軍、みなもろともに御身をたたえ、
Te per orbem terrárum * sancta confitétur Ecclésia, 全地にあまねき聖会は、
Patrem * imménsæ maiestátis ; 御身、限りなき御(み)いつの聖父(おんちち)を、
Venerándum tuum verum * et únicum Fílium ; いとたかき御身がまことの御独り子(おんひとりご)と、
Sanctum quoque * Paráclitum Spíritum. また慰め主(なぐさめぬし)なる聖霊と、ともに讃美し奉る。
Tu Rex glóriæ, * Christe. 御身、栄えの大君(おおぎみ)なるキリストよ、
Tu Patris * sempitérnus es Fílius. 御身こそは、聖父(おんちち)のとこしえの聖子(おんこ)、
Tu, ad liberándum susceptúrus hóminem, * non horruísti Vírginis úterum. 世を救うために人とならんとて、おとめの胎をもいとわせ給わず、
Tu, devícto mortis acúleo, * aperuísti credéntibus regna cælórum. 死のとげにうち勝ち、信ずる者のために天国を開き給えり。
Tu ad déxteram Dei sedes, * in glória Patris. 御身こそは、御父の御栄えのうちに、天主の右に坐し、
Iudex créderis * esse ventúrus. 裁き主として来りますと信ぜられ給う。
Sequens versus dícitur flexis génibus 願わくは、尊き御血(おんち)もてあがない給いししもべらをたすけ給え。
Te ergo quǽsumus, tuis fámulis súbveni, * quos pretióso sánguine redemísti. かれらをして諸聖人と共に、永遠の栄えのうちに数えらるるを得しめ給え。
Ætérna fac cum Sanctis tuis * in glória numerári. 主よ、御身の民を救い、御身の世継ぎを祝し、
Salvum fac pópulum tuum, Dómine, * et bénedic hereditáti tuæ. かれらを治め、永遠にいたるまで、かれらを高め給え。
Et rege eos, * et extólle illos usque in ætérnum. われら、日々、御身に謝し、
Per síngulos dies * benedícimus te ; 世世(よよ)にいたるまで聖名(みな)をたたえ奉る。
Et laudámus nomen tuum in sǽculum, * et in sǽculum sǽculi. 主よ、今日(こんにち)われらを護(まも)りて、罪を犯さざらしめ給え。
Dignáre, Dómine, die isto * sine peccáto nos custodíre. われらをあわれみ給え、主よ、われらをあわれみ給え。
Miserére nostri, Dómine, * miserére nostri. 主よ、御身に依(よ)り頼みしわれらに、御あわれみをたれ給え。
Fiat misericórdia tua, Dómine, super nos, * quemádmodum sperávimus in te. 主よ、われ御身に依り頼みたり、わが望みはとこしえに空(むな)しからまじ。
In te, Dómine, sperávi : * non confúndar in ætérnum. 天主にまします御身をわれらたたえ、主にまします御身を讃美し奉る。
Réliqua dicúntur solúmmodo quando Matutínum a Láudibus separátur. 【以下は朝課と賛課とを分けて唱える時のみ祈る。】
V. Dómine, exáudi oratiónem meam. 主よ、我が祈りを聞き入れ給え。
R. Et clamor meus ad te véniat. 我が叫びが御身に行かんことを。
Orémus. 祈願
Concéde, quǽsumus, omnípotens Deus : ut nos Unigéniti tui nova per carnem Natívitas líberet ; quos sub peccáti iugo vetústa sérvitus tenet. Per eúndem Dóminum nostrum Iesum Christum Fílium tuum, qui tecum vivit et regnat in unitáte Spíritus Sancti, Deus, per ómnia sǽcula sæculórum. 全能の天主、願わくは、御身の御一人子の肉による新しい誕生が我らを解放せんことを。古き隷属が罪のくびきのもとに我らをとどめていたがゆえに。われらの主イエズス・キリスト…。
R. Amen. アメン
V. Dómine, exáudi oratiónem meam. 主よ、我が祈りを聞き入れ給え。
R. Et clamor meus ad te véniat. 我が叫びが御身に行かんことを。
V. Benedicámus Dómino. 主を祝福しよう。
R. Deo grátias. 天主に感謝
V. Fidélium ánimæ per misericórdiam Dei requiéscant in pace. 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御憐みにより安らかに憩わんことを。
R. Amen. アメン


私たちの主イエズス・キリストの御降誕の朝課の第二夜課の対訳版をご紹介いたします

2020年12月24日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御降誕の朝課の第二夜課の対訳版をご紹介いたします。

In II Noctúrno 第二夜課
Ant. 4 Suscépimus, * Deus, misericórdiam tuam in médio templi tui. [アンティフォナ] 天主よ、私たちは御身の神殿の中で御身の憐みを受けた。
Psalmus 47 第四十七篇
47:1 Magnus Dóminus, et laudábilis nimis * in civitáte Dei nostri, in monte sancto eius. 主は偉大なるかな、我等の天主の都の内、その聖なる山にて、甚く讃えられさせ給え。
47:2 Fundátur exsultatióne univérsæ terræ mons Sion, * látera Aquilónis, cívitas Regis magni. シオンの山は全地の歓喜にと据えられたり。北側に大王の都あり。
47:3 Deus in dómibus eius cognoscétur, * cum suscípiet eam. 天主之を護り給うべければ、その家々に知られ給わん。
47:4 Quóniam ecce reges terræ congregáti sunt : * convenérunt in unum. 実にも視よ、地の王等相集い、一つとなりて寄せ来りしが、
47:5 Ipsi vidéntes sic admiráti sunt, conturbáti sunt, commóti sunt : * tremor apprehéndit eos. 自らこれを見るや、驚き慌て顫えあがれり。戦慄彼等を襲い、
47:6 Ibi dolóres ut parturiéntis : * in spíritu veheménti cónteres naves Tharsis. その時子を産む婦の如き苦痛ありき。汝は烈しき風もて、タルシスの船を碎き給わん。
47:7 Sicut audívimus, sic vídimus in civitáte Dómini virtútum, in civitáte Dei nostri : * Deus fundávit eam in ætérnum. 我等は聞きたる如く、万軍の主の都にて、我等の天主の都にて見たり。天主はこれを永遠に築建て給えり。
47:8 Suscépimus, Deus, misericórdiam tuam, * in médio templi tui. 天主よ、我等は汝の聖殿の中にて、汝の御憐憫を受けたり。
47:9 Secúndum nomen tuum, Deus, sic et laus tua in fines terræ : * iustítia plena est déxtera tua. 天主よ、汝の御名の如く、汝の讃美も亦、地の果に及ぶ。汝の御右手は正義に満てり。
47:10 Lætétur mons Sion, et exsúltent fíliæ Iudæ, * propter iudícia tua, Dómine. シオンの山は楽しめかし、ユダの娘等は、主よ、汝の御審判ゆえに喜び踊れかし。
47:11 Circúmdate Sion, et complectímini eam : * narráte in túrribus eius. シオンを繞り、これを囲め、その塔にて談れ。
47:12 Pónite corda vestra in virtúte eius : * et distribúite domos eius, ut enarrétis in progénie áltera. その力に汝等の心を置き、その家々を査べ数えよ、これ後代に語り伝えんためなり。
47:13 Quóniam hic est Deus, Deus noster in ætérnum, et in sǽculum sǽculi : * ipse reget nos in sǽcula. 実にここにこそ天主、我等の天主は永久に世々にわたりて在すなれ。彼は世々に至るまで我等を治め給わん。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Suscépimus, Deus, misericórdiam tuam in médio templi tui. [アンティフォナ] 天主よ、私たちは御身の神殿の中で御身の憐みを受けた。
Ant. 5 Oriétur * in diébus Dómini abundántia pacis, et dominábitur. [アンティフォナ] 主の日々[時世]には、平和の豊かさは興り、支配されるだろう。
Psalmus 71 詩篇 71
71:1 Deus, iudícium tuum regi da : * et iustítiam tuam fílio regis : 天主よ、汝の審判を王に、汝の義を、王の子に与え給え。
71:2 Iudicáre pópulum tuum in iustítia, * et páuperes tuos in iudício. そは義もて汝の民を公平もて汝の貧しき者を、裁かんためなり。
71:3 Suscípiant montes pacem pópulo : * et colles iustítiam. 民のために、山々は平和を、丘々は義を、受けよかし。
71:4 Iudicábit páuperes pópuli, et salvos fáciet fílios páuperum : * et humiliábit calumniatórem. 彼は民の貧しき者を裁き、貧しき者の子等を救い、虐ぐる者を拉ぎ給わん。
71:5 Et permanébit cum sole, et ante lunam, * in generatióne et generatiónem. また彼は日と共に、月の前に、千代万代に、存続り給わん。
71:6 Descéndet sicut plúvia in vellus : * et sicut stillicídia stillántia super terram. 彼は羊の毛に降る雨の如く、地に滴る雫の如く、降り給わん。
71:7 Oriétur in diébus eius iustítia, et abundántia pacis : * donec auferátur luna. 彼の時世には、月の失せ去るまで、義も、平和の豊かなるも、興らん。
71:8 Et dominábitur a mari usque ad mare : * et a flúmine usque ad términos orbis terrárum. かくて彼は海より海まで、河より地球の果まで、治め給うべし。
71:9 Coram illo prócident Æthíopes : * et inimíci eius terram lingent. エチオピア人はその御前に平伏し、その敵は地を甜めん。
71:10 Reges Tharsis, et ínsulæ múnera ófferent : * reges Árabum et Saba dona addúcent. タルシス及び島々の王等は礼物を献げ、アラビア人の、またサバの、王等は贈物を持ち来らん。
71:11 Et adorábunt eum omnes reges terræ : * omnes gentes sérvient ei : かく地の王等は皆彼を拝み、異邦人等はすべて彼に臣事えん。
71:12 Quia liberábit páuperem a poténte : * et páuperem, cui non erat adiútor. そは彼権力ある者より負しき人を、また助くる者なき憐なる人を、解放い給うべければなり。
71:13 Parcet páuperi et ínopi : * et ánimas páuperum salvas fáciet. 彼は貧しき者乏しき者を劬り、憐なる者の霊魂を救い、
71:14 Ex usúris et iniquitáte rédimet ánimas eórum : * et honorábile nomen eórum coram illo. 彼等の霊魂を貪婪と不義とより贖い給わん。かくて彼等の名はその御前に貴かるべし。
71:15 Et vivet, et dábitur ei de auro Arábiæ, et adorábunt de ipso semper : * tota die benedícent ei. 彼は生き存え給うべく、アラビアの黄金の中より彼に献げらるべし。人々は常に彼を拝み、終日彼を祝し奉らん。
71:16 Et erit firmaméntum in terra in summis móntium, superextollétur super Líbanum fructus eius : * et florébunt de civitáte sicut fœnum terræ. 国の内山々の頂には支柱あるべく、その産物はリバノンにまさりて高く、邑の人々は地の草の如く生い立つべし。
71:17 Sit nomen eius benedíctum in sǽcula : * ante solem pérmanet nomen eius. その御名は世々に祝せられさせ給え、その御名は日の前に永く存す。
71:18 Et benedicéntur in ipso omnes tribus terræ : * omnes gentes magnificábunt eum. 地のすべての族は彼によりて祝福を受け、諸々の国民は彼を頌えん。
71:19 Benedíctus Dóminus, Deus Israël, * qui facit mirabília solus : 主イスラエルの天主は祝せられさせ給え、独り彼のみ奇蹟をなし給う。
71:20 Et benedíctum nomen maiestátis eius in ætérnum : * et replébitur maiestáte eius omnis terra : fiat, fiat. またその御稜威の御名も永遠に祝せられさせ給え。全地はその御稜威にて満さるべし。然あれかし、然あれかし。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Oriétur in diébus Dómini abundántia pacis, et dominábitur. [アンティフォナ] 主の日々[時世]には、平和の豊かさは興り、支配されるだろう。
Ant. 6 Véritas de terra * orta est, et iustítia de cælo prospéxit. [アンティフォナ] 真理は地より生え出で、正義は天より見おろした。
Psalmus 84 第八十四篇
84:1 Benedixísti, Dómine, terram tuam : * avertísti captivitátem Iacob. 主よ、汝は汝の地を祝し給えり。ヤコブの俘虜を回帰し、
84:2 Remisísti iniquitátem plebis tuæ : * operuísti ómnia peccáta eórum. 汝の民の不義を赦し、そのあらゆる罪を蔽い給えり。
84:3 Mitigásti omnem iram tuam : * avertísti ab ira indignatiónis tuæ. 御忿怒を全く和げ、御義憤の激昻を抑え給えり。
84:4 Convérte nos, Deus, salutáris noster : * et avérte iram tuam a nobis. 我等の救主なる天主よ、我等を立帰らしめ、御忿怒を我等より遠ざけ給え。
84:5 Numquid in ætérnum irascéris nobis ? * aut exténdes iram tuam a generatióne in generatiónem? 汝は永久に我等を怒らんとし給うや。すなわち汝の御忿怒を万代より万代に及ぼさんとし給うや。
84:6 Deus, tu convérsus vivificábis nos : * et plebs tua lætábitur in te. 天主よ、汝は翻りて、我等を活かし給わん。さらば汝の民は汝によりて楽しむべし。
84:7 Osténde nobis, Dómine, misericórdiam tuam : * et salutáre tuum da nobis. 主よ、御憐憫を我等に示し、御救拯を我等に賜え。
84:8 Áudiam quid loquátur in me Dóminus Deus : * quóniam loquétur pacem in plebem suam. 我は主なる天主のわが衷にて語り給う所を聴かん、盖は彼御民に、平和を語り給うべければなり。
84:9 Et super sanctos suos : * et in eos qui convertúntur ad cor. その聖者等に、また心より立帰りたる人々に。
84:10 Verúmtamen prope timéntes eum salutáre ipsíus : * ut inhábitet glória in terra nostra. 正に御救拯は彼を畏れ奉る人々に近し。かくて栄光我等の地に住まるに至らん。
84:11 Misericórdia et véritas obviavérunt sibi : * iustítia et pax osculátæ sunt. 憐憫と眞実と互に相迎え、正義と平和と接吻したり。
84:12 Véritas de terra orta est : * et iustítia de cælo prospéxit. 眞実は地より生え出で、正義は天より見下せり。
84:13 Étenim Dóminus dabit benignitátem : * et terra nostra dabit fructum suum. 実に主は恩恵を賜い、我等の地はその産物を出さん。
84:14 Iustítia ante eum ambulábit : * et ponet in via gressus suos. 正義は彼の御前に行き、その歩を道に印さん。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Véritas de terra orta est, et iustítia de cælo prospéxit. [アンティフォナ] 真理は地より生え出で、正義は天より見おろした。
V. Speciósus forma præ fíliis hóminum. 人の子らの前で形は美しい。
R. Diffúsa est grátia in lábiis tuis. 御身の唇には優雅が湧き出た。
Pater noster, et proséquitur secréto qui es in cælis : sanctificétur nomen tuum : advéniat regnum tuum : fiat volúntas tua, sicut in cælo, et in terra. Panem nostrum quotidiánum da nobis hódie : et dimítte nobis débita nostra, sicut et nos dimíttimus debitóribus nostris : et absólvitur clara voce: 天にましますわれらの聖父よ(沈黙の内に唱える)願わくは、御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。(次は大きな声で終える。)
V. Et ne nos indúcas in tentatiónem. われらを試みに引き給わざれ。
R. Sed líbera nos a malo. われらを悪より救い給え。
Absol. Ipsíus píetas et misericórdia nos ádiuvet, qui cum Patre et Spíritu Sancto vivit et regnat in sǽcula sæculórum. 主の優しさとあわれみが私たちを助け給わんことを。御身は聖父と聖霊とともに世々に生き、しろしめし給う。
R. Amen. アメン
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Deus Pater omnípotens sit nobis propítius et clemens. 全能の聖父なる天主が、私たちに憐れみ深く慈愛深くあり給わんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 4 第 4 朗読
Sermo sancti Leónis Papæ 教皇聖レオの説教
Sermo 1 de Nativitáte Dómini 主の御降誕の第一説教
Salvátor noster, dilectíssimi, hódie natus est : gaudeámus. Neque enim fas est locum esse tristítiæ, ubi natális est vitæ : quæ, consúmpto mortalitátis timóre, nobis íngerit de promíssa æternitáte lætítiam. Nemo ab huius alacritátis participatióne secérnitur. Una cunctis lætítiæ commúnis est rátio : quia Dóminus noster, peccáti mortísque destrúctor, sicut nullum a reátu líberum réperit, ita liberándis ómnibus venit. Exsúltet sanctus, quia appropínquat ad palmam : gáudeat peccátor, quia invitátur ad véniam : animétur gentílis, quia vocátur ad vitam. Dei namque Fílius secúndum plenitúdinem témporis, quam divíni consílii inscrutábilis altitúdo dispósuit, reconciliándam auctóri suo natúram géneris assúmpsit humáni, ut invéntor mortis diábolus, per ipsam, quam vícerat, vincerétur. 最愛なる者たちよ、私たちの救い主は今日、お生まれになりました。喜びましょう。生命の誕生日であるところで、悲しみに場所があるのはふさわしくありません。生命は、死の恐れを取り除くことにより、約束された永遠で、私たちに喜びを与えてくださした。この喜びを分かち合うことから誰一人として除かれていません。各々、喜びの一つの共通の理由を持っています。何故なら、私たちの主は、罪と死との破壊者として、誰一人として罪のないものはいないので、全ての人々を解放するために来られたからです。天主の御子は、実に、探り知り得ない天主の思慮の深さが定めた時の満ちるに従って、人類の創造主と和解するために人類の本性をお取りになりました。それは死の発明者である悪魔が、自分が勝利したそれによって負かされるためでした。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. 主よ、われらをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝。
R. O magnum mystérium, et admirábile sacraméntum ut animália vidérent Dóminum natum, iacéntem in præsépio: * Beáta Virgo, cuius víscera meruérunt portáre Dóminum Christum. [応唱] おお、偉大なる神秘よ、感嘆すべき秘儀よ、動物たちは主が生まれ給い、馬草桶に横たわり給うを見ていた!聖なる童貞女よ、その胎は主キリストを宿すに相応しいとされた。
V. Ave María, grátia plena ; Dóminus tecum. めでたし聖寵みちみてるマリア、主は御身と共にまします。
R. Beáta Virgo, cuius víscera meruérunt portáre Dóminum Christum. 聖なる童貞女よ、その胎は主キリストを宿すに相応しいとされた。
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Christus perpétuæ det nobis gáudia vitæ. キリストが私たちに永遠のいのちの喜びを与え給わんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 5 第 5 朗読
In quo conflíctu pro nobis ínito, magno et mirábili æquitátis iure certátum est, dum omnípotens Dóminus cum sævíssimo hoste non in sua maiestáte, sed in nostra congréditur humilitáte : obíciens ei eámdem formam, eamdémque natúram, mortalitátis quidem nostræ partícipem, sed peccáti totíus expértem. Aliénum quippe ab hac nativitáte est, quod de ómnibus légitur : Nemo mundus a sorde, nec infans, cuius est uníus diéi vita super terram. Nihil ergo in istam singulárem nativitátem de carnis concupiscéntia transívit, nihil de peccáti lege manávit. Virgo régia Davídicæ stirpis elígitur, quæ sacro gravidánda fœtu, divínam humanámque prolem prius concíperet mente, quam córpore. Et ne supérni ignára consílii ad inusitátos pavéret affátus, quod in ea operándum erat a Spíritu Sancto, collóquio discit angélico : nec damnum credit pudóris, Dei Génitrix mox futúra. 私たちのために始めたこの戦いにおいて、偉大で感嘆すべき法の公正で戦われました。全能の主はこの極めて残酷な敵とともに、御自分の御稜威においてではなく、私たちの卑しい条件(humilitas)において戦い、悪魔に対して、私たちの死すべき条件を分かち合った同じ形で、同じ本性で、ただし全ての罪だけは例外として、対立するからです。実に、全ての人について次のように読まれることは、この御降誕とは関係ありません。「汚れなき清いものは誰もいない、地上でまだ一日だけの生活しかない赤子でさえも清くない。」この特別な御降誕には、肉の情欲のいかなるものも入り込まなかった。罪の法のいかなるものも留まらなかった。ダヴィドの王家の血筋の童貞女が選ばれ、この方はその御胎内に聖なる胎児を宿すべく、肉体の前にまず心で天主であり人間である子供を懐胎しました。[マリアが]天の計画を知らないため、この普通ではない知らせに心を乱さないよう、天使との会話から、聖霊によって彼女において行われるべきことを知り、すぐに天主の御母となる方は、純潔が傷つかないと信じました。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. 主よ、われらをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝
R. Beáta Dei Génitrix María, cuius víscera intácta pérmanent: * Hódie génuit Salvatórem sǽculi. [応唱] 天主の御母聖マリア、その御胎は傷なく保たれたり。今日、世の救い主を産み給うた。
V. Beáta, quæ crédidit : quóniam perfécta sunt ómnia, quæ dicta sunt ei a Dómino. 幸いなるかな、信じた方は。なぜなら主から彼女に言われたことはすべて成就したがゆえなり。
R. Hódie génuit Salvatórem sǽculi. 今日、世の救い主を産み給うた。
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Ignem sui amóris accéndat Deus in córdibus nostris. 天主が、御自分の愛の炎を私たちの心に灯し給わんことを。
R. Amen. アメン 
Lectio 6 第 6 朗読
Agámus ergo, dilectíssimi, grátias Deo Patri, per Fílium eius in Spíritu Sancto : qui propter multam caritátem suam, qua diléxit nos, misértus est nostri : et cum essémus mórtui peccátis, convivificávit nos Christo, ut essémus in ipso nova creatúra, novúmque figméntum. Deponámus ergo véterem hóminem cum áctibus suis : et adépti participatiónem generatiónis Christi, carnis renuntiémus opéribus. Agnósce, o christiáne, dignitátem tuam : et divínæ consors factus natúræ, noli in véterem vilitátem degéneri conversatióne redíre. Meménto, cuius cápitis et cuius córporis sis membrum. Reminíscere, quia érutus de potestáte tenebrárum, translátus es in Dei lumen et regnum. 従って、いとも愛する者たちよ、天主御父に、その御子を通して、聖霊のうちに、感謝しよう。天主は、私たちを愛した多くの愛ゆえに、私たちをあわれみ給うた。私たちが罪によって死んでいた時、私たちをキリストによって生かし給うた。それはキリストにおいて新しい被造物となり、新しい作品(figmentum)となるためであった。従って、私たちは古い人をその業とともに脱ぎ棄てよう。キリストの御誕生に参与するのを認められ、肉の業を放棄しよう。おお、キリスト者よ、あなたの尊厳を知りなさい。そして天主の本性を共にする者となった今、身を貶める生活で古き卑しさに戻ることがないようにしなさい。あなたがどのような頭と、どのような体の肢体であるかということを記憶しなさい。あなたが暗闇の勢力から引き抜かれ、天主の光と御国に移されたということを思い出しなさい。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. 主よ、われらをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝
R. Sancta et immaculáta virgínitas, quibus te láudibus éfferam, néscio: * Quia quem cæli cápere non póterant, tuo grémio contulísti. [応唱]聖なる汚れなき童貞性よ、どんな賛美であなたを賞賛すべきか私にはわからない。何故なら天でさえ捉えることのできない御方を御身はその胎で宿し給うたのだから。
V. Benedícta tu in muliéribus, et benedíctus fructus ventris tui. 御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子も祝せられ給う。
R. Quia quem cæli cápere non póterant, tuo grémio contulísti. 何故なら天でさえ捉えることのできない御方を御身はその胎で宿し給うたのだから。
V. Glória Patri, et Fílio, et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Quia quem cæli cápere non póterant, tuo grémio contulísti.

何故なら天でさえ捉えることのできない御方を御身はその胎で宿し給うたのだから。


私たちの主イエズス・キリストの御降誕の朝課の第一夜課の対訳版をご紹介いたします

2020年12月24日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御降誕の朝課の第一夜課の対訳版をご紹介いたします。

Orátio Ante Divínum Offícium 聖務日課の前の祈り
dícitur flexis génibus 跪いて祈る
Áperi, Dómine, os meum ad benedicéndum nomen sanctum tuum : munda quoque cor meum ab ómnibus vanis, pervérsis et aliénis cogitatiónibus ; intelléctum illúmina, afféctum inflámma, ut digne, atténte ac devóte hoc Offícium recitáre váleam, et exaudíri mérear ante conspéctum divínæ Maiestátis tuæ. Per Christum, Dóminum nostrum. 主よ、私の口を、御身の聖なる名を祝福するために開き給え。私の心もすべての空しい邪悪な無関係の考えから潔め給え。知性を照らし、愛情を燃やし給え。そは、私がこの聖務を相応しく、注意深く、信心深く唱えることが出来、御身の天主の御稜威の御前に聞き入れられるに足るものとなるためなり。私たちの主キリストによりて。
Amen. アメン
Dómine, in unióne illíus divínæ intentiónis, qua ipse in terris laudes Deo persolvísti, has tibi Horas (vel hanc tibi Horam) persólvo. 主よ、御身が天主への讃美をこの地上において成し給うた意向、この天主の意向と一致して、私は御身にこの時課を果たし奉る。
Ad Matutínum 朝課
In Nativitáte Dómini 主の御降誕
V. Dómine, lábia ‡ mea apéries. 主よ、私の‡唇を開き給わんことを。
R. Et os meum annuntiábit laudem tuam. すると、私の口が御身の賛美を告げるだろう。
V. Deus, ✠ in adiutórium meum inténde. 天主よ、✠私の助けに来給え。
R. Dómine, ad adiuvándum me festína. 主よ、急いで私を助け給え。
Glória Patri, et Fílio, et Spirítui Sancto. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, et in sǽcula sæculórum. Amen. Allelúia. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。アレルヤ。
Invitatórium et Psalmus 94 招詞と詩篇94
Ant. Christus natus est nobis : * Veníte, adorémus. [アンティフォナ] キリストは私たちのために生まれ給うた。* 来たれ。礼拝しよう。
Ant. Christus natus est nobis : * Veníte, adorémus. [アンティフォナ] キリストは私たちのために生まれ給うた。* 来たれ。礼拝しよう。
Veníte, exultémus Dómino, iubilémus Deo, salutári nostro : præoccupémus fáciem eius in confessióne, et in psalmis iubilémus ei. 来たれ、主に喜び踊ろう、私たちの救いなる天主に喜び叫ぼう。告白しつつ主の御顔に進み出でて、詩を歌いつつ主に喜び叫びぼう。
Ant. Christus natus est nobis : * Veníte, adorémus. [アンティフォナ] キリストは私たちのために生まれ給うた。* 来たれ。礼拝しよう。
Quóniam Deus magnus Dóminus, et rex magnus super omnes deos : quóniam non repéllet Dóminus plebem suam : quia in manu eius sunt omnes fines terræ, et altitúdines móntium ipse cónspicit. なぜなら天主は偉大なる主、すべての神々を超える偉大なる王。主はその民を追いやらない。なぜなら地の全ての果ては主の御手にあり、山々の頂も主がご覧になる。
Ant. Veníte, adorémus. [アンティフォナ] 来たれ。礼拝しよう。
Quóniam ipsíus est mare, et ipse fecit illud, et áridam fundavérunt manus eius : [genufléctitur] veníte, adorémus, et procidámus ante Deum : plorémus coram Dómino, qui fecit nos, quia ipse est Dóminus, Deus noster ; nos autem pópulus eius, et oves páscuæ eius. なぜなら海は主のもの。主がそれを創り給うた。主の御手は乾いた大地を築いた。[跪く] 来たれ、礼拝しよう、天主の御前にひれ伏そう。私たちを創り給うた主の御前で嘆こう。なぜならこの方こそ主、私たちの天主であり、私たちは主の民、主の牧場の羊たちなり。
Ant. Christus natus est nobis : * Veníte, adorémus. [アンティフォナ] キリストは私たちのために生まれ給うた。* 来たれ。礼拝しよう。
Hódie, si vocem eius audiéritis, nolíte obduráre corda vestra, sicut in exacerbatióne secúndum diem tentatiónis in desérto : ubi tentavérunt me patres vestri, probavérunt et vidérunt ópera mea. 今日、もし主の声をあなたたちが聞いたなら、あなたたちの心をかたくなにするな、砂漠で試みの日において主を怒らせたように。そこであなたたちの先祖は私を試み、試そうとし、そして私の業を見た。
Ant. Veníte, adorémus. [アンティフォナ] 来たれ。礼拝しよう。
Quadragínta annis próximus fui generatióni huic, et dixi : Semper hi errant corde ; ipsi vero non cognovérunt vias meas : quibus iurávi in ira mea : Si introíbunt in réquiem meam. 40年の間、私はこの世代のそばにいた。そして私は言った。「これらはその心が常に迷っている。彼らは実に私の道を知らなかった。彼らについて私は怒りのうちにこう誓った。彼らは私の休みに入らないだろう、と。」
Ant. Christus natus est nobis : * Veníte, adorémus. [アンティフォナ] キリストは私たちのために生まれ給うた。* 来たれ。礼拝しよう。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Veníte, adorémus. [アンティフォナ] 来たれ。礼拝しよう。
Ant. Christus natus est nobis : * Veníte, adorémus. [アンティフォナ] キリストは私たちのために生まれ給うた。* 来たれ。礼拝しよう。
Hymnus 賛歌 
Iesu, Redémptor ómnium, イエズスよ、全ての人の贖い主よ、
Quem lucis ante oríginem 御身を光の始めより前に
Parem patérnæ glóriæ 聖父の栄光に等しい御身を
Pater suprémus édidit. 至高の聖父は生み出された。
Tu lumen, et splendor Patris, 御身は、光であり聖父の輝き、
Tu spes perénnis ómnium, 御身は、全ての人の永久の希望、
Inténde quas fundunt preces 捧げる祈りを聞き給え、
Tui per orbem sérvuli. 御身のしもべたちが世界中で。
Meménto, rerum Cónditor, 万物の創造主よ、記憶し給え、
Nostri quod olim córporis, かつて私たちの肉体の形を
Sacráta ab alvo Vírginis 聖なる童貞女の胎内から
Nascéndo, formam súmpseris. 生まれつつ、お取りになったことを。
Testátur hoc præsens dies, この今の日が、証しする
Currens per anni círculum, 年の周り巡るのを通して、
Quod solus e sinu Patris 聖父の懐よりの御一人子が
Mundi salus advéneris. 世の救いが来られることを。
Hunc astra, tellus, ǽquora, この星、地、海、
Hunc omne, quod cælo subest, 天の下にあるこのすべては
Salútis Auctórem novæ 新しい救いの作り主を
Novo salútat cántico. 新しい歌で、挨拶する。
Et nos, beáta quos sacri 私たちも、聖なる血潮の幸せな
Rigávit unda sánguinis, 波で主が潤し給うた者、
Natális ob diem tui 御身の御降誕の日に
Hymni tribútum sólvimus. 賛歌の貢を払う。
Iesu, tibi sit glória, イエズスよ 、御身に栄光あれ、
Qui natus es de Vírgine, 御身は童貞女よりお生まれになった
Cum Patre, et almo Spíritu, 聖父と、養い主なる聖霊と共に
In sempitérna sǽcula. 世々に至るまで
Amen. アメン
In I Noctúrno 第一夜課
Ant. 1 Dóminus dixit * ad me : Fílius meus es tu, ego hódie génui te. [アンティフォナ1] 主は私に言った。お前は私の子である、私は今日お前を生んだ。
Psalmus 2 詩篇 2
2:1 Quare fremuérunt gentes, * et pópuli meditáti sunt inánia? いかなれば異邦人等は騒ぎ立ち、民等は空しき事を企てしや。
2:2 Astitérunt reges terræ, et príncipes convenérunt in unum * advérsus Dóminum, et advérsus Christum eius. 地の王たちは起ちあがり、諸侯は相集まりて一つとなり、主に敵し、その受膏者に敵せり、
2:3 Dirumpámus víncula eórum : * et proiciámus a nobis iugum ipsórum. 曰く、「我等いざ、彼等の絆を断ち切り、その軛を我等より抛たん。」と。
2:4 Qui hábitat in cælis, irridébit eos : * et Dóminus subsannábit eos. 天に住み給う者、彼等を嗤い、主彼等を嘲り給わん。
2:5 Tunc loquétur ad eos in ira sua : * et in furóre suo conturbábit eos. かくて後、彼怒りて彼等に語い、猛り立ちて彼等を怖じ惑わしめ給うべし。
2:6 Ego autem constitútus sum Rex ab eo super Sion montem sanctum eius, * prǽdicans præcéptum eius. されど我は彼によりて、その聖なる山シオンの上に、その掟を説かんために王と立てられたり。
2:7 Dóminus dixit ad me : * Fílius meus es tu, ego hódie génui te. 主我に曰えらく、「汝はわが子なり。我今日汝を生めり。
2:8 Póstula a me, et dabo tibi gentes hereditátem tuam, * et possessiónem tuam términos terræ. 我に求めよ、さらば我汝に嗣産として異邦人等を、領地として地の果を、与えん。
2:9 Reges eos in virga férrea, * et tamquam vas fíguli confrínges eos. 汝は鉄の枚もて彼等を治め、陶器師の器の如くに彼等を砕かん。」と。
2:10 Et nunc, reges, intellígite : * erudímini, qui iudicátis terram. されば今、王等よ曉れかし、汝等地を裁く者よ、教を受けよ。
2:11 Servíte Dómino in timóre : * et exsultáte ei cum tremóre. 畏懼もて主に仕え戦きつつこれに歓喜の声を挙げよ。
2:12 Apprehéndite disciplínam, nequándo irascátur Dóminus, * et pereátis de via iusta. 訓令を受け納れよ、これ、主が怒り給いて、汝等が正しき道より亡ぶることの、決してなからんためなり。
2:13 Cum exárserit in brevi ira eius, * beáti omnes qui confídunt in eo. やがてその御忿怒の火と燃えん時、すべて彼に依り頼み奉る者は幸福なるかな。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Dóminus dixit ad me : Fílius meus es tu, ego hódie génui te. [アンティフォナ1] 主は私に言った。お前は私の子である、私は今日お前を生んだ。
Ant. 2 Tamquam sponsus * Dóminus procédens de thálamo suo. [アンティフォナ2] 花婿のように、主はその寝室から出る。
Psalmus 18 第十八篇
18:1 Cæli enárrant glóriam Dei : * et ópera mánuum eius annúntiat firmaméntum. 諸天は天主の栄光を談り、蒼穹はその御手の業を告ぐ。
18:2 Dies diéi erúctat verbum, * et nox nocti índicat sciéntiam. 昼は昼に言葉を発し、夜は夜に知識を示す。
18:3 Non sunt loquélæ, neque sermónes, * quorum non audiántur voces eórum. その声の聞えざる、話もなく言もなし。
18:4 In omnem terram exívit sonus eórum : * et in fines orbis terræ verba eórum. その響は全地に及び、その言は世界の果にまで至れり。
18:5 In sole pósuit tabernáculum suum : * et ipse tamquam sponsus procédens de thálamo suo : 彼その帷幕を日の中に設け給えり、日はその閨を出る花婿の如く、
18:6 Exsultávit ut gigas ad curréndam viam, * a summo cælo egréssio eius : 道を走る巨人の如く雀躍したり。その出るや、天のこの涯よりし、
18:7 Et occúrsus eius usque ad summum eius : * nec est qui se abscóndat a calóre eius. その廻りゆくや、かの涯に及ぶ。その熱より身を隠し得る者はあらざるなり。
18:8 Lex Dómini immaculáta, convértens ánimas : * testimónium Dómini fidéle, sapiéntiam præstans párvulis. 主の法は玷なくして、魂を更え、主の証は信ずべくして、小さき者に智慧を与う。
18:9 Iustítiæ Dómini rectæ, lætificántes corda : * præcéptum Dómini lúcidum, illúminans óculos. 主の正しき事は直くして、心を喜ばしめ、主の御掟は明らかにして、眼を照らす。
18:10 Timor Dómini sanctus, pérmanens in sǽculum sǽculi : * iudícia Dómini vera, iustificáta in semetípsa. 主を畏るる念は聖にして、世々の世々に存し、主の審判は真にして、本来義しと認められ、
18:11 Desiderabília super aurum et lápidem pretiósum multum : * et dulcióra super mel et favum. 黄金よりも多くの宝石よりも慕うべく、蜜よりも、生蜜よりも甘し。
18:12 Étenim servus tuus custódit ea, * in custodiéndis illis retribútio multa. 実に汝の下僕はこれを守る。これを守るに多くの報酬あり。
18:13 Delícta quis intélligit ? ab occúltis meis munda me : * et ab aliénis parce servo tuo. 誰か己の過失を知らんや。わが隠れし科より我を淨め給え。
18:14 Si mei non fúerint domináti, tunc immaculátus ero : * et emundábor a delícto máximo. また他の人のそれより、汝の下僕を衞り給え。彼等にしてわが上に君臨せざらんか、我汚れなくして、最大いなる罪を免れ淨かるべし。
18:15 Et erunt ut compláceant elóquia oris mei : * et meditátio cordis mei in conspéctu tuo semper. さらばわがロの言は御意に適う如きものたるべく、わが心の思念は常に汝の御眼前にあるべし。
18:16 Dómine, adiútor meus, * et redémptor meus. 主よ、わが援助者、わが贖い主よ。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Tamquam sponsus Dóminus procédens de thálamo suo. [アンティフォナ2] 花婿のように、主はその寝室から出る。
Ant. 3 Diffúsa est * grátia in lábiis tuis, proptérea benedíxit te Deus in ætérnum. [アンティフォナ3] 御身の唇に優雅さが広がった。それゆえ、天主は御身を永遠に祝福し給うた。
Psalmus 44 第四十四篇
44:1 Eructávit cor meum verbum bonum : * dico ego ópera mea Regi. わが心佳き言の葉を吐き出す。わが作を云い出るは王に向かいてこそ。
44:2 Lingua mea cálamus scribæ, * velóciter scribéntis. わが舌は速かに文字書く人の筆なれや。
44:3 Speciósus forma præ fíliis hóminum, diffúsa est grátia in lábiis tuis : * proptérea benedíxit te Deus in ætérnum. 容姿美わしきは人の子等に優り、汝の唇には愛らしさ溢れたり。されば天主、永久に汝を祝し給えり。
44:4 Accíngere gládio tuo super femur tuum, * potentíssime. 最力ある者よ、汝の劍を腰に佩びよ、
44:5 Spécie tua et pulchritúdine tua * inténde, próspere procéde, et regna. 汝の盾目美きと麗しきとをもて馳せ向かい、真幸く進みて、統べ治めよ、
44:5 Propter veritátem, et mansuetúdinem, et iustítiam : * et dedúcet te mirabíliter déxtera tua. 真理と柔和と正義とのために。汝の右手汝を奇しく導かん。
44:6 Sagíttæ tuæ acútæ, pópuli sub te cadent : * in corda inimicórum Regis. 汝の矢は鋭し、諸民を汝の下に倒して、王の敵の心臟に立たん。
44:7 Sedes tua, Deus, in sǽculum sǽculi : * virga directiónis virga regni tui. 天主よ、汝の玉座は世々にわたり、汝の御国の笏は公平の笏なり。
44:8 Dilexísti iustítiam, et odísti iniquitátem : * proptérea unxit te Deus, Deus tuus, óleo lætítiæ præ consórtibus tuis. 汝は義を好み不義を憎めり、さればこそ天主、汝の天主は、汝の同僚に優りて汝に、喜悅の油を注ぎ給えるなれ。
44:9 Myrrha, et gutta, et cásia a vestiméntis tuis, a dómibus ebúrneis : * ex quibus delectavérunt te fíliæ regum in honóre tuo. 汝の衣服よりは沒楽、蘆薈肉桂薰り、象牙の宮殿よりもまた然り。そこより汝を楽しましめたるは、
44:10 Ástitit regína a dextris tuis in vestítu deauráto : * circúmdata varietáte. 汝の誉れの介添なる諸王の娘等なり。后は金糸の衣着て、種々の装飾に包まれ、汝の右に立ちぬ。
44:11 Audi, fília, et vide, et inclína aurem tuam : * et oblivíscere pópulum tuum, et domum patris tui. 聴け、娘、視よ、汝の耳を傾けよ。汝の民をも、汝の父の家をも、忘れよかし。
44:12 Et concupíscet Rex decórem tuum : * quóniam ipse est Dóminus Deus tuus, et adorábunt eum. さらば王は汝の美麗を慕わん。実に彼は主汝の天主にして、人々これを礼拝すべし。
44:13 Et fíliæ Tyri in munéribus * vultum tuum deprecabúntur : omnes dívites plebis. チロの娘等は礼物を携えて汝の顔を請い求めん、庶民の富める者もみな然り。
44:14 Omnis glória eius fíliæ Regis ab intus, * in fímbriis áureis circumamícta varietátibus. 凡て王の娘の栄耀は、内部にては黄金の総をつけ、
44:15 Adducéntur Regi vírgines post eam : * próximæ eius afferéntur tibi. 種々の装飾に包まる。その後に随いて、処女等王の許に導かれ、その近き者等汝の御許に連れ来られん。
44:16 Afferéntur in lætítia et exsultatióne : * adducéntur in templum Regis. 彼等は悦び雀躍りしつつ連れ来られ、王の宮殿に導かれん。
44:17 Pro pátribus tuis nati sunt tibi fílii : * constítues eos príncipes super omnem terram. 汝の父祖に代りて、汝に子等生まれたり。汝はこれを立てて全地に君侯となさん。
44:18 Mémores erunt nóminis tui : * in omni generatióne et generatiónem. 彼等はいずれの代々にも汝の御名を思い出でん。
44:19 Proptérea pópuli confitebúntur tibi in ætérnum : * et in sǽculum sǽculi. されば諸民は永久に、世々に亘りて、汝を頌え奉らん。
V. Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen. 始めにありしごとく、今もいつも代々に至るまで。アメン。
Ant. Diffúsa est grátia in lábiis tuis, proptérea benedíxit te Deus in ætérnum. [アンティフォナ3] 御身の唇に優雅さが広がった。それゆえ、天主は御身を永遠に祝福し給うた。
V. Tamquam sponsus. 花婿のように。
R. Dóminus procédens de thálamo suo. 主はその寝室から出る。
Pater noster, [et proséquitur secréto] qui es in cælis : sanctificétur nomen tuum : advéniat regnum tuum : fiat volúntas tua, sicut in cælo, et in terra. Panem nostrum quotidiánum da nobis hódie : et dimítte nobis débita nostra, sicut et nos dimíttimus debitóribus nostris : [et absólvitur clara voce:] 天にましますわれらの聖父よ(沈黙の内に唱える)願わくは、御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。(次は大きな声で終える。)
V. Et ne nos indúcas in tentatiónem. われらを試みに引き給わざれ。
R. Sed líbera nos a malo. われらを悪より救い給え。
Absol. Exáudi, Dómine Iesu Christe, preces servórum tuórum, et miserére nobis : Qui cum Patre et Spíritu Sancto vivis et regnas in sǽcula sæculórum. 主イエズス・キリストよ、しもべらの祈りを聞き入れ給え、そして私たちをあわれみ給え。御身は聖父と聖霊とともに世々に生き、支配し給う。
R. Amen. アメン
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Benedictióne perpétua benedícat nos Pater ætérnus. 永遠の御父がとこしえの祝福で私たちを祝し給わんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 1 (Is. 9:1-6) 第一朗読 イザヤ預言書 第九章一~六節
1 Primo témpore alleviáta est terra Zábulon, et terra Néphthali : et novíssimo aggraváta est via maris trans Iordánem Galilǽæ géntium. 2 Pópulus qui ambulábat in ténebris, vidit lucem magnam : habitántibus in regióne umbræ mortis, lux orta est eis. 3 Multiplicásti gentem, et non magnificásti lætítiam. Lætabúntur coram te, sicut qui lætántur in messe, sicut exsúltant victóres, capta præda, quando dívidunt spólia. 4 Iugum enim óneris eius, et virgam húmeri eius, et sceptrum exactóris eius superásti sicut in die Mádian. 5 Quia omnis violénta prædátio cum tumúltu, et vestiméntum mistum sánguine, erit in combustiónem, et cibus ignis. 6 Párvulus enim natus est nobis, et fílius datus est nobis, et factus est principátus super húmerum eius : et vocábitur nomen eius, Admirábilis, Consiliárius, Deus, Fortis, Pater futúri sǽculi, Princeps pacis. 先にはザブロンの地ネフタリの地軽んぜられしが、末の日には異邦人のガリレア、ヨルダンの彼方なる湖辺りの道、重んぜられたり。暗黑を歩める民は大なる光を見、死の蔭の地に住める人々、彼等には光でたり。汝は国民を増し給いしが、歓喜をば大ならしめ給わざりき。されど彼等は収穫の時に喜ぶ人々の如く、勝利者が敵の物を取りて鹵獲品を分つ時に雀躍する如く、汝の御前にて喜ぶに至らん。これ、その負える軛と、その肩の笞と、その搾取者の笏とが、マディアンの日における如く、汝の折り給う所となれるによりてなり。実に暴力もて騒擾の中に掠奪りし物と、血に塗れし衣とは、焚かれて火の燃料となるべし。それ、一人の嬰児我等の為に生れ、一人の子我等に与えられたり。その肩の上には主権置かれたり。その名は、奇しき者、智謀の士、大能の天主、来世の父、平和の君と称えられん。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. しかし主よ、御身は私たちをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝。
R. Hódie nobis cælórum Rex de Vírgine nasci dignátus est, ut hóminem pérditum ad cæléstia regna revocáret: * Gaudet exércitus Angelórum : quia salus ætérna humáno géneri appáruit. [応唱1] 今日、私たちに天の王が童貞女から生まれ給うた。それは失われた人間を天の王国に呼び戻すために。*天使たちの軍勢は喜ぶ。永遠の救いが人類に現れたからだ。
V. Glória in excélsis Deo, et in terra pax homínibus bonæ voluntátis. 天のいと高きところには天主に栄光、地には善意の人に平和。
R. Gaudet exércitus Angelórum : quia salus ætérna humáno géneri appáruit. 天使たちの軍勢は喜ぶ。永遠の救いが人類に現れたからだ。
V. Glória Patri, et Fílio, et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Hódie nobis cælórum Rex de Vírgine nasci dignátus est, ut hóminem pérditum ad cæléstia regna revocáret: * Gaudet exércitus Angelórum : quia salus ætérna humáno géneri appáruit. [応唱1] 今日、私たちに天の王が童貞女から生まれ給うた。それは失われた人間を天の王国に呼び戻すために。*天使たちの軍勢は喜ぶ。永遠の救いが人類に現れたからだ。
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Unigénitus Dei Fílius nos benedícere et adiuváre dignétur. 天主の御ひとり子が私たちを祝し助け給わんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 2 (Is. 40:1-8) 第二朗読 イザヤ預言書 第四十章一~八節
1 Consolámini, consolámini, pópule meus, dicit Deus vester. 2 Loquímini ad cor Ierúsalem, et advocáte eam : quóniam compléta est malítia eius, dimíssa est iníquitas illíus : suscépit de manu Dómini duplícia pro ómnibus peccátis suis. 3 Vox clamántis in desérto : Paráte viam Dómini, rectas fácite in solitúdine sémitas Dei nostri. 4 Omnis vallis exaltábitur, et omnis mons et collis humiliábitur : et erunt prava in dirécta, et áspera in vias planas. 5 Et revelábitur glória Dómini : et vidébit omnis caro páriter quod os Dómini locútum est. 6 Vox dicéntis : Clama. Et dixi : Quid clamábo ? Omnis caro fœnum, et omnis glória eius quasi flos agri. 7 Exsiccátum est fœnum, et cécidit flos : quia spíritus Dómini sufflávit in eo. Vere fœnum est pópulus : 8 exsiccátum est fœnum, et cécidit flos : Verbum autem Dómini nostri manet in ætérnum. 汝等慰むる所あれ、慰むる所あれ、わが民よ、と汝等の天主云い給う。イェルサレムに対いてその心に語り、之に呼わり云えかし、その禍は終り、その不義は赦されたり。そは己が諸々の罪のために主の御手より二倍を受けたり、と。荒野に呼わる者の声す、曰く、汝等主の道を備え、沙漠にて我等の天主の径を直くせよ、と。凡ての谷は埋められ、凡ての山丘は均され、曲れるは直くせられ、嶮しき処は平なる路となりて、主の御光栄現れ、肉みな斉しく之を見ん。是、主の御口の語り給える所なり。声ありて云う、呼われ、と。我云えらく、何と呼わるべきぞ。曰く、肉はみな草、その栄は悉く野の花に似たり。草は枯れ、花は落ちたり。そは主の御息吹にかかりたればなり。寔に民は草なり。草は枯れ、花は落ちたり。されど我等の主の御言は永久に存す。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. しかし主よ、御身は私たちをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝。
R. Hódie nobis de cælo pax vera descéndit: * Hódie per totum mundum mellíflui facti sunt cæli. [応唱2] 今日私たちに天から真の平和が降り下った。*今日、全世界に天が蜜のように流れた。
V. Hódie illúxit nobis dies redemptiónis novæ, reparatiónis antíquæ, felicitátis ætérnæ. 今日、私たちに新しい贖いの日が輝いた、いにしえの償いの日、永遠の幸福の日が。
R. Hódie per totum mundum mellíflui facti sunt cæli. 今日、全世界に天が蜜のように流れた。
V. Iube, Dómine, benedícere. 主よ、祝福し給え。
Bened. Spíritus Sancti grátia illúminet sensus et corda nostra. 聖霊の恩寵みが、私たちの感覚と心とを照らし給わんことを。
R. Amen. アメン
Lectio 3 (Is. 52:1-6) 第三朗読 イザヤ預言書 第五十二章一~六節
1 Consúrge, consúrge, indúere fortitúdine tua, Sion, indúere vestiméntis glóriæ tuæ, Ierúsalem, cívitas Sancti : quia non adíciet ultra ut pertránseat per te incircumcísus et immúndus. 2 Excútere de púlvere, consúrge, sede, Ierúsalem : solve víncula colli tui, captíva fília Sion. 3 Quia hæc dicit Dóminus : Gratis venúmdati estis, et sine argénto redimémini. 4 Quia hæc dicit Dóminus Deus : In Ægýptum descéndit pópulus meus in princípio, ut colónus esset ibi : et Assur absque ulla causa calumniátus est eum. 5 Et nunc quid mihi est hic, dicit Dóminus, quóniam ablátus est pópulus meus gratis ? Dominatóres eius iníque agunt, dicit Dóminus : et iúgiter tota die nomen meum blasphemátur. 6 Propter hoc sciet pópulus meus nomen meum, in die illa : quia ego ipse qui loquébar, ecce adsum. 起きよ、起きよ、シオンよ、汝の力を着けよ。聖なる者の都イェルサレムよ、汝の栄の衣服を着けよ。そは累ねてまた、割礼を受けざる者や汚れたる者の汝を過ぐることなかるべければなり。塵を払い、起きて坐れ、イェルサレムよ。汝の頸の絆を解け、捕われたる娘シオンよ。そは主かく云い給えばなり、汝等は無代にて売られたり、されば金錢なくして贖われん、と。それ、主なる天主はかく云い給う、わが民は初めエジプトに下り行きて、彼処に住いしが、アッシリア人は全く故なきに之を虐げたり。主曰わく、かくわが民は故なきに引き去られしかば、我今ここに何をかなさん。主曰わく彼等の支配者等は不義を行いて、わが名は絶えず終日涜されたり。この故にわが民はその日わが名を知るに至らん。実に、語りしはこの我なり、見よ、我此に在り。
V. Tu autem, Dómine, miserére nobis. しかし主よ、御身は私たちをあわれみ給え。
R. Deo grátias. 天主に感謝。
R. Quem vidístis, pastóres ? dícite, annuntiáte nobis, in terris quis appáruit? * Natum vídimus, et choros Angelórum collaudántes Dóminum. [応唱3] 牧者たちよ、あなたたちは誰を見たのか?言い給え、私たちに告げ給え、地に誰が現れたのか?*私たちはお生まれになった方を見ました。そして主を共に賛美している天使たちの群を。
V. Dícite, quidnam vidístis ? et annuntiáte Christi nativitátem. 言い給え、あなたたちは何を見たのか?そしてキリストの御降誕を告げ給え。
R. Natum vídimus, et choros Angelórum collaudántes Dóminum. 私たちはお生まれになった方を見ました。そして主を共に賛美している天使たちの群を。
V. Glória Patri, et Fílio, et Spirítui Sancto. 願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
R. Natum vídimus, et choros Angelórum collaudántes Dóminum.

私たちはお生まれになった方を見ました。そして主を共に賛美している天使たちの群を。

 


【参考資料】バーク枢機卿「マルクス主義的唯物論の世界的な広がりは、今では私たちの国家を統治する権力を掌握している」

2020年12月23日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

バーク枢機卿は、2020年12月12日のグァダルーペの聖母の祝日に、ラ・クロス(米国)にあるグァダルーペの聖母の大聖堂で説教をしました。その日本語訳を愛する兄弟姉妹の皆様に参考資料としてご紹介いたします。

BREAKING – Cdl. Burke COVID is being used for ‘Great Reset’ to attack ‘freedom’ and ‘families’

イエズス・キリストに讃美!

グァダルーペの聖母の祝日に、私たちは悩みを抱えた重い心で、聖母のもとを訪れます。私たちの国家は、自由で民主的な国家としての未来そのものを脅かす危機に直面しています。マルクス主義的唯物論の世界的な広がりは、すでに多くの人々の生活に破壊と死をもたらし、何十年にもわたって私たちの国家の基盤を脅かしてきましたが、今では私たちの国家を統治する権力を掌握しているように思えます。

経済的利益を得るために、私たちは、家族や私たちの国が安全で繁栄するためのキリスト教的基盤とは全く反対の一つのイデオロギーである中国共産党に、国として依存するようになるのを許してきました。

私はアメリカ合衆国について話していますが、明らかに他の多くの国々も同じような、最も憂慮すべき危機の真っただ中に陥っています。

また、謎の「武漢ウイルス」があります。その性質や予防法について、メディアは毎日のように相反する情報を伝えています。しかし、はっきりしているのは、このウイルスが、家族や国家の自由に敵意を抱く特定の勢力によって、邪悪な行動計画(アジェンダ)を推進するために利用されてきたということです。これらの勢力が私たちに告げるのは、私たちが今、無知と恐怖を通じてその勢力が市民や国家を操作することで私たちに命じている、いわゆる「グレート・リセット」「新しい日常」の対象であるということです。

今、私たちは、天主や私たちの救いのための天主のご計画によってではなく、病気とその予防法によって私たちの生き方を理解し、方向付ける方法を見いだすということにされているのです。多くの司教や司祭、そして多くの信徒の反応は、健全なカテケージス(要理教育)がひどく欠如していることを明らかにしています。教会の多くの人々は、キリストが疫病や他の災いの時代に、いかにして救いのわざを続けておられるのかを理解していないように見えます。

さらに、キリストの汚れなき花嫁である聖にして母なる私たちの教会は、その中でキリストが私たちの永遠の贖いのために常に働いておられるのですが、特に第六戒と第七戒について、日に日に増加しているように思われる道徳的な堕落の報告に悩まされています。私たちの国では、セオドア・マカリックに関する報告書は、多くの信心深いカトリック信徒に、牧者たちへの疑問を抱かせようとまさに誘惑しています。牧者たちは彼らの安全な案内役となって、キリストの教会のためのご計画に沿って、信仰の真理を教え、ふさわしい天主への礼拝と天主への祈りで信徒を導き、教会の永続する規律で信徒を案内しなければなりません。

信徒が何の返答も受けなかったり、信仰と道徳に関する不変の真理に基づいていない返答を受けたりすることが、あまりにも多すぎます。彼らは、牧者からではなく、世俗の管理者から来るように思える返答を受けています。

教会が本当に教え、教会の教えに沿って私たちに要求していることについての混乱は、キリストの神秘体の中に、かつてないほど大きな分裂を生み出しています。このような混乱はすべて、天主の真理と天主の愛を証しする使命において、教会を活動できなくさせています。この世が教会を指針とする灯台として、これ以上必要としていたことがないほど時代において、そうなのです。教会は、この世と遭遇し誤って自分自身をこの世に合わせることを望んでいるのです。本当はその代わりに、すべての人間の心に書かれた天主の法、そして、天主なる御子の贖いのご托身で完全に啓示された天主の法に従順となって回心するように、この世に呼びかけるべきであるのにもかかわらず。

もちろん、これらの悲惨な問題は、日々のキリスト教生活に厳しい試練を与えています。この世と教会における危機の影響は、私たち全員にとってとても深いものです。多くの人は、そのような状況が必然的に引き起こす、最も痛みのある苦しみ、肉体的、感情的、霊的な苦しみを耐え忍んでいます。

キリスト教徒の愛でお互いに寄り添う必要がある時に、この世の勢力は私たちを孤立させて、さらには、彼らは私たちが孤独で世俗の勢力に依存していると信じ込ませようとしているのです。この世の勢力は、私たちをして、天主を無視した殺人的な彼らの行動計画の奴隷にさせようさえしています。

そうです、私たちの心は当然重くなります。しかしキリストは、聖母の取り成しを通して、キリストへの信頼を新たにすることによって、私たちの心をご自身の心に引き上げてくださいます。キリストは、教会において、永遠の救いを私たちに約束してくださったからです。キリストは決して約束に不忠実ではいらっしゃいません。キリストは決して私たちをお見捨てにはなりません。この世の勢力や偽預言者に惑わされないようにしましょう。キリストを捨てて、救いを決して見いだすことのないところに救いを求めないようにしましょう。

聖ファン・ディエゴへの最初のご出現のときに、ご自分がどのような方なのかを聖母がお示しになった次の言葉を決して忘れないようにしましょう。
「このことを知って、正しく理解しなさい、私の小さな子供よ、私は完全な終生童貞聖マリア、命を与える真の天主、全てのものの造り主、天と地との所有主、私たちのもっとも近くにいる主の母です。私は、ここに私の小さな聖なる家を作ってくれることをとても望んでいます。その場所で、私は主を見せましょう。私は主を高め、私が持つ愛によって、私の憐れみの眼差しによって、私の助けによって、私の救いによって、主を人々に与えましょう。」

ここグァダルーペの聖母の聖堂が常に、マリアの汚れなき御心がご自分に多くの心を引き寄せ、その心をイエズスの栄光ある槍で貫かれた聖心へと、この世の生活における癒やしと強さの唯一の源へと、永遠の命へと連れていってくださるにふさわしい道具であり続けますように。


【参考資料】ヴィガノ大司教「非常に多くのけんそんで知られざる子らの祈りと犠牲のおかげで、聖母は教会を回復させ社会に平和と調和をもたらし給う」

2020年12月23日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ヴィガノ大司教のメッセージを参考資料としてご紹介いたします。

ここでは、ヴィガノ大司教は聖母に対する信心、崇敬を訴えています。ここには、ヴィガノ大司教の聖母を喜ばせたい、聖母に忠実でありたいという気持ちがにじみ出ています。

同時に、現在、多くの聖職者たち特に司教たちが、聖母に対して無関心でいるのを見て、ズキズキと心が痛み、辛くて目元が痛くなり、泣くに泣けず「空しく涙が出るような痛みが起こる」と言います。

ところで使徒聖ヨハネの黙示録には「七つの頭と十の角をもち、頭に七つの冠のある赤い竜」(悪魔またはサタン)が、でてきますが、これには二頭のけものが仕えます。海からのけもの(政治権力)と地からのけもの(宗教権力)です。

海からのけものは「豹のようで、その足は熊、その口は獅子のよう」で「十の角と七つの頭とをもっていて、角には十の冠、頭には冒涜の名」があります。大天使聖ミカエルは「だれが天主と比べられようか、誰か天主にしくものあらんや」と雄叫びの声を上げましたが、それとは対照的に人々は海からのけものにこう言います。「だれがこのけものと比べられようか。だれがこれと戦えようか。」

二頭目の地からのけものは「小羊のような二本の角をもっていたが、竜のように話し」海からのけものに仕えます。「あらゆるところに、その覇権の地を定め、致命傷をいやされた先のけものを礼拝するため、地とそこに住む者を連れてきた」このけものは、見かけは「小羊のよう」で「二本の角」は司教のかぶるミトラ(司教冠)のようです。しかし本来なら、変化するこの世(=海)と対立しているはずの不変の宗教(=地)が、この世に仕えているのです。

黙示録には、二人の婦人がでてきます。一人は「太陽に包まれた婦人」で、冠をかぶり、男の子を生む母親です。もう一人は「大淫婦」です。後者は、地からのけものと同じものだと解釈されます。大淫婦についてはこうあります。「紫色と緋色の衣をつけ、金、宝石、真珠でかざったその女は、憎むべきものと淫行のけがれとに満ちた金のさかずきを手にもち、そのひたいには名があった。それは奥義である:"大バビロン、地上の淫婦と憎むべき者との母"。」

ヴィガノ大司教は、今、教会の一部の聖職者たちと「世俗の権力との悪しき共謀」を見て、黙示録の時代が実現しつつあるのではないかと考えています。

ところで、何故、カトリック教会はこのような事態を招いてしまったのでしょうか?

それは、今から55年前から、天国の幸せや地獄の苦しみ、永遠や真理、超自然や原罪、ということを語ることを放棄してしまったからです。そういう超自然について沈黙する態度を「司牧的だ」と呼びました。人々は教会だけでしか聞くことができた真理をもはや聞くことができなくなってしまいました。

半世紀前の大イベントの後、天国のことよりも、この地上の世界を楽園にしよう、ほかのいろいろな宗教とも協力し合いながら、よりよい社会を一緒に築いていこう、仲良く平和な世界とつくろう、と目標を変えたからです。このような態度を「開かれた教会」と呼びました。しかし、人間を福音の教えに従わせるのではなく、教会の教えは時代にあわせて信仰や道徳を適応していかなければならないという錯覚に陥ってしまったからです。

その時から、突然、教会の過去の教えはあたかも間違っていたかのようにフェイクニュースが流れたからです。そこで「教会の他にも救いはあるし、神は神だけが知っている方法で、他の宗教の人たちをも救うに違いない」と思い込まされたからです。このような態度を「エキュメニカルだ」と呼びました。こうして「エキュメニカルな」態度により、永遠の救いをもたらす唯一の箱舟としてのカトリック教会の存在理由は失われてしまいました。

第二バチカン公会議という大イベントをきっかけに、天主なるキリストへの礼拝よりは、人間の奉仕のために優先順位を移しました。つまり「なぜ、この香油を三百デナリオに売って、貧しい人に施さないのか?」(ヨハネ12章)という態度を取り始めます。このような態度は「貧しい人の優先的選択」と言われます。この態度は、ついに、救い主イエズス・キリストを奴隷の値段で、敵に売り飛ばすことにつながってしまいました!

ヴィガノ大司教は、ファチマの聖母が「最後には私の汚れなき御心が凱旋するでしょう」と約束をしてくださったことに、希望と慰めを見出しています。力ある童貞である聖母は必ず勝利する、と。聖母を愛する無名の多くの人々の祈りと犠牲のおかげで「聖母は、聖なる教会を回復させ、社会に平和と調和をもたらし給う」と。ロザリオの祈りをもって、私たちも償いの業をおささげ致しましょう。


Photo Credit
2020年のバチカンの御降誕馬小屋セットの天使(有名なコーヒー店のロゴではありません)

Photo Credit 月を手にもつ宇宙飛行士

+++++

Archbishop Viganò: Under Francis’s leadership, Christ the King has been uncrowned
ヴィガノ大司教「フランシスコの指導の下で王たるキリストは王冠を奪われた」

Viganò: la Chiesa di Bergoglio si Arroga l’Empio Diritto di Chiudere le Chiese.

Viganò: La Iglesia de Bergoglio se Arroga el Impío Derecho de Cerrar los Templos

Viganò: Bergoglio’s Church Claims the Impious Right to Close the Churches

VIRGO POTENS
力ある童貞

無原罪の御孕りの祝日の準備に

福音のたとえ話(ルカ16章19-31節)の中で、おごり暮らす金持ちが、貧乏人ラザロを助けなかったために地獄に落とされた後、自分の兄弟5人が同じ罪に陥らないようにするために、自分が受けた苦難について警告してほしいとアブラハムに頼みました。アブラハムは彼にこう答えました。「モーゼと預言者に聞かないなら、死者の中からよみがえる人がいても、彼らは聞き入れまい」(ルカ16章31節)。

歴史の中で、聖母は愛に満ちた母として、罪のせいでこの世に重くのしかかる罰を私たちに警告し、人類を回心と償いに招き、その子どもたちを無数の恩寵で満たすために介入してこられました。天主のみ言葉が忘れ去られたと思われる場所ではどこでも、すぐ特別な信心を告知するために、すぐ疫病や災難から逃れるために犠牲と祈りを求めるために、聖なるマリアの声が聞こえてくるのです。キト、ラ・サレット、ルルド、ファチマ、ローマ、秋田、チヴィタヴェッキア、その他千カ所もの【多くの】別の場所で、すべての恩寵の仲介者は、天主の法に反抗するように惑わされた人間性を思い起こしつつ、まことの悔い改めをして聖なるロザリオを唱えるように、私たちを諭してこられました。ご出現の時代や状況はさまざまに変化しますが、私たちあわれな死すべき者【人間】に姿をお見せになるお方は、常に同じように、いつでもあわれみ深く、いつでも私たちの代願者でいらっしゃるのです。

ファチマでは、牧童の子どもたちにご出現になった聖母は、教皇に対して、すべての司教たちと一致して、ロシアを汚れなき御心に奉献するように願われました。この訴えは今日に至るまで、もし聖母の願いを聞き入れなければこの世が直面するであろう災害があるにもかかわらず、無視され続けています。共産主義の過激な無神論がいたるところに広がり、教会は冷酷で残忍な敵に迫害される一方で、内部には悪徳に屈した腐敗した聖職者が横行しています。しかしながら、ご出現の超自然的な起源と人類を苦しめる災厄の証拠を認識しているにもかかわらず、位階階級は聖母に従うことを拒否しています。「モーゼと預言者に聞かないなら、死者の中からよみがえる人がいても、彼らは聞き入れまい」と、アブラハムはたとえ話の中で金持ちに言います。彼らが、私たちの母でもある天主の御母の声に耳を傾ける方法さえ知らないということがあり得るのでしょうか。この世が深淵に沈み、多くの霊魂が地獄に落ちているというのに、何が彼らの心を圧迫し、何が彼らの心を耳が聞こえず目が見えないという段階にまで弱らせているのでしょうか。

王たるキリストの普遍的な主権に従って、私たちは、至聖なるマリアを私たちの元后として崇敬することも受け入れます。また、私たちが主祷文で「み旨の…行われんことを」という言葉を唱えるとき、私たちはこの言葉が、時の初めより選ばれてその童貞なるご胎内に王の中の王を生み出すにふさわしいお方、従順とけんそんの模範である私たちの母のみ旨と完全に一致することを知っています。天主の御母の望みはすべて、私たちへの要求です。それを命令と考える必要さえもありません。なぜなら、私たちの対応と私たちの望みは、聖母を喜ばせ、聖母に私たちの忠実さの証しを捧げることであり、またそうあらねばならないからです。そして、このことは、聖なる叙階の秘蹟によって、大司祭イエズス・キリストの司祭としての塗油を受けている聖なる役務者たちに極めてよく当てはまります。すべての司祭の中に、至聖なるマリアは、彼らの手を通して祭壇上で自らのいけにえを神秘的に新たにする御子を見ておられるのです。

それゆえ、多くの奉献された霊魂や多くの司教が、あまりにも多く、童貞聖マリアに対して無関心であることを目の当たりにすると、痛みが、空しく涙が出るような痛みが起こります。ベルゴリオ自身が聖母に対する敬意を全く欠いた発言をするのを聞いたり、この前の復活祭の教皇の典礼行事を大幅に減らしたあとで、新型コロナウイルス感染症を利用して聖なる降誕祭の典礼行事の一部を中止しようとし、毎年12月8日に教皇がローマのスペイン広場に行って、そこに1857年に建立された無原罪の聖母の記念碑を崇敬するという伝統を中止しようとしているのを知ったりすると、心が痛く、涙が出てきます。【12月8日についてはフランシスコ教皇は朝7時に一人で行かれた】このようにして、いま一つ、ローマの一部が捨てられました、それは、皮肉な商人が健康独裁政権への忠誠の証しとしてローマの人々の生活から要求するいま一つの1ポンドの肉です。

カトリック教徒の教会、自らをキリスト教徒の名をもつことで誇りに思う者を愛する教会は、世俗の権威の前に退くような教会ではありません。つまりそうやって自らを世俗の権威の共犯者かつ高級娼婦とする教会ではありまえせん。そうではなくむしろ、至聖なる童貞とその天主なる御子を怒らせるよりも、最も残虐な苦難の中で死ぬ方が良いことを知りながら、勇気と超自然的なまなざしをもって迫害に耐える教会です。暴君が天主の御稜威(みいつ)に逆らい、教会の民を苦しめ、それを正当化しようとして正義と権威とを裏切るとき、教会は、黙ったままではいないのです。それは、脅迫に直面しても屈せず、権力や金銭に誘惑されることを許さない教会です。つまり、贖い主の御苦しみを自分の肢体の中で完成させてキリストと共にもう一度勝利のうちに復活するために、キリストの神秘体としてカルワリオに登る教会です。弱者や虐げられている者をあわれみと愛徳で助け、一方で傲慢で尊大な者や高慢な者の前には恐れを知らずに立っている教会です。この教会の教皇がかつて話していた時、キリストの群れは牧者の慰めの声を聞いていました。そして、かつては、心を一つにして、唯一の信仰告白において一致する長き歴代教皇の面々がありました。

その逆に、ベルゴリオのいわゆる「教会」は、教会を閉鎖することを躊躇せず、世俗の権力との悪しき共謀によって、天主を公に礼拝することを否定し、秘蹟の恩寵を信徒から奪うという邪悪な権利を自らのものとしています。この「教会」は、至聖三位一体を、新たな異教の宗教の冒涜的な儀式によって、偶像と悪魔のレベルにまで貶めています。この「教会」は、フリーメーソンの世界統一主義の名の下に、王たるキリストから王冠と笏を奪い取り、敵である異端者を困らせないように、共贖者かつ恩寵の仲介者であるお方を怒らせています。この「教会」は、対話と寛容の名の下に、福音を宣べ伝える義務に背いています。この「教会」は、この世の精神を喜ばせるために、聖書と天主の掟を語らず、汚しています。この「教会」は、主御自らが私たちに教えてくださった、崇高で不可侵の祈り【主祷文】の言葉を改ざんしています

この「教会」は、司祭職の聖性を冒涜し,聖職者や修道者の償いと苦行の精神を消し去って,彼らを悪魔の誘惑に任せています。この「教会」は、2000年の歴史を否定し、キリスト教の栄光と、天主の御摂理の地上の出来事への賢明な介入を軽んじています。この「教会」は、キリストに従うよう霊魂を育成するのではなく、熱心に流行やイデオロギーに従っています。この「教会」は、自分たちの威信と権力を維持するために、自らこの世の君の奴隷になっています。この「教会」は、冒涜的な人間の礼拝(cult)を説き、天主の主権を拒否しています。

また、ベルゴリオが語るとき、信徒はほとんどいつもつまずき、混乱します。なぜなら、ベルゴリオの言葉は、信徒がキリストの代理者から聞くことを期待していることとは正反対のものであるからです。ベルゴリオは、例外なく自分の前任者たち全員に矛盾することを言って、教皇職と教会を破壊するために自分の権威を利用しているにもかかわらず、自分の権威への服従を求めています。

私たちには、「最後には私の汚れなき御心が凱旋するでしょう」という至聖なるマリアの約束があります。その聖なる愛の炎が私たち一人一人のものとなるために、その御心の中で燃える炎が私たちの心を照らし、私たちの心に時代のしるしを把握できるようにさせるために、最も純粋な愛徳で鼓動するその御心の前にひれ伏しましょう。そして、たとえもし私たちの牧者たちが恐れや共謀のために沈黙しているとしても、多くの信徒や善良な霊魂が「御あわれみを忘れず、そのしもべイスラエルを助け給う」(ルカ1章54節)天主の御あわれみを呼び求め、彼らの裏切りを償い、彼らの罪を償う機会を得ることができます。

今日、この現代の衆議所の大司祭たちは、私たちの主とその至聖なる御母を怒らせ、サタンの国を確立しようと欲している世界統一主義のエリートのために自己満足したしもべとなっているのです。明日、彼らは、力ある童貞の勝利の前に退却することでしょう。非常に多くのけんそんで知られざる子らの祈りと犠牲のおかげで、聖母は、聖なる教会を回復させ、社会に平和と調和をもたらし給うのです。

これが、来るべき無原罪の御孕りの祝日のための私たちの誓いとなり,これによって聖母であり私たちの元后であるお方を讃えることができますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2020年12月1日
待降節第一週の平日の火曜日
司祭殉教者聖エドマンド・キャンピオンの記念日

 


【再掲】O Emmanuel おお、エマヌエル!

2020年12月23日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日の晩課のマニフィカトのアンティフォナです。

おお、エマヌエル、私たちの王かつ立法者、異邦の民々の待望、彼らの救い主よ、我らを救うために来たり給え、主よ、我らの天主よ。

O Emmanuel, Rex et legifer noster, exspectatio gentium, et Salvator earum: veni ad salvandum nos Domine Deus noster.






大阪と東京のクリスマスのミサにどうぞいらしてください!24日は聖伝では大小斎の断食を捧げて準備をします

2020年12月22日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年12月20日、待降節第四主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

チャンネル登録をなさいますと、新しくアップされた動画の通知が届くので便利です。チャンネル登録は、ここ「SSPX JAPAN 聖ピオ十世会日本」をご覧ください。


もしも悲しい、苦しい時があったら「天に私たちの事を愛しておられるお母様がいらっしゃる」という事を知って下さい。

2020年12月22日 | お説教・霊的講話
2020年12月13日(主日)待降節第3主日

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄妹姉妹の皆様、昨日12月12日は、グァダルーペの聖母の御出現の日でありました。

この日に、聖ファン・ディエゴの、インディアンのこの着ていたティルマに、マリア様が御自分の御姿を、ちょうど写真で写したかのように、フィルムで写したかのように、きれいに写して下さいました。

そして本当は、12月で寒くて、サボテンくらいしか咲いていないような所に、スペインのカスティリアのバラの花がたくさん咲いていた、そこを摘んで、それをティルマで、ファン・ディエゴがそれを持って行って司教様に見せたところ、その自分の着ていた服に、マリア様の御像が写っていました。

この着ていたティルマというのは、サボテンの繊維で出来ているので、大体寿命は10年から15年持てば良いものだと言われています、良質の物で15年。

ところで、もう500年以上経つのですけれども、今でもこのティルマの繊維はまだ丈夫で、分解もせずに、そしてそのマリア様の御影も、まだ今日描いたものであるかのように、とても新鮮に生き生きとしています。

同時にその時代に描かれた、有名なルネッサンスのヨーロッパの油絵などは、みんな色がなくなってしまって、薄びれてしまっているにも関わらず、グァダルーペのマリア様だけは生き生きとしています。

そしてそのマリア様の、この着ている服の図柄も非常に不思議なのです。



なぜかというと、マリア様はまず青のマントを着ているのですけれども、その青のマントには星が描かれています。ところでちょうどその星をよく研究すると、1531年12月12日に、ちょうどメキシコのその空で見える星座と、全く同じものが写っているのだそうです。



そしてその下にはピンクっぽい赤い服をお召しなのですけれども、その服にはたくさんのお花の絵柄が描かれています。そしてその花には、一つ一つアステカの文化的な意味があるのだそうです。

特にその「4つの花びらの花」というのは、そのアステカの「最も高貴な神に捧げられたもの」だという事です。「それしか描かれない」というものがあったそうです。





ところでアステカの文化によると、妊娠した女性は腰に、妊娠しているという意味で帯を付けるのだそうですけれども、マリア様もその帯を付けていました。そしてちょうど赤ちゃんのいる所に、その「4つの花びら」のシンボルの絵が描かれていて、「まさに、この御胎内には、天主が孕っておられる」という事を意味していました。

そして首には十字架の印があって、この十字架の印は、スペインの船に付けられた十字架と全く同じものでした。

そしてマリア様は、メスティーソとして皮膚の色が描かれていて、ちょうど「ヨーロッパの人々と、そしてインディアンたちの、二つのお母さんである」という事を意味している事が分かります。

またマリア様が足に踏んでいるのは月であって、その月は、アステカの人身御供を要求していたその神のシンボルだそうです。

そしてこれを見たアステカの人たちは、「あぁ、これは天主の御母である。これこそが、真の天主の御母である」という事を理解する事ができるように、その服を着ておられたのだそうです。

マリア様はそしてファン・ディエゴにも仰いました、「私は、至高なる天主の母である」と、「また私たちの母である」とも仰って、「あなたの母がここにいるではありませんか」と仰いました。

愛する兄弟の皆さん、このコロナの為に、色々な経済がうまくいかなくなった、お店が倒産してしまった、あるいは収入がない、あるいは辛い事が起こった、あるいは色々な事が起こる、等というニュースを聞きます。

しかし、どうぞ失望なさらないで下さい。もしも悲しい、苦しい時があったら、どうぞ「私たちには天に、私たちの事を愛しておられるお母様がいらっしゃる」という事を知って下さい。

そしてマリア様は、どんな時にも、どのような人でも私たちを助けて下さいます。もしも「友達がいなくなった、もう誰も救いがない」と思っても、諦めないで下さい。マリア様がいらっしゃいます。どうぞマリア様にお祈りなさって下さい。マリア様は必ず何らかの方法で、私たちに手を伸ばして下さいます。

そしてマリア様は特に、このグァダルーペのマリア様は特に、生まれない子供たちの保護の聖人です。この子供たちが、堕胎などで多くの子供たちが今亡き者にされていますけれども、マリア様はその子供たちを助けようともされています。そしてもう助けがない、もう誰も守ってくれないような子どもたちをも、マリア様は助けようとされています。

ですから皆さん、愛する兄弟の皆さん、ですからもしも何か、もしも困った事があったら、どうぞマリア様にお願い下さい。

グァダルーペの聖母、我らのために祈り給え。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


私たちが永遠の命を受けるには、ミサ、そして秘跡を通さなければ与えられません。

2020年12月22日 | お説教・霊的講話
2020年12月6日(主日)待降節第2主日

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄妹姉妹の皆様、明後日12月8日は、無原罪の御孕りの大祝日です。

これはカトリック教会の中でも、またマリア様の大祝日の中でも、特に重要な祝日の一つです。

聖ピオ十世会ではその会則によって、その全ての会員は、明日12月7日前日には、大小斎を行なって大祝日の準備をしなければなりません。皆さんは義務ではありませんけれども、しかしもしもできればどうぞ大小斎をお捧げ下さい。マリア様の大祝日を良く準備致しましょう。

マリア様のこの大祝日、無原罪の御孕り、これはどういう事なのでしょうか?

「無原罪の御孕り」それは「マリア様が、マリア様のお母様、つまり聖アンナ様の御胎内に御孕りになるその最初の瞬間、存在が始まったその瞬間から、全く、0.00001秒の時間も全くなく、その最初から、マリア様は原罪の汚れ無く、清らかに御孕りになった、存在を始められた」という事です。

そして「その霊魂は、その最初の瞬間から、全く清められていて、全く悪魔の支配下に置かれていなかった」という事です。

「最初から天主の永遠の命を生き始めていた」という事です。そして「それを最後まで、終わりまで、今でも保っておられて、永遠の命を持っておられる」という事です。

私たちは全て、原罪を持って孕りました。存在の瞬間から、原罪の汚れに汚染されています。

ですから私たちの霊魂は、洗礼を受けるまで真っ暗で、天主の命がありません。いわば永遠の命において死んで生まれてきた者で、でもマリア様はどうしてこの事ができたのでしょうか?

なぜかというと、天主の全能の力と永遠の知恵は、イエズス・キリストの無限の贖いの功徳を、十字架の功徳を既に予期していたので、予見していたので、それをマリア様が御孕りになる、存在を始める時に、既に適用させて、罪の赦しを与えたからです。

ですから最初の瞬間から、マリア様は罪の汚れが全くありませんでした。

これを「無原罪の御孕り」と言います。

では、私たちはどうしたら良いのでしょうか?

はい、私たちにも同じ永遠の命が与えられます。ただ、私たちにとっては普通の道です。つまりイエズス様の十字架の無限の功徳が、時を経て、そして秘跡を通して、そしてミサ聖祭を通して、私たちに与えられます。

私たちが永遠の命を受けるには、ミサ、そして秘跡を通さなければ与えられません。

ですから「秘跡」というのは、人類にとって非常に大切なものなのです。秘跡がなければ永遠の命を受ける事ができないからです。

「洗礼の秘跡」また「悔悛の秘跡」によって、私たちは失われた聖寵の状態を受ける事ができます。「御聖体の秘跡」、「堅振の秘跡」、あるいは「終油の秘蹟」、「婚姻の秘跡」、「品級の秘跡」など、七つの秘跡があります。

そしてこのような秘跡は私たちに、多くの霊魂の永遠の命の増加を私たちに与えてくれます。

ミサに与る事によっても、私たちは永遠の功徳を受けて、永遠の命の増加を、成長をします。

ですからどうぞ、このミサを大切にして下さい。聖伝のミサをどうぞ大切にして下さい。これは私たちの永遠の命が懸かっているからです。

ところで12月8日は、午後の18時から大阪で、聖ピオ十世会の聖母の汚れなき御心聖堂でミサがあります。どうぞいらして下さい。招待致します。もしもミサに与れない方は、どうぞこの大祝日にロザリオを唱えて下さい。

そしてマリア様の無原罪の御孕りが讃美されますように、そして私たちにもその永遠の命が与えられますように、そのとてつもない御恵みが私たちに与えられますように、お祈り致しましょう。

では、良い無原罪の御孕りの祝日をお迎え下さい。そしてマリア様がいつも皆さんを、兄妹姉妹の皆さんを守って、お祈りして下さいますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






マリア様は、最初の瞬間から「永遠の命」に生き始めました。私たちに永遠の命を伝える為です。

2020年12月22日 | お説教・霊的講話
2020年12月8日(火)童貞聖マリアの無原罪の御孕りの大祝日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日はマリア様の無原罪の御孕りで、「マリア様が、その存在の最初の瞬間から、原罪の汚れなく存在し始めた。マリア様のお母様、聖アンナの胎内にて存在し始めた」というカトリックの信仰のドグマ、真理を祝う大祝日です。

このドグマは、この今日の祝日は、カトリック教会の使徒の時代から伝わって来ているもので、最も大切な教えの一つです。祝日の一つです。

これは私たちに、「私たちが持っている一番大切なものが何か」という事を教えています。

「私たちは、猿から来たのではなくて、天主から創られて、アダムとエヴァが本当に存在して、その二人が、人類の最初の親が罪を犯した。そしてその為に、私たちは原罪を持って生まれてきている」という事を教えています。

「しかし、マリア様だけは、イエズス様の無限の功徳を既に、十字架の功徳を既に適用されて、原罪の汚れなく孕られた、存在し始められた」という事を教えています。

マリア様は無原罪の御孕りは私たちに、更にこれを教えています。

つまり、「私たちの先祖アダムとエヴァは、天主の御旨に逆らった、不従順の罪を犯した。天主を信じずに、悪魔の言葉を信じた。天主が、『これを食べたら死んでしまう』と警告したにも関わらず、それを疑う悪魔を信じた。」

ですから、その罪を犯したその瞬間、霊的に死んでしまいました。つまり、「成聖の恩寵」を失ってしまいました。「永遠の命」を失ってしまいました。「天主の命」に生きる事ができなくなってしまいました。このこれこそが、私たちにとって最も大切な宝でした。

そして天主から与えられた自然外の、特別の賜物であった、「私たちの肉体の死を免れる」という特権をも結局は失ってしまいました。

しかし本当に大切なのは「永遠の生命」でした。

マリア様は、最初の瞬間から、この「永遠の命」に生き始めました。これは私たちに、この永遠の命を伝える為です。

この「マリア様が、この地上に小さい命を、永遠の命を始めた」というのが、この日です。

日本の私たちは、宇宙の遥か彼方から採取した土を、宇宙の土が地上に来た、はやぶさ号が到着した、という事で非常に喜びました。しかしこの中に何が入っていたかというと、宇宙の塵で、ゴミで、土くれだったのですけれども、マリア様がこれから私たちに運ぼうとされるものは、「永遠の命の創り主、その創造主であるイエズス・キリスト」それを私たちに与える為に、マリア様が今、ここに存在し始められました。

天主の、この天からの最も最大の宝物を私たちに運ぶ為に、マリア様が今、今日、存在し始めました。

今日の祝日は私たちに、「永遠の命の大切さ」を、もう一度確認させてくれます。もしもそうでなかったならば、私たちの人生は全く意味の無いものになってしまいます。

永遠の命があったからこそ、殉教者はキリストの真理を宣言して、自分の命を懸けて、イエズス・キリストを信じてきました。ある王様は、イエズス・キリストの永遠の命を信じたからこそ、正義を行ないました。十字軍は、イスラム教に命を懸けて戦って行きました。



永遠の命を守るが為に、司教様たちは、時には暴君に対して、「それは罪である」と、正義の本当の事を言ってきました。命を懸けて、「これは悪である」と宣言しました。命を懸けてカトリック教会は、キリストの教えた真理を守ってきました。

なぜかというと、それこそ、イエズス様が私たちに伝えようとしたからです。十字架のいけにえによって、私たちに伝えようとしたからです。

では、カトリック教会の為に、そして日本の多くの方々の為にお祈りしましょう。

コロナの為に仕事が無くなったり、あるいは中小企業が潰れたり、あるいは収入が無い、食べ物が無い、あるいはいじめられる、という多く苦しんでいる人が、ますます多くなっていると聞きます。

そのような方々が是非、永遠の命に希望を持つ事ができますように、お祈り致しましょう。決して極端な、してはいけない選択をする事がないように、永遠の命の希望を持つ事ができますように、お祈り致しましょう。

もしも神聖なものが無ければ、この世のものは全て価値を失ってしまうからです。家族も、命も、その他何もかも、全く意味を失ってしまうからです。

そしてカトリック教会の為にもお祈り致しましょう。カトリック教会が、この「永遠の命」の事を忘れ去りつつあるからです。

今年の復活祭はありませんでした。バチカンでさえもそれを止めてしまいました。本当ならば今日、無原罪の御孕りの大祝日には、伝統的に、教皇様はその特別な行事をしなければなりません。しかし、それも中止になりました。クリスマスの夜中のミサも中止だそうです。

イエズス様がかつて、ラザロという乞食が金持ちの家の前で苦しんでいて、そして結局この乞食は天国に行き、そして金持ちは地獄に落ちた、という例え話をした事がありました。そしてその時に、「もしもできれば、」この金持ちが、「私の兄弟が、私の居る地獄に落ちないように、死者をよみがえらせて警告して下さい。」

「死者がよみがえっても、もしもモーゼの話を聞かないならば、彼らは聞かないだろう」と。

願わくは、カトリック教会が、教皇様が、マリア様の言葉を聞きますように、マリア様が天から警告した言葉を聞きますように、そして初土の信心を全世界にする事を、あるいはロシアの奉献をする事を実行しますように、お祈り致しましょう。

このマリア様の無原罪の御孕りの祝日が、全世界で大切に祝われますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





聖母の汚れなき御心よ、世界中がソ連のようになる危険があろうとも、聖母の汚れなき御心は凱旋するという約束を信頼しています。

2020年12月22日 | お説教・霊的講話
喜びの玄義 第1玄義黙想
2020年12月5日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

『喜びの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、謙遜の徳をこい願わん。』

今日は初土曜日ですので、初土の信心として、イエズス様の御前で、ロザリオの15の玄義の内の1つを15分間黙想致しましょう。

今日は、明々後日12月8日が、マリア様の無原罪の御孕りでもありますので、それに一番近い神秘として、御告げのロザリオの喜びの第1玄義を黙想する事を提案します。

聖母の汚れなき御心よ、教会が、この全世界が、これから向かって行く所がどれほど暗黒が立ち込めようとも、世界中がまたソ連のようになる危険があろうとも、聖母の汚れなき御心は必ず、遂に、凱旋する、という約束を信頼しています。

マリア様は、サタンよりも、この悪の力よりもはるかに力強く、お望みのままに、その悪に大勝利を収める事ができます。

聖母の汚れなき御心は「決して私たちを捨てない」と約束されました。特に、「聖母の汚れなき御心の信心を行なう私たちを、天主の玉座の最も近い花のようにする」と約束されました。「救いを約束する」とされました。

マリア様の汚れなき御心に、絶対の信頼を置いています。私たちを憐れみ下さい。

全く恐れるものはありません。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】