Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2022年03月20日のカトリック聖伝のミサの予定 Traditional Latin Mass Schedule on Sunday, March 20th, 2022, SSPX Japan

2022年03月20日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。

【東京では、次回の03月20日(日)だけ特別に、神田須田町ホール3階で主日ミサが捧げられます。ご注意ください。地図 】

2022年3月20日(主日)前後のミサの予定をお知らせいたします。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図
03月18日(金) 18:00 ミサ聖祭(四旬節の金曜日はミサの後に十字架の道行があります)
03月19日(土) 10:30 ミサ聖祭
03月20日(日) 09:45 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

【東京】次回の03月20日(日)だけは、神田須田町ホール3階で主日ミサが三回捧げられます。ご注意ください。地図  このビルは、1階に「AQUOS Watersports」の店があるビルと、「Kanda Cross」ビルの間にあるビルです。奥のエレベーターで3階においでください。】

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。
【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

【「暁の星の聖母」修道院】
修道院では平日(月曜から金曜まで)は毎朝7時15分から聖伝のミサを捧げています。
土曜日は原則的に修道院で午前11時からミサが捧げられます。

3月17日は、修道院で朝7時15分と午前11時と二回のミサがあります。

3月21日(春分の日)は、修道院で朝7時15分と午前11時と二回のミサがあります。

【名古屋】

名古屋においても毎月最終主日に、聖伝の典礼を信徒の皆様に体験していただくためにも愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。

場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
日時:3月27日(日) 16:30 ロザリオ及び告解  17:30(午後5時半) ミサ聖祭
場所は松屋の入っているビルの6階です。

愛する兄弟姉妹の皆様を
2022年「聖ピオ十世会日本公式秋田巡礼」へお招きいたします
2022年5月1日(日)~5月5日(木)

第16回聖ピオ十世会日本公式秋田巡礼2022を開催します - 聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITA

Ave Maria Immaculata!
My dearest Brethren!
I would like to reconfirm the Mass schedule for Sunday, March 13th, 2022.

*****Mass times in Tokyo:*****
March 20th (Sunday)
09:00 - Sung mass Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.

 Mass location: Special mass location on the following Sunday, March 20 We are scheduled to have masses at another new location near JR Kanda Station. 

Address: Kase Building 173 3F, 1-24-21, Kanda-Sudachô, Chiyoda-ku

It is on the 3nd floor of the building, with yellow signs as in the photo, located
on the east side of the wide north-south street called ʻChûô-dôriʼ, a 5-minute
walk northward from JR Kanda Station East Exit. This building is between the
building that houses ʻAQUOS Watersportsʼ and ʻKanda Crossʼ Building. Please
use the elevator inside to come to the 3F.

OGPイメージ

Special Mass Location (Kanda-Sudachô Hall 3F)-20220320-v01.pdf

 

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Map

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detail.pdf

 

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*****Mass schedule in OSAKA:*****
Fri, March 11th : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Sat, March 12th : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
Sun, March 13th : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

*****Holy Masses at Stella Matutina Priory*****
On weekdays (Monday to Friday), holy Masses are offered at 7:15 am at the Priory.
On Saturdays, normally the Mass will be offered at the priory from 11am.

On March 17th, there will be two Masses at the Priory: 7:15 AM and 11:00 AM. 

On March 21st, there will be two Masses at the Priory: 7:15 AM and 11:00 AM. 

*****Mass schedule in NAGOYA: [Last Sunday of the month] *****
Sun, March 27th : Holy Sacrifice of the Mass at 17:30

Pilgrimage to Our Lady of Akita (May 1st - 5th, 2022)

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Invitation to the 16th Pilgrimage to Our Lady of Akita: May 1st to 5th, 2022 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

AveMariaImmaculata!DearBretherenandfriends,IwouldliketoinviteyoutotheP...

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Invitation to the 16th Pilgrimage to Our Lady of Akita: May 1st to 5th, 2022 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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天主の最高の宝を守るために選ばれた聖ヨゼフ|天主の教会は変わりません。教会の守護者聖ヨゼフは、いまも信仰の遺産を守っておられます

2022年03月19日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2022年3月20日は四旬節第三主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「四旬節第三主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


聖フランシスコ・ザベリオ 列聖400周年:聖フランシスコ・ザベリオは今でも、天国で必要な御恵みを与えながら、私たちを見守り、必要な償い・祈り・犠牲を、私たちが受けるように計らって下さっている。

2022年03月19日 | お説教・霊的講話

2022年3月13日(主日)四旬節第二主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

二つお知らせがあります。

一つは、来たる今週の土曜日は3月19日は、聖ヨゼフの祝日です。普遍教会、全世界におけるカトリック教会の守護者の大祝日です。是非この土曜日、日本では守るべき祝日ではありませんけれども、しかし伝統的には教会法によれば、守るべき祝日の一つとなっています。日本では義務ではありませんけれども、しかし是非ミサにいらして、聖ヨゼフに特別にカトリック教会を守って下さるようにお祈り致しましょう。

また特にこのミサに与って、来たるべき聖ヨゼフのミサにおいて皆さんにお願いしたいことは、東京で聖ピオ十世会の固定した常駐の御聖堂が与えられますように、私たちの力ではとても難しいのですけれども、聖ヨゼフによって与えられますように、お願いをして頂きたいと思っています。

ぜひ皆さんのたくさんの寛大な協力を、ミサに与って下さるようにお願い致します。またもしよろしければ、多くのお友達の方も誘ってあげて下さい。

第二は、この教会の入り口にありますけれども、もしも皆さんできれば、「経口避妊薬」という毒が、薬として売られて、それははっきり言ってしまうと、「お腹に本当なら宿っている幼い赤ちゃんの命を、この薬によって殺してしまう」ということです。子供に与えるべき栄養とか、必要な全てをシャットアウトして、子供がもう生きていくことができないようにしてしまう、恐ろしい毒なのです。

ですから、もちろん赤ちゃんのみならず、お母さんにとっても、とても恐ろしい毒で、そのようなものが薬として許可されるというのは、私たちにとってはとても受け入れることができないものです。ですからもしもよろしければ、ご協力を頂ければと思っています。そしてもしもお友達の方にも、その協力を求めて下さることができれば、日本のお母さんも赤ちゃんも健康で、すくすくと与えられた命を守ることができるようにと思っております。

さて、今日は四旬節第二主日ですが、ちょうど御摂理によって、昨日は聖フランシスコ・ザベリオの列聖400周年でした。そこで今日は一緒に、聖フランシスコ・ザベリオのなさったことと、その栄光について黙想しながら、聖フランシスコ・ザベリオの御取次ぎを乞い求めましょう。

特に二つあります。

一つは、聖フランシスコ・ザベリオがこの生きている間なさったことです。それは、聖パウロが今日書簡の中で言っていたことと全く同じことでした。
「イエズス・キリストの聖名によって、あなたたちに懇願する、お願いする。どうかよく理解してほしい。天主の御旨は、あなたたちが聖となることである。神聖なものである、ということを理解してほしい。そして私たちが招かれているのは、呼ばれているのは、不潔の為ではなくて、聖となる為である。天国に行く為である」ということです。

そのことを、聖フランシスコ・ザベリオは若い時に、聖イグナチオの指導の下に理解しました。「たとえこの全世界を儲けても、霊魂を失ったら、霊魂が聖とならなかったら、一体何の意味があるだろうか?地獄に燃やされる身になってしまったら一体、この世での快楽が一体何だろうか?私たちはどうしても御旨を果たさなければならない。聖とならなければならない。」

そしてその呼びかけにまず自分が応えて、そしてその呼びかけをこだまするように、その呼びかけを全世界に行って、イエズス・キリストの元に多くの霊魂を招こう、聖なる召し出しに招こう、とされました。

遂には日本にまで来て下さいました。日本のお殿様の前で、権力者たちの前で、ものすごい財産を持った商人たちの前で、彼らがやっていたことを、その罪を、優しく、しかしはっきりと言いました、「私たちは聖なる者となる為に召し出されている。不潔の為に私たちはここに生きているのではない。だから私たちは真の天主を信じなければならない。イエズス・キリストを信じなければならない。同性愛は罪だ。堕胎は罪だ。赤ちゃんを邪魔だ、と言って殺してはならない。」

聖フランシスコ・ザベリオは勇気をもって、本当のことを包み隠さず、しかし親切に、愛徳を以って、忍耐強く教えました。

現代の人たちがもしかしたら、「一日でも進歩して、一日でも前進して、時代の先端を行って、一週間でも時代の先端を行ったことを発見したい」と言って、色々なことをマスコミやニュースや映画で、YouTubeで宣伝しているかもしれません。

しかし聖フランシスコ・ザベリオは言うでしょう、「いや、あなたたちのやっていることは、2000年遅れている。既にイエズス・キリスト様が、そんなことをしていると不幸になってしまう、ということを教えている。私たちは本当のことを知らなければならない。」今でもそのことを、そう仰って下さるに違いありません。

第二の点は、聖フランシスコ・ザベリオの栄光です。聖フランシスコ・ザベリオの使命は、上川島という中国大陸の目前にある、14kmの沖にある島で終わったのではありませんでした。そこからまだ続いています。天国で、祈りと奇跡を以って、私たちの霊魂たちの救いの為に祈ってて下さっています。宣教の守護の聖人となって下さっています。例えばどんなことがあるでしょうか?

私たちに、日本に一番関わりのある一つの奇跡がありました。それはマストリッリ神父様です。イタリアのナポリで生まれた高貴な、知性的な、そして将来はイエズス会の総長となることもできるような才能のある、能力のある、聖徳の高い、偉大なイエズス会の司祭でしたが、日本でフェレイラ神父が、イエズス会の代表であった彼が転んだ時、そのまさにその時に、致命傷を負って、もう死ぬ直前でした。

その死の直前にいるマストリッリ神父様に現れて、巡礼者の光輝く姿で現れて言うのです、「マルチェッロ!お前は、私が何年も働いて、何年も願ったにも関わらず、それを得ることができなかった『殉教の恵み』を求めよ!自分の血を全てイエズス・キリストの為に流す、その特別の御恵みを求めよ!」と言いながら姿を現したのです。それを見たそのマルチェッロ神父は、その瞬間、病が治って、ケロリとして起きて、そしてイエズス会総長に言って、「日本に行く、日本に行って殉教する許可を求めます。」

実際にマルチェッロ神父様は日本にいらして、そして来るやいなや捕まり、日本では何の宣教の仕事も、あるいは洗礼も授けることなく、本も書くこともなく、ただ殉教する為だけに日本にやってきました。しかし聖フランシスコ・ザベリオが奇跡的に彼に殉教させたのです。

これを以って、「聖フランシスコ・ザベリオは今でも、天国で、必要なものを、必要な御恵みを与えながら、私たちを見守っている。そして必要な償い、あるいは祈り、あるいは犠牲を、私たちが受けることができるように計らって下さっている」ということです。

ぜひ、聖フランシスコ・ザベリオの御取り次ぎを求めましょう。私たちには第2、第3の聖フランシスコ・ザベリオが必要です。イエズス・キリストの教えをそのまま伝える宣教師が必要です。その宣教師が私たちに与えられますように、お祈り致しましょう。

聖母マリア様にお祈り致しましょう。聖フランシスコ・ザベリオは、特にマリア様に信心を持っていました。最初に宣教をする時に持っていたそのマリア様の御影が、まず鹿児島の島津のお殿様のお母様の心を動かして、マリア様の為に、宣教ができるようになりました。マリア様の御取り次ぎをお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


聖フランシスコ・ザベリオ 列聖400周年:聖フランシスコ・ザベリオの精神で、福音がそのまま、今でも、伝えられなければならない

2022年03月19日 | お説教・霊的講話

2022年3月12日(土)四旬節の四季の斎日 土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2022年3月12日、四季の斎日の土曜日、そして今日は、聖フランシスコ・ザベリオが列聖されて400周年です。

教会の入り口に署名用紙があります。これは、避妊の薬が、お母さんにとって、また赤ちゃんを殺してしまう非常に危険なものであるので、これをぜひ禁止するようにしてもらいたい、というそれを誓願するもので、私たちもそれに賛同したいと思いますので、もしもできる方は署名して下されば嬉しく思います。既に東京でも多くの方々が署名して下さって、既に提出してあります。

今日は、いつものようにこのミサが終わりましたら、御聖体降福式を行ないましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、今日の福音では、イエズス様が御変容されて、イエズス様が天主としてお持ちになっている栄光を奇跡的に、一時的に弟子たちに見せました。御受難を前にして、イエズス様は弟子たちを準備させました。

ちょうどこの福音にピタリと当たるテーマが、聖フランシスコ・ザベリオの列聖の400周年です。カトリック教会が持っているその聖徳の輝き、イエズス・キリストに従う弟子にはどれほどの栄光が待っているか、ということを今日は、聖フランシスコの列聖400周年を通して私たちに教えているかのようです。

特に、聖フランシスコ・ザベリオは日本の大恩人でもあります。多くの大名あるいは庶民が、殉教に至るまで、聖フランシスコのもたらした福音に忠実に、イエズス・キリストに忠実に従いました。特に聖フランシスコ・ザベリオが到着してからの100年間は、日本にとって「キリスト教の時代」と言われて栄光ある時代でした。その一時代を築いた聖フランシスコ・ザベリオが日本で行なった業績を少し黙想して、聖フランシスコを私たちに与えて下さったイエズス様を讃美致しましょう。イエズス様の栄光を讃美致しましょう。

昨日は、「聖フランシスコ・ザベリオが、変わらない永遠の王であるイエズス・キリストに死ぬまで忠実であった」ということを少し垣間見ました。

その王「永遠の王」について、日本にどうやって宣教したか、という、その聖フランシスコ・ザベリオの戦略について、今日は一緒に黙想致しましょう。

聖フランシスコ・ザベリオが持っていたその「強み」とは何だったのか、そして聖フランシスコ・ザベリオはどのようにして日本全土を回心させようとしたのか、イエズス・キリスト、王たるキリストへ導こうと、キリストの王国に導こうとされたのかを見てみます。

聖フランシスコ・ザベリオが持っていた「強み」というのは、二つあります。

まず、「イエズス・キリストを伝える」ということで、イエズス様は真理そのものであって、この世の王家、この世の王様のように、政治に左右されない、変わらない、栄光の王であると、いうことです。イエズス・キリストの教えは、いつも変わらない真理である、ということです。これこそが、聖フランシスコ・ザベリオが持っていた第一の、最高の強みでした。誰にもこれに反対することがあり得ないからです。全ての地上の王は、この永遠の王に従わなければならないからです。

その次に持っていた第二の強みというのは、聖フランシスコ・ザベリオがこの永遠の王たるキリストに従うが故に持っていた、「聖性、聖徳」です。聖なる生涯でした。その為に聖フランシスコ・ザベリオは、より大いなる天主の栄光の為に、イエズス・キリストの聖名の栄光の為に、また霊魂の救いの為に、全てをそれに捧げていました。聖フランシスコ・ザベリオにとって、自分の高貴な生まれとか、自分の持っていた財産、あるいはその他、そのタイトルなどは、全く関係がありませんでした。「イエズス・キリストの為に」「霊魂の救いの為」それだけしか考えていませんでした。

では一体、どのような戦略をとっていたのでしょうか?

これは、聖フランシスコ・ザベリオが、祈りと、そして正確な状況判断によって、一番効果的なやり方を選んだ、ということです。聖フランシスコ・ザベリオはマラッカにいる時に、薩摩出身のアンジロウという日本人に出会いました。そしてアンジロウから日本に来てくれるようにと申請されました。そしてアンジロウに質問すると、日本の状況をよく教えてくれました。「天皇陛下がおられる。封建制度の国である。そして色々な諸国には大名がいる。また仏教のお坊さんたちがお寺で色々な勉強をしている。そして学校のようなものがある、大学のようだ」ということを知っていました。そして「日本の方は知的な好奇心が強い」等々。

そのことを知れば知るほど、そして祈れば祈るほど、「天主は日本に宣教に行くことを御望みである」と確信しました。そしてアンジロウには16ヶ月、この宣教の為に準備をさせました。特に聖マテオの福音を日本語に訳させました。そして自分も日本語をアンジロウから学びつつ、その仕事の整理をして、日本に行く準備を着々と進めていました。

こうやって1549年8月15日に、鹿児島に到着します。なぜ鹿児島というかというと、これはアンジロウの生まれ故郷だったからです。そして有名な9月29日、大天使聖ミカエルの祝日に、薩摩の王様である島津貴久に面会し、そして薩摩の国で自由に宣教することができる、「自由にやりなさい」という言葉をもらいます。

ところで、アンジロウは元々真言宗の家族の出身で、そして真言宗の教育を昔から受けていました。もしかしたら真言宗について詳しくは知らなかったかもしれませんけれども、その言い回しやその言葉遣いということを、仏教用語を知っていましたので、それをポルトガル語あるいはスペイン語から日本語に訳す時に使っていたようです。

ところで、鹿児島では聖フランシスコ・ザベリオは多くの方に洗礼を授けることができましたけれども、後に平戸に、ポルトガルの貿易の中心であった平戸に拠点を移します。そして平戸では松浦隆信に会って、そして平戸でも宣教をします。そこでも洗礼を受けた方がいてアントニオ木村です。木村家からは多くの殉教者たちを輩出しました。特に有名なのが、福者セバスチャン木村という、後にイエズス会の司祭となった方です。日本の最初の日本人司祭であって、そして殉教者でありました。福者セバスチャン木村です。これは平戸で聖フランシスコ・ザベリオから洗礼を受けた、日本人侍アントニオ木村の孫です。

その後に、当時山口が日本でその地域では一番力の強い所でしたので、山口に行きました。なぜかというと、聖フランシスコ・ザベリオは、その「日本の宣教の為には是非、最も知的な方が、最も力のある方であれば、カトリックの教えを、イエズス・キリストの教えを理解できるだろう」と確信していたからです。ですから「ぜひ天皇陛下に会って、あるいは偉い、一番力のある方に説明して、そのカトリックの教えの正しさを、そのような方であれば理解できるであろう」と確信していたからです。お祈りを以って山口に行きます。山口のお殿様に会います。大内義隆です。

聖フランシスコ・ザベリオが持っていた強みの一つは、「真理」でした。ですからもちろん、この日本のことを知れば知るほど、こんなことを言うと反対が多いだろう、ということはあらかじめ分かっていましたけれども、しかしそれを隠すことはできませんでした。ですからはっきり言いました、「カトリックが、真の宗教である」ということ、そして特に上流階級で流行っていた「同性愛の行為は罪である」ということ、あるいはその上流階級で、あるいは庶民でもあった「嬰児殺し、口減らしというのは罪であること」等ということを、はっきり言いました。しかしこの話を聞いていた王様の大内義隆は、自分のことを言われているのだと思って、その時に顔が怒りを抑えているようだった、と言われています。

そして「ぜひ天皇陛下に会いたい、京都の都に行きたい」と言うのですけれども、なかなかそれはうまくいきませんでした。いつも待っても、何も良い返事が与えられなかった聖フランシスコ・ザベリオは、一度平戸に戻って後に、数人のお供を連れて、京都に登ることにします。「どうしても天皇陛下に会って、天皇陛下に理解してもらおう」と。

そして冬の寒い中、裸足で、あるいは毛布一枚で旅立ちました。非常に厳しい旅でした。また盗賊や泥棒がいるので、荷物は持たずに一番軽くしなさいと言われて、全てを置いて、ほとんどそのまま京都に行きました。

道すがら堺に行った時に、堺では宿を泊めてくれた人がいました。工藤さんという方だそうです。そしてその後に、その子供が有名なキリシタンになります、洗礼を受けます。日比屋了珪という人です。この日比屋了珪は後に、キリスト教にカトリックにおいて非常に大きな活躍をすることになります。

そしてその工藤さんが、ちょうど都に登るという貴人にお願いして、「どうぞフランシスコ・ザベリオを天皇陛下に会わせてやってほしい。京都に登る許可を取ってもらいたい」ということをアレンジして、そして行かせました。

京都では、聖フランシスコ・ザベリオは非常に失望しました。なぜかというと、聞いていた通りではなかったからです。京の都は戦争で荒れていて、瓦礫の山でした。また殺伐としていて、そして天皇陛下も、その当時の力は権力は地に落ちていました。しかも会おうとしても会うことができませんでした。

そのまま平戸に帰った聖フランシスコ・ザベリオは、周りの人に聞くと、どうもその当時、天皇陛下よりも京都の都よりも、山口のお殿様の方がもっと力があって、もっと権力があって、もっと影響力がある、とのことでした。そこでそのことに合わせて、天皇陛下に差し上げようとしたその贈り物を全て、山口のお殿様にあげることにしました。ポルトガルの副王としての衣装、教皇大使としての衣装を着て、そのポルトガルのヨハネ3世王のお土産と、パウロ三世教皇様のお土産を持って山口に行くと、大歓迎をされて、宣教の許可のみならず、お寺をも与えられて、「ここにおいて宣教をしなさい。ここに住んで、ここで活動をしなさい」と励まされました。

それからそこのお寺に住み込んで、聖フランシスコ・ザベリオは多くの人々の訪問を、訪れるのを喜びました。特に彼らが多くの質問をしてきたそうです。「これは何ですか?」それに対して聖フランシスコ・ザベリオは知的な、しかも核心をついた答えを与え、満足して帰らせた、と記録に残っています。

しかし、かといってたくさんの方が洗礼を受けたとは限りませんでした。山口に行った宣教の成果は、あまり最初は大きなものではなかったのですけれども、ある時ガラリと変わった事件がありました。

それは、一緒に連れて来たフェルナンデス神父様が、仏教のお坊さんと一緒に尋問をしていた時に、このお坊さんがフェルナンデス神父様の前で、唾を吐きかけたのです。すると神父様は、何もなかったかのように、ハンカチでそれを拭いて、平然とそのまま話を続けたのです。

すると、それを見た人がびっくりして、「あぁ、見たことがない!普通ならここで大喧嘩になるか、人殺しになるか、戦いになるか決闘になるか、見たことがない!」ということで、それ以後、多くの方がカトリックに回心して洗礼を受けた、とのことです。

聖フランシスコ・ザベリオは、状況に合わせて、いつも本当のことだけを追求していました。ある時、山口の真言宗の方が、いつも非常にこう親しくしてきて、「真言宗のお寺にも来て下さい、ザベリオ来て下さい。」あるいはまた訪問されたりして、仲良かったのです。

ザベリオが言っていた“デウス Deus”「天主」という言葉が、アンジロウによって、「大日」として訳されていたのですが、今まで「大日」と言っていたのですけれども、ある時、よく周りの人に聞いてみると、「大日」というのは必ずしも、天地の創造主、唯一の天主、という意味は持っていない、ということが分かりました。それとはむしろその反対であるような概念である、ということが分かったのです。

そこで、昨日まで「大日を拝め、礼拝せよ」と言っていたのに、今日からは「大日を拝んではいけない」「大日を信じてはいけない」と言い始めて、「これからはデウスを信じなければならない」と教えたそうです。それは、真言宗とカトリックとの戦争の宣戦布告の開始でした。

しかし、聖フランシスコ・ザベリオは嘘をそのままつき続けることはできませんでした。どうしても直さなければなりませんでした。「大日ではなくて、デウスだ。」
すると真言宗の人は、「ザベリオの言っていることは大嘘だ!」と言って反応したそうです。しかし色々な嫌がらせや妨害にも関わらず、カトリックになる人はどんどん増えていきました。

その後に、大分の府内で大友義鎮に会って、そして後にもう一度インドに帰られます。

聖フランシスコ・ザベリオは日本に2年半居ただけだったのですけれども、日本の宣教の基礎を築きました。特に「リーダー、日本の知的なリーダー、あるいはトップの人々にまず理解を求める」ということを訴えました。そして「知的な民族なので、知的に説明するべきである」という、ですから多くのキリスト教の文学や書物を日本語に訳すことを大切にされました。また多くの宣教師を日本に送ることをも本部に依頼しました。

聖フランシスコ・ザベリオがやったことを見ると、特に「イエズス・キリストが真理である」ということを伝えよう、ということが分かります。そして「その為には、その真理を包み隠さずはっきりと言わなければならない」ということを確信していました。そしてその為であれば、どんなに犠牲があったとしても、厭いませんでした。

では今日、私たちに聖フランシスコ・ザベリオは何を教えているのでしょうか?

特に、「聖フランシスコ・ザベリオの精神で、福音がそのまま、今でも、伝えられなければならない」ということです。

「聖フランシスコ・ザベリオの時代と今では違うから、もうそんなことは言ってられない」ということは、カトリックの教えでありません。なぜかというと、キリストは、昨日も今日も、そして永久に変わることがないからです。キリストの教えというのは、朝はこうだけれども、夜になると別のものになる、というものではないからです。時を超えた教えであるからです。

聖フランシスコ・ザベリオが教えた教えを、そのまま、私たちは信じることに致しましょう。イエズス・キリスト、永遠の王、変わらない永遠の王、時によって、場所によって、変わらない王。

もしも、聖フランシスコ・ザベリオが他の人のことを聞いて、その人からの影響で、もしも誤解してしまっていたことを伝えたとしたら、聖フランシスコ・ザベリオのように、道をすぐに戻す勇気を持つように致しましょう。新しいミサ、あるいは手による聖体拝領、あるいはその他、教会が今までの道と変わった道を、少し逸れてしまったことがあったかもしれません。しかし聖フランシスコ・ザベリオの精神によれば、もしもその間違いに気付いたら、すぐに軌道を修正しなければなりません。なぜかというと、真理こそが、霊魂の救いこそが、私たちにとって大切だからです。

聖フランシスコ・ザベリオの栄光ある列聖400周年を目の前に見ながら、聖フランシスコ・ザベリオの栄光を見ながら、私たちもその栄光ある聖フランシスコ・ザベリオを送って下さったイエズス様に感謝しつつ、ミサをお捧げ致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


教皇フランシスコは、全ての司教たちを招いて、ご自分と一緒にロシアを聖母の汚れなき御心に奉献するように願っています。

2022年03月18日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!
 
在アメリカの教皇大使によると、教皇フランシスコは、全ての司教たちを招いて、ご自分と一緒にロシアを聖母の汚れなき御心に奉献するように願っています。


日本中の司教さまたちが、これに応えて、ロシアの奉献をなさってくださいますように!
 
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
 
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ロシアとウクライナの聖母への奉献に一致を、教皇、全世界の司教に - バチカン・ニュース

教皇フランシスコは、ロシアとウクライナのマリアの穢れなき御心への奉献に一致するよう、すべての司教らを招かれた。

 

 

 


聖フランシスコ・ザベリオと聖イグナチオ列聖400周年「フランシスコ、お前は全世界を儲けたとしても、魂を霊魂を失ったら、一体それがお前の何の利益になるのか。」

2022年03月18日 | お説教・霊的講話

2022年3月11日(金)四旬節の四季の斎日 金曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

【東京では、次回の03月20日(日)だけ特別に、神田須田町ホール3階で主日ミサが捧げられます。ご注意ください。地図 】

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、明日は、聖フランシスコ・ザベリオが列聖されて400周年の記念の日です。

1622年3月12日に、聖イグナチオと共に聖フランシスコ・ザベリオは列聖されました。グレゴリオ十五世によってなされました。

そこで、日本に2年半の福音宣教の仕事をした最初の偉大な宣教師、日本の恩人である聖フランシスコ・ザベリオの列聖を記念して、聖フランシスコ・ザベリオのその業を、少し一緒に黙想することを提案します。

聖フランシスコは、1507年4月3日、聖週間の聖火曜日にハビエル城で生まれました。お父さんフアン(ヨハネ)はハビエル城の城主であって、お母さんマリアはアスピリクエタ家(Azpilcueta)で、やはり貴族で、王家の出身でした。お母さんの家系をたどると4代前は王家に、スペイン王(カスティリャ王)に直接関係ありました。子供の頃から、上流の階級の5番目の子供の末っ子として生まれましたが、その当時政治的にスペインという国はなくて、聖フランシスコ・ザベリオがいたのは、ナバラ王の下に忠誠を誓っていたナバラ王国の封建君主、お殿様でした。

ナバラ王国の隣には、カスティリア王国がありました。お母さんの家系はカスティリアの家系、そしてお父さんはナバラ王に忠誠を誓うものでした。

ところが、非常に複雑な政治的な問題が生じて、フランス王家と教皇領土の間でちょっとした政治的な戦いがありました。フランスがイタリア半島に領土を拡張しようとしてきたからです。

すると、フランスと教皇領とどちらに付くかで、カスティリア王とナバラ王とでは意見が違いました。カスティリア王フェルナンドはローマ教皇ユリウス二世の側につきました。しかし、ナバラ王フアンはフランスの大貴族でもあったので、フランスを敵とすることはできなかったのです。そこで、ナバラ王を支持するか、あるいはカスティリア王を支持するか、ということで、非常に難しい態度を迫られました。ナバラ王国の家臣のなかでも、ナバラ王を去ってカスティリャ王に身をひるがえす家族も続出ていました。しかし、ハビエル城主でお父さんのドン・フアンは、最後まで中立を保とうとしました。ついにナバラ王国はカスティリャ王に負け、ハビエルの土地は売られ、ドン・フアン・ハビエルはショックで亡くなります。アスピリクエタ城はつぶされ、ハビエル城も攻撃を受けたり、城のお堀を埋めさせられたりしました。その後、ハビエル家は非常に難しい時を過ごさなければなりませんでした。

1521年には、ナバラの民衆はフランス人と組んで、カスティリャに反乱して独立しようと試みたのです。フランス軍の一団が小さな町パンプローナに襲いかかりました。この町は負けます。そこには隊長であるロヨラのイグナチオが一人立っており、火薬で黒焦げになっていましたが、逃げ出しませんでした。この軍隊の中には、聖フランシスコ・ザベリオの兄であったフアンとミゲル・ザビエルもいました。若かったフランシスコは、戦いに参加せずに取り残されていました。もう少し年齢があれば、イグナチオを大砲で撃ったのはフランシスコだったかもしれません。パンプローナは占領され、イグナチオも一緒に占領されました。これをきっかけに聖イグナチオは回心します。

さて、私たちの聖フランシスコ・ザベリオは幼い頃にこのようなものを見てきました。王家であって、そしてこんなにもカトリックに熱心なものであったものにもかかわらず、「どの王様に付くか」ということによって、お城が潰されたり、戦争があったり、その大砲の音が聞こえたりしていた、ということです。

彼は大きくなる時に、「もうこのような政治に関わりたくはない」と思いつつも、しかしそれでも、自分のお姉さんは修道院に入って修道院長にもなっているし、それで教会の聖職者となって、自分の親戚がたくさん聖職者にいるので、聖職者になれば(その当時は王国から聖職者に給料が出ていたので)、そうすれば難しい自分のこのハビエル家も、そのお金で経済的に助けてあげることができるかもしれない、と思いました。そこで教会の高い地位を目指そうと思い、パリに行って神学の勉強をしたのでした。

聖フランシスコ・ザベリオにとっては、よりこの世界を舞台として、このより高い地位を求めて活躍する、というのがその血筋でした。皆さんもご存知の通り、フランシスコはパリに行き、その大学で神学・哲学を勉強している時に、その部屋のルームメイトとして、聖イグナチオに会います。フランスに対して戦いをしていた軍人で、ナバラ王国の敵だった人でした。パリで神学を勉強していたのですけれども、フランシスコに聞きます。「フランシスコ、お前は全世界を儲けたとしても、魂を霊魂を失ったら、一体それがお前の何の利益になるのか。」聖イグナチオはイエズス様の福音の言葉をフランシスコに引用します。

フランシスコはその言葉を頭から離すことができませんでした。確かに、イエズス様を信じて、イエズス様の為に生きてきた良いキリスト教信者だったかもしれませんが、しかしイエズス様が全てではなかったのです。「イエズス様を王として忠誠を誓う」というわけではなかったかのようです。「たとえ全世界を儲けたとしても、霊魂を失ったとしたら一体、何の役に立つだろうか。」

フランシスコは28歳の時に、聖イグナチオと共に、7人の同志はパリで誓願を立てます。「キリストに全てを捧げよう」と。そして聖イグナチオの指導の下に、霊操を行ないます。「王たるキリストに従おう」と決心をします。

聖フランシスコ・ザベリオは、「これからは、この世の王ではなくて、決してその王国が滅びることのないキリスト、王たるキリストの下に仕える。王たるキリストの領土の拡張の為に、その霊魂の獲得の為に、全世界の霊魂の救いの為に働きたい」と思いました。

そして1552年12月3日に、中国の前の上川島という、ほんの中国大陸から14km程の小さな島、ポルトガル人が貿易の拠点としていたその島で、裏切られて、貧しく、キリストのように亡くなって、中国大陸に行くことを望みつつも、病に倒れて、そして霊魂をイエズス様に返すまで、イエズス・キリストを王として忠実に真似たい、イエズス・キリストのように苦しみ、そして清貧に生活することをだけを望んで、霊魂の救いの為に、天主のより大いなる栄光の為にのみを考えて、一生を捧げた聖人でした。

聖フランシスコ・ザベリオと聖イグナチオ、かつては政治的には敵だったこの二人は、栄光あるイエズス会の司祭として400年前に同時に列聖されました。

聖フランシスコ・ザベリオは、日本に2年半来て、霊魂の為に、霊魂の救いの為に偉大な仕事をしました。それについてはまた明日、黙想致しましょう。特にこの聖フランシスコの精神、「霊魂の救いの為に、天主のより大いなる栄光の為に、王たるキリストに忠実に従う為に、全てを捧げたい」を見習いましょう。

終わりまでそれを、その決心を守り通した聖フランシスコ・ザベリオに、私たちは御取次ぎを乞い願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


聖フランシスコ・ザベリオの列聖400周年を祝って、聖フランシスコが日本に2年半いらした間に何をなさったのかを黙想する

2022年03月18日 | お説教・霊的講話

2022年3月6日(主日)四旬節第一主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

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聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、来たる3月12日土曜日は、聖フランシスコ・ザベリオが列聖されて400周年です。聖フラシスコ・ザベリオは、日本にイエズス・キリストの福音を伝えて下さった最初の方です。私たちは、そのフラシスコ・ザベリオに多くの恩恵を、恩を負っています。

今日ぜひ、聖フランシスコ・ザベリオの列聖400周年を祝って、
⑴聖フランシスコ・ザベリオの持っていた長点、
⑵そしてその日本に宣教しようとした戦略、
⑶そして聖フランシスコが、日本に2年半いらした間に何をなさったのか、ということを簡単に見てから、
⑷それから聖フランシスコ・ザベリオを下さったイエズス様の憐れみに讃美しつつ、何か私たちの結論というか決心を立てることにしましょう。

特にこの考察を、私たちのフランシスコ教皇様の為にお捧げしたいと思っています。何故かというと、教皇様は同じ、聖フランシスコ・ザベリオと同じ名前をお持ちですし、同じイエズス会で、つい最近日本にもいらして下さったからです。

⑴さて第一のポイント、聖フランシスコ・ザベリオの持っていた特徴、長点というのは、強みというのは何だったのでしょうか?

二つあります。

一つは、聖フランシスコ・ザベリオが持っていた「真理」です。聖フランシスコ・ザベリオが本当のことをありのままに、そのまま伝えた、中には伝えるのが難しい、伝えるのがちょっと世間体的に難しい、という内容も実はあったのです。しかし聖フランシスコはそれに打ち勝って、世間体に打ち勝って、本当のことを包み隠さずに、日本の人々に伝えようとしました。その勇気と、大胆なその行動、真理のみが許したその大胆さがありました。

第二は、聖フランシスコ・ザベリオが持っていた「聖徳」です。聖なる御方だった方です。そして特にその聖徳は、天主の栄光を、その聖名の、「より多い聖名の栄光の為に」という動機に動かされて、「多くの霊魂たちを永遠の命に導きたい、地獄の火から救いたい、救い出したい。そして本当の幸せを、本当の喜びを、本当の調和のある社会を日本の地にもたらしたい」という愛に燃えていたからです。その愛の為に、どんなに苦しいことも、辛いことも、恥ずかしいことも、嫌なことも、喜んで受けました。

⑵では、聖フランシスコ・ザベリオが取った戦略というのは何でしょうか?

聖フランシスコ・ザベリオは、日本人のアンジローという鹿児島出身の男性とマラッカで出会いました。そこで彼は日本のことを紹介して、「天皇陛下がおられる。そして封建制度で、その秩序がある。また知的な人々がたくさん集まっていて、お寺で色々な勉強をしている、まぁ言ってみれば大学のようなものがある」ということを知りました。ですから、その日本の社会のその仕組みを使って、宣教をするのが一番良いだろうと思っていました。

そこでまず、アンジローに準備として、聖マテオの福音を日本語に訳すように、そして16ヶ月準備させて、そしてどのような行動を起こすかということを、計画を練っていました。特に日本のトップに立つ天皇陛下に出会って、そして天皇陛下であれば、それほど高貴な方であれば、知的に高い方であれば、まさに「キリストの真理」ということを理解してくれるに違いない、きっと理性を使って、正と邪を見分けるに違いないと信頼しつつ、そしてそれを祈って日本に出発しました。

⑶では第三に、聖フランシスコ・ザベリオがなさった、日本での2年半の足取りを簡単に見てみましょう。

この私たちの聖人は、1549年8月15日に鹿児島に到着しました。なぜかというと、アンジローが出身の所だったからです。それでアンジローの家族に非常に歓迎を受けました。それで鹿児島のお殿様、島津貴久に会って、鹿児島で宣教する許可を得ました。その時、面会の日は9月29日、大天使聖ミカエルの日でした。

その後に聖フランシスコ・ザベリオは平戸に移って、平戸でまた宣教をします。平戸では木村という男性に会います。これは後に、日本で最初の司祭になる日本人です。殉教者、イエズス会司祭、福者セバスチャン木村となる方に会いました。

その後に山口に行きました。なぜかというと、山口は西日本の中で中心的な都市だったからです。そこで大名大内などがいて、影響力を持っていました。後には天皇陛下にも会って、そして京都まで都まで行きたいと思っていました。山口まで行って、聖フランシスコ・ザベリオは非常に率直に、キリスト教の話をしました。つまり、「イエズス・キリストこそが真の天主であって、それ以外にはない。教会の外には救いがない。」そして特に同性愛の罪について、「これは私たちの霊魂を汚してしまって、理性のない動物よりももっと汚いものにしてしまう恐ろしい罪である」ということを説明しました。また子供を殺してしまう、「幼い子供を、生まれたばかりの赤ちゃんを殺してしまう、ということは罪である」ということなども指摘しました。しかしこのようなことは、日本では残念ながらその当時、上流階級などで行なわれていたようです。それでそのようなことを聞く、簡単に聞くことは難しかった大名も多くいたようです。

その次に、聖フランシスコ・ザベリオは京都に行こうと、京都へと旅立ちます。に行った時に、工藤さんという方が、その聖フランシスコを自分の家に泊めます。実はその子供(日比谷了慶)が洗礼を後に受けています。その彼が、京都に行くという貴族の、旅人の貴族と話をつけて、そして、フランシスコ・ザベリオを、天皇の所まで連れて行ってあげてほしい、と頼みます。そしてその上京する許可を得るように計らってくれました。それを聞いた時に、聖フランシスコ・ザベリオは子供のように飛び跳ねて喜んだ、と伝えられています。

京都までの旅は、堺を通して京都までの旅は、非常に辛いものでした。なぜかというと、その時は冬で、そして持っていた物は、盗賊とか強盗がいるから、あまり貴重なものは持っていくな、というアドバイスにより、ほとんど無くて、毛布一枚だけで旅をした、とのことです。そこで裸足で雪の中を歩かなければならなかったこともありました。

京都に着くと、聖フランシスコ・ザベリオは非常に失望しました。なぜかというと、話で聞いた天皇陛下というのは、今では全く力が無くて、権力も無くて、そして京都の都も戦争で壊滅状態であって、何の影響力も無い御方だ、ということが分かったからです。また、大学と思っていたその色々な仏教のお寺でお話をしようとしても、それは効果がありませんでした。なぜかというと、比叡山の天台宗の僧たちは、貧しい身なりをした聖フランシスコ・ザベリオを、受け入れられることができなかったからです。

その為に、失望しつつ、もう一度平戸に帰ります。平戸には実は、自分がポルトガルの副王として、第二の王として持っていた宝物、本当は天皇陛下にあげるべき宝物、あと教皇大使としてのその服など全てが、宝物があったからです。それを天皇陛下にあげる代わりに、山口のお殿様にあげました。大内義隆は非常に喜んで、聖フランシスコ・ザベリオに宣教の自由を与えます。と言っても、宣教の色々説教をしても、なかなか回心には結び付きませんでした。

ところが、ブラザー・フェルナンデスが、聖フランシスコ・ザベリオの代わりに討論会で仏教の方と討論をしていた時に、この仏教のお坊さんが、このブラザー・フェルナンデスに唾を顔に吹付けたのです。するとブラザーは、ハンカチを取って、自分の顔を何もなかったかのように拭いて、そのまま話を続けたのです。これほどの屈辱を受けて、何の動揺も見せずに、平静と話をした、というのを見た、それがきっかけで、多くの人々が回心して、多くの人が「カトリックになりたい」と言うようになりました。

聖フランシスコ・ザベリオは、東アジア、インド、日本、その他の東洋の責任者でした。イエズス会の最高の責任者であって、ですからポルトガルからの船が日本に来ると、手紙があるかないか、一体インドはどうなっているか、というニュースを聞きたくてたまりませんでした。なぜかというと、自分の責任下であるからです。しかしポルトガルからの、あるいはインドからの手紙は、彼の為の手紙は全くありませんでした。

そこで2年半の後に、「インドにもう一度戻らなければならない。そして自分が直接に行って、この目で確かめなければならない」と決意して、そしてまたインドに戻ります。本当は日本にもう一度帰りたかったのですが、この一回の訪問で、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。実は聖フランシスコ・ザベリオは、「インドに帰った後に中国に行って、中国を通してアフリカまで行って、世界全てにキリストの教えを伝えたい」という望みに燃えていたのです。

⑷では最後に、聖フランシスコ・ザベリオのこのような生涯を見ると、私たちに一体何を教えているでしょうか?

聖フランシスコ・ザベリオは、実はその後のイエズス会の司祭たちに、宣教師たちに、どのような道をとるべきか、その模範を示しました。真理を伝えること、そのまま何も変えずに伝えること、そしてそれを愛を以って伝えること、霊魂を救いたいという愛を以って、どんな犠牲を払っても、払う覚悟をして、そのまま伝えるということ、それをなさいました。

列聖400年の後、聖フランシスコ・ザベリオは私たちに、同じことを伝えているように思います。「自分はもうやることができないけれども、しかしお前たちが代わりに、私の代わりにやってほしい。私が今しようとしていることは変わらない。イエズス・キリストの福音をそのまま、折があろうとなかろうと、そのまま伝えよ。霊魂を救ってほしい。天主の栄光の為に、より多い栄光の為に働いてほしい。多くの霊魂たちを天国に導いてほしい。」

そしてまさに、この聖フランシスコ・ザベリオのこの願いを、私たちもぜひ継承して、続けて、多くの方々が、特に日本にいらっしゃる方々が、イエズス・キリスト様の本当の真理を見出して、そして本当の幸せへと導かれますように、お祈り致しましょう。そして特に、聖フランシスコ・ザベリオの御取り次ぎを祈ります。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


ヴィガノ大司教:主イエズス・キリストに立ち返ることによってのみ悪魔を打ち負かすことができる、主の掟に従うことによってのみ、祖国に自由と調和と繁栄を見いだすことができる。

2022年03月17日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教、ロックダウンのオーストラリアに語り掛ける

2022年3月1日(火曜日)

Archbishop Viganò Addresses Locked Down Australia

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教

親愛なるオーストラリア人の皆さん。

今、人類は世界的なクーデターによって脅かされています。グローバリストの犯罪者たちによる寡頭制が、政府や国際機関の最高レベルにその支持者を据えることに成功したのです。私たちは、一国だけに限定された現象について話しているのではありません。オーストラリアからカナダまで、フランスからイタリアまで、ドイツからオーストリアまで、多くの国々に広がる計画なのです。民主主義と人権という神話は、近代性と進歩ということをドグマとしてその神話を構築したまさに同じ人々によって、今日、組織的に破壊されています。人々の意志は侵害され、個々の国の利益は無視され、社会的・経済的構造は破壊され、労働者とビジネスの保護は踏みにじられ、人々の健康は製薬会社の利益に対する障害物とみなされているのです。そして、この2年間、スキャンダラスな自然権剥奪を正当化するために、パンデミックの緊急事態が押しつけられてきたように、すでに彼らは新しい緊急事態を計画しています。それは、気候緊急事態、コンピューター緊急事態、エネルギー緊急事態、戦争緊急事態などであり、そのすべては、引き起こされたこの災難を悪化させ、恒久化することを意図したものなのです。

「皆さんを統治する人々が権力を行使するのは、皆さんの利益のためではなく、むしろこのグローバリスト・エリートの利益を実現させるためなのです」

このクーデターを経験したのはオーストラリア人の皆さんだけではなく、憲法上の権利が侵害され、法の支配という最も基本的な原則が否定されたのも、皆さんだけではありません。皆さんを統治する人々が権力を行使するのは、皆さんの利益のためではなく、むしろこのグローバリスト・エリートの利益を実現させるためなのです。その利益とは、経済的性質と思想的性質を持つ利益であって、中身は、「グレート・リセット」によって富と権力を収奪すること、中国共産党独裁政権によって実験された社会信用システムの奴隷にすること、そして、法律で全ての人に強制される実験的血清によって免疫系を破壊された慢性疾患者の集団にすること、なのです。明日、戦争という口実のもと、彼らはこう言うでしょう。消費財の需要が増加し、ガスが入手できにくくなるため、新たな制限と新たな放棄が不可欠であり、自分たちの不幸な決断のもたらす悲惨な結果の代償を大衆に支払わせるのだ、と。

これらのことはすべて、不幸な偶然の積み重ねではなく、細部まで準備され、自らの建築家によって発表された犯罪計画の成果なのです。国連の「アジェンダ2030」と世界経済フォーラムの「グレート・リセット」は、世界各国の政府に押し付けられた台本であり、ほとんどがクラウス・シュワブの「明日のための若きリーダーたち」プログラムで訓練された民間の超国家機関の使者たちである人々によって作られたものです。それは、世界の平和、個々の国の主権、そして市民の生活そのものを脅かす破壊的なプロジェクトです。もし政府の指導者、裁判官、法執行機関のメンバーの共犯を利用しなかったならば、すでに非難され、断罪されていたであろうプロジェクトなのです。

「国民経済の破壊は最終目的ではありません――この破壊は、反キリストの出現の前提となる新世界秩序の確立を不可逆的にするためという目的の手段に過ぎないのです」

しかし、私たちは騙されるのを許してはなりません。国民経済の破壊は最終目的ではありません――この破壊は、反キリストの出現の前提となる新世界秩序の確立を不可逆的にするためという目的の手段に過ぎないのです。なぜなら、彼らが望んでいることは、世界の金融を適切に掌握するだけでなく、それによって皆さんのあらゆる行動を決定する力を持ち、何が正しくて何が間違っているかを確立し、皆さんのあらゆる動き、行動、思考の一つ一つを支配すること――皆さんを奴隷にし、皆さんを強制的に、アイデンティティーを持たない霊魂なき機械人形にすることなのです。

そのすべての背後には、「初めから人殺し」である人類の敵による地獄の働きがあるのを認めないわけにはいきません。彼は、真、正義、美であるすべてのものを憎んでいます。なぜなら、彼はそこに、創造主、主、贖い主である天主の完全性の光を見いだすからです。人間は天主の似姿として創造されましたが、サタンはこの天主の刻印そのものを取り消して、子どもの無垢なほほ笑みを絶やし、人々の正直さと正義を堕落させ、善への衝動を妨げ、不正で罪深く、悪質で、非人間的なものすべてを促進させようと望んでいるのです。サタンは、肉体と霊魂の両方が死に支配され、天主の法と福音の優しいくびきが、悪と反抗と憎悪の忌まわしい専制に取って代わられる世界を望んでいるのです。

「悪に打ち勝つ唯一の方法は、善をもって悪に対抗することです。この反キリスト教的の独裁体制を倒す唯一の方法は、皆さんの人生、皆さんの仕事、家族、そして国家で、王たるキリストに支配していただくことなのです」

親愛なるオーストラリア人の皆さん、この歴史的な戦いは、以下のことを知った上で戦わなければならないということを理解するよう、私は皆さん全員に強く勧めます。それは、私たちの主イエズス・キリストに立ち返ることによってのみ、皆さんが悪魔を打ち負かすことができるということ、主の掟に従うことによってのみ、皆さんが祖国に自由と調和と繁栄を見いだすことができるということ、キリストが支配するところでのみ、キリストの平和も支配することができるということです。Pax Christi in regno Christi.(キリストの支配によるキリストの平和)

もし皆さんが、主の御怒りを招き続け、主の法に違反し、主の御名を冒涜するために自由を求めるなら、皆さんの抵抗はすべて無駄であり、失敗に終わるでしょう。悪に打ち勝つ唯一の方法は、善をもって悪に対抗することです。この反キリスト教的な独裁体制を倒す唯一の方法は、皆さんの人生、皆さんの仕事、家族、そして国家で、王たるキリストに支配していただくことなのです。また、キリストとともに、御摂理の命令によって、いにしえの蛇の頭を踏み砕き、悪しき者【悪魔】を決定的に破壊する聖母、元后たる至聖なるマリアに支配していただくことができますように。

ですから、皆さんの行動の一つ一つを、私たちの主と無原罪の童貞のご保護のもとに置き、天主の恩寵のうちに身を置きながら、信仰をもって祈ってください。聖なる四旬節の始まりは、超自然的な精神をもって、苦行、断食、犠牲を捧げ、この世が与えることのできない平和、私たち全員を天主の父性を共にする兄弟姉妹とする一致、道、真理、命であるキリストに基づく自由を、天主の御稜威に懇願するようにすべての人を駆り立てるのです。

「キリスト信者の助け」なる南十字星の聖母、そしてオーストラリアの保護聖人である聖フランシスコ・ザビエルが、皆さんを祝福してくださいますように。私も皆さんを祝福します。
in nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti. Amen.(聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。)

大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2022年2月27日
五旬節の主日
Dominica in Quinquagesima

動画

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Archbishop Viganò Addresses Locked Down Australia

 

 

 


【参考情報】ヴィガノ大司教:ロシアとウクライナは今日、キリスト教文明の復興において歴史的な役割を担い、世界に平和の時代をもたすことに貢献できる。

2022年03月17日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教:グローバリストは新世界秩序の専制政治を確立するためにウクライナの戦争を扇動した(その2)

Abp. Viganò: Globalists have fomented war in Ukraine to establish the tyranny of the New World Order

2022年3月7日(月曜日)

その1からの続き】

法と基準への敬意

NATO、米国、欧州連合によるウクライナへの介入は、正当性がないように見えます。ウクライナはNATOの加盟国ではないため、加盟国の防衛を目的とする団体の支援の恩恵を受けることはできないはずです。数日前にゼレンスキーを招聘した欧州連合も同様です。一方、ウクライナは2014年以降、米国から25億ドル、さらに2021年だけで4億ドルを受け取っており(こちら)、その他にも合計46億ドルの資金を獲得しています(こちら)。

プーチンの側は、ウクライナを破綻から救うために150億ドルの融資を行っています。欧州連合側は、個々の国から送られる資金に加えて、1700万ドルの資金を送りました。しかし、これらの支援は、ウクライナの人々にとって最低限の恩恵にしかなっていません。

さらに、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は、欧州連合の名によりウクライナの戦争に介入することで、リスボン条約第9条、第11条、第12条に違反しています。この分野における欧州連合の権限は、欧州理事会と上級代表のものです。いかなる場合も、欧州委員会委員長には属しません。フォン・デア・ライエン委員長は、どのような立場で欧州連合のトップであるかのように振る舞い、自分に属さない役割を簒奪しているのでしょうか? 特に、ロシアの報復の可能性によって欧州市民がさらされている危険を考えると、なぜ誰も介入しないのでしょうか?

さらに、現在ウクライナに支援や武器を送っている国々の憲法は、多くの場合、紛争に突入する可能性を規定していません。例えば、イタリア憲法の第11条にはこうあります。「イタリアは,他国民の自由を侵害する手段および国際紛争の解決手段としての戦争を否認する」。NATOや欧州連合の一員ではない国に武器や兵士を送ることは、その国と交戦関係にある国(この場合はロシア)に対する事実上の宣戦布告に当たるため、イタリア憲法78条「(議会の)両院は,戦争状態を決定し,政府に必要な権限を与える」が予見しているように、宣戦布告の事前審議が必要なはずです。

今日に至るまで、両院がこの意味での意思表示を求められたことはなく、共和国大統領が憲法の条項の遵守を要求するために介入したこともないように思われます。イタリアの破壊と超国家的権力への決定的な隷属のためにグローバリストの陰謀団によって任命されたドラギ首相は、市民の意志を世界経済フォーラムのアジェンダの実行を妨げる厄介な障害と考えている多くの国家政府の長の一人です。この2年間、基本的権利と憲法を組織的に侵害してきた彼が、自分を権力の座に就かせた人々の利益よりも、イタリア国民の利益を優先させたいと思うとは考えにくいのです。それどころか、彼の政府が採用した制裁措置の効果が悲惨であればあるほど、彼は自分に権力を与えた人々から評価されていると考えることができるでしょう。サイコパンデミックの緊急事態によって引き起こされたクーデターは、今日も、意気地なしの議会によって批准された、新しい不幸な決定によって進行しているのです。【参考資料:イタリア憲法日本語訳

また、イタリア市民、それも政府の多数派メンバーや政治指導者が、外国の軍団への入隊を求めるウクライナ大使による訴えに応じることを認めることは、イタリア刑法第288条に違反します。「何人も、(イタリアの)領土で、政府の承認なしに、外国に有利になるように市民を(軍隊に)入隊させたり、武装させたりした者は、4年から15年の期間、禁固刑で罰せられる」。少なくとも今のところ、この犯罪に責任ある人々を罰するために介入した裁判官はいません。

もう一つの違反は、2004年法律第40号に違反して、イタリアの夫婦が申し込んだ代理母出産によって得られた子どもを、ウクライナからイタリア(おそらく他の国も含む)に移送する行為に見られますが、この犯罪の犯人や共犯者には何の罰も科せられていないのです。

また、忘れてはならないのは、ロシア連邦とその大統領に関する政府メンバーあるいは政治指導者の発言や、ロシアに対して採られた制裁措置、また、ロシア人であるという事実だけでロシア市民、企業、芸術家、スポーツチームに対する恣意的な差別が繰り返されていることは、ウクライナ危機を穏やかで平和的に解決するために避けなければならない挑発であるだけでなく、イタリア市民の安全(およびロシアに対して同様の態度を採用している他の国々の市民の安全)を大変な危険にさらしている、ということです。このような軽率な行動を取る理由は、相手の反応を誘発しようとする意図的な考えがない限り、理解できないものです。

ロシアとウクライナの紛争は、ウクライナ、ロシア、そして欧州諸国に対して仕掛けられた非常に危険な罠なのです。

ウクライナは熟練の処刑人の最新の犠牲者

ロシア・ウクライナ危機は、1カ月前に突然発生したものではありません。それは長い間準備され、煽られてきたもので、米国のディープ・ステートが反ロシアの鍵として望んだ2014年のホワイト・クーデターから始まっているのは確かです。このことは、「ロシア人を殺すための」CIAによるアゾフ大隊の訓練(こちら)により、さらに2015年に議会が行った同大隊への援助を禁止する修正案の取り消しをCIAが強要したことで、とりわけ疑問の余地のない事実として証明されています。

ジョー・バイデンやハンター・バイデンによる介入も、同じ方向に向かっています。このように、NATOの東方への容赦ない拡大と一致する、長期的な計画性の証拠があるのです。「ユーロマイダン」のカラー革命、および世界経済フォーラムとジョージ・ソロスが訓練した「新支配層」(homines novi)で構成される親NATO政権の樹立は、ウクライナをNATO圏に従属させ、ロシア連邦の影響から取り除くための条件を整えることを意図したものでした。この目的のために、メディアのプロパガンダに支えられた、このハンガリーの慈善家【ジョージ・ソロス】のNGOの破壊活動は、ゼレンスキーのスポンサーであるのと同じ人々によって資金提供された、ネオナチの準軍事組織の犯罪について沈黙を守っているのです。

しかし、西側諸国の主流メディアが行った洗脳が、現実を完全に歪曲した物語(ナラティブ)を伝えることに成功したとすれば、ウクライナに対しては同じだとは言えません。ウクライナ国民は、権力にある政治階級の腐敗と、それがウクライナ国民の真の問題から遠ざかっていることをよく認識しています。私たち西側諸国は、「オリガルヒ」はロシアにしかいないと信じていますが、実際には、「オリガルヒ」はかつてソ連を構成していた国々全体に存在し、彼らが外国の「慈善家」や多国籍企業の意のままになるだけで、自分の富と権力を蓄積することができるのです。彼らの海外のオフショア口座が、これらの国の市民の貧困、医療制度の後進性、官僚の過剰な権力、公共サービスのほとんど皆無、戦略的企業の外国支配、主権と国家のアイデンティティーの漸進的喪失の主要原因であるかどうかは、彼らにとってほとんど問題ではありません。それよりももっと重要なことは、自分たちが「金を稼ぐ」こと、政治家、銀行家、武器商人、国民を飢えさせる者とともに、自分たちが不滅であることなのです。

そして、ヴェルシリアやアマルフィ海岸のおしゃれなリゾート地にやって来て、故郷の親戚にわずかな給料を送金するオデッサ出身のウェイターやキエフ出身の掃除婦に、ヨットやプラチナカードを見せびらかすのです。キッパをかぶったウクライナの億万長者たちは、腐敗し堕落した西側にウクライナを売り渡し、自分たちの幸福と引き換えに、同胞を、世界を支配している利権屋の奴隷とし、どこでも同じ冷酷で不道徳なシステムを使っている人々なのです。彼らは過去には、アテネやテッサロニキの労働者の給料をカットしましたが、今日では、単に欧州全体にその領域を広げただけであり、人々は、最初は健康独裁、次は環境独裁が押し付けられる中、いまだに信じられない思いでこれを見ているのです。

一方、戦争という口実がなければ、どうやってガスや燃料の価格高騰を正当化し、貧しい大衆を支配するために高みから押し付けられた「環境保護的な」(ecological)転換のプロセスを強要できたでしょうか? パンデミックという茶番劇が解明され、巨大製薬会社が犯した人道に対する罪が明るみに出たとき、彼らはどうやって西側世界の人々に、新世界秩序の専制政治の確立を呑ませることができるのでしょうか?

EUや政府首脳が差し迫った災難をロシアのせいにしている間に、西側エリートは、ホロドモールの恐怖を世界規模で適用するために、農業の破壊を望んでさえいることを示しています(こちら)。【注:ホロドモールは、ウクライナで1932年から33年にかけてスターリンによって計画的に起こされた人工的大飢餓のこと】

一方、多くの国々(イタリアを含む)で、水路の民営化が理論化されています――水は放棄されえない公共財です――それは、多国籍企業の利益のためであり、目的は、農業活動を管理し制限することです。親NATOのキエフ政府は、8年間、クリミアからドニエプル川の水を奪い、畑の灌漑を妨げ、国民を飢えさせたのです。今日、ロシアに課せられている制裁と穀物供給の大幅な減少を考慮すると、ビル・ゲイツが農業に巨額の投資を行っていることが理解できます(こちら)。ワクチンキャンペーンで経験したのと同じ冷酷な利潤追求の論理に従ったものなのです。

ウクライナ国民は、どの民族に属していようとも、超国家的全体主義体制によって知らないうちに人質となってしまった最新の人々に過ぎません。この体制は、世界人口を減少させ、残った者を回復不可能なほど免疫力の低下した慢性的な病気の患者に変える必要性について公に理論化した後、コロナウイルス感染症という欺瞞によって、全世界の国民経済を屈服させたのです。

ウクライナ国民は、NATOやEUの介入を求めることについて、よく考えるべきです。ただし、それを行うのが本当にウクライナ国民であって、権力者に雇われた人種差別主義の傭兵やネオナチ集団の助けを受けている腐敗した支配者ではないとするならば、です。なぜなら、ウクライナ国民は、侵略者――かつて大ロシアの一部であったという共通の宗教的・文化的遺産を共有する――からの自由を約束されていますが、実際には、皮肉なことに用意されているものは、彼ら自身の決定的な取り消し、つまり、アイデンティティーや主権、国境といったものの保護を除いてすべてを予見している「グレート・リセット」の奴隷となることなのです。

ウクライナ国民に、欧州連合の国々に何が起こったかを見てもらいましょう。繁栄と安全保障という幻想は、ユーロとブリュッセルのロビーが残した瓦礫をよく考えてみれば消え去ります。犯罪や売春を増大させる不法移民に侵略され、「政治的に正しい」イデオロギーによって社会構造が破壊され、無謀な経済・財政政策によって故意に破産に向かわされ、労働・社会保障の保護が取り消され、家族の破壊と新しい世代の道徳的・知的腐敗によって将来を奪われた国々です。

かつては繁栄し独立した国家であり、それぞれの民族的、言語的、文化的、宗教的特質を持つ国々が、今では理想もなく、希望もなく、信仰もなく、支配する者たちの虐待や犯罪に対抗する力さえもない、形のない人々の集団と化してしまいました。

企業の顧客集団となりさがり、詐欺の証拠を前にしても、パンデミックという茶番劇によって押し付けられた詳細な管理システムの奴隷のままなのです。QRコードでしるしを付けられ、まるで集約農場の動物のように、あるいは巨大なショッピングセンターの商品のように、個人のアイデンティティーを持たない人々の集団。もし、これが、すべての国――例外なくすべての国!――EUという巨大な詐欺に身を任せたすべての国が、国家主権を放棄した結果だとすれば、なぜウクライナが違うはずだというのでしょうか?

ドニエプル川のほとりでウラジーミル大公とともに洗礼を受けたとき、皆さんの父祖が求めたもの、希望したもの、望んだものとは、こういうことなのでしょうか?

この危機の中で、私たち一人一人が認識できる好ましい面があるとすれば、それは、グローバリストの専制政治の恐ろしさ、その冷酷な冷笑主義、触れるものすべてを破壊し消滅させるその能力を明らかにしたことです。EUやNATOに加盟すべきなのはウクライナ人ではありません。むしろ他の国々こそが、最終的には誇りと勇気に揺り動かされてEUやNATOを離れ、この憎むべきくびきを振り払い、自らの独立、主権、アイデンティティー、信仰、そして何よりも魂を再発見すべきなのです。

はっきりさせておきましょう。新秩序は逃れられない宿命ではなく、世界の人々が、明らかに犯罪者だとわかる寡頭制に欺かれ、だまされてきたことに気づきさえすれば、覆すことも糾弾することもできるということです。彼らはいつか、今日自分たちの前に屈服しない人には誰でも平気で適用している制裁や資金ブロックの責任をとらなければならないのですから。

第三のローマ【モスクワ】に訴える

ロシアにとっても、この紛争は罠です。なぜなら、商業的・文化的関係においてロシアを欧州の文脈から決定的に追い出し、中国の腕の中に押し込むという米国のディープ・ステートの夢が実現するからです。おそらく、北京の独裁者がロシア人を説得し、これまでロシアが少なくとも部分的には回避できてきた社会信用制度やその他の「グレート・リセット」の側面を受け入れさせることができるという希望を米国ディープ・ステートが抱いているのでしょう。

この紛争が罠だという理由は、ロシアがウクライナから過激派グループを「排除」し、ロシア語を話すウクライナ人に保護を保証したいと考えるのが間違っているからではなく、まさにこうした理由(理論的には筋が通っている)が、ロシアを刺激してウクライナに侵攻するように仕向けるために、ディープ・ステートやグローバリスト・エリートが以前から準備していたNATOの反応を引き起こすような形で、特別に作られたからなのです。

この詭弁は、紛争の真の加害者たちが、プーチンからまさにそのような反応を得られると知って、意図的に計画したものなのです。そして、プーチンが正しいかどうかは別として、その罠にはまらず、逆にウクライナに紛争を継続しない名誉ある和平の条件を提示することが重要なのです。プーチンは自分が正しいと思えば思うほど、挑発に乗らず、国家の偉大さ、国民への愛情を示す必要があります。

預言者イザヤの言葉を繰り返すことをお許しください。
Dissolve colligationes impietatis, solve fasciculos deprimentes, dimitte eos qui confracti sunt liberos, et omne onus dirumpe; frange esurienti panem tuum, et egenos vagosque induc in domum tuam; cum videris nudum, operi eum, et carnem tuam ne despexeris. Tunc erumpet quasi mane lumen tuum; et sanitas tua citius orietur, et anteibit faciem tuam justitia tua, et gloria Domini colliget te.
【不正の鎖を破り、くびきの結びを解き、虐げられる者を自由に放ち、すべてのくびきをほどくことだ。パンを飢える人に与え、屋根を持たぬあわれな人を宿らせ、裸の人を見て服を着せ、肉身の者をないがしろにしないこと、これではないか。そうすれば、光は暁のようにのぼり、傷は早く閉じ、おまえの前を正義が歩み、後ろに主の栄光がつき従う(イザヤ58章6-8節)。】

伝統的な社会の解体が準備されている今の世界の危機は、カトリック教会をも巻き込んでおり、位階階級は権力の廷臣である背教者たちによって人質に取られています[4]。かつて、教皇たちや高位聖職者たちは、王の中の王であるイエズス・キリストの声によって語ることを知っていたため、世間体を気にすることなく王と対峙していた時期がありました。

チェザルたちと教皇たちのローマは、今や責務を放棄し、沈黙しています。それはちょうど、何世紀にもわたって第二のローマであるコンスタンティノープルが沈黙を守ってきたように、です。おそらく御摂理は、第三のローマであるモスクワが、今日、世界の目の前で、反キリストに対する終末論的障害物である「κατέχον(カテコン)」(テサロニケ後書2章6-7節)の役割を担うよう命じたのでしょう。共産主義の誤謬がソ連によって広められ、教会の内部にまで押しつけられるという段階にまであるとすれば、ロシアとウクライナは今日、キリスト教文明の復興において歴史的な役割を担い、世界に平和の時代をもたすことに貢献できるのであり、それによって、教会もよみがえり、その役務者は清められ、新たにされるのです。

米国と欧州諸国は、ロシアを疎外するのではなく、むしろロシアと同盟を結ぶべきです。それは、すべての人の繁栄のための貿易の回復のためだけでなく、キリスト教文明の再建のためであり、それだけが、世界をグローバリズムのテクノヘルス・トランスヒューマンの怪物から救うことができるのです。

最後の考察

世界の諸国民の運命が、エリートの手に握られていることに大きな懸念があります。彼らは、自らの決定について誰にも説明責任を負わず、自分より上位の権威を認めず、自らの利益を追求するために、その役割にある政治家や主流メディアの共謀をもって、安全保障や経済、何十億もの人々の生活そのものを危険にさらすことを躊躇しないのですから。事実の偽造、現実のグロテスクな改ざん、ニュース拡散の際の党派性は、反対の声の検閲と並んで、ロシア市民に対する民族的迫害の形を取るに至っています。ロシア市民らは、民主的で基本的人権を尊重すると言っている、まさにその国々で、差別されているのです。

新世界秩序の圧制に対抗して世界の諸国民を団結させる反グローバリズム同盟の設立を求める私の訴えが、共通善、国家間の平和、すべての国民の調和、すべての市民の自由、新しい世代の未来を切望する諸国民によって受け入れられることを、私は切に希望しています。そして、それ以前に、私の言葉が――多くの知的に誠実な人々の言葉とともに――、ウクライナでの戦争に関する大きな不安の時でさえ、嘘と欺瞞を利用して自らの犯罪を正当化する人々の共謀と腐敗を明るみに出すことに貢献しますように。

「不正の中で弱くならないように、強者が私の声に耳を傾けますように。もし権力者がその権力を破壊ではなく、人民の支援、秩序と仕事の平穏のための保護を望むなら、私の声に耳を傾けますように(ピオ十二世、「戦争の危険が差し迫っている世界の国家指導者と国民へのラジオメッセージ」、1939年8月24日)」。

聖なる四旬節が、すべてのキリスト信者を、天主の聖なる法を踏みにじる者たちの天主の御稜威に対して罪の赦しを求めるように導きますように。苦行と断食が、主なる天主があわれんでくださるよう促す一方で、私たちが、預言者ヨエルの次の言葉を繰り返すことができますように。
Parce, Domine: parce populo tuo; et ne des hæreditatem tuam in opprobrium, ut dominentur eis nationes.

(主よ、赦し給え。主よ、御民を赦し給え。そして、御身の嗣業を非難にさらし給うな、諸国の嘲笑にさらし給うな)(ヨエル2章17節)。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
前駐米教皇大使
2022年3月6日
四旬節第一主日

[2]国家院議員であるロシアの政治家ヴィクトル・ヴラディスラヴィッチ・ズバレフによると、ゼレンスキーはコスタリカのドレスナー銀行に12億ドルを預け、マイアミの別荘を3400万ドルで購入しているとも言われている(こちら)。より包括的なイメージは、ウクライナの独立系調査報道機関Slidstvo-infoによる調査(こちら)を参照のこと。

[3]イタリアのロベルト・チンゴラーニ環境・国土・海洋保全相は数日前、「エネルギー面でも具体的な援助として」ウクライナに石油資源の一部を売却することを決めたが、これはパンデミックの際に彼が中国に数百万個のマスクを配り、その後すぐに北京から買い戻したのと同じである(こちら)。

[4]週刊誌「ファミーリア・クリスティアーナ」(Famiglia Cristiana)は3月6日号で、聖エディジオ共同体の創設者アンドレア・リッカルディの記事について、「戦争を止め、新世界秩序を築こう」という見出しをつけてコメントしている(こちら)。


【参考情報】ヴィガノ大司教:グローバリストは新世界秩序の専制政治を確立するためにウクライナの戦争を扇動した

2022年03月17日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教:グローバリストは新世界秩序の専制政治を確立するためにウクライナの戦争を扇動した

Abp. Viganò: Globalists have fomented war in Ukraine to establish the tyranny of the New World Order

  • ウクライナ国民は、どの民族に属していようとも、超国家的全体主義体制によって知らないうちに人質となってしまったばかりの人々に過ぎない。この体制は、コロナウイルス感染症という欺瞞によって、全世界の国民経済を屈服させた。

2022年3月7日(月曜日)

(LifeSiteNews)―「平和で失うものは何もありません。戦争ではすべてが失われてしまうでしょう。人々に理解力を取り戻させましょう。人々に交渉を再開させましょう。善意と互いの権利の尊重をもって交渉し、真摯で積極的な交渉があれば、名誉ある成功が決して妨げられないことを理解させましょう。そして、集団的であれ私的であれ、熱情の声を沈黙させて、理性をその本来の領域に委ねることで、兄弟たちの流血と祖国の破滅を免れることができれば、人々は偉大だと感じるでしょう―真の偉大さを持って」。

このように、1939年8月24日、ピオ十二世は、戦争が差し迫っていたとき、統治者と諸国民の両方に語りかけました。これは空疎な平和主義の言葉でもなければ、多くの方面で行われていた多数の正義への侵害に加担する沈黙の言葉でもありませんでした。今でも耳にしたことを覚えている人がいるように、そのラジオメッセージで、ローマ教皇の訴えは、実りある和平交渉の前提条件として、「互いの権利の尊重」を呼びかけていました。

メディアの物語(ナラティブ)

ウクライナで起きていることを、主流メディアの重大な捏造に惑わされることなく見てみると、お互いの権利の尊重が完全に無視されていることに気づきます。バイデン政権、NATO、欧州連合(EU)は、ウクライナ危機の平和的解決を不可能にし、ロシア連邦を刺激して紛争を引き起こすために、明らかに不均衡な状況を意図的に維持しようと望んでいるような印象を受けます。ここに問題の深刻さがあります。これは、ロシアとウクライナの両方に仕掛けられた罠であり、グローバリスト・エリートが犯罪計画を実行するために、両者を利用するものです。

民主主義を標榜する国々で賞賛されてきた多元主義と言論の自由が、公式の物語(ナラティブ)に沿わない意見に対する検閲と不寛容によって日々否定されていることは、驚くには値しません。この種の操作は、いわゆるパンデミックの間、標準化してしまい、治験的な血清【いわゆる「ワクチン」】の有効性にあえて疑問を呈したという事実だけで、医師、科学者、反対意見のジャーナリストが、信用を失い、排斥されることになりました。

2年後、副作用と健康上の緊急事態の残念な管理に関する真実が、彼らが正しかったことを証明しました。しかし、真実は頑なに無視されています。なぜなら、真実が、システムが望んでいたこと、そして現在も望んでいることと一致しないためです。

世界のメディアがこれまで、厳密な科学的関連性のある事柄についての恥知らずな嘘をつき、嘘を広め、現実を隠してきたのなら、なぜ、現在の状況において、メディアが知的誠実さを突然見出し、またコロナウイルス感染症で広く否定された倫理規範への敬意をいきなり再発見しなければならないのか、私たちは自問すべきです。

しかし、もしこの巨大な詐欺がメディアによって支持され、流布されたとすれば、国内そして国際的な保健機関、政府、裁判官、法執行機関、カトリックの位階階級自体がすべて、この災難の責任を共有していることを認識しなければなりません――それぞれがそれぞれの領域で、積極的にこの物語に対して支持するか反対しないかによって――この災難は、何億もの人々の健康、財産、個人の権利行使、さらには生命そのものに影響を与えているのです。

この場合でさえ、意図され悪意を持って増幅されたパンデミックを支持してこのような犯罪を行った人々が、戦争によって安全と経済が脅かされたとき、突然尊厳を揺さぶられ、市民と祖国に配慮を示すことができると考えるのは困難です。

もちろん、これは中立的な立場にとどまって、自分の周りで起こっていることを冷静に、ほとんど無関心で見ていたいという人々の賢明な判断であり得るかもしれません。しかし、権威ある客観的な情報源に基づき、事実に対する知識を深め、それを文書化すれば、疑問や当惑は、すぐに憂慮すべき確信になるのが分かります。

経済的な面に限って調べたいと思っても、通信社、政治機関や公共機関それ自体が、少数の金融グループに依存していることを理解するでしょう。この少数のグループは、金と権力による結びつきだけでなく、国家や全世界の政治に対する行動と干渉を指導するイデオロギー的所属によっても結び付いている寡頭制に属しています。この寡頭制は、国連、NATO、世界経済フォーラム、欧州連合、そしてジョージ・ソロスのオープン・ソサエティー財団やビル&メリンダ・ゲイツ財団のような「慈善」団体に、その触手を伸ばしているのです。

これらの組織はすべて私的なものであり、自分たち以外の誰にも責任を負いません。同時に、重要なポストに選出または任命させられる自分たちの代表を通して行動することを含め、各国政府に影響を与える力を持っているのです。彼らは、国家元首や世界の指導者たちからあらゆる栄誉をもって迎えられ、その指導者たちから世界の運命を左右する真の支配者として敬われ、恐れられていることを、自ら認めているのです。こうして、「『国民』の名の下に」権力を握る者【政治家】たちは、気がついてみれば、国民の意思を踏みにじり、その権利を制限しているのです。それは、政治家たちが主人たちに対して従順な廷臣となるため、しかも、誰からも選ばれていないにもかかわらず、政治的・経済的なアジェンダ(行動計画)を国家に命じる主人たちのしもべとなるためです。、

次に、ウクライナ危機に移ります。これは、不条理な権利を主張しようとしている独立した民主国家に対するウラジーミル・プーチンの拡張主義の傲慢さの結果だとして、私たちに提示されています。それによると「戦争屋プーチン」は、祖国の土地、神聖な国境、そして侵害された市民の自由を守るために勇敢に立ち上がった無防備な人々を虐殺すると言われています。したがって、「民主主義の擁護者」である欧州連合と米国は、ウクライナの自治を回復し、「侵略者」を追い出し、平和を保証するために、NATOによって介入しないわけにはいかない、と言われているのです。「暴君の横暴」に直面して、世界の諸国民は共同戦線を張り、ロシア連邦に制裁を加え、「国家の英雄」であり国民の「擁護者」である「かわいそうな」ゼレンスキー大統領に兵士、武器、経済援助を送るべきだとされています。プーチンの「暴力」の証拠として、メディアは爆撃、軍事捜索、破壊の映像を流し、責任をロシアに押し付けようとしているのです。さらに、欧州連合とNATOは、「恒久平和」を保証するために、ウクライナを加盟国として迎え入れるべく、その両腕を大きく広げています。そして、「ソ連のプロパガンダ」を防ぐために、欧州は「ロシア・トゥデイ」と「スプートニク」を閲覧禁止にして、情報の「自由と独立」を保証しているのです。

これが公式の物語(ナラティブ)であり、誰もがそれに従います。戦争中である以上、反対意見は即座に任務放棄(敵前逃亡)となり、反対意見を述べる者は反逆罪となり、多かれ少なかれ重い制裁を受けるに値し、コロナウイルス感染症で、「ワクチン未接種」の人々に対するものとしてよく経験したように、公開処刑と排斥から始まるのです。

しかし、真実は、もし真実を知りたいのならば、物事を違った角度から見ることを私たちに許し、事実がどのように提示されているかではなく、事実が何であるかに基づいて判断することを許してくれます。これは、ギリシャ語のἀλήθεια【aletheia、真理】の語源が示すように、真の正しい啓(ひら)き示しなのです【ギリシア語の「真理」(aletheia)は「隠されていない」という語源を持つ a- "否定" + lēthē "隠れた" < *ladh- "隠された"】。あるいは、終末論的なまなざしで、啓示、ἀποκάλυψις【apocalypse 黙示】というべきかもしれません。

NATOの拡大

まず第一に、嘘偽りのない、また変更することのできない事実を思い出すことが必要です。
検閲しようとする人たちにとってどんなに刺激的であろうとも、事実が私たちに教えてくれるのは、ベルリンの壁が崩壊して以来、米国は政治的・軍事的影響力の範囲を旧ソ連のほぼすべての衛星国に拡大し、最近ではポーランド、チェコ、ハンガリー(1999年)、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロベニア、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア(2004年)、アルバニアとクロアチア(2009年)、モンテネグロ(2017年)、北マケドニア(2020年)に、NATOに加盟させるに至った、ということです。NATOは、ウクライナ、ジョージア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアへの拡大を準備中です。実質的に言えば、ロシア連邦は、国境からわずか数キロメートルのところで、兵器やミサイル基地などの軍事的脅威にさらされていますが、米国の近接したところに同じような軍事基地をロシアは持っていません。

ロシアの正当な抗議を引き起こすとは考えずに、NATOのウクライナへの拡大の可能性を検討していることは、不可解というほかありません。特に、1991年にNATOがクレムリンに対して、これ以上拡大しないことを約束した事実を考えれば、なおさらです。それだけではありません。2021年末、シュピーゲル誌は、米国との条約とNATOとの安全保障に関する協定の草案を掲載しました(こちらこちらこちら)。

モスクワが西側のパートナーに要求していたのは、NATOがウクライナを同盟に加えてさらに東へ拡大しないこと、また旧ソ連の衛星諸国に軍事基地の設置を阻止する法的保証です。この提案には、NATOがロシア国境付近への攻撃兵器を配備しないことと、東欧のNATO軍を1997年の位置まで撤退させるという条項も含まれていました。

このように、NATOは、ロシアとの約束を守らなかった、あるいは、少なくとも、地政学的なバランスにとって非常に微妙な時期に、この状況を敢えて作り出したのです。なぜ米国は、いや、むしろジョー・バイデンをホワイトハウスに押し上げた不正選挙の後に権力を取り戻した米国の「ディープ・ステート」は、ロシアとの緊張関係を作り出そうとするのか、そしてなぜ想像できるすべての結果を伴う紛争に欧州の同盟国を巻き込みたいのか、私たちは自問すべきです。

【イタリア軍の】統合首脳作戦司令部の元司令官マルコ・ベルトリーニ将軍が、明晰にこう指摘しましたが、その通りです。「米国は冷戦に勝っただけでなく、ある意味で影響力の及ぶ範囲にあるものをすべて奪って(ロシアに)屈辱を与えようと望んだのである。(プーチンは)バルト三国、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア(がNATOに加盟するの)を我慢した。黒海へのアクセスの可能性を奪うことになるウクライナ(のNATO加盟)に直面したとき、彼は反応した」(こちら)。

そして、こう付け加えています。「政権の安定性に問題がある。芸能界出身の極めてありえない首相(ゼレンスキー)がいる状況が生じている」。将軍は、米国がロシアを攻撃する場合、次のことを思い起こすのを忘れません。「ウクライナ上空を飛ぶグローバルホークはシゴネラ(イタリア)から出発する。イタリアは大部分が米国の軍事基地である。リスクはそこ【イタリア】にあり、現実に存在している」(こちら)。

ロシアのガス供給を封鎖して利益を増やす

また、私たちが自問しなければならないのは、EUとロシアの間の微妙なバランスを不安定化させる背景には、経済的利益もあるのではないかということです。これは、EU諸国の必要性から来るもので、EU諸国は米国の液化ガスを獲得しなければならず(これに対しては、多くの国が持っていない再ガス化施設も必要で、いずれにせよ、施設建設のためにより多くの費用を支払わなければなりません)、ロシアのガス(これは、より環境に優しい)の代わりにする、ということです。

イタリアの石油ガス会社ENIが、ガスプロムのブルーストリームパイプライン(ロシアからトルコまで)への投資を停止したことは、必然的に追加の供給源を奪われることになります。何故なら、このパイプラインは、アドリア海横断パイプライン(トルコからイタリアまで)にガスを供給するものだからです。

したがって、2021年8月にゼレンスキーが、ロシアとドイツを結ぶノルドストリーム2パイプラインを、「ウクライナだけでなく全欧州にとって危険な武器」(こちら)とみなすと宣言したのは偶然とは思えません。このパイプラインは、ウクライナを迂回するので、キエフから年間約10億ユーロの通過関税収入を奪うものだからです。ウクライナ大統領は、「われわれは、このプロジェクトを安全保障のプリズムを通してのみ捉え、クレムリンの危険な地政学的武器であると考えている」と述べ、バイデン政権に同意しました。米国のヴィクトリア・ヌーランド国務次官は、次のように述べました。「ロシアがウクライナに侵攻するならば、ノルドストリーム2は前に進まない」。ですから、ドイツの投資に深刻な経済的損害を与えつつ、プロジェクト中止が実現したのです。

ウクライナにあるペンタゴンのウイルス学研究所

ウクライナにおける米国の利益ということでは、ペンタゴンの管理下にあるウクライナのウイルス学研究所に触れておく価値があります。この研究所では、外交特権を持つ米国の専門家だけが、米国防総省の下で直接雇用されているように思われるのです。

また、住民に関するゲノムデータの収集に関してプーチンが述べた不満も忘れてはなりません。このデータは、遺伝子選択による細菌兵器に利用可能ですから(こちらこちらこちら)。ウクライナの研究所の活動に関する情報を確認するのが難しいのは明らかですが、ロシア連邦が、これらの研究所が住民の安全に対するさらなる細菌学的脅威となり得ると考えたのは、理由がないわけではないことは理解できます。米大使館は、「生物学的脅威削減プログラム」(Biological Threat Reduction Program)に関するすべてのファイルをウェブサイトから削除しました(こちら)。

マウリツィオ・ブロンデ【Maurizio Blondet イタリア人ジャーナリスト】は、以下のように書いています。

「イベント201」は、パンデミック爆発が起こる1年前に、それをシミュレーションしていた。この「イベント201」には、見た目は害を与えないジョンズ・ホプキンズ大学の恵まれた健康安全保障センターが(いつものビル&メリンダと一緒に)参加した。この人道的機関は、長い間、あまり純真でない名前を持っていた。「民間生体防御戦略センター」(Center for Civilian Biodefence Strategies)と呼ばれ、米国人の健康を扱っていたのではなく、むしろその反対のもの、バイオテロの軍事攻撃への対応を扱っていたのである。事実上、軍民一体の組織である。1999年2月、ペンタゴンのあるアーリントン(バージニア州)のクリスタルシティで第1回の会議を開いたとき、950人の医師、軍人、連邦政府関係者、保健所関係者を集め、シミュレーション演習を行った。このシミュレーションの目的は、「軍事化」された天然痘攻撃を想像して、それに対抗することである。これは、イベント201と「パンデミック詐欺」(Pandemic Imposture)で花開くことになる演習の第一弾に過ぎない(こちら)。ウクライナ軍に関する実験も表に出て(こちら)、2016年には、ウクライナのルチェンコ検事に関して米大使館が介入し、同検事が「G・ソロスとB・オバマの億単位の資金循環」を調査しないようにさせました(こちら)。

中国の拡張主義者の台湾に対する野心への間接的な脅威

今回のウクライナ危機は、中国と台湾の地政学的なバランスに対して、二次的ではあるものの、それでもなお深刻な影響を与えます。ロシアとウクライナしか、マイクロチップの生産に不可欠なパラジウムとネオンの産出国はないのです。【パラジウムはロシアが約4割、ネオンはウクライナが約7割】

「市場調査グループのテクセット社が、多くの半導体メーカーがネオンやパラジウムなどのロシアとウクライナ産の原材料に依存していることを強調する報告書を発表して以来、モスクワの報復の可能性がここ数日で注目されている。テクセット社の推計によると、米国の半導体用ネオンの供給の90%以上はウクライナ産で、米国のパラジウムの35%はロシア産である。(中略)米国際貿易委員会によると、2014年のロシアのクリミア半島併合前にネオンの価格が600%上昇したが、これはチップ企業が一部のウクライナ企業に依存していたためである(略)。」

「中国の台湾侵攻が世界の技術サプライチェーンを危険にさらすことが事実なら、ロシアからの原材料が突然不足することで生産がストップすることによって、この島【台湾】が「マイクロチップの盾」を失い、北京が台北併合を試みるようになることも真実である。」(出典)

バイデンのウクライナにおける利益相反

また、人が深く分析しない傾向にあるのが、2002年からウクライナ市場で操業している石油・ガス会社「ブリズマ」に関連する問題です。

「バラク・オバマの米大統領時代(2009年から2017年まで)、オバマの右腕は、国際政治を扱う「委託権限」を持つジョー・バイデンであった。この時以来ずっと、この米民主党の指導者が提供する「保護」がウクライナの民族主義者に与えられた。これはキエフとモスクワの間の妥協できない不和を生み出した一本の線である。(中略)ウクライナをNATOに近づけるという政策を実行したのは、当時のジョー・バイデンであった。彼は、ロシアから政治的、経済的な力を奪いたかったのである。(中略)近年、ジョー・バイデンの名前は、彼の立候補も揺るがしたウクライナをめぐるスキャンダルとも関連付けられている。(中略)ウクライナ最大のエネルギー企業(ガスと石油の両方で活動)であるブリズマ・ホールディングスが、ハンター・バイデンを月給5万ドルでコンサルタントとして雇ったのは、2014年4月のことであった(中略)。すべて透明であるが例外があった。ジョー・バイデンが、現在ロシアによって承認された共和国となったドンバスのこれらの地域のウクライナによる占有を取り戻すことを目的とした米国の政策を、その数カ月の間続けたことだけは不透明である。ドネツク地域には未開発のガス田が豊富にあるとされ、ブリズマ・ホールディングスがずっとこれを狙ってきている。経済政策と絡めた国際政策は、当時の米国のメディアでさえも鼻でせせら笑いさせた程だった(出典)。」

民主党は、トランプがバイデンの選挙運動に害を与えるためにメディアスキャンダルをつくったと主張しましたが、トランプの非難は真実であることが判明しました。ジョー・バイデン自身が、当時大統領だったペトロ・ポロシェンコとアルセニ・ヤツェニク首相に介入して、ヴィクトル・ショーキン検事総長が、バイデンの息子ハンターを調査しないように阻止したことを、ロックフェラーの外交問題評議会の会合において自分で認めています。

バイデンは、「2015年12月のキエフ訪問の際、米国での10億ドルの融資保証を保留する」と脅していた、とニューヨーク・ポスト紙が報じています。「もし(ショーキン検事総長が)解任されなければ、お金は手に入らない」(こちらこちら)。そして、検事総長はその通りに解任され、ハンターは、さらなるスキャンダルから救われたのです。

バイデンのキエフ政治への干渉は、ブリズマと腐敗したオリガルヒ【旧ソ連地域の新興財閥】への便宜と引き換えに、現職の米大統領が自分の家族とイメージを守ることに関心を持ち、ウクライナの混乱と戦争さえ煽っていることを裏付けています。自分の役割を利用して自分の利益に気を配り、自分の家族の犯罪を隠蔽する人物が、恐喝の対象になることなく、正直に統治できるでしょうか?

【参考資料】バイデンに利用され捨てられたウクライナの悲痛

ウクライナの核問題

最後に、ウクライナの核兵器の問題があります。2022年2月19日、ミュンヘンでの会議でゼレンスキーは、ウクライナの核兵器の開発、拡散、使用を禁じたブダペスト覚書(1994年)を破棄する意向を表明しました。また、この覚書には、ロシア、米国、英国がウクライナの政策に影響を与えるために経済的圧力を行使するのを控えることを義務付ける条項があり、IMFや米国が「グレート・リセット」に沿った改革と引き換えに経済援助を与えることは、さらなる合意違反となります。

ベルリン駐在のウクライナ大使アンドリー・メルニクは、2021年にドイツ公共放送ラジオ(Deutschlandfunk)で、ウクライナがNATOに加盟できなかった場合、核保有国の地位を回復する必要がある、と主張しました。ウクライナの原子力発電所は、国営企業NAEKエネルゴアトムが操業、再建、保守を行っていますが、エネルゴアトムは2018年から2021年にかけてロシア企業との関係を完全に終了させました。エネルゴアトムの今の主なパートナーは、米国政府にたどり着くことができる企業です。ロシア連邦がウクライナの核兵器保有の可能性を脅威とみなし、キエフに核不拡散条約の遵守を要求していることは容易に理解できます。

ウクライナのカラー革命とクリミア、ドネツク、ルガンスクの独立

2013年、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領の政府が、ウクライナと欧州連合の連合協定の停止とロシアとの経済関係の緊密化を決定した後、「ユーロマイダン」として知られる一連の抗議デモが始まり、それは数カ月に渡って続き、ヤヌコヴィッチを打倒して新政府を樹立するに至る革命で最高潮に達しました。これは、ジョージ・ソロスが資金提供した作戦であったと、ソロスはCNNに率直に語りました。「私は、ウクライナがロシアから独立する以前から、ウクライナに財団を持っています。この財団は常にビジネスを行っており、今日の出来事において決定的な役割を果たしました」(こちらこちらこちら)。この政権交代は、ヤヌコヴィッチの支持者と、ウクライナの親西欧化に反対する一部のウクライナ国民の反発を招きました。親西欧化は、国民は望んでいなかったものの、カラー革命によって獲得されたものであり、その総合リハーサルが何年か前に、ジョージア、モルドバ、ベラルーシで行われていたのです。

2014年5月2日の衝突に続き、民族主義の準軍事組織(「右派セクター」などを含む)も介入し、オデッサでの大虐殺もありました。欧米の報道機関も、これらの恐ろしい出来事をあきれ返るように語り、アムネスティ・インターナショナル(こちら)や国連は、これらの犯罪を糾弾し、その残虐性を文書にしました。しかし、今日、ロシア軍の犯罪容疑に対して行われようとしているように、責任者に対する手続きを開始した国際裁判所はありません。

尊重されていない多くの合意の中には、ウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国の代表からなるウクライナに関する「三者連絡グループ」(Trilateral Contact Group)が、2014年9月5日に署名したミンスク議定書もあります。合意のポイントの中には、武装した違法集団、軍事装備、そして戦闘員や傭兵を、OSCEの監視のもとでウクライナ領内から排除し、すべての違法集団の武装解除を行うことも含まれていました。合意内容に反して、ネオナチの準軍事集団は、政府に公式に認められているだけでなく、そのメンバーには公式任務さえも与えられているのです。

また、2014年には、クリミア、ドネツク、ルガンスクがウクライナからの独立を宣言し――国際社会が認めた民族自決の名のもとに――ロシア連邦への編入を宣言しました。ウクライナ政府は、住民投票によって承認されたこれらの地域の独立を認めるのをいまだに拒否しており、ネオナチ民兵や正規軍自身が、住民に対して自由に暴れるのを放置しているのです。これらの団体がテロ組織とみなされているにもかかわらずです。2014年11月2日の二つの住民投票は、ドネツク州とルガンスク州への分権化と特別な地位の形態のみを規定したミンスク議定書の延長線上にあることは事実です。

フランコ・カルディーニ教授【イタリアの歴史家】が最近指摘したように、「2022年2月15日、ロシアはこの状況を終わらせ、ロシア語を話す住民を守るための条約の草案を米国に届けました。それは紙くずです。この戦争は2014年に始まったのです」(こちらこちら)。

そして、それは、ドンバスのロシア系少数民族と戦いたがっていた人々の意向のうちにある戦争でした。「われわれには、これから仕事と年金があるが、彼らにはないだろう。われわれは子どもを持つとボーナスが出るが、彼らには出ないだろう。われわれの子どもには学校や幼稚園があるが、彼らの子どもは地下室にいるだろう。このようにして、われわれはこの戦争に勝つだろう」と、ペトロ・ポロシェンコ大統領は2015年に述べています(こちら)。

こうした措置が、仕事も給料も教育も奪われた、いわゆる「ワクチン未接種者」に対する差別と似ていることに気づかないわけにはいきません。ドネツクとルガンスクでは8年間にわたり爆撃が行われ、数十万人の犠牲者、150人の子どもの死者、そして拷問、レイプ、誘拐、差別といった非常に深刻な事例が発生しているのです(こちら)。

2022年2月18日、ドネツクとルガンスクの各大統領であるデニス・プーシリンとレオニード・パセチニクは、ドンバス人民民兵とウクライナ軍との衝突が続いているため、それぞれの州の民間人のロシア連邦への避難を命じました。2月21日、プーチン大統領がドネツク、ルガンスク両共和国と締結した友好・協力・相互援助条約を、国家院(ロシア議会下院)が全会一致で批准しました。同時に、ロシア大統領はドンバス地域の平和を回復させるために、ロシア連邦から軍隊を派遣することを命じました。

ここで、ネオナチの軍隊や準軍事組織(彼らは鉤十字の旗を掲げ、アドルフ・ヒトラーの肖像を掲示しています)が、独立共和国のロシア語を話す住民に対して露骨な人権侵害を行っている状況で、なぜ国際社会がロシア連邦の介入を非難に値すると感じ、実際に暴力についてプーチンを非難しなければならないと感じるのか、不思議に思うかも知れません。

1991年8月24日のウクライナ独立宣言で有効とされ、国際社会も認めた評判の高い民族自決権はどこにあるのでしょうか? また、NATOが、ユーゴスラビア(1991年)、コソボ(1999年)、アフガニスタン(2001年)、イラク(2003年)、リビアとシリア(2011年)で【ロシアと】同じようなことを行いながら、誰も異議を唱えることないのに、なぜ今日ロシアのウクライナへの介入が問題となるのでしょうか? 言うまでもなく、イスラエルはこの10年間、北部の国境に敵対的な武装戦線が形成されるのを防ぐために、シリア、イラン、レバノンの軍事目標を繰り返し攻撃してきましたが、どの国もテルアビブへの制裁実施を提案することはなかったのです。

欧州連合と米国――ブリュッセルとワシントン――が、いかなる偽善でゼレンスキー大統領への無条件の支持を与えているのかを見るのは、幻滅させられます。ゼレンスキーの政府は、8年前からロシア語を話すウクライナ人を罰せられることなく迫害し続け(こちら)、彼らは自国語で話すことさえ禁じられています。

この国には多くの民族がいて、その中にはロシア語を話す人々が17.2%いるというのにです。そして、ウクライナ軍が人間の盾として民間人を使っていることについても、彼らが沈黙していることはスキャンダラスです。ウクライナ軍は、人口密集地や病院、学校、幼稚園の中に対空兵器を置き、まさにそれらの破壊によって住民の間に死者を出すことができるようにしているのです。

主流メディアは、ロシア兵が民間人を安全な場所に誘導する画像(こちらこちら)や、人道回廊を設置し、そこにウクライナ民兵が発砲する画像(こちらこちら)を見せないように注意しています。

ちょうど、ゼレンスキーが武器を与えた民間人の一部による略奪、虐殺、暴力、窃盗についても沈黙しているのと同じです。インターネット上で見ることのできる動画は、ウクライナ政府によって巧妙に煽られた内戦という見方を示しています。これに、軍に徴兵されるために釈放された囚人や、外国人部隊の志願者も加えることができます。状況を悪化させ、管理不能にすることに貢献する、規則も訓練もない狂信者の集団です。

ウォロディミル・オレクサンドロヴィッチ・ゼレンスキー大統領

多くの党派が指摘しているように、ウクライナのゼレンスキー大統領の立候補と当選は、近年始まった、喜劇俳優や芸能人が政治へ貸し出されるという最近の決まり文句に対応するものです。

ふさわしい「エリートコース」(cursus honorum)にいないことが、機関のトップに立つ障害になるとは考えないでください。その反対です。政党の世界では、見た目が見知らぬ人であればあるほど、その人の成功は権力を保持する人々によって決定されるとみなされるべきでしょう。ゼレンスキーのドラッグパフォーマンスは、欧州のスポンサーが、男女平等、妊娠中絶、「グリーン・エコノミー」と並んで、すべての国が受け入れるべき「改革」アジェンダ(行動計画)の必須条件と考えるLGBTQイデオロギーと完全に一致するものです。WEFのメンバー(こちら)であるゼレンスキーが、シュワブやその同盟者たちの支援から恩恵を受けて政権を取り、ウクライナでも「グレート・リセット」が実行されるようになったのも不思議はありません。

ゼレンスキーが製作・主演した57回にわたるテレビシリーズは、メディアが彼のウクライナ大統領選への立候補と選挙戦を計画したことを示しています。フィクション番組「国民のしもべ」で彼は、思いがけず共和国大統領に就任し、政治の腐敗と戦う高校教師の役を演じました。絶対的に平凡だったこのシリーズが、それでもワールドフェスト・レミ賞(米国、2016年)を受賞し、ソウルドラマアワード(韓国)のコメディ映画部門で最終4候補に入り、ハンブルクのワールド・メディア・フェスティバルでエンターテインメントTVシリーズ部門のインターメディアグローブ銀賞を受賞したのは偶然ではないでしょう。

ゼレンスキーがテレビシリーズで得たメディア上の評判は、彼に1000万人を超えるインスタグラムのフォロワーをもたらし、同名の政党「国民のしもべ」の設立の前提を作り出しました。この政党には、(ゼレンスキー自身やオリガルヒのコロモイスキーとともに)「クヴァルタール95スタジオ」の総支配人かつ株主であり、「TV 1+1テレビネットワーク」のオーナーでもあるイワン・バカノフもメンバーとして名を連ねています。ゼレンスキーのイメージは人工的に作られたもの、メディアのフィクションであって、ウクライナの集団的想像力の中に何とか作り出すことに成功した政治的キャラクターが、フィクションではなく現実に権力を獲得したという、合意形成操作という軍事作戦なのです。

「ゼレンスキーの勝利が見られた2019年の選挙のちょうど1カ月前、彼は会社(クヴァルタール95スタジオ)を友人に売却し、それでも、家族に対して正式に放棄したビジネスの収益を得る方法を見つけていた。その友人とは、後に大統領補佐官に任命されたセルゲイ・シェフィルだった。(中略)株式の売却は、シェフィルが所有し、英領ヴァージン諸島で登記されている会社、マルテックス・マルチキャピタル社の利益のために行われた」(こちら)。

ウクライナの現大統領は選挙運動で、2丁の機関銃を持ち、腐敗やロシアへの従属を指摘された議会の議員に発砲するという、控えめに言っても憂慮すべきCMを流しました(こちら)。

しかし、ウクライナ大統領が「国民のしもべ」の中の役割で喧伝する汚職との闘いは、いわゆるパンドラ文書から浮かび上がる大統領の姿とは一致しません。この文書では、選挙前夜にユダヤ人大富豪コロモイスキー[1]からオフショア口座を通じて4000万ドルが支払われたと見られています(こちらこちらこちら)。[2]大統領の母国では、多くの人々が、彼が親ロシア派のオリガルヒから権力を奪ったのは、ウクライナ国民に権力を与えるためではなく、むしろ自分の利益集団を強化し、同時に政敵を排除するためだと非難しています。

彼は、保守派の大臣たちを清算した。まずは、力のある内務大臣だったアルセン・アヴァコフである。彼は、自分の法律をチェックする役割を担っていた憲法裁判所長官を突然引退させた。彼は、七つの野党のテレビ局を閉鎖させた。彼は、ヴィクトル・メドヴェドクを逮捕し、反逆罪で告発した。ヴィクトル・メドヴェドクは、親ロシア派のシンパであり、とりわけ、彼の政党「国民のしもべ」に続くウクライナ議会の第二党である「野党プラットフォーム・生活のため」の指導者であった。彼はまた、ロシアやその友人と仲良くしている人以外は誰でも疑ってかかるポロシェンコ前大統領を反逆罪で裁判にかけようとしている。人気者の元ボクシング世界チャンピオンのキエフ市長、ヴィタリー・クリチコは、すでに何度も捜索や押収を受けている。要するに、ゼレンスキーは、自分の政治にそぐわない人物を一掃したいように見える(こちら)。

2019年4月21日、ゼレンスキーは、73.22%の得票率でウクライナ大統領に選出され、5月20日に宣誓しました。2019年5月22日、彼は「クヴァルタール95」の局長であるイワン・バカノフを、ウクライナ治安サービスの第一副長官とウクライナ治安サービス中央総局の汚職・組織犯罪対策主管局長に任命しました。バカノフと並んで、世界経済フォーラムのメンバーであるミハイロ・フョードロフ副首相兼デジタルトランスフォーメーション担当大臣の名前を挙げるべきでしょう(こちら)。

ゼレンスキー自身は、カナダのジャスティン・トルドー首相にインスピレーションを受けたと認めました(こちらこちら)。

ゼレンスキーのIMFおよび世界経済フォーラムとの関係

ギリシャの悲劇的な前例が示すように、国家主権と、議会が表す民意は、経済的な性質を持つ恐喝や明白な強要で政府の政策に干渉する国際巨大金融の決定によって、事実上抹殺されます。欧州の最貧国の一つであるウクライナの場合も、例外ではありません。

ゼレンスキーの当選直後、国際通貨基金(IMF)は、自分たちの要求に従わなければ、ウクライナに50億ドルの融資をしない、と脅しました。IMFのCEOであるクリスタリナ・ゲオルギエヴァとの電話会談で、ウクライナ大統領は、ヤキフ・スモリイに代えて、IMFの「命令」(diktats)に従わない、自分が信頼するキリーロ・シェフチェンコを選んだことを叱責されました。アンデルス・オスルンド【ロシア・東欧の経済政策に関与したスウェーデン出身の学者】が「アトランティック・カウンシル」(Atlantic Council)に、こう寄稿しています。

ゼレンスキー政権を取り巻く問題は、心配すべき状況を迎えている。まず、2020年3月以降、大統領のもとで進められた改革だけでなく、前任者のペトロ・ポロシェンコが始めた改革をも覆そうとしている。第二に、同大統領の政府は、ウクライナの未達成の約束に関するIMFの懸念を解消するための、もっともらしい提案をしていない。第三に、同大統領はもはや議会の与党多数派を持たず、改革派の多数派を形成することに無関心なように見える(こちら)。

IMFの介入が、グローバリストのアジェンダ(行動計画)によって決定される経済的、財政的、社会的な政策に自らを合わせるというウクライナ政府の約束を得ることを目的としているのは、明白です。このアジェンダは、ウクライナの中央銀行の政府からの「独立」から始まるのです。つまり、IMFがキエフ政府に対して、お金の発行や公的債務の管理とともに国家主権を行使する方法の一つである、中央銀行に対する正当な支配を放棄するよう求めることを婉曲に表現しているのです。一方、そのわずか4カ月前、クリスタリナ・ゲオルギエヴァは、クラウス・シュワブ、チャールズ皇太子、アントニオ・グテーレス国連事務総長とともに「グレート・リセット」を打ち出したばかりでした。

BCUの新総裁キリーロ・シェフチェンコとともにWEFの好意を得た(こちら)ゼレンスキーの大統領職のもとで、それまでの政権では不可能だったことが可能になったのです。

その1年足らず後、シェフチェンコは自分が従属していることを証明するために、WEFに「中央銀行が各国の気候目標の鍵であり、ウクライナはその道を示している」という論文を寄稿しています(こちら)。こうして、アジェンダ2030は、恐喝のもとに、実行されるのです。

他にも、ウクライナ国立貯蓄銀行(ウクライナ最大の金融機関の一つ)、DTEKグループ(ウクライナのエネルギー分野における重要な民間投資グループ)、Ukr Land Farming(栽培農業のリーダー)など、WEFとつながりのあるウクライナの企業はあります。銀行、エネルギー、食糧は、クラウス・シュワブが理論化した「グレート・リセット」と第四次産業革命に完全に合致するセクターです。

2021年2月4日、ウクライナ大統領はZIK、NewsOne、112ウクライナなど七つのテレビ局を閉鎖しましたが、いずれも自国政府を支持しないという罪を犯していたとされました。アンナ・デル・フレオがこう書いているように。

「この自由破壊的な行為に対する厳しい非難が、欧州ジャーナリスト連盟と国際ジャーナリスト連盟からも寄せられ、閉鎖の即時解除が求められている。この3放送局は、今後5年間は放送ができなくなり、約1500人の雇用が危険にさらされることになる。3ネットワークが閉鎖されるべきだという実際上の理由は、それらが、情報セキュリティーを脅かし、「悪質なロシアの影響」の下にある、と非難するウクライナの政治的頂点の恣意性以外には何もない。ウクライナのジャーナリスト組合であるNUJUからも強い反応があり、何百人ものジャーナリストが自己表現の機会を奪われ、何十万人もの市民が情報を得る権利を奪われていることから、言論の自由に対する非常に重い攻撃だと語っている。」

今見たように、プーチンが非難されていることは、実際には、ゼレンスキーが、そして最近ではEUが、ソーシャルメディア・プラットフォームの共謀を得て行ったことなのです。デル・フレオの記事はこう記しています。

EFJのリカルド・グティエレス事務局長は、こう述べている。「テレビ放送局の閉鎖は、報道の自由を制限する最も極端な形態の一つである。国家は効果的な情報多元性を確保する義務がある。大統領の拒否権が、表現の自由に関する国際基準に全く合致していないことは明らかである」。

欧州における「ロシア・トゥデイ」や「スプートニク」の閲覧禁止措置の後、欧州ジャーナリスト連盟と国際ジャーナリスト連盟がどのような声明を出したかを知るのは、興味深いものです。

ウクライナのネオナチと過激派運動

ロシアの侵略から国民を守るために国際社会から人道的援助を求める国は、集団的想像力の中で、民主主義の原則の尊重と、"過激派イデオロギーによる活動やプロパガンダの拡散を禁止する法律"の制定を際立たせるべきです。

軍事・準軍事活動に従事するネオナチ運動は、しばしば公的機関の公式支援を受けて、ウクライナで自由に活動しています。これらには次のようなものがあります。
ステパン・バンデラのウクライナ国民党組織(OUN)、これは、チェチェンですでに活動していたナチ、反ユダヤ、人種差別の母体を持つ運動で、2013年から2014年の「ユーロマイダン」のクーデター時に結成された極右運動の連合体「右派セクター」の一部です。
ウクライナ反乱軍(UPA)。
UNA/UNSO、これは、極右政党ウクライナ国民会議の準軍事組織です。
コルチンスキー同胞団、これは、ISISメンバーにキエフでの保護を申し出ました(こちら)。
Misanthropic Vision(MD)、これは、19カ国に広がるネオナチネットワークで、キリスト教、イスラム教徒、ユダヤ教徒、共産主義者、同性愛者、米国人や有色人種に対するテロ、過激主義、嫌悪を公に扇動しています(こちら)。

ウクライナ政府は、これらの過激派組織の代表者の葬儀に大統領警護隊を派遣することによって、また、アゾフ大隊を支援することによって、明確な支援を与えていることを忘れてはなりません。同大隊は、アゾフ特殊作戦連隊という新しい名称のもとで公式にウクライナ陸軍の一部となり、また国家警備隊の組織に組み込まれている準軍事組織です。アゾフ連隊は、ウクライナ系ユダヤ人のオリガルヒであるイゴール・コロモイスキー(前ドニエプロペトロフスク州知事)によって資金提供されており、彼はまた、オデッサ大虐殺の責任者とされる民族主義民兵組織「右派セクター」の資金提供者だと考えられています。パンドラ文書でゼレンスキー大統領のスポンサーとして言及されているコロモイスキーと同一人物です。この大隊は、欧州や米国のいくつかの極右組織と関係を持っています。

アムネスティ・インターナショナルは、2014年9月8日にサリル・シェティ事務局長とアルセニー・ヤツェニュク首相が会談した後、ウクライナ政府に対し、キエフ軍とともに活動するボランティア大隊による虐待と戦争犯罪を終わらせるよう要請しました。ウクライナ政府はこの件に関する公式調査を開始し、アゾフ大隊の将校や兵士は誰一人として調査対象にはなっていないと宣言しています。

2015年3月、ウクライナのアルセン・アヴァコフ内務大臣は、アゾフ大隊が「オペレーション・フィアレス・ガード」の訓練任務の一環として、米軍部隊による訓練を受ける最初の部隊の一つになると発表しました。2015年6月12日、米下院がネオナチの過去を理由に、同大隊へのすべての援助(武器や訓練を含む)を禁止する修正案を可決し、米国の訓練は打ち切られました。その後、CIAの圧力により修正案は撤回され(こちらこちら)、アゾフ大隊の兵士は米国で訓練を受けることになりました(こちらこちら)。

「われわれは彼らをもう8年も訓練している。彼らは実に優れた戦士たちだ。そこで、CIAのプログラムが深刻な影響を与える可能性がある」。

2016年、OSCE(欧州安全保障協力機構)の報告書は、アゾフ大隊が捕虜の大量殺害、集団墓地での死体の隠蔽、身体的・心理的拷問技術の組織的使用に責任があることを明らかにしました。ところが、つい数日前、アゾフ大隊の副司令官ヴァディム・トロヤンが、アルセン・アヴァコフ内相によって州地域の警察署長に任命されています。

彼らは、ウクライナ軍とともにロシア兵と戦っている「英雄たち」です。そして、このアゾフ大隊の「英雄たち」は、自分たちの子どもを守るのではなく、あえて少年少女を入隊させて(こちらこちら)子供たちの体を屠所への肉とさせています。

これは武力紛争における未成年者の関与に関する国連子どもの権利条約の選択議定書(こちら)に違反しています。この議定書は、国家の軍隊でも武装集団でも、18歳未満の子どもを強制的に採用したり、あるいは直接戦闘で使ったりしてはならないと定めている特別法的文書です。

必然的に、ドラギのイタリアを含むEUが「反ファシスト」政党の支援を得て提供する殺傷力のある武器は、これらの子どもたちに対して使われることになるのです。

新世界秩序の計画におけるウクライナ戦争

ロシアの放送局に対する検閲は、明らかに公式の物語(ナラティブ)が事実によって反証されるのを防ぐことを目的としています。しかし、西側メディアがビデオゲーム「War Thunder」の画像(こちら)、映画「スター・ウォーズ」のシーン(こちら)、中国での爆発(こちら)、軍事パレードの映像(こちら)、アフガニスタンのフィルム映像(こちら)、ローマの地下鉄(こちら)、移動火葬場の画像(こちら)を、ウクライナでの戦争の最近の実際の場面として、すり替えて見せている一方で、現実は無視されています。

なぜなら、世界経済フォーラムの「グレート・リセット」と国連の「アジェンダ2030」の計画に従って、西側諸国の自由を新たに制限することを正当化する大量破壊兵器として、紛争を引き起こすことがすでに決定されているからです。

ウクライナ国民は、外交で解決できる問題を超えて、グローバル・クーデターの犠牲者であることは明白です。このクーデターは、超国家的権力によって実行されつつあるもので、国家間の平和ではなく、むしろ新世界秩序の専制政治の確立を意図しているの動きと同じものです。つい数日前、ウクライナの国会議員キラ・ルディクは、カラシニコフを持ちながら、フォックスニュースにこう語りました。「われわれはウクライナのためだけでなく、新世界秩序のためにも戦っている」。

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プーチンが繰り返し非難したウクライナの人権侵害とネオナチ民兵の犯罪は、政治的解決を見いだせませんでした。なぜなら、その犯罪は、欧州連合、NATO、米国のディープ・ステートの協力のもと、グローバリスト・エリートによって計画され、煽られたものだったからです。さらにその犯罪は、戦争を不可避なものにしよういう意図のある反ロシア的な色彩を持っており、その戦争の目的は、主に欧州において、エネルギー配給制の強要(こちら)、[3]渡航制限、紙幣から電子マネーへの置き換え(こちらこちら)、デジタルIDの採用(こちらこちら)を押し付けることなのです。

私たちは、理論的なプロジェクトの話をしているのではありません。これらは、個々の国だけでなく、欧州レベルでも具体的に行われようとしている決定なのです。

注[1]2011年、コロミスキーは億万長者のヴァディム・ラビノヴィッチとともに、ユダヤ人欧州議会の共同設立者の一人だった。参照:http://ejp.eu/. なお、ラビノヴィッチは、ゼレンスキーに逮捕された指導者ヴィクトル・メドヴェドクを擁するウクライナの親ロシア政党、「野党プラットフォーム・生活のために」のメンバーである。

【続く】


【参考情報】3月25日、教皇、ロシアとウクライナをマリアの汚れなき御心に奉献

2022年03月16日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

バチカン・ニュースによると、教皇フランシスコは、3月25日、ロシアとウクライナをマリアの汚れなき御心に奉献される、とのことです。

教皇フランシスコは、来る3月25日17時より、バチカンの聖ペトロ大聖堂でとり行う共同回心式で、ロシアとウクライナをマリアの汚れなき御心に奉献される。バチカンのマッテオ・ブルーニ広報局長が声明した。同日、ポルトガルの聖母巡礼地ファティマにおいても、教皇特使として派遣される教皇慈善活動室責任者コンラート・クライェフスキ枢機卿によって、同じ奉献がとり行われる、とのことです。

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3月25日、教皇、ロシアとウクライナをマリアの穢れなき御心に奉献 - バチカン・ニュース

教皇フランシスコは、3月25日、ロシアとウクライナをマリアの穢れなき御心に奉献される。

 

 

願わくはファチマの聖母の御要求に従って、世界中の司教様たちも一致してロシアを聖母の汚れなき御心に奉献してくださいますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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四旬節の平日には集祷文と聖体拝領誦後の祈りの時には私たちを跪かせます。跪いて主に御憐みを乞い願います。更に「主の前に頭を垂れて、主に祈ろう。憐れみを乞い願おう」と祈ります。

2022年03月16日 | お説教・霊的講話

2022年3月6日(主日)四旬節第一主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日聖パウロは書簡でこう言っています。「見よ、今こそ、受け入れられる時だ。見よ、今こそ、救いの日だ。」
今日集祷分では、この40日間で、私たちの霊魂を浄めて下さい、といのりました。

私たちは先週の水曜日に灰を受けて、四旬節に入りました。この教会の精神の中に、四旬節の中に深く入ることに致しましょう。

教会は私たちに、枝の主日で使われた枝を燃やした灰で、私たちの額に付けて、「私たちが一体何であるか」ということを教えてくれました。

「私たちは実は、イエズス・キリストを王として認めて、その為に奉仕して、その王たるキリストを飾る枝である。生き生きとした、青々しい枝である。しかし、もしもそれをしないならば、キリストから離れるならば、地獄の火に焼かれるただの灰にすぎない、塵にすぎない。」

「私たちがあれほどまで愛した、その為にキリストを捨ててしまった、その為に永遠の命を失わせてしまった全ての被造物は、この地上の栄華と、権力と、名声と、名誉と、快楽と、全ては、塵に過ぎなかった。こんなものの為に、私たちはイエズス・キリストを、そして永遠の命を、生き生きとした命を捨てたのか。」

その本当の姿を私たちは知りました。そこでそのことを思い出しながら、教会は、「さぁ、私たちの本当の姿を知りなさい。そして天主に立ち戻りなさい。主の本当の命を、喜びを受けなさい。今こそ救いの日である。四旬節に寛大に入れ」と私たちを招いています。

特に聖伝のミサは私たちに、カトリック教会の伝統的な教えを、祈りを以って、そして体の態度を以って示しています。

主日はもちろんご飯も食べますし、主の復活を祝う日です。しかし四旬節の平日には、教会では毎日ミサが、その日その日のミサがあります。特に通常はなかったことですが、四旬節の平日には集祷文と聖体拝領誦後の祈りの時には私たちを跪かせます。私たちは跪いて、主に御憐みを乞い願います。しかも更にお祈りが加わって、「主の前に頭を垂れて、主に祈ろう。憐れみを乞い願おう」と、私たちにまさにへりくだらさせて祈らせます。私たちは主に対して罪を犯した。私たちはこれを痛悔している。憐れみを乞い求める、という意味です。

まさにこれこそ、カトリック教会の精神です、四旬節の精神です。突っ立っていないで、跪いて、頭を垂れて、主に謙遜に、憐れみを乞い願おう、と。そうすれば主は私たちに、憐れみを溢れるばかりに与えて下さる、と。

そして教会は、私たちがまた命に戻る為にどのようにしなければならないか、ということも教えてくれます。それは三つあります。

一つは「祈り」で、もう一つは「犠牲」で、もう一つは「施し」です。

「祈り」は、イエズス様が40日間の荒野での断食の祈りで、模範を見せて下さいました。「私たちにも同じことをせよ」と招いています。なぜかというと、私たちは精神で、頭で、考えで、イエズス・キリストの御旨よりも、「俺のやりたいこと」「私がやりたいこと」を求めて罪を犯したので、もうそうではなくて、イエズス様に心を上げる、地上のものから離して天主に上げるように、祈りに招いているのです。

第二は、「苦行」です。イエズス様は40日間の断食で、それを示して下さいました。なぜかというと、私たちはこの肉体の快楽を求めて、この肉体の情欲を、禁じられた欲望を求めて、頻繁に罪を犯してしまったからです。どれほど多くの人が、どれほど多く私たちは罪を犯したでしょうか、この肉体を以って。ですから、「肉体を節制しなさい」と、特に断食に招いています。例えば来たる水・金・土は四季の斎日で、伝統的には断食をする日です。40日間、昔は毎日大小斎を守っていました。聖ピオ十世会ではその会員は、四季の斎日と四旬節の全ての金曜日は、少なくとも大小斎をするように、と会則でなっています。

第三は「施し」です。なぜかというと、私たちは頭や、考えや、あるいは肉体のみならず、私たちの持っている所有物で、この地上のものをあまりにも愛着して、罪を犯したからです。「お金が欲しい」あるいは「他のあれが欲しい、これが欲しい、もっと欲しい」と。その為に、嘘や、盗みや、その他の罪を、あるいは殺人、あるいは私たちが口で言うのも恐ろしい罪を犯してきました。それなので、それに打ち勝つ為に、その罪の償いの為にも、この世の罪の償いの為にも、教会は施しをすることによって、主にこの私たちの犯した罪を償え、この地上の愛着から天主への愛へ帰るように、と招いています。聖書には、「施しによって、多くの罪が赦される」ということが書かれています。

主は最後に、三つの誘惑を受けた最後に、この地上を全て見せられて、「さぁ、これをお前にやるぞ。」「サタン、引き下がれ!出て行け!」と言いながら、私たちにその模範を示しています。私たちは天主に仕えなければなりません。

では、愛する兄弟の皆さん、私たちは四旬節の精神の中に深く入って、この四旬節を寛大に送ることに致しましょう。悔悛、心から罪を悔い改めて、祈りを以って心を上げて、天のイエズス様の方に上げて、そして肉体を節制して、全てをイエズス様への愛に御捧げ致しましょう。すると何が待っているかというと、主の溢れるばかりの祝福と、私たちの本当の命への道と、そして特にイエズス・キリストの復活です。

マリア様に最後にお願い致しましょう。良き聖なる四旬節を送ることができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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私たちの今生きている時代は、ますますマリア様を必要としている。人類が、私たちが、天主に対して戦いを挑んでいるから。

2022年03月15日 | お説教・霊的講話

2022年3月5日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(修道院)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は四旬節ですが、初土曜の信心として、聖体降福式をこのミサの直後に行なうので、随意ミサが許されています。そこで今は、聖母の汚れなき御心の随意ミサを行なっています。

この聖母の汚れなき御心への信心は、現代21世紀の私たちにとって非常に大切です。なぜかというと、マリア様は私たちに、最後の手段として、二つの事を与えて下さったからです。一つはこの世を救う為に「汚れなき御心の信心」を、もう一つは「ロザリオ」を使おうと。

私たちの今生きている時代は、ますますマリア様を必要としています。なぜかというと、コロナだけではなくて、世界戦争にまで発展するような時代が今、起こっているかのように思われるからです。これについてはたくさんの方が色々な事を述べています。一体原因は、ロシアだけが一方的に悪かったのでしょうか?それとも一体なぜ、このような事態が起こったのでしょうか?

それは、人類が、とどのつまりは私たちが、天主に対して戦いを挑んで、天主に対して逆らって、背いているからです。

天主が立てた創って下さった、男と女という、この人間を改造しようとしたり、あるいはその天主の秩序を無視しようとしたり、これにあえて逆らったり、結婚の制度を破壊しようとしたり、天主が与えて下さった子供たちを、罪のない子供たちを自分の都合で、利益の為に、大量に殺戮したり、青少年の純粋な心を不潔な教育で汚そうとしたり、あるいはイエズス・キリストの教会に対して嘘のニュースや嘘の情報を流したり、そして教会の美しい姿を汚そうとしたりしているからです。

そうする事のそのしっぺ返しが、それと全く同じ事が、私たちに対して跳ね返ってきているかのようです。

私たちが巷で聞く情報、テレビや新聞などで聞く情報は、あるいは中国や、あるいはロシアの人々が聞く情報とは、正反対の事が言われています。一体どこが本当で、どこが嘘なのか、私たちは眉に唾を付けながら聞かなければならないものがたくさんあります。

なぜかというと、私たちがイエズス・キリストの本当の事について、イエズス・キリストの立てたカトリック教会について、今まであまりにも嘘の情報を流してきて、本当の事を、真理を愛そうとしなかったが為に、誰も嘘に対して戦おうと、「それは嘘だ!」と言う人々がますますいなくなってしまっているからです。

では、これからどうしたら良いのでしょうか?

このような暗闇の中において、私たちはいつも、北極星のような、いつも輝く星を見出しています。荒れ狂う海に、いつも輝くマリア様が、私たちにどこを向いたら良いか、どっちの方に進んだら良いかを示して下さっています。ですからこの四旬節には是非、テレビとかラジオとかを是非止めて、マリア様の方を向いて、マリア様に話しかけて、マリア様の私たちに仰りたい事を聞く事に致しましょう。

良いニュースは、特にヨーロッパでは、オーストリアフランスとか、イタリアとか、ベルギーとか、ドイツとか、スペインとか、さらには、その他の世界中の国々では、多くの今までなかった事が起こりつつあります。

これは政府のレベルではなくて、一般の人々の、ただの普通の人々の間で、マリア様にお祈りをする、色々な所で人々が集まって、ロザリオの行列をする、何千という所でそのような行事が、自然に発生して起こっています。それは今ヨーロッパ中に広まっています。アメリカでもそれが広まっています。おそらくそれが世界中に広がる事を望んでいます。

そして私たちもそれに参加して、今このミサを立てています。マリア様の方を向いて、マリア様の汚れなき御心に対して私たちは、私たちの行くべき道を、方向を、はっきりと定める事に致しましょう。マリア様はファチマで言いました、「私しか、あなたたちを救う事ができない」と。秋田でも言われました、「マリア様しか、私たちを助ける事ができない。」

ですから今日、皆さんが今日はこうやってミサに与って、初土の信心をされる事を非常にマリア様もイエズス様も喜んでおられると思います。そしてこのここから多くの御恵みが、憐れみが、世界中に行き渡ると確信しています。ですから私たちは、戦争がある事を望んでいません、平和を望んでいます。その為に一番良い事は、マリア様に向かう事です。そして今、私たちはこれを続ける事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


四旬節に入ろうとする時「天主への愛に全てを基づかせるように」と教会は招いている。そうでなければ四旬節は全く意味がないものとなってしまうから。

2022年03月14日 | お説教・霊的講話

2022年2月27日(主日)五旬節の主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

来たる水曜日3月2日は、灰の水曜日で、公教会の掟によると、満21歳以上から59歳までの健康な大人、成人男女は大小斎を守る規定になっています。大斎というのは、一日に一回十分な食事を摂る、そして小斎というのは、14歳以上の全ての方が、肉を食べないという事です。教会の規定によれば、一年に二回大小斎の日があって、それは灰の水曜日と聖金曜日です。

それから教会の規定は、「公教会の六つの掟」と言われるものには、まだ他にもあります。「少なくとも一度、御復活祭の頃に聖体拝領する」という事です。もちろん一年の内、いつでも何度でも、御聖体拝領する事が勧められていますが、少なくとも一回は、御聖体拝領を復活祭の頃にする、という事です。それは「復活祭の頃」というのは、日本のカトリック教会の規定によれば、「四旬節の第一主日から三位一体の主日までの期間」の事を、復活祭の頃と規定されています。

また教会の掟には、「一年に一度、少なくとも一回は告解の秘跡を受ける」というものがあります。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日五旬節の主日です。教会は四旬節を直前に、四旬節の精神を私たちに伝えようとしています。ですからこの今日のミサでは、全てのその精神が凝縮されています。

福音ではイエズス様が御受難の予言をされました。私たちを愛する為に苦しみを受けて、そして三日目に復活する、と。まさにこの四旬節の要点です。

そして四旬節は、イエズス様と共に40日間の断食に入ります。これは旧約の時代にいくつかの前兆がありました。モーゼが十戒を受ける前に40日間断食をした、あるいはエリヤが40日間断食をした等。イエズス様ももちろん断食をしますけれども。そして40日間荒れ野で、イスラエルの民がマンナだけを食べて、そしてうずらの肉を食べて養われて、荒地を約束の地まで歩いた、という史実もあります。つまり40日間の私たちの四旬節は、これはイエズス・キリスト様の新約のマンナによってのみ養われる特別な期間である、という事です。

この四旬節を一番よく過ごす為の精神は何なのでしょうか?

聖パウロがその書間で言っています。とても美しい書簡です。どうぞこの書簡を黙想なさって下さい。
「たとえ私が天使と人間の言葉を話したとしても、全世界の言語を話したとしても、もしも天主への愛がなければ、天主への愛に基づいていなければ、それは単なるシンバル、カスタネット、トランペット、全く意味のない雑音に過ぎない。」

「もしも私が全ての預言を知り尽くして、旧約時代の預言を全て知って、そのいかに成就するかを知って、そしてすべての神秘を、天主の奥深い神秘を知り尽くして理解したとしても、そして全てのこの世における知識を持って、天体、天文学や、あるいは宇宙の遥か彼方の星々の動きやその秘密、あるいはこの地球の構造、経済、政治、歴史、その全てを知り尽くしたとしても、そしてこの世が一体何であるかを知り尽くしたとしても、そして更にこの山を、『ここからあっちに動け!』と動かすほどの深い信仰を持っていたとしても、もしもそれが天主への愛に基づいていないならば、天主への愛がないならば、全くそれは意味がない。何でもない。」

「もしも私が持てる財産を全て売り払って、貧しい人に施して、食べ物を与えて、そしてあるいは私の体を焼かれる為に殉教の炎に、あるいは鞭打ちに、どのような苦しみに遭うような事でも耐え忍んだとしても、世界の人々が『えぇっ!』と驚くような事をしたとしても、賞賛したとしても、天主への愛がなければ、全く利益するところがない。愛は忍耐強く、愛は善良である。」

まさに、私たちがこの四旬節に入ろうとする時に、この「イエズス・キリストへの愛、天主への愛に全てを基づかせるように」と、教会は私たちを招いています。もしもそうでなければ、私たちの四旬節は全く意味がないものとなってしまうからです。

では一体どうしたら、私たちもそのイエズス様の愛に基づかせる事ができるでしょうか?愛している、という事の為にはどんなしるしがあるでしょうか?もちろんこれは成聖の状態で、罪のない状態で、罪を赦された状態での事です。ではその状態でどのような事ができるでしょうか?

三つの事ができます。天主を愛しているというしるしが三つあります。一つは「祈り」です。もう一つは「犠牲」です。もう一つは「施し」です。

「祈り」は、なぜかというと、愛するイエズス・キリスト、愛する天主の事を、私たちが頻繁に思い出して、愛する方に愛の言葉を語りかけたい、と思うからです。また愛する方の事を思い出す事によって、私たちはそのイエズス様の事を私たちの頭の中に入れるのみならず、記憶の中に留めるのみならず、イエズス様にもっと近付いて、そしてイエズス様の元に行こうとするからです。それが祈りで、私たちの心を天に上げる事です。それがミサ聖祭で、本当に私たちは教会の前に来て、イエズス様の御前に来て、イエズス様を礼拝して、そしてイエズス様を私たちの心に、体に、受ける事です。祈りは私たちにとって、天主に対する愛の発露となります。

「犠牲」は何かというと、例えば断食や、あるいはその他の償いによって、私たちの心をこの地上の愛着から離して、天主へと向かわせる事です。昔の方々は40日間断食しましたけれども、私たちはどうもそれだけの力が無いようだ、と教会は判断しているようです。ですから最初と最後だけをやれば良い、と非常に優しい態度を示しておられます。私たちはですから少なくとも、罪を断食したり、あるいは私たちのできる事を断食する事に致しましょう。例えばあるいはインターネットを制限するとか、あるいは放棄するとか。あるいはテレビや漫画や映画はもう断食する。あるいはもちろん罪は断食しますけれども、その許されているものだとしても、イエズス様からの愛をちょっと妨害するようなものは、私たちは断食する。あるいは愛の表明として、忍耐をする。何か辛い事があっても、それを黙って忍耐する、聖パウロが言っている通り、「愛は忍耐強く、そして善良である。」“Caritas patiens est, benigna est.”

あるいは第三に挙げられるのは、「施し」です。旧約の時代から、断食したパンを、そのパンを貧しい人に与えるとか、あるいは私たちの持てる地上の良いものを施しの為に使う、などです。

こうする事によって私たちは、イエズス様に対する愛を表明する事ができます。この四旬節は愛の四旬節となりますように、特にお祈り致しましょう。マリア様にお祈り致しましょう。マリア様の御取り次ぎによって、この四旬節を愛の四旬節と変えて下さる事ができますように、マリア様の御取り次ぎによって、私たちの目が開かれますように、四旬節をうまく、聖なるものとして過ごす為に一体何をするか、よく見える事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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ベルナール・フェレー司教とのインタビュー(第2部)。聖ピオ十世会、ミサ、「トラディティオーニス・クストーデス」について

2022年03月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

ベルナール・フェレー司教とのインタビュー(第2部)。聖ピオ十世会、ミサ、「トラディティオーニス・クストーデス」について

Interview with Bishop Bernard Fellay on SSPX, the Mass, Traditionis Custodes - Part 2

2022年2月21日 FSSPX.NEWS

インタビューの第1部では、聖ピオ十世会の総長の職を24年間務めたベルナルド・フェレー司教が、ルイス・ロマン氏の質問に答えています。インタビューの第1部は、こちらでご覧いただけます

ルイス・ロマン氏は、YouTubeやすべてのポッドキャストプラットフォームで、二つの番組のプロデューサー兼ホストを務めています。彼の番組では、福音を伝え、カトリック信仰の美しさと豊かさを、時事ニュースの分析、インタビューなどを交えて掘り下げています。

この翻訳とインタビュー映像のテキストには、編集上の調整が加えられていますが、会話のスタイルは全体的に維持されています。

【ロマン氏】インタビューの第2部では、もう少し典礼に焦点を当てていきます。聖ピオ十世会がなぜ新しいミサを捧げないのか、その理由を説明します。多くの人にとって、新しいミサがあると聞くのは、つまずきです。今日は、そのことについても詳しくお話しします。厳密に言えば、なぜ二つのミサがあるのでしょうか? なぜ聖ピオ十世会は、新しいミサを捧げないのでしょうか? パウロ六世が公布した新しい典礼の問題点は何でしょうか?

さらに、「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)について、また、改革後に置かれてきた、あらゆる種類の禁止事項から、聖伝のミサがどれほど完全に解放されているか、そして、これらの対話に聖ピオ十世会がどのように関与したかを話します。そして、「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)と、聖伝のミサに対する教皇フランシスコの実際の立場がどんなものかについて話します。

聖ピオ十世会は教皇と司教を認めているのか?

【ロマン氏】聖ピオ十世会の皆さんは、今の教皇を認めていらっしゃいますか、教皇フランシスコを認めていらっしゃいますか、それとも教皇座空位論者なのでしょうか?

【フェレー司教】いいえ、教皇座空位論者では絶対にありません。私たちは教皇と地元の司教を認め、また、教皇フランシスコと「una cum」【典文の「共に」】、私たちが捧げるすべてのミサで認めています。その前は、教皇ベネディクト十六世と、さらにその前は、教皇ヨハネ・パウロ二世と…。私たちは教皇の名前を唱え、彼を教皇として認め、また地元の司教をも認めています。

【ロマン氏】地元の司教ですか? 素晴らしい。すごい。アタナシウス・シュナイダー司教とお話ししたとき、私が知らないことをたくさん教えてくださったのを覚えています。彼は聖ピオ十世会についてたくさん語ってくださいました。彼らは現在の危機の現実を認識しているが、教会に忠実である、ということを。素晴らしい。

【フェレー司教】そうです。そして、可能な場合は、もちろん、地元の司教と協力します。なぜいけないのでしょうか? 今、例えば結婚の問題については、私たちは必ずしもそうするのが好きだったわけではありませんでしたが、そのために地元の司教と、さらに緊密な連絡を取らざるを得なくなっています。約90~95%のケースでうまくいっています。

【ロマン氏】それはすごいことです。

【フェレー司教】改善されました。司教の方々は、私たちのことを知るようになり、私たちも司教の方々を知るようになり、うまくいっています。完全にではありませんが、うまくいっています。私にとっては進歩です。

聖ピオ十世会で主日の義務を果たすことはできるか

【ロマン氏】何と素晴らしいことでしょうか。素晴らしいです。司教様にお尋ねします。聖ピオ十世会のチャペルに毎週来ていないカトリック教徒は、たとえば、他の国から来ているとか…あるいは、その人が違ったところでミサに与りたい、と言う場合…その人は、聖ピオ十世会のいずれかのチャペルで、主日の義務を果たすことができますか?

【フェレー司教】(ほほ笑み)私にとって答えは明らかです。

【ロマン氏】(笑い)ええ、分かっています。でも、お尋ねしたいのです。彼らがそれを望んでいますから。

【フェレー司教】はい、はい、もちろんです。その点を証明することができます。教皇様が聖ピオ十世会に告解を聞く権利を与えてくださるのなら、同時に「彼らは正規ではない」「彼らはイレギュラーである」と言うとは想像できないでしょう。非正規の(イレギュラーの)人が、それと同時に告解を聞くことはできません。

告解を聞く権利を与えるということは、今や、天主はご存知です、これらの不正規性に関する問題が解決されたことを示しています。ですから、告解を聞くことができれば、同時にミサを捧げ、ご聖体を与えることができるのです。全部一緒なのです。

さらに、これは笑いをさそうことですが、結婚についての委任(delegation)が明確に言っているのは、聖ピオ十世会の結婚である以上、結婚を祝福する司祭は聖ピオ十世会の司祭であるということです。たとえ教区の小教区教会で結婚式が行われたとしても、それを祝福する司祭は聖ピオ十世会の司祭なのです。もし私たちが非正規だったとしたら、結婚式が禁止されていたとしたら、どうして同時に、私たちがそれらの結婚を祝福すると言えるのでしょうか?

これらは、法的なレベルでは十分に明確とはいえないデリケートな問題なのです。そうです。なぜでしょうか? なぜかというと、私たちは、多くの問題を抱えた非常に深刻な状況にあり、その問題に、教会の非常に深遠な意向、善を見据えた教会の意向を見るからです。善とは何でしょうか? 霊魂の救いです。

教皇フランシスコは、謁見の際、私に、告解を聞くための特権を与えると言われたとき、教皇は2度、3度、「霊魂の救いのためです」と言われました。霊魂の救いという、それ以上の主張はありません。教皇はそう主張しておられます。

教皇はまた、「私はそれを永久に与えます」とも言っておられました(笑)。教皇は、これを何度も言っておられました。公式のテキストとは一致しませんが、教皇の意向をよく表しています。

【ロマン氏】そうですね。教皇のために、たくさん祈らなければなりません。私はみんなに、教皇のために、たくさん祈らなければいけないと言っています。

【フェレー司教】何かがうまくいくたびに、そのことから教会全体がその恩恵を受けるのです。教皇のために祈るのは、とても大切なことです。怒ることはできますが、いつまでも怒っていてはいけません。前に進まなければなりません。聖パウロは、「善をもって悪に打ち勝て」と言っています。

「聖ピオ十世会は古いミサを好む」

【ロマン氏】アーメン、アーメン(その通りです)。司教様、私は人々から質問を受けますから、今お聞きしたいことがあります。これまでお話ししてきた中で、典礼の話がまだでした。

こんなことを言う人々について、聖ピオ十世会の皆さんは何と言われますか。「ああ、そうですか。聖ピオ十世会は(間違った言い方で)古いミサを好むのですね」と。聖伝のミサ、あるいは、カトリックのミサ、全時代のミサと言ってもいいでしょう。私の質問は、なぜ皆さんは、新しいミサを捧げないのか、ということです。

【フェレー司教】ピンからキリまでとでも言いましょうか、さまざまな答えがあります。最も深淵なものではありませんが、誰もが理解できる非常に簡単な答えは、私が大統領を迎えようとするとき、黄金のトランペット、あるいは二流、三流のトランペットが使えるとしたら、三流のトランペットを使うことは大統領に失礼に当たるでしょう。最高のものを使わなければなりません。

さて、ミサの典礼は、天主に栄光を捧げるための最も貴重なものです。最高のものを使わなければならないのです! 劣るものを使うのは失礼です。この議論は最も深いものではありませんが、誰にでも理解できるものです。

もっと真剣な答えはこうです。彼らがこの新しいミサを作ったとき、作った人はブニーニ大司教でした。そしてブニーニは公に、こう発言しました(1964年の「オッセルバトーレ・ロマーノ」(L'Osservatore Romano)に掲載されました)。「祈りは、あらゆる人の障害物になってはならない」。

したがって、当然、その結果はどうなるのでしょうか? 「私たちは、分かれた兄弟にとって障害物となる疑いのあるものをすべて、ミサから取り除きます」です。したがって、典型的にカトリック的なもの、つまりプロテスタントが拒否するものをすべてミサから取り除くと、彼は非常に明確に述べたのです。

それが彼のしたことです。新しいミサはミサであること、有効であるためには十分ですが、あまりカトリック的ではありません。彼らは、カトリック的なものを取り除いたのです。プロテスタントは、ミサの中の三つか四つの教義を否定したということを知っておいてください。その教義を取り除くことは、非常に深刻なことです。それは人々を見捨て、信仰を失う方向へ人々を押しやることになります。

今、多くのそんな人がいます。本当に多くの人が、御聖体における「真の現存」を信じていません。なぜでしょうか? なぜなら、このミサにおける振る舞い方は、私たちの主にふさわしい敬意を払っていないからです。最終的には、信仰を失うのです! 私には分かりませんが、いったいどれだけ多くの司祭が、「真の現存」への信仰を失ったことでしょうか!

私は覚えていますが、約3年前にドイツのトリーア教区で、80%のカトリック司祭が、もう「真の現存」を信じていないことが調査で明らかになりました。ベルギーのある教区では、ある司祭が、教区全体で「真の現存」を信じている司祭は3人だと私たちに言いました。

一般的に言えば、もっと信じている人がいると思っています。しかし、これは深刻なこと、非常に深刻なことです。また、宗教をエキュメニカルに考えると、それぞれの人が、プロテスタント信者として、聖公会信者として救われる、と考えることができるのは、まったく明らかです。違います! そんなことはありません。

このミサで導入されたこれらの信じ込みは、すべて非常に微妙なものです。それは省略によって罪を犯しているのです。【異端】思想が明確に述べられているわけではありません。肯定的・断言的に述べられているわけでもありません。読んでみれば、書かれていないと思うでしょう。そうです、ないのです。つまり【正統信仰が】省かれているのです。存在しないことにしているのです。

最も重要な要素は、まず犠牲の概念、次に司祭を思い起こさせるもの、カトリックの司祭、ミサを唱える司祭が絶対に必要であること、その次に「真の現存」です。これらは、主要なポイントと呼べるものです。それから4番目に言えるのは、ミサは十字架上の私たちの主の犠牲と同一であるという教義です。

これらの現実は陰に隠れていて、日光の中では今は見ることができません。ミサとは何かと人々に尋ねると、パーティーだ、宴会だ、などと答えるでしょう。しかし、誰がカルワリオだと言うのでしょう。私のために死んでくださる私たちの主をそこに目の前にしているのに。それは忘れ去られているのです。だから、こういう理由で、私たちは新しいミサを捧げないのです。

【ロマン氏】ありがとうございます。いいえ、司教様、私はここ(フロリダ)の聖ピオ十世会の司祭の一人に、私は新しいミサの環境で生まれたと話しました。私は新しいミサの侍者もしていました。司教様が言われるように、新しいミサにおいて省かれているものは深刻ですね。少なくとも、私が幼い頃は、まだ少しは敬意がありました。私たちの主を、舌の上で受けたのです。

今、祭壇では、平信徒が祭服をつけずに、手で主を受けていますね。同じノブス・オルド、新しいミサでも、その弊害を目にすることができるほどです。最初に行われた重大な害は、怪物へと変わっています。今、パンデミック以来私たちが経験している困難を経て、さらに悪化しています。

【フェレー司教】そうです。新しいミサが導入されたとき、プロテスタントの人々が貢献したことはご存じでしょう。それは信じられないことです。新しいミサに協力した6人のプロテスタントの牧師がいました。そのうちの一人、マックス・テュリアンは、「これでプロテスタントもローマ・ミサ典礼書でプロテスタントの礼拝を行うことができる。神学的に可能だ」と言いました。

つまり、このミサは、プロテスタントの神学に一致しているということです。もう一人、メッツ(Metz)という人は、「今、ミサでは犠牲の概念が反映されないため、プロテスタントは安心することができる!」と言っています。明らかではないでしょうか?

【ロマン氏】悲しいことです。私は時々、彼ら(新しいミサの創作者)を好意的に解釈して、彼らの意向は、より多くの人々をカトリックに導くことだと信じることがあります。しかし、違います。いったい何年、50~60年も、私たちは新しいミサが引き起こした惨状を目の当たりにしてきたことでしょうか?

【フェレー司教】教会は空っぽになりました。

「スンモールム・ポンティフィクム」の影響

【ロマン氏】そして、カトリック信者は、教会を捨てたのです。それが一番の損害です。長くなってしまったので、そろそろ終わりにしたいと思います。しかし、教皇ベネディクト十六世と「スンモールム・ポンティフィクム」、そしてそれがもたらした影響について少し話をするまでは、終わりたくありません。

私は、「スンモールム・ポンティフィクム」の影響を見ました。「スンモールム・ポンティフィクム」のおかげで、私たちは聖伝のミサを知ることができました。聖ペトロ兄弟会は大きく成長しました。しかし、私は司教様のご意見をお聞きしたかったのです。人々は知らないかもしれませんが、「スンモールム・ポンティフィクム」は、司教様が教皇ベネディクト十六世と交わした多くの会話の結果であることを私は知っています。聖ピオ十世会が教会のためにした良いこと、そのことについて少しお話しいただけますか?

【フェレー司教】私は、一緒に作用した二つのことがあると考えています。一方では、私たちの要請です。私たちはこのテキストを要求しました。私たちは、すべての司祭が聖伝のミサを唱えることができるようにとお願いしました。

1982年に教皇庁で、枢機卿たちの間で議論があったことを、私たちは伝聞ではなく確実に知っています。この会議の結果、枢機卿たちは、「私たちは、典礼的にも神学的にも、(聖伝の)ミサが廃止されたと言うための論拠がない」と言ったのです。

1982年、これらの枢機卿たちは、聖伝のミサが廃止されていないことを知っていました。聖伝のミサは廃止されておらず、神学的にも教会法的にも、そのように言う論拠はないのです。さて、それが基礎となります。それを踏まえて、私たちは(ベネディクト十六世に)要望を出しました。

他方で、教皇ベネディクト十六世は教皇になる前、著書や論文で、典礼改革は教会の荒廃の原因の一つであったと言うほど、典礼改革を嘆いておられました。そこで、教皇になると、是正を図ろうと望んだのです。

それは改革の改革と呼ばれましたが、もっと深く見ていくと、「エクレジア・デイ」(Ecclesia Dei)の2011年4月30日付の公式覚書(ノート)に書いてあるのが分かります。このノートは、この自発教令について解説をしているものです。このノートはほとんど知られていませんが、一読の価値があります。

なぜでしょうか? なぜなら、ここでは教皇の自発教令は普遍的な法であると言われているからです。それは聖ピオ十世会のようなグループだけを考えているのではなく、いや、すべての人のため、すべてのカトリック教徒のためなのです。公布者である教皇の意向は、聖伝のミサ、聖伝の典礼にあずかることを、すべてのカトリック教徒に与えることです。「すべての」です。

したがって、ミサだけでなく、すべての聖伝の礼拝との接触をすべての人に再確立しようという教皇ベネディクト十六世の意向があるのです。

その後、このノートは、ミサ典礼書についてだけでなく、すべての司祭はミサ典礼書だけでなく、聖務日課書も使う自由があると語っていることに注目すべきです。司祭は聖務日課書を問題なく使うことができます。司祭は問題なく儀式書を使うことができます。司教は司教儀式書を使うことができます。

ただ、教区の神学校では、叙階式に司教儀式書を使ってはいけないという制約があります。制約はこれだけです。それ以外のものは、すべて司教が使用できます。ノートは、「司教儀式書」(Ceremoniale Episcoporum)というほとんど知られていない書物にも言及しています。

しかし、その典礼の書物のすべてが、文字通り、言及されているのです。教会のすべての人が、そのレベルに応じて、この典礼を利用することができるのです。つまり、「これは過去を嘆き悲しむ人々のためのものだ」というだけではないのです。いやいや、もっと深い意向があるのです。

教皇ベネディクト十六世は、典礼改革が引き起こした災難を目の当たりにし、その償いをしたいと望み、(聖伝の典礼が)戻ってくることを望んでいるのです。彼は、千年以上にわたって教会を聖化してきたこれらの儀式によって、戻るための道を示したいと望んでいるのです。

それは、信仰を高め、霊魂を養い、勇気と聖徳を与え、完全に狂ってしまったこの世界で前進する力を与えてくれる、確かな聖化の手段です。このことは非常に明確です。私にとって、教皇ベネディクト十六世の意向は最も明確なものです。

彼は司教たちのこと、結果のことを考えたのでしょう。ですから問題のある言葉を少し変えました。しかし、その意向は非常に明確です。この覚書(ノート)は本当に読まなければなりません。

教皇フランシスコは「トラディティオーニス・クストーデス」で何を求めているのか?

【ロマン氏】素晴らしい。そうですね。私も読みましたが、とても良い内容です。「スンモールム・ポンティフィクム」は、それを必要としていた教会にとって、新鮮な空気のようなものでした。さて、最近、教皇フランシスコは、「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)という自発教令を発表しました。

「トラディティオーニス・クストーデス」について教えていただけますか? それは基本的に事態を逆転させるものなのでしょうか? 事態を以前のように変えてしまうものでしょうか? また、この文書に付随するノートについては、どう思われますか?

【フェレー司教】はい…私はこれをあまり良いとは思いません。教皇の立場と正確に一致しているかどうかは分かりません。その可能性はあります…私がこれらの文章の中でブエノスアイレス大司教【教皇フランシスコ】を見ているような部分はあります。しかし、事態を起こしたのは…彼(教皇フランシスコ)なのか、それとも彼に鋭く圧力をかけた周囲の人々なのか…私には分かりません。でも、このレベルでは答えはないし、何も推論できません。

テキストがあり、テキストは客観的です。そこには、信じられないような厳しさ、教会の精神ではない厳しい残酷さがあり、馬鹿げた論拠が付随しています。それは典礼の一致について語っています。しかし、新しいミサで分裂が導入されたことを知っておかなければなりません。

【新しいミサでは】二つのミサがまったく同じであることはありません。この新しいミサを司式するところでは、同じミサを行う二つの小教区はありません! 教会の一致について話すこと、そして他の典礼についてはどうでしょうか? 教会にはたくさんの典礼があります。典礼の一致に問題があったことは一度もありません。

では、なぜ典礼の一致の名の下に、最も古い典礼、最も高貴なもの、最も聖化するものは、廃止されるべきでしょうか? いいえ! そんなことは馬鹿げています。しかも、まったく不当です!  教皇フランシスコの文書には、このような問題があるということも忘れてはならないと思います。

さらに、他にも、私たちが使ってきたものがあります。それは、教書「クオ・プリームム」(Quo Primum)の「特別許可」(indult)と呼ばれるものです。聖ピオ五世が、ローマ典礼を復興させたときのことです。そのため、その典礼はピオ五世の典礼と呼ばれていますが、聖ピオ五世のものではなく、もっと古いものなのですが…そのとき、教皇は、ローマで捧げられていた最も古い、修正されていない典礼を見つけるよう委員会に依頼したのです。

ですから、この典礼は4世紀か5世紀のもので、想像以上に古いものなのです。さて、この典礼を再導入するにあたって、まず教皇聖ピオ五世は、当時の新しい典礼を廃止したのです。しかし、200年以上たった古い典礼は残すべきだとも言っています。この典礼を捧げても、時の終わりまで司祭は罰せられないと述べたのです。

それは、いわゆる「特別許可」です。これは、各司祭が世の終わりまで、罰せられることを恐れず、この(聖伝の)ミサを捧げることができる許可、保護なのです。それはすべての時代を通じて続くものです。それは廃止されることはあり得ません。それは与えられたのです。

「スンモールム・ポンティフィクム」で教皇ベネディクトは、(聖伝の)ミサは廃止されなかった、と言っています。新しい自発教令は、それを廃止していません。それはできないのです!

【ロマン氏】そうです、そのような権力はありません。私は、司教様がそう言ってくれて嬉しかったです。だから、教皇フランシスコが教会を助けてくれるように祈らなければなりません。あの文書が出たとき、(聖伝の)ミサを捧げることができるとまだ書いてあるにもかかわらず、私はとても苦しみました。彼もそれを見ているのです。

【フェレー司教】教皇はどう言われたのでしょうか? このテキストはよく理解できません。また、本当に教皇からの言葉なのかどうかも疑問です。そうだと言う人もいれば、違うと言う人もいます。私には違和感(malaise)が残ります。

教皇から来ている可能性はあります。公式にはそのように発表されているのですから、そう受け止めなければなりません。でも、普段のやり方とは違います。教皇の原則の一つで、教皇自身が私に言われたことですが、時間は空間の上にある、ということです。ここに完全な矛盾があります。

時間と空間は何を意味するのでしょうか。教皇は、思想が広まるには時間が必要であり、無理に広めても全く意味がないと説明されました。もし無理に強制するなら、それが空間と呼ばれるものです。それは矛盾と分裂を生み出します。そしてここでは、まさにそれが起こっているのです。

だから、違和感があるんです。しかし、繰り返しになりますが、それが教皇からではないとは言えません。教皇から来たと発表されているため、そうだとするのですが、私には矛盾が見えます。

シュナイダー司教の文章も読みましたが、この矛盾を指摘しています。そうです。矛盾した文章だから、そう定義することができます。だから、教会の一致の源泉にはなりません。

【ロマン氏】もちろんです。1970年代、1980年代にあったようではないので、少し驚いています。しかし、多くの司教は、ありがたいことに、自分の教区で【自発教令に沿った】変更を行いませんでした。大多数です。非常に急進的な人はそうしましたが、そうでない人が非常に多かったのです。大多数の司教が教皇に行動を求めたという、この文書に付随したノートと、少し矛盾しています。

【フェレー司教】そのこと【大多数の司教が教皇に聖伝のミサを制限する行動を求めたということ】は、事実ではありません。

「エクレジア・デイ」の共同体についてどう考えるか?

【ロマン氏】はい、そうではないと思いました。もしそうだとしたら、その後、彼らはそれを進めていたでしょうから。質問してみましょう。今、聖ペトロ兄弟会、王たるキリスト会、エクレジア・デイの共同体とは違う複数のグループがありますが、彼らは司教様と同じ状況にあるのでしょうか?

【フェレー司教】彼らは決断を下さなければなりません。私たちは、彼らがどのような決断を下すのかを見ることになるでしょう。

【ロマン氏】そうですね。司教様は彼らにどのような助言をなさいますか?

【フェレー司教】宝は彼らに託されたのです。それを失ってはなりません。それがこの件に関する私のアドバイスです。その宝は自分たちのためのものではなく、教会のためのものなのです。

聖ピオ十世会の将来と聖伝

【ロマン氏】アーメン、アーメン(その通りです)。そしてもう一つ、より個人的な質問です。もし将来、ローマが許可を出さなかったら…司教様がずっと年を取られたとき、私たちを守ってくれる他の司教たちとともに、ずっと長生きしていただきたいのですが…もし聖ピオ十世会にもっと司教が必要なときが来たら、司教様は以前と同じことをなさいますか?

【フェレー司教】私たちは、ルフェーブル大司教のときと全く同じように行動します。ですから、緊急性、必要性が生じたとき、そのとき、私たちは同じように行動するでしょう。ローマに要請するのです。その後、ローマの反応次第で、天主さまが何を示してくださるかを見ることになるでしょう。

それは、もう一つの扉であり、おそらく数年後にもっと目に見えるようになるかもしれません。近い将来、カトリック教会の司教たちが、公の場でも私たちをバックアップしてくださることを、私は排除しません。それはありうることです。もしそうなれば、私たちの司教を聖別する必要性が相対化されるかもしれません。

未来は天主の御手に委ねられているのであって、私たちの手に委ねられているのではないのですよ。私たちにとって、重要なのは、事態がどのように展開するか、毎日見守ることです。天主のみ旨と天主の御摂理が、どのように事態を展開させていくかを見ることです。常に御摂理に沿い、決して先回りしないことが大司教の原則でした。

【ロマン氏】アーメン(その通りです)。

【フェレー司教】決断しなければならないときはいつでも、重大な決断であっても、その瞬間に、最も平和的で、慎重で、明確な決断をするために、天主さまは大司教にすべてをお与えになりました。いつでもです。

以前は疑い、疑問、曖昧さ…でも、その瞬間にすべてが明らかになりました。将来についての質問、司教についての質問も、同じことです。天主さまを信頼してください。天主は決して私たちをお見捨てにはなりません。決してです。

天主さまが、自然ではない驚くべき方法で、霊魂を助けておられることを、私は毎日見ています。天主さまは、あらゆるものを利用なさいます。天主は、まず普通の手段によって霊魂をお助けになります。しかし、それで十分でない場合は、目を見張らせるほどの手段でお助けになります。

ルフェーブル大司教は(ダカールで)大聖堂を(夢で)見ました。彼は、天主がどのようにして自分に聖ピオ十世会を設立するように導かれたかを見たのです。これは実際に奇跡と呼べるでしょう。彼はそれを見たのです。これらは天主からのものです。OK、天主は十字架を許しておられます。はい、もちろん、十字架も矛盾も何もかもです。しかし、最後に、天主は物事に方向をお与えになるのです。

それは、霊魂が天主さまを愛するならば、霊魂が天主さまに助けを、恩寵を求めるならば、天主さまは決してこの恩寵を拒まれないというのが、カトリックの基本原理です。決して拒まれません。それは不可能です。約束なさったのですから。

【ロマン氏】アーメン(その通りです)。最後のメッセージをお願いします。この動画を見ている司祭たち、司教たちにも、この世と教会のこの危機の時代について何か言いたいことはおありですか?

【フェレー司教】私にとって最も大切なことは、彼らには、その義務を果たす地位による恩寵があると、強く信じて疑わないことです。支払わなければならないものは支払わなければなりません。彼らはこの恩寵を持っており、この恩寵に頼らなければなりません。天主は使命をお与えになるとき、その使命を果たすための手段をすべて、お与えになります。

今日の世界は困難です。今日の教会の状況は混乱しています。そのため、とても困難なのです。ですから、恩寵はこの時代と同じレベル、この時代に応じたレベルになるのです。そのため、天主の御前で自分の義務を果たすためには、この恩寵を頼りにしなければならないのです。

【ロマン氏】アーメン(その通りです)。素晴らしい。他に何か付け加えることはおありですか?

【フェレー司教】皆さん全員を祝福します。

【ロマン氏】司教様、ありがとうございます。

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Conoce Ama Y Vive Tu Fe con Luis Roman - sspx.org - 02/21/2022


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