局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

お直し願望

2013-07-26 21:35:03 | 着る
外出先のムスメがラインで画像を送ってきた。





どっちがいいか悩んでいたらしい。どうせなら竺仙で買えばいいのに と口から出かかったが、下手に口を出して「じゃ、少しカンパしてよ」とか「一緒に行って選んでよ」などと言われたらめんどうなのでやめておいた。

私は下の藍染の矢絣のものをすすめた。浴衣は藍染のが好きだし、大きな矢絣のモダンさが娘に似合いそうだったから。
旅先で着るらしいけどちゃんと着付けできるのであろうか?

今朝の日経で今年の浴衣の売り上げが去年の2割増しとあったのを読んだけど、確かに今年は浴衣の若い子を目にする。去年までだとお祭りとか花火大会などの時に多かったけど、今年はそれに限らず浴衣の若い子たちが街を歩いている。やっぱり日経の記事だけど、女子会とか飲み会なんかにも示し合わせて浴衣を着る傾向が出てきたのだそうだ。

基本的には浴衣の着付けも着物の着付けも同じだからそれをきっかけにしておいおい着物を自分で着るようになったら、着物好きオバを自認するワタシとしては嬉しいのですが・・・

どうも若い子の着付けを見ると (ん~~お直ししたいっ!)と腕がウズウズしてしまうのである。

昨日も電車の中で見かけた高校生くらいの女の子三人。
自分で着付けたのかお母さんに着つけてもらったのかはわからないが、一番気になったのは下着をつけてないことだった。生地が薄いのか薄い藍地にカラーの浴衣の子の足がすけてみえたのである。専用の下着がなければせめて長めのスリップとかペチコートくらい着た方がいいと思う。

あと、着丈。くるぶしよりかなり上で着てると天才バカボンをほうふつさせる。

そしておはしょり。帯の下からはみ出たところがくちゃくちゃにダーツが入って丸まってるとなんだかちょーちんブルマーみたいである。この場合はつる姫をほうふつさせる(知ってるあなたは同年代)

そして衣紋の抜き方。一人の子はまるで抜いてなく 水前寺清子かジェンヌの入学式みたいであった。それはそれで一つの着方だけど浴衣の場合は暑苦しい。
そしてもう一人は抜きすぎで花魁みたいだった。
衣紋はこぶし一つくらい入るくらいに抜きましょう。

そして若い子全般に言える事はウエスト絞りすぎである。洋服のベルトのつもりでウエストマークして帯を結ぶと 全体のシルエットがX型になってしまう。細い事を強調したいのかもしれないが、着物のシルエットは裾つぼまりのI型の方が絶対すっきりして結果的に全体が細く見えるのに・・・ 伊達締めが暑かったらせめてタオル一本三つ折りにしてウエストに巻きましょう。汗取りにもなるし。

などと電車の座席に座りつつ その子たちを観察して結果的には荒さがししてしまった私も嫌なオバなんだけどさ。
どうせ着るならかっこよく着ましょうね。とせめてもの老婆心てやつでこちらでつぶやいただけです。











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ついに完成

2013-03-31 20:40:20 | 着る
ソムリエコンクール詳細は次回書きます。



ムスメ渾身の作wである。

友人に頼まれたコスプレ衣装。

ムスメの幼稚園以来のご近所友。
小学校からは別々の学校になってしまったが、連絡はとりあっていたらしい。

ムスメの友人は中学からマジメな私立女子校に行き、大学受験して六大学の一つに進学し、就職難の真っただ中にもかかわらず、堅い一流企業に就職して普段はOLとして働いているマジメちゃんである。
お家もしっかりしているし、きちんとしたお嬢ちゃん。とてもかわいらしいしスタイルも良い子である。
で、彼女の趣味が「コスプレ」と言うのを聞いて私はかな~りビックリしたのであった。

しかもそれが高じて適当に出来あいのものでイベントに出るのに飽き足らず、自分にぴったりの寸法で作りたいと娘に衣装制作を依頼してくるとは・・・・

ムスメも色々な制作技を持ってはいるらしいが、フィギュアを渡され、同じ衣装を等身大に作るために型紙から起こすのは初めてではないだろうか?しかも帽子もブーツも作らなければならないし、材料も全部自分で調達しなければならない。

この一か月あまり他の用事の合間をぬって作成していた。

 ☆ 

 ☆ 

 元ネタのフィギュアがこちら

 


仮縫い時

そして先週末完成した作品


 全体像

 この衿のカーブを出すのは本当に大変そうだった

 アクセサリー類もフィギュア通りに手作り 材料調達に苦労したそうだ。



ブーツも手づくり



友人もカラコン入れてばっちりメイク 元もと可愛い子だから似合うのである。

昼はマジメに堅い仕事して、こうやってハジケてバランスとってるのだろうか?
この週末はコスプレイベントに行っているらしい。

いずれにせよ 若いってイイネ! である。



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お譲り着物

2012-04-16 21:59:40 | 着る
ジム友のNちゃんからメールが来た。

「局さん、突然ですがTさんのお宅に行きませんか? Tさんのお宅が立て替えるらしいんですが、お姑さんの着物を処分するので、その前にぜひ局さんにお譲りしたいっておっしゃってました。」

Tさん 顔見知りだけど親しく話したことはない。けれどおっとりしていて優しそう。ジムばばにいがちな「体育会系強気オババ」(これはこれで嫌いじゃないけど)、というよりは、着物の会や伝統芸能好きによくいがちな「文化人系オババ」方面の方である。年齢は60代半ばか?

(へ~ 何でワタシご指名?)と思ったが思い出した、おととしだっけか電車の中で彼女に偶然お会いした時に私が着物だったことがあったのだ。その時「あら~ 見違えちゃったわ。お着物お召しになるのね~」と驚かれた記憶あり。そりゃ~いつも水着みたいな恰好して汗だくになって飛び跳ねてる姿しか見てないわけだからびっくりして印象強かったのであろう。

「それじゃお邪魔します」とNちゃんから伝えてもらってTさん邸にお邪魔した。

沿線で一番の閑静な住宅地にある広いお宅だった。
石張りの玄関を入ったところに応接間がある私の好きな昭和の注文住宅である。緞通って感じの敷物の上に畳紙が広げてあり、たくさんの着物があった。
「家をリフォームするのでもう処分したいの。もらってくださると嬉しいのだけど・・・」
着物が大好きだったというお姑さんのものである。ちなみに明治生まれの女性である。和裁もできたらしくご自分で縫った着物。銀座の有名店であつらえた着物。地元の呉服屋さんで作った着物など多数。
羽織らせてもらったら、かなり小さい。やっとおはしょりができるくらいの丈。身幅も標準より大分狭いが、標準寸法だと折り返して着付けないと大きすぎる私にとってジャスト幅である。
ああ チビで良かった。しかしワタシは明治女寸法かよ~

TさんNちゃん 「ちょうどいい~!似合う~!」と喜んでいる。
ただ羽織もとても素敵なのがあったのだが、それは短すぎて断念した。

私は2,3枚いただければと思っていたのに



これもいいな~ これも渋い。なんて言っているうちに着たい着物が積み重なっていった。私の手持ちは母の趣味でどっちかというと柔らかい着物が多いのだが、紬系とか織のものがたくさん 憧れの「結城」もあった。



「こんなに欲張ったら申し訳ない」と言う私に「あなたが持って行かなきゃ捨てるだけなんだから遠慮しないで!」と言われて夏の着物の渋いのもたくさんいただいてしまった。

「あとね、あなたたちに見てもらいたいものがあるのよ」

そう言って持ってきたもの

  

それはTさんが作った佐賀錦のバッグと草履類だった。
芸術品である。

やはり文化人の匂いがするはずである。
細い細い糸で織る 一日織って1cmはかどらないという気の遠くなるような細かい細かい作業。

「オットの両親が亡くなるまで、私はこの家で籠の鳥みたいなものだったのよ。時間があると二階で織ってたの」
明治生まれのお姑さんに仕えた昭和の良きお嫁さんだったのであろう。

「これは私の宝物なの」
友達のビーズ織作家もすごいと思ったが、こちらもすごい。同じジムには漆の作家の奥様もいたし、色んな才能を秘めた奥様っているものなんだな~

こうして私の着物の数は増え、箪笥はぎゅうぎゅう詰めになったが(断捨離の真逆である)これからどんな風に生かそうかと思って、その日は2時までファッションショーをしてしまった(アホ)

そして次の日。ちょうどよくご近所友と「着物で出かける」機会があったのである。

ご近所友、最近着物にはまって、実家から持ってきた亡き母上の着物、新しいのも短期間に買いまくっている。
着付け教室にも通い始めたらしい。

「どうせなら着物で行こうか?」と言った私の提案にのって「行こう! 行こう! 私の着付けはあなたがしてね」

ってことで二人で着物で観劇に行くことにした。歌舞伎やオペラ系の改まったのではなくて、カジュアル系の舞台なので着物もカジュアル系と決めた。

 いただいたイキな縞の紬と手持ちの紅型の帯をコーディネート。

 こんな感じ。

友人はやはり紬と更紗系の帯を

 私が着付けた。

これで行ったのが ACTシアター 地球ゴーャ○スの舞台である。
これがおもしろくておもしろくて・・・
ちょっと着物着て気取った私たちは大口を開けて笑い転げてしまった。

この感想はまた後日。








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ごたつきながらも準備は進む

2012-03-12 00:26:46 | 着る
ドラ結婚式までの道 vol.11

今日はドラとM子が家に夕飯を食べに来た。
いよいよ式が間近にせまってきたもののドラは仕事が忙しさのピーク(当たり前だ、年度末なのに)こっちが気づいたことを尋ねてもなかなか返事が返ってこないし、ここらでもっと間近になってあせらないように式次第を眺めながら打ち合わせもしようと召集をかけたのである。

しっかりもののM子は着々と準備を進めている様子だが(自分側の親族や友人に伝えるべきこととか色々) ドラの方は「ま どうにかなるよ」的な雰囲気でいざとなるとA型バリバリの母としてはひじょーにイラつくのである。
今日も「まったく誰の結婚式よ!」と私も何度か怒りを爆発させたものの一応確認すべきところは確認できてあと一度司会者もまじえての最終打ち合わせまでの形には収まったけど・・・疲れた。

今週でワタシが整えたもの 三つ

1)留袖用の草履

去年の暮れにオーダーしたものが出来上がった。

 ☆詳しくはこちら 
着物の会のコネで製造元の社長さん自らオーダーに立ち会って誂えてくださったものである。
足に合うか確認してくれると言っていただいたので、また東京都下某市まで遠征。
私は右足だけちょっと外反母趾気味なのだけど、それまで考えて鼻緒をすげてあった。草履の裏に「右」「左」と手書きの文字があったのには感激した。



2)指輪

やっぱり結婚式がせまると出て行くが多いので、新調は無理である。それにあんまり宝石を買うって趣味もない。しかし、何かこの際記念になるものも残しておきたかったので考えてみたら、去年母からオパールの指輪をもらってあった。石は良いものだけどしつらえがあまりにもシンプルでやりようがなかったもの。母も祖母からもらった指輪だそうだ。
「あなたにあげるからリフォームしてもらいなさいよ」と言われたので、ドラたちの婚約指輪を作ってもらった私の友達のデザイナーについでに頼むことにした。


両側にピンクサファイヤをあしらって18Kで仕上げてもらった。

結構目立つ


この指輪で結婚式に出れば、ドラのこともとても可愛がってくれていた今は亡き私の祖母も一緒に出席して見守ってくれるような気もする。


しかし、草履と一緒の日に出来上がってきたので 家に帰って両方とも娘に見せたら

「草履と指輪を合わせるとぶりっ子の金持ちおばさんって感じの趣味だね~」と言われた。

ふん どっちも当たってないわい

3)ウェルカムボード

☆ 詳しくはこちら 

ムスメがデザインと色を決めて描き、一度焼成してもらったのに 私が細かいところに色をもう一度載せて完成させた母娘合作。
タイル教室の友人も完璧に仕上げようと4回も焼いてくれた。(やってみないとわからないが、白い部分を均一に仕上げるのって結構大変なのである)



草間弥生風? ポップなところがムスメっぽい。

この枠を何色に塗るかこのまま白木のままにするか、枠に花でもつけるか考慮中である。

最近手作りの何かを(ウェディング姿のテディベアとか)受け付けに置くとか流行ってるみたいだけど、ドラもM子も超多忙な毎日らしくとてもそんな時間がないらしい。
少しはワタシとムスメで貢献できただろうか?
今日 ドラカップルに見せたら気に入った模様である。






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留袖と草履と

2012-01-17 23:09:30 | 着る
ドラ結婚までの道 vol.10

この日曜日、ちょっと用事があってオットがドラに電話したところ、披露宴の試食会中だったらしい。引き出物も決まったみたいだし一応着々と準備は進んでいる様子。
ドラ&M子は案外しまり屋である。招待状の宛名書きを式場にお願いすると結構高額なことを発見し、「自分たちでやります」と言ったらしい。ドラはかなりの悪筆である。「そんな汚い字でよく会社勤めできるね」と言ったところ「今頃手書きなんか仕事で使わねーよ」とのこと。
そういえばM子の字は見たことがないような気がする。

そして何を思ったか あて名書きをムスメに頼んできたらしい。確かにムスメは同じ兄弟とは思えないほど達筆である。何度か毛筆で賞も取っている。 しかしここで妹を使うとは・・・ それも聞いてみたら最初は一通○○円で頼んできたらしい。
「○○円って安すぎるよね~ 一応本番書く前に何度か練習するんだよ~ その手間考えるともっともらってもいいよねえ」ムスメもムスメである。
確かに式場の相場の五分の一を提示してくるとは・・・ 「安すぎるよ って言ったら二倍になった」らしいw それでもドラはずいぶん倹約になったはず・・・

ところで 結婚式でのカップルの衣装、オットたちのモーニングの調達はできた。
私は自分の留袖を着るつもりなので、そろそろ点検も兼ねて実家においてある留袖を出してみた。

元々母のものだったのだが、派手になったので母はその後加賀友禅のちょっと渋めのを新調したので私が譲り受けたのである。
しかし私の結婚式に着たのはその新調したものだったのだから、「派手になった」と言うのは40代じゃなかっただろうか?
ってことは今の私には派手ってことかいな? と気づいたのはつい最近。
それでもこれから他のものをと考えるのもめんどくさい。 とにかく出してみようと・・・



かなり上までこの派手な御所解き模様が続いている。金糸の刺繍もめいっぱい。
弟の結婚式は(年食ってから結婚したので)結構簡略だったので着なかったので、親族としてこれを着て式に出たのは30代の始めの従兄弟の結婚式であった。その頃は違和感はなかったがやっぱり派手だろうか?



その時の帯はこれだったらしいが(当時自分で着つけもできなかったから言われるがままに着てたから記憶も確かじゃないのだけど)なんか柄が着物とかさなってくどくなるような気がする。
「それじゃ これは?」と言って母が出してきたのは



ひゃ~ ますます派手 



でも この方が柄が喧嘩しなそう。

帯締めと帯揚げも道明のへたってないのがあったのでそれを使う。あるもので済んでよかったよかった。

で、一つだけ新調することにしたのは草履である。

やっぱり something newって言うじゃないですか(花嫁か?w)

ってことで実は暮れも押し詰まった日、某老舗草履製造元に注文に行ってきたのである。
明治創業のその店は東京都下に工場がある。そこのご店主さんは私の所属している着物の会の先生と親しく、会にも草履の歴史などの知識やトータルコーディネートとしての草履を選ぶ時のアドバイスなどの講義をしてくださる方。
だからこの会の会員と言う事で電話してお願いすると、ご店主自ら用途や好みを聞いてくださり、足に足袋を履いた状態でちょうど良い形と寸法、鼻緒の締め具合も足にあった状態で誂えてくれるのである。
これだけでもこの会に入った甲斐があるってもんでしょ。
私も以前作っていただいたのは足に吸い付く感じの素晴らしい履き心地である。

それに、そんなスペシャル~な発注してどんだけ高いものになるかっていうととんでもない。銀座あたりの呉服屋さんの店先で売られてる着物の値段、その目の玉が飛び出るほどの値段のほんの何分の一何十分の一が実際織ったり染めたりしている職人さんに支払われる賃金なわけだけど、(まったくこの業界の流通は理不尽である) 草履も以下同文。何十分の一まではいかないけど、ホントお値打ちで作っていただけるのである。(じゃなきゃ買えないぞ)

詳しくは言えないが、ここの顧客はすごいですよ。まず美☆子様たちの☆室ご一行さま。
故演歌歌手の舞台衣装はここの特注品だったらしい。他にも名前を聞くとへ~って方たちがこちらの品を愛用されている。

私がご店主と相談して選んだのはベージュ地のでごく細い金彩で幾何学模様が書いてある革で誂えたもの。目の位置から見るとごく薄いペールゴールドの無地に見え、間近に見ると 「へ~柄物なんだ」とこだわりが見えるもの。

鼻緒は同生地で作り脇に金の線を入れた。 
実はこれと同じ生地で ☆ヴィ夫人が誂えたらしいよw

呉服屋さんや着物周りの品物にかかわる人たちって、老舗のお店でこっちが躊躇してしまったりとてもじゃないけど買えないってところでも、こっちがホントに好きってことが伝わると案外心地よく熱心に話してくれるものである。
自分たちの作るものや売るものにこだわりがあるからだろうか?
この時も色んな生地見本や実際の製品などたくさん見せてくださって忙しいのに一時間以上時間を割いてくれた。

二月末までには出来上がるらしいが、楽しみである。できたらアップします。



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家族で買い物

2012-01-06 21:50:32 | 着る
ドラのお相手 M子ちゃんの家族と初めての顔合わせをしたのは去年の4月であった。
あの震災後、まだ世の中が落ち着かない頃だったが、思い切って両家が集まりそれから話が進んで去年中にドラとM子は入籍となったわけである。

なんだかつい最近のような、あれからずいぶん時が経ったような不思議な感覚である。

その時の食事会、あちらのお父さんから「あまりかしこまったのは苦手なのでドレスコードはカジュアルにしましょう」と提案があったのであるところが、スーツならまだしも 「カジュアル」に難があるオット。考えてみれば仕事でスーツを着ることが少ないので四六時中カジュアルっちゃカジュアルなのだが、服装関係に無頓着なのでそれはいわゆるスマートカジュアルって言葉からほど遠いものである。 ★  ←その時の苦労はこちら。


今年もこういった機会もあるやもしれぬ。いざとなったらあせらずにすませられるように 少しオットの服装をグレードアップしようではないか。 別に彼のお気に入りのユ★クロを着るなってわけじゃない。 せめてコーディネートのうちのユニ★ロ率80%~100%を現状を半分以下にしてもらおうではないか・・・

「ホント少し考えようよ。私もたまにはおしゃれなオヤジと歩きたいよ」by ムスメ

ホントにそだそだ。

ってことでお正月も3日。一日の夜から立て込んでいたオットの仕事が落ち着いたのでどこかで落ち合おうということになったので、私とムスメは手ぐすね引いて、ムスメのお気に入りブティックのある恵★寿を待ち合わせに決めたのであった。

そうとは知らずに現れたオット 
「どこでメシ食うの?腹減った」と言うのを、ちょっとその前に買い物しようよとなだめすかしその店へ。

なぜなら2日よりセールが始まっていたのである。材料の染めからデザイン、縫製まで全部国内生産のこの店、カジュアルだけど普段はなかなか高くて、セール時でないと手が出ないのである。どうせならまだ商品がそろっているうちに選びたいではないか。



あいかわらず入口からして面白い。ジーンズを履いた門松が鎮座し、その間に何を思ったのかドラゴンボール全巻が立ててある。

この入口で靴を脱いで畳敷きの店内を裸足で入るのだが、段差をいかした立体的なディスプレイがおしゃれである。

基本的にユニセックスでサイズは0~4号。
オットの物を探す前に自分の物を探してしまうのはそりゃ~仕方がないことであろう(そうか?)

で、 私の戦利品



身体にぴったりなじむマルチカラーのセーターと ムートンのブーツ。ブーツは何にでも合いそうで無難な濃いベージュ系と最後まで迷ったがこちらのレンガ色に。足元が元気になりそうである。



ムスメの選んだのは市松模様のブラウス。衿がスタンドカラーにも普通のシャツ衿にもなるデザイン。厚手の木綿地に藍染と生地も凝っている。
あと靴下2足。ここの靴下の可愛い事。セールでも結構高いけどホントに丈夫で、何年も履けるからかえってお得かも。

手前のダメージ生地で作ったバッグはお得意さんサービスのもの(私が持つとかわいそうなオバサンになってしまいそうではあるが)

(子供たちの学校行事から離れて、一番うれしいのはこういったカジュアル服を買えるってことだね。
ムスメの学校の保護者会とか授業参観は周りがみんなマジメ系スーツだったのでそっちをたまには買い替えなければならず、こういった物を買う余裕がなかなかなかったのである。 ただでさえ私はマジメスーツが似合わない女。特に似合わないのが紺とか地味なグレー。あ~つまんないと思いながらつまらない買い物をせざるを得なかったのである。)

ところでこの日はドラも途中まで一緒であった。

ドラは普段の仕事時はスーツなので、あまりカジュアルは持っていないようだ。しかし、結構こだわりのあるヤツで案外派手好みである。ドラの中高は制服がなかったのでずっと私服だったが、いつの頃からは忘れたけどなぜか殆どアロハ(それもかなり派手なヤツ)で通学していた。アロハにひざたけのダブダブズボンに布バッグで自転車で出かけるドラを見てご近所さんは 「局さんちのぼっちゃんテキヤさんにでもなったのかしら」と思っていたに違いない。

この日ドラがさっさと選んだのはカーキ色のカーゴパンツに綿シャツであった。このシャツがまた派手で、ハワイ風の花柄のパッチワークである。(写真がないのが残念である)
シャツだけ見ると 「すごいバカっぽい」byムスメ であったが、パンツと合わせて試着したら色目がぴったりでなんとなく落ち着いてしまうのである。

(ここの服は不思議な服で、手に取ってみると「こんなん着るの?」ってものが着るとなんとなく着られてしまうのが不思議。老若男女着られる服ってのがウリみたいだけど、おばあちゃんになってもここの服は着続けられそうな予感。)

で、「へ~ これ 行けるかもね」と私たちが納得したので ドラは得意げにそれを買って、M子を迎えに行くべく某所に行ってしまった。

そしていよいよオットの番である。

「俺のはいいから」「めんどくさいよ」「メシ食おうぜ」と言うのをなだめすかしてやっと着てきたコートを脱がせるのに一苦労。

「こんな派手なの恥ずかしい」「着て行くところがない」「ユニ★ロで良いっていってるだろ」更になだめすかして試着してもらうのに一苦労。

そしたらね、案外似合うの、恥ずかしいって言ってた派手なジャケットが。

ムスメと「似合う~ 」「おしゃれだよ~」とおだてまくって



買ったのがコレ。 しかし「別に俺が欲しいわけじゃないんだから 買うんだったらお前が出せば」と私のポケットマネーで買うはめになったのはどうしたもんか・・・

しかしこれで 「新春オットオサレ化計画」の第一歩を踏み出せた。
戦利品の袋を持ってア★レで串揚げのランチを食べて



今日の買い物は充実してたね♪ と ムスメと満足の笑みを交わしたのであった。






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秋晴れのお茶会

2011-11-23 00:22:25 | 着る
着物の会の行事の一つでお茶会。

 

オリ★ピック記念センターにお茶室があるなんて知らなかった。(ムスメがよくここの体育館を借りてダンスをしているのだけど)



なかなか趣のある茶室で

 日本庭園もあり



茶室の名前 桜★(★は花です)亭の由来になっている立派な桜の木もある。春になったらすばらしいであろう。



内部。お道具類もそろっていて借りられる。

大寄せのお茶会だからそう緊張もなしにの~んびりとお茶をいただき



お弁当をいただいた。

お茶の先生をやっている会員もいて、色々お道具などの説明もあり、なごやかな一日になった。

実はこのお茶会、半年のびてこの日になった。
本来予定していた4月で そのためお茶会を主催するメンバーがリハーサルをしていたところ、あの震災があったのである。
その時はこの会場でなかったが、そのメンバーはあわてて火を消して みんなで庭に出て手をつないで地震がおさまるのを待って大変怖い思いをしたらしい。
また みんな着物姿で都心に来ていて帰宅難民になってしまって何時間もかけて戻ったらしい。
そして4月のお茶会は延期になった。やろうと思えばできたが、あのころはとてもじゃなく 着物を着てどこかに出かけてお茶会なんてのんびりした気持ちになれなかったと思う。

この日(21日)のようにさわやかな秋晴れの日。着物を着てみんなで集まり、ゆったりとお茶を飲んでなんてことができるってことがありがたいことだなとつくづく思った。

着物なんて 気持ちに余裕がある時じゃないと着られないもんです。



今日のいでたち お茶会ってほんとは柔らかい着物を着るべきなんだろうけど、お手伝いもあるしちりめんの重い着物を長時間着る気にならなかったので紬にしてしまった。



帯はカトレアの染め帯。
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文様おぼえがき

2011-11-07 23:45:01 | 着る
着物の会 外部の先生による文様の講義

今日で三回目(一年に一度)なんだけど非常に興味深かったのでちょこっとまとめてアップしてみたい。(自分の備忘録としての意味もあります)

日本の模様 特に着物の模様を思い浮かべていただきたい。あまり身近で見る機会がなかったり興味がない方も多いと思うけど、これが結構おもしろいんですのさ。

日本の文様のなりたちなんて書き出したら明日の朝までかかりそうなのでやめとくけど 大陸から渡来して(正倉院模様などエキゾチックなもの)→渡来してから和風になったもの(いわゆる有職文様) そして貴族の文化が発達して独自に発生した 御所解きなどの文様 などに分けられるんですと。

これらの中で渡来の文様は主に中国の道教とか神仙思想などに基づき 不老不死を願って発達したものが多いんだそうな。


以上がおととしと去年の講義 今日の講義は 幾何学模様についてだった。

幾何学模様ってのはコンパスとか定規で割り付けられる模様のこと。

これって世界に共通してるものが多い。 円 三角 多角形など これは渡来したとかじゃなくて色んな地方で自然発生的に成り立ってきたんだって。

* たとえば三角形 これは古代エジプトだと 男女の結びつき→生命の誕生を表すが 日本では三角形を連ねて 「うろこ」という文様となったそうだ。



これはヘビの鱗をあらわしている。古代のへび信仰から魔除け厄除けに使われるそうな。
そういえば私の伊達巻は紅白のうろこ柄。これは母が用意してくれたものだけど、魔除けの意味を考えて買ってくれたってことね。私は着物の下には鱗を生やしているわけだ。

* そして○ これは太陽や星の象徴で 古代インドの天体信仰や中国の陰陽道などから影響を受けて 中心の○の周りに6つの○がある七曜 同じく8つの○がある九曜なども長寿や天地四方の保護の象徴として使われたそうだ。平治の乱を記録した絵巻の牛車にはこの九曜の文様が描かれている。 

○を連ねたのが七宝模様



○が途切れなく続くってことで吉祥文様とされている。
やはり途切れない 続くっていうことを吉祥としてきたのは限りある命の人間として次代に自分のDNAや思いを託することが昔も今も共通の思いなのかもしれないなってなんだか切なくもなってしまう。

* そして卍 これはお寺の地図マークとして使われてるけど これもヒンズー教の太陽神などの身体に現れる吉祥の相なんですと。 ヨーロッパでは逆卍が十字架と関連してやっぱり宗教的な意味があったそうだけどヒットラーがハーケンクロイツとして使用したことから忌むべく文様として使われなくなったそうな。

この卍を伸ばして繋げたのがこれ


紗綾型という

よく綸子地の長じゅばんの地紋に使われているから身近にある文様なのだけど この中に卍が隠れているとは今日初めて気づいてしまった。目からうろこである(鱗じゃないけど)

* そして六角形 これは中国や日本では亀の甲を見立てている。中国では亀は四神の一つとして北の守りだし日本じゃ長寿のシンボルですよね。 ところがおもしろいのはこれがヨーロッパになると蜂の巣の形として認識されるってことだ。ペガサスの羽の部分にはこの模様が描かれていることもあるのでやはり守りとしても意味がヨーロッパにもあったのかもしれない。
どちらにせよ 六角形ってのは建築学的には外部の力をはねかえす強い形なんだって。

で、六角形を三つ重ねてそれを連ねたのが 毘沙門亀甲

 毘沙門天はインドの北方の守りの神 日本では七福神の一人として宝船なんかにお乗り遊ばせてるのですね。その甲冑の文様はこれがついてるんですと。

ここまでの講義もとても面白かった。普段何気なく見ている文様にいわれがあり 歴史があるってことの片鱗だけでも知るとちょっと世の中楽しみが多くなるじゃありませんか? 別にすぐに役立つってもんじゃないけどさ。

    * * *

そして一番興味をひかれたのが次の文様だった。



青海波である。 やはり円のバリエーションで同心円の一部分を切り取って一方向につなげた形。 古くはペルシャ湾あたりの国で湖の穏やかな様子を描いた模様として発生して渡来した? もしくは日本で純粋な幾何学もようとして自然発生したかもしれないそうだけど、日本で特に波の文様として親しまれ磨き上げられてきたものらしい。

そりゃあ周りを海に囲まれた国としては波というのは親しみ深かったであろうし、寄せては返すを繰り返す波は悠久無限の吉祥として愛でられていたらしい。

舞楽の青海波の衣装に使われているのはもちろんこれだし(千鳥と組み合わされている)、昔も今も着物の柄に多用されている。江戸小紋の柄の一つだし、そのほかにも色々な模様(具象だったり抽象だったり)のものと組み合わされて使われている。

他にも寛永通宝の裏面にもこれが使われているし 本郷の東大の正門の一部にもこの模様があるんですと。

 これまた目から鱗である。

今回の震災で津波の怖さを思いっきり知ってしまった私たち。四天波静っていうのがやはり天下泰平の条件なんですね。日本って・・・とつくづく思う。

そう思うと日本でこの模様が好まれて 吉祥として使われてきたってことがとても意味深いものに感じられたわけです。



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食べ物の恨みを現代アートで晴らす 完結編

2011-08-12 16:54:10 | 着る

前回  ここ ★ 
からの続きです さて、ここ数年来で一番まずかった中華ランチを食べるはめになってぶんむくれたまま車に乗った私、そりゃー私も大人げないよ、しかし前回も書きましたけど私ははっきり反対したのにその店に入って店の雰囲気からまずさオーラが漂っていたにもかかわらず余分なものを頼んでムキになって食べたのはオットなのである。
ここはぶんむくれていいですよね。

 

遊園地がある。

「ちょっと車から降りる?」とオット 私を懐柔しようとしている模様

「暑いからやめとこ」と窓の外を見ながら答えるツマ 我ながら可愛げのないことで

このままじゃ帰り道も家に帰ってからも思いやられると思ったのであろう。

「じゃ美術館に行こうぜ あそこなら涼しいだろ」 これなら私も賛成である。「わ~い 行く 行く」 現金なもんだわね、我ながら。



折しもこの日の前日から ヨコハマトリエンナーレ2011 (現代アートの国際展) ってのをやっていて、美術館も会場になっている。

パーキングは空いているし、会場前では多少列があったけど、中に入ると広いし涼しいし快適。

 

現代アート (アートに限らず現代音楽もだけど) 現代ってのがつくとどうして意味するものがわからなくなるのであろうか?

解説を読んで 「へ~~」と思うこともあるけど、

  ←たとえばこんなのね

ここではそういうのにはこだわらず五感を使ってどうでもいいから楽しむことにした。



会場に砂が敷いてあってスポットライトが照らしてある。 ??

 


同じく??の部屋





部屋全体が作品??

 

中には現在進行形作品もw

  

お化けの部屋もあった。

  

昭和のお化け映画のポスターも ちょっとおどろおどろしくて懐かしい。萬屋錦之助 美空ひばり 穂積ペペなんて懐かしい名前が・・・


 

ポスターにもなっていた映像作品 砂漠のような白い砂の上に白い服を着た若い女性が箒を持って前の人がつけた足跡を消しながら歩いていくのが延々と続く。

「外反母趾予備軍が多いな」と余分なことをつぶやくオット



黒い幕を覗くとこんな世界が (なんだか中高時代の文化祭の展示を思い出した)



お互いの顔を撮り合うあほ夫婦(生首が浮かんでるみたいで怖いよ~)

この会場は写真がOKのところとNGなところが混在していた。絵画なんかはNGなのが多かったけどどうしてでしょうね?海外の美術館ってフラッシュをたかなければいいよって鷹揚なところが多いのにね。



アラーキーの部屋も ぼってりとした椿(さざんか?)の写真ですぐにわかった。この人の写真ってただ花を撮ってもなんとなくエロいのよね。70過ぎてもご立派だと思う。

こうして会場を遊びながら歩き回り、隣接の喫茶店でお茶してさっきの中華の厄落としをして、すっかり機嫌が直して横浜を後にしたのであった。
喧嘩したカップル 倦怠期のご夫婦におすすめですww












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今日は着付け師

2011-08-07 21:03:31 | 着る
のこ一週間ほど前のこと、娘から私の携帯に写真付きのメールが来た。



「これに合うバッグある?」

んま! 美少女の浴衣姿。 娘のダンス友達のMちゃんである。ムスメは一緒にル★ネで彼女の浴衣選びを手伝った模様。

「まあ 何かしらあるよ」 手持ちの籠バッグや巾着などを思い浮かべながら返信。

「じゃ 貸してあげてくれる? それから今度の神宮の花火の日、着付けしてあげてよ」

6日の土曜日の午後は空く時間もあったので「いいよ」と返信。

そして昨日の午後のこと Mちゃんはこの時買った浴衣と帯とお土産のロールケーキを持って我が家に現れた。

「すみません お世話になります」

「今日デートなんだって」 と娘

「そうなんです 今日は勝負の日なんです」 とMちゃん

「じゃ、可愛くしようね~」と私

帯結びの種類を見せてそれにするか相談した。



「これが貝の口 オトコ結びだけど女の子が結んでもキリっとして粋だよ」



「あと これが文庫 これで羽を出せば蝶々結び まあ一般的で可愛いよね」

「私の普段の趣味だったら絶対貝の口なんです。でも今日は勝負の日ですからここは一般受けを狙って可愛い方でお願いします」←きっぱり。
(なんてわかりやすい)

で、着付けしましたよ。一度着せて帯もちょうど良い長さに結べたが、浴衣の衿の所に変な皺があったのがどうしても気に入らなくて、いったん脱いでもらってアイロンをかけて再度着付け。二度目は10分もかからず着付けできたのでMちゃんと娘に褒められた。

(聞くところによると 成人の日とかこういう花火の日って着物や浴衣を脱いじゃって着られないオジョーサンたちがなぜかホテルに出没してそのお助けをする着付け師ってのが準備されるらしいですね。いざとなったらその手のバイトができそうであるw)

と話を戻して

 着付け前

 着付け後

私はそれからちょっと出る用があって、娘が髪をセットしてバッグと下駄をコーディネートしたというできあがりまで見届けられなかったのだけど、娘によると非常に完成度の高い浴衣乙女ができあがったらしい。

このMちゃん 可愛いだけじゃなくてとても頭が良くておもしろい子である。ムスメのメールに返事もいちいちおもしろい。
例えば 「了解」って書くところが「了解すること山のごとし」などと返ってくるのである。くだらないっちゃくだらないがこういうセンスは好きである。
そしてMちゃん、実は大変な才媛。このほどめでたく国★に合格しているのである。霞が関に新風を起こしてもらいたい。

ホントに今の子って何もかも持ってる子はすべからく持ってるのね。ちなみにこの日ムスメはダンスイベントにダンサーの恰好で出かけていきましたとさ。 色気がないこと山のごとし・・・





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夏シーズンの着物の会

2011-07-10 00:41:04 | 着る
着物の会の年度は7月初旬で終わる

それから9月いっぱいは休みで新年度は10月から始まる。
この酷暑の東京で着物を着て出かけるというのはよほど覚悟がないとできることじゃない。
私も6月に単衣を着ただけですでにうんざり。冬はとにかくもうこの熱帯と化してしまう東京の夏に着物ってのがそぐわない衣服になりつつあるのは残念である。
だってホントに暑いんだもの。
薄物をきて周りに涼を運ぶような夏のいい女を演出したかったのだけど・・・ムリ

そして年度末としてその一年の集大成としてその年に練習した帯結びの発表会などが行われる。



私も前日 娘に体を借りて練習して挑んだのだが今年のデキは今一つであった。(娘と当日のモデルになってくれたおばさんのウエストサイズが違いすぎたのもあった)

そして最終日の先生の講義は恒例の ヒロインの着物シリーズ。小説の中のヒロインの着物をとりあげながらその作品や作家について語ってくださる。それがまた楽しみな講義のシリーズである。
 
今回は 三島由紀夫の小説 宴のあと を取り上げての講義だった。
この小説は実在の政治家をモデルとして書かれたと言われ、プライバシー問題で裁判にもなったいわくつきの小説である。

革新から東京都知事に立候補した野口雄賢とその愛人の料亭のおかみかづ
そのかづの着る豪奢な着物の描写

 かづは藤鼠の江戸小紋の着物に、古代紫地に菊花菱の一本独鈷の帯を締め、錆朱の帯留に大粒の黒真珠をつけた。こういう着物の選び方は、豊かな体を引き締めて、すっきりと見せるのに役立った。

彼らの恋はきわめておもむろに進行し、二人がはじめて接吻をしたのは、正月にかづが野口の家へ年賀に行ったときであった。かづは青磁の地に細流れを白、蛇籠を銀、姫小松を緑のぼかしで染めた一越の着物に、銀鼠地に朱と金とでおおきな伊勢海老を縫い取った帯を締めていた。ミンクのコートは脱いで、車の中においた。

これだけ見ても三島がどんなに女性の着物についての知識とこだわりがあったかうかがいしれる。この小説を書いた時、彼は29歳。どっちかと言えば地味だった母親の着物だけ見ていたのではとうていこんな描写はできなかったろう。この影には赤坂料亭のおかみマダムxと呼ばれる存在があったらしい。

話は宴のあとに戻るけど、その後かづは野口の愛人となりそれを世間に知らしめるために野口の野の字を着物に染め出す工夫をする

 黒の鶉縮緬に白抜きで土筆と蒲公英を附下に染め、それに金泥で陰影をつけて春の「野」をあらわした。旅らしく萌黄の間道の帯に 雲絢模様の帯留をした。滝縞の地紋のある素鼠の羽織にはぶどう紫の裏をつけたが、この羽織裏に趣向をこらしたのである。

その後革新政党から都知事に立候補した野口の応援に奔走したかづは選挙期間中はわざと地味で野暮ったい着付けをしていたのだが、投票日には二人連れだって投票所に向かう。その時のここぞとばかりの晴れ着の描写。

 銀鼠の三本絽に鵜飼のけしきを染めた着物で、鵜は漆黒に、篝火は深紅に燃えていた。絽つづれの帯は浅黄地に銀糸で下弦の月と薄雲の刺繍を施し、これにダイヤの帯留を〆た。

これぞマダムって感じの着こなしの描写。そしてその時々の着物を選んだかづの心情。
やはり女性の着るものと心情ってのはシンクロしているんだな~と思って読み進むうちに、これを書いた三島の年齢を改めて思い返して愕然とする。やっぱり天才だったんですね。(マセタガキだったともいえる)

そしてこの小説は確か10代終わりか20代初めくらいに読んだ覚えがあるが、その時には筋だけ追っててこのような着物の描写は読み飛ばしていたと思うし読んでもまるでわからなかったであろう。今読むと 些少なりともその豪奢な着物の様子が想像でき、それを選んで着こなす、世慣れているが、純粋に野口を愛したかづの心情も思い図ることができるようになった。
昔読んだなって本も 年とってみて改めて読み返すとまた面白いと思う気づきがあるものですね。
そういう点でも刺激になるのよね、この会は。(夏に着物を着るのはかんべんしてもらいたいが)


そして昨日は一年無事に終了できたことを祝して、係りの打ち上げランチ会だった。毎年すべての会員のミニエッセイや着物に関する知識やその年度の研究をまとめた冊子が作られるのだが、私は今年度はこの編集係りをしていた。なぜかブログには書かなかったが、原稿集めやら校正やら割り付けやら、初めての経験だったし、ちょうどその作業が震災直後だったのでなかなか大変だったが 無事にその冊子は出版できたのである。その同じ係りだったオネエサマたちと。



和食のランチをいただき

その後はこちらに

   

この文豪は晩年をこの地で過ごし、その死後、遺族が調布市にこの邸宅や遺品などを寄付なさり、現在は記念館と公園になっている。

広い屋敷と庭が公園。四季の花が美しいらしい。この日はちょっとしおれきみの紫陽花だったが、今度は花菖蒲の時期にでも訪れてみたい。


  

この日は日差しはそれほどでもなかったがとても蒸した日だったが、緑と水があると大分暑さは収まるもんだった(蚊には襲われたが)



直筆の原稿や絵も見ることができる。文学 美術 多岐にわたって活躍した人なんですね。

気づいたら彼の作品って高校の教科書くらいでしか読んでない私。この辺の志賀直哉とか有島武郎とかの作家の作品ってどうも敬して遠ざけていた傾向があるって気づいた私。

この日も学習院で同級だった志賀直哉(年上だけど留年してきて仲良くなったそうだ)とのツーショット写真で「へ~志賀直哉ってイケメンじゃん」 「美しき村運動ってヤマ☆シ会みたいなもんなの?」くらいしか感想が持てなかったわが身を反省するとともにもうちょっと体系的キョーヨーをつけなければ と心に誓ったのであった。















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着物の会前日

2011-05-16 00:19:03 | 着る
毎度のことながら どうしてこんなにバタバタしてしまうのであろうか?

まだ五月だから袷でいいやと思っていたのだけど 明日はどうやら最高気温23℃らしい。

世の中クールビズの期間を延長せよっていう気風なんだからもう単衣を着てもよろしいんじゃないだろうか?
先生も 地球温暖化で日本の夏も厳しくなっています。昔のように6月に衣替えなどきっちりしなくても 暑ければ5月半ばを過ぎたら単衣でもいいと思いますよ。と常々おっしゃっている。

「そうだ 明日は単衣よね」

そう思って着物はあまり夏っぽくない 江戸更紗の小紋を着ることにした。



そうしたら長じゅばんも夏物にしないとね って箪笥の中にあるはずの夏物の長じゅばんがない。

季節ごとに入れ替える箱の中の夏の着物の中にもない。必死で探してベッドと床が散らかした着物でいっぱいになったところで
「あっ 浴衣と一緒にクリーニングに出して夏物の洋服と一緒にしまったんだ」と思い出す。

やっと発見してほっとして散らかした着物をたたんで片づけてたら、今度は襦袢に半襟がつけてないことを発見。
今度は夏物の半襟を捜索。 それは案外すぐに発見できたが、次にそれを縫いつける作業をしなければならぬ。
娘に頼んでみたが 「私も明日までしなきゃならないことがあるの」と冷たく拒否られる。

仕方ないので こぉんな大きい針目(絶対見せられないが3cmくらい)でやっつけ仕事で縫い付ける。

次には帯 明日の帯結びは角出しなので名古屋帯を用意しなければならない。 名古屋はあまり持ってないのでそれも捜索。

 またベッドの上が散らかる。

イマイチ気に入らないが 黒地のでいいや。

季節の変わり目の着物ライフはなかなかめんどくさい。

いつもきちんとこういったものの整理が行き届いて、いざとなってもバタバタあせらず、何の苦労せずにその季節と場にあった着物と帯を即座に用意できて、それを優雅に着付け着こなせる・・・
こういう女性にワタシもなりたい・・・ が 多分この先も無理であろう。

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昔も今も

2011-05-13 12:59:22 | 着る
私の所属する着物の会は、単に着付けを習うだけではない。「着付け教室ではないんですよ」 と先生がおっしゃるように、(そりゃあ自分で着付けができなきゃ話にはならないけど)着物のハード面ソフト面と言えばいいのかしら?着物周り全般をお勉強する教室である。
主宰する先生は源氏やその他の古典文学、歴史にも造詣が深く、服飾文化から歴史を切り取った講義の時間はとても楽しい。

去年は 色 がテーマの講義で、それも大変興味深かったのだけど、 青の話 ★ とか 紫 ★ の話などこの辺に結構真面目に書きました。

今年は江戸時代の生活周りがテーマの講義である。 もう講義も三回目なのだけど、つい先日の3回目が面白かったので抜粋してみようと思う。

先生の参考文献は 錦嚢智術全書(江戸お生活百科的な本) や都風俗化粧(けわい)伝 など

面白かったのは 都風俗化粧伝であった。

<髪の手入れ法>

洗髪 ・・・ ふのりをさきて あつき湯につけ置き、箸にてまわせば、よく解くるなり。その中にうどんの粉を入れ、掻き混ぜ、熱きうちに髪へよくおく擦り付け、また手にすくいためて髪をよくよくもめば、髪につきたる油、ことごとくとれるなり。・・・略 
その次に髪を水にて洗いてのち、よく干し、髪を結えば、色をようし、光沢(つや)を出だし、あしきにおいお去る也。

昔は鬢付け油をつけてたからね、暑くなって汗かいて蒸れたりすれば臭いもすごかっただろう。ふのりとうどん粉のドロドロしたもので長い髪を洗うってのも大変だったなと思ってしまった。

若白髪を治す薬の伝 ・・・ くるみをよくよく磨り潰し、白髪をぬき去りて、その毛の穴の中にすりこめば、黒き髪を生じて、ふたたび白髪生ぜず。

ホントかいな?  今はハゲ薬は数多あるけど白髪予防とか白髪を黒髪に直すって薬は未だ開発されてないですよね、考えてみれば・・・どなたか探究心旺盛な方やってみてください。

<顔の手入れ法>

皺をのばし少女(むすめ)のごとくわかやぐ薬の伝・・・大猪蹄(ちょてい) 四つを洗い清め、米をかしたる白水にて煮詰め、とろりとなりたるを寝る時顔にぬり、翌朝、これを白水にてあらいおとし、その夜、またはじめのごとくなすべし。半月ののち、かおの皺よくのびて、きめを細かくなし、光沢を出だし、若やかなること少女のごとし。

これって考えると現代のパックみたいなもんですよね? それに猪の蹄を豚足と置き換えればコラーゲンパックのようなものじゃないかいな? 

湯を使うこと、ならびにぬか袋の伝

毎朝湯をつかうに、至って熱き湯にて顔を洗えば、顔にはやく皺を生ず。ぬか袋をつかうに、顔につよくあてて洗うべからず。顔のきめを損ず。静かにまわしてつかえば、糠汁よく出でて、肌理をこまかにし、顔につやを出す。

これも今でも洗顔の注意として言われてることですよね。 ぬるま湯で洗う。こすりすぎない とか。昔人ってのも経験則からか結構科学的にアンチエイジングを考えていたんだなぁ



この歌麿の絵、どこかで目にしたことがおありでしょうが、湯あがりの若い娘の様子である。右の子が口にくわえているのが糠袋。もめんの晒で袋を縫ってその中に糠を入れて湯屋へ持って行ってお手入れに励んだあとであろう。


昨日 久しぶりに友人Tに会った。帰国子女で元モデルもしていた彼女は今でもスタイル抜群 すげーおしゃれなマダムである。
しかし いかんせん 一時痩せすぎた時があり、顔の皺を気にしていた。色々レーザーとかコラーゲン&ボトックス注射なんかもして、改善しつつあったのだけど。
昨日は なんとなく顔がピンっとしている。

「ね、Tちゃん どうしたの? 肌がピンとしてるじゃん なんかした?」と聞いたら 喜ぶT

「あら~ 局ちゃん 気が付いてくれた? 韓国よ、韓国!」

とTが話してくれた美容法。 自分の血液を抜いて(ひぇ~)分離して、血漿部分をごく細い針の注射で顔の皮下に注入するんだと(ひぃ~) その後カップのほにゃらら(名前を忘れたけど韓国エステすると真空状のカップを背中なんかに張り付けてから吸い出すみたいなのありますよね?)の顔用のものでスッポンスッポン針跡に当ててあとを目立たなくするんだそうだ。

「自分の血液だから拒否反応も起こらないし、だんだんとふっくらハリが出てくるのよ、絶対イイから。今度局ちゃんもやらない? 案内するよ 」だそうだ。

ひえ~ ワタシもメソホニャララっていうイオン導入をパワーアップしたものは愛好 レーザーくらいならいいけど 顔にメスとか顔に針とか 考えただけで御免こうむりますだ。


しかし 昔も今も女性のアンチエイジングに対する情熱ってのは変わらないのね~ とつくづく思ったよ。






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人に着つける

2011-03-08 01:06:05 | 着る
昨日、季節外れの雪模様を恨みながらショルダーバッグ入った重い留袖一式を肩に食い込ませながら 着物の会へ行ったわけですが・・・

私の所属する会では 年に一度ずつ「特訓」と称して振袖と留袖の着付け、 長じゅばんから着物を着つけて帯結びまでを会メンバーの半分ずつが みんなと先生の前で発表するという授業がある。
その他に年度末にはその一年で習った変わった帯結びから一つ選んで人に結ぶ帯結びの発表もある。
この会は営利目的でないということを一番にうたっているのでお月謝(教室費)もとても安いかわりに、別に着付け師などの資格が取れるわけでもない。
だけど、この発表だの特訓だのがあるってことで、嫌でも自分の技術が人目にさらされるので、その前には復習や練習をやらざるを得ないし、いつの間にか着付けが身についてしまう。

この会じゃなくて 結婚前に☆道とか ハ☆ビとかで着付けを習ってお免状を取ったけど忘れちゃったし人に着つけるなんてとんでもない なんて人の話も聞くけど、それよりは身に付くのじゃないかと思う。

それに、衆目の中で人に着つけて(20分以内に)仕上げた人が10組くらいずつずらりと並び どの人の着付けのどこが綺麗か、どこを注意した方がいいか などと先生の寸評をうかがうなんてのは、なかなかプレッシャーがかかることではある。

だいたい主婦なんてさ、あまりみんなの前で発表とか その結果を人と比べられたり評価されたりするのって 普通の生活の中ではなかなか機会がなくなるじゃありませんか?
だからたまにはこういうプレッシャーって新鮮ですよ。自分が評価されるって事がたまにないと子供の試験の点数ばっかり気になるおっかぁになるのだ。
な~んて余分な事申しましたが・・・(笑)

特訓の日は 最初にくじを引いて着付けしあうお相手と順番が決まる。

私の今日のお相手は講師もしている大先輩であった。背は同じくらいで私より20歳は上(たぶん15kgくらい上)のとても優しくしっかりした技術をおもちの方。年代、体型に応じて、その場で臨機応変に着付けを工夫し、帯の柄出しを考えなければならない。
順番を自分が先にしてくれたので、直前の復習になったし、私が着つけている時に そ~っと「そこ、後ろからお皺を伸ばしてきてダーツをとるのよ」などささやいてくれたので助かった。

私は案外手が早く 時間内には必ず終わるのだが、細かい所で雑な所があるのよね。
今日は衿合わせや帯結びはうまくいったが、体の前面の帯の下に出るおはしょりの始末がイマイチでどうもモコモコしてシャープにいかないのが気になった。
着物の着付けの終盤の部分なので これから帯を結ばなければという気の焦りからそこをおろそかにしてしまうみたい。
帯を結んでからだとその部分を直すのはとても大変なので、要所要所はきちっと決めてから進まないと出来上がりは完璧にはいかないもんなのだ。急がば回れですね。今日の私のデキは70点だな。


発表が終わり、60名ほどのオバが黒留袖で居並ぶ姿は壮観である。

ご存じのとおり黒留袖ってのは、ミセスの第一礼装だけど、これがドレスだったら何に当たるの?洋装だと昼と夜で形式が変わるから一概に言えないけど、ロングで肌を出した服が似合うっていうのも限られたオバだと思うし、流行もあるし、アクセサリー選ぶのも大変だし、結構洋装の礼装ってのは大変だと思う。
だけど黒留袖っていうのは七難隠すのよね。みんなそれなりに似合うし、日本のオバがその人なりの風格を出せる着物だと思うもの。よく考えられてますねえ、着物って。

こうなると誰かに着付けしてみたくなる。黒留とまではいかないけど(ホテルの着付け師さんの着付けの出来上がりはまた別物・写真撮るための着付けってところもある) ちょっとそこいらに着物で出掛けようなんて人 いないかなあ? 練習台になってくれればタダで着付けにうかがいますよ。











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ムスメの服を着る

2011-01-07 23:42:41 | 着る
去年、なつの終わりに長かった髪をばっさり切った。

 この辺 ☆

若者の街にある美容院である。ところがそこのボブのカットがイマイチ と言うより私の髪の生え方のせいかどうも右側だけ外にハネルのである。

そこで建築士のNちゃんの定番ヘアのボブがいつもすごく決まっているので彼女の行きつけの美容院を紹介してもらっていってみることにした。



表参道の某美容室。中に入ると倉庫みたいにそっけない空間が広がっていた。まあおしゃれって言えばおしゃれなんだけど、椅子なんて固くてオバサンにはちょっと辛い。週刊誌はもちろん女性誌も置いてない空間。
そしてNちゃん担当の美容師さんは写真家でもあり音楽もするっていうなかなか美意識が強そうっていう感じの人である。

めちゃくちゃカットが早い 確か 迷いのないハサミ捌きで ものの20分でしっかりとしたボブができあがったので驚いた。

そしてウチに帰って洗って乾かしてもバッチリ決まるし悩みの種であったハネも収まった。それにショートにすると美容院に行く回数が増えるもんだが 1ヶ月半以上スタイルは保たれた。

(こりゃ~ いいわ)と思ってリピートすることにしたのである。

年末で三回目。しかし、行くたびにボブの前下がりの角度は鋭角になり うなじの後ろはだんだん短くなり後ろのボリュームは高め高めにスタイリングされるようになった。

美容師さん、自分の趣味で だんだんとモード系方向に持ってきたわけね。

まあ いいんだけどね。ホント上手なカットってその後自分でするスタイリングがどんなに楽なのか身を持ってわかったから。

しかし一つ困ることは今までの服があまり似合わなくなったことなのよね。

私は本来そんなにオシャレなヒトじゃない。
色あわせは気になるし多少の若作りはいたしますが、どっちかと言えば無難なものを適当に組み合わせて「あまりオバサン臭くなくて平均的ならそれでOK」くらいのヒトである。
だからクローゼットの中もふつーの服8に時々勝負に着るブランド服が2くらいの割合の物を順列組み合わせであわせ、ちょっとヒトと違うところは時々それに着物を着る機会があるってことくらいである。

そのふつーの組み合わせってのがこの髪型だとなんだかつまんなくなるのよね。

それで年明け ファッション関係に何かとウルサイウチのムスメとちょっくら新しいおしゃれをしよう! とのコンセプトでムスメと買い物に行ったのである。

前置きが長くなったが・・・



ムスメのお気に入りブティック。入り口からしてちょっと変わってます。



今日のムスメのいでたちはダメージジーンズを腰パン気味に履いて黒いジャケットを合わせている。



店には靴を脱いで入る。アップダウンが多い店内(年寄りには辛い)は畳み敷き。
デザイン・縫製は全部made in Japan だからカジュアルなんだけど結構値段は高い。けどなんでもないTシャツなんかもカットがすごく凝ってるし細く見せたい服は細く見える。
セールじゃなきゃ買えないけどね。

そこでムスメは去年から狙っていたという面白い形のジャケットを買った。
それは値引きしてあったが、その他に私の母にお見舞いといって靴下を買った。靴下といっても手織りニットのすんごく凝ったもので3000円もする。
「こんな高いのもったいないよ」って言ったら
「病気の時ってこういうのが元気の元になるんだよ。つまんない靴下なんてバアバに履かせたくない」とムスメ。
なるほどそれも一理ある と思って ムスメも母の事は心配なんだなあ 普段勝手気ままだけど良い所あるじゃんと思っているうちに流れで靴下代もジャケット代は私が払うことになってしまった。

結局この店では私の物は買わなかったのだけど(ムスメの物買いすぎて予算オーバーが原因)、帰宅後にムスメがクローゼットの整理ついでに色々な服が出てきたと見えて、似合いそうなのを私に着てみてという。
今までだと貸してくれようとしなかったのに これは私の髪型のせいだと思われる。

例えば ↓



この写真じゃよくわからないけど裾がバルーンになっている黒のニットワンピース。これ着た時にはこれを組み合わせてねとムスメに指定されたのは
毛皮の帽子とアニヤのポシェット。(ムスメ私物)

「ママ 案外似合うよ」とやおら私のコーディネートに目覚めた娘は 自分の部屋から服をあれこれ引っ張り出してきて

 

こんな組み合わせを作り上げた。面白いけどこのままこれ着て外に出るのは勇気がいりますな~ それにどうでも良いけどこのバッグの重いこと。これで中身を入れたら肩こりの元だよとムスメに訴えたがスルーされた。

しかし、こういった「年齢不詳 職業不詳オバ」を作るのが楽しいらしく その後も色々ムスメは自分の服や小物を持ってきて二人で組み合わせて遊んだ。

私自身は去年はなんとなくモノを買わない傾向にあり(断捨離読んで影響されたためもあり)デパートの服売り場やブティックから足がすっかり遠ざかっていた。
冷静に考えれば 今までの物で十分は十分なのである。
だけど たまにはこうやって毛色の変わったものが刺激剤になって 今までの物を引っ張り出して組み合わせると新しいイメージになったりもするんだな~と思った。
これから徐々にムスメの服を取り入れていくことにしよう。

気がつくとベッドの上には服とバッグとアクセサリーの小山ができて、時刻は夜中の二時になっていた。

つくづくアホな母娘だとは思う。
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