着物の会の年度は7月初旬で終わる
それから9月いっぱいは休みで新年度は10月から始まる。
この酷暑の東京で着物を着て出かけるというのはよほど覚悟がないとできることじゃない。
私も6月に単衣を着ただけですでにうんざり。冬はとにかくもうこの熱帯と化してしまう東京の夏に着物ってのがそぐわない衣服になりつつあるのは残念である。
だってホントに暑いんだもの。
薄物をきて周りに涼を運ぶような夏のいい女を演出したかったのだけど・・・ムリ
そして年度末としてその一年の集大成としてその年に練習した帯結びの発表会などが行われる。
私も前日 娘に体を借りて練習して挑んだのだが今年のデキは今一つであった。(娘と当日のモデルになってくれたおばさんのウエストサイズが違いすぎたのもあった)
そして最終日の先生の講義は恒例の ヒロインの着物シリーズ。小説の中のヒロインの着物をとりあげながらその作品や作家について語ってくださる。それがまた楽しみな講義のシリーズである。
今回は 三島由紀夫の小説 宴のあと を取り上げての講義だった。
この小説は実在の政治家をモデルとして書かれたと言われ、プライバシー問題で裁判にもなったいわくつきの小説である。
革新から東京都知事に立候補した野口雄賢とその愛人の料亭のおかみかづ
そのかづの着る豪奢な着物の描写
かづは藤鼠の江戸小紋の着物に、古代紫地に菊花菱の一本独鈷の帯を締め、錆朱の帯留に大粒の黒真珠をつけた。こういう着物の選び方は、豊かな体を引き締めて、すっきりと見せるのに役立った。
彼らの恋はきわめておもむろに進行し、二人がはじめて接吻をしたのは、正月にかづが野口の家へ年賀に行ったときであった。かづは青磁の地に細流れを白、蛇籠を銀、姫小松を緑のぼかしで染めた一越の着物に、銀鼠地に朱と金とでおおきな伊勢海老を縫い取った帯を締めていた。ミンクのコートは脱いで、車の中においた。
これだけ見ても三島がどんなに女性の着物についての知識とこだわりがあったかうかがいしれる。この小説を書いた時、彼は29歳。どっちかと言えば地味だった母親の着物だけ見ていたのではとうていこんな描写はできなかったろう。この影には赤坂料亭のおかみマダムxと呼ばれる存在があったらしい。
話は宴のあとに戻るけど、その後かづは野口の愛人となりそれを世間に知らしめるために野口の野の字を着物に染め出す工夫をする
黒の鶉縮緬に白抜きで土筆と蒲公英を附下に染め、それに金泥で陰影をつけて春の「野」をあらわした。旅らしく萌黄の間道の帯に 雲絢模様の帯留をした。滝縞の地紋のある素鼠の羽織にはぶどう紫の裏をつけたが、この羽織裏に趣向をこらしたのである。
その後革新政党から都知事に立候補した野口の応援に奔走したかづは選挙期間中はわざと地味で野暮ったい着付けをしていたのだが、投票日には二人連れだって投票所に向かう。その時のここぞとばかりの晴れ着の描写。
銀鼠の三本絽に鵜飼のけしきを染めた着物で、鵜は漆黒に、篝火は深紅に燃えていた。絽つづれの帯は浅黄地に銀糸で下弦の月と薄雲の刺繍を施し、これにダイヤの帯留を〆た。
これぞマダムって感じの着こなしの描写。そしてその時々の着物を選んだかづの心情。
やはり女性の着るものと心情ってのはシンクロしているんだな~と思って読み進むうちに、これを書いた三島の年齢を改めて思い返して愕然とする。やっぱり天才だったんですね。(マセタガキだったともいえる)
そしてこの小説は確か10代終わりか20代初めくらいに読んだ覚えがあるが、その時には筋だけ追っててこのような着物の描写は読み飛ばしていたと思うし読んでもまるでわからなかったであろう。今読むと 些少なりともその豪奢な着物の様子が想像でき、それを選んで着こなす、世慣れているが、純粋に野口を愛したかづの心情も思い図ることができるようになった。
昔読んだなって本も 年とってみて改めて読み返すとまた面白いと思う気づきがあるものですね。
そういう点でも刺激になるのよね、この会は。(夏に着物を着るのはかんべんしてもらいたいが)
そして昨日は一年無事に終了できたことを祝して、係りの打ち上げランチ会だった。毎年すべての会員のミニエッセイや着物に関する知識やその年度の研究をまとめた冊子が作られるのだが、私は今年度はこの編集係りをしていた。なぜかブログには書かなかったが、原稿集めやら校正やら割り付けやら、初めての経験だったし、ちょうどその作業が震災直後だったのでなかなか大変だったが 無事にその冊子は出版できたのである。その同じ係りだったオネエサマたちと。
和食のランチをいただき
その後はこちらに
この文豪は晩年をこの地で過ごし、その死後、遺族が調布市にこの邸宅や遺品などを寄付なさり、現在は記念館と公園になっている。
広い屋敷と庭が公園。四季の花が美しいらしい。この日はちょっとしおれきみの紫陽花だったが、今度は花菖蒲の時期にでも訪れてみたい。
この日は日差しはそれほどでもなかったがとても蒸した日だったが、緑と水があると大分暑さは収まるもんだった(蚊には襲われたが)
直筆の原稿や絵も見ることができる。文学 美術 多岐にわたって活躍した人なんですね。
気づいたら彼の作品って高校の教科書くらいでしか読んでない私。この辺の志賀直哉とか有島武郎とかの作家の作品ってどうも敬して遠ざけていた傾向があるって気づいた私。
この日も学習院で同級だった志賀直哉(年上だけど留年してきて仲良くなったそうだ)とのツーショット写真で「へ~志賀直哉ってイケメンじゃん」 「美しき村運動ってヤマ☆シ会みたいなもんなの?」くらいしか感想が持てなかったわが身を反省するとともにもうちょっと体系的キョーヨーをつけなければ と心に誓ったのであった。
それから9月いっぱいは休みで新年度は10月から始まる。
この酷暑の東京で着物を着て出かけるというのはよほど覚悟がないとできることじゃない。
私も6月に単衣を着ただけですでにうんざり。冬はとにかくもうこの熱帯と化してしまう東京の夏に着物ってのがそぐわない衣服になりつつあるのは残念である。
だってホントに暑いんだもの。
薄物をきて周りに涼を運ぶような夏のいい女を演出したかったのだけど・・・ムリ
そして年度末としてその一年の集大成としてその年に練習した帯結びの発表会などが行われる。
私も前日 娘に体を借りて練習して挑んだのだが今年のデキは今一つであった。(娘と当日のモデルになってくれたおばさんのウエストサイズが違いすぎたのもあった)
そして最終日の先生の講義は恒例の ヒロインの着物シリーズ。小説の中のヒロインの着物をとりあげながらその作品や作家について語ってくださる。それがまた楽しみな講義のシリーズである。
今回は 三島由紀夫の小説 宴のあと を取り上げての講義だった。
この小説は実在の政治家をモデルとして書かれたと言われ、プライバシー問題で裁判にもなったいわくつきの小説である。
革新から東京都知事に立候補した野口雄賢とその愛人の料亭のおかみかづ
そのかづの着る豪奢な着物の描写
かづは藤鼠の江戸小紋の着物に、古代紫地に菊花菱の一本独鈷の帯を締め、錆朱の帯留に大粒の黒真珠をつけた。こういう着物の選び方は、豊かな体を引き締めて、すっきりと見せるのに役立った。
彼らの恋はきわめておもむろに進行し、二人がはじめて接吻をしたのは、正月にかづが野口の家へ年賀に行ったときであった。かづは青磁の地に細流れを白、蛇籠を銀、姫小松を緑のぼかしで染めた一越の着物に、銀鼠地に朱と金とでおおきな伊勢海老を縫い取った帯を締めていた。ミンクのコートは脱いで、車の中においた。
これだけ見ても三島がどんなに女性の着物についての知識とこだわりがあったかうかがいしれる。この小説を書いた時、彼は29歳。どっちかと言えば地味だった母親の着物だけ見ていたのではとうていこんな描写はできなかったろう。この影には赤坂料亭のおかみマダムxと呼ばれる存在があったらしい。
話は宴のあとに戻るけど、その後かづは野口の愛人となりそれを世間に知らしめるために野口の野の字を着物に染め出す工夫をする
黒の鶉縮緬に白抜きで土筆と蒲公英を附下に染め、それに金泥で陰影をつけて春の「野」をあらわした。旅らしく萌黄の間道の帯に 雲絢模様の帯留をした。滝縞の地紋のある素鼠の羽織にはぶどう紫の裏をつけたが、この羽織裏に趣向をこらしたのである。
その後革新政党から都知事に立候補した野口の応援に奔走したかづは選挙期間中はわざと地味で野暮ったい着付けをしていたのだが、投票日には二人連れだって投票所に向かう。その時のここぞとばかりの晴れ着の描写。
銀鼠の三本絽に鵜飼のけしきを染めた着物で、鵜は漆黒に、篝火は深紅に燃えていた。絽つづれの帯は浅黄地に銀糸で下弦の月と薄雲の刺繍を施し、これにダイヤの帯留を〆た。
これぞマダムって感じの着こなしの描写。そしてその時々の着物を選んだかづの心情。
やはり女性の着るものと心情ってのはシンクロしているんだな~と思って読み進むうちに、これを書いた三島の年齢を改めて思い返して愕然とする。やっぱり天才だったんですね。(マセタガキだったともいえる)
そしてこの小説は確か10代終わりか20代初めくらいに読んだ覚えがあるが、その時には筋だけ追っててこのような着物の描写は読み飛ばしていたと思うし読んでもまるでわからなかったであろう。今読むと 些少なりともその豪奢な着物の様子が想像でき、それを選んで着こなす、世慣れているが、純粋に野口を愛したかづの心情も思い図ることができるようになった。
昔読んだなって本も 年とってみて改めて読み返すとまた面白いと思う気づきがあるものですね。
そういう点でも刺激になるのよね、この会は。(夏に着物を着るのはかんべんしてもらいたいが)
そして昨日は一年無事に終了できたことを祝して、係りの打ち上げランチ会だった。毎年すべての会員のミニエッセイや着物に関する知識やその年度の研究をまとめた冊子が作られるのだが、私は今年度はこの編集係りをしていた。なぜかブログには書かなかったが、原稿集めやら校正やら割り付けやら、初めての経験だったし、ちょうどその作業が震災直後だったのでなかなか大変だったが 無事にその冊子は出版できたのである。その同じ係りだったオネエサマたちと。
和食のランチをいただき
その後はこちらに
この文豪は晩年をこの地で過ごし、その死後、遺族が調布市にこの邸宅や遺品などを寄付なさり、現在は記念館と公園になっている。
広い屋敷と庭が公園。四季の花が美しいらしい。この日はちょっとしおれきみの紫陽花だったが、今度は花菖蒲の時期にでも訪れてみたい。
この日は日差しはそれほどでもなかったがとても蒸した日だったが、緑と水があると大分暑さは収まるもんだった(蚊には襲われたが)
直筆の原稿や絵も見ることができる。文学 美術 多岐にわたって活躍した人なんですね。
気づいたら彼の作品って高校の教科書くらいでしか読んでない私。この辺の志賀直哉とか有島武郎とかの作家の作品ってどうも敬して遠ざけていた傾向があるって気づいた私。
この日も学習院で同級だった志賀直哉(年上だけど留年してきて仲良くなったそうだ)とのツーショット写真で「へ~志賀直哉ってイケメンじゃん」 「美しき村運動ってヤマ☆シ会みたいなもんなの?」くらいしか感想が持てなかったわが身を反省するとともにもうちょっと体系的キョーヨーをつけなければ と心に誓ったのであった。