ご近所友人が招待券をいただいたと言ってお誘いを受けて こんな舞台に行ってきた。
言っちゃ悪いがチケット代を払っては行かなかったと思う。
だってピーターにしても越路ふぶきにしてもそんなに興味がある人じゃなかったから。
でもね、結論から言うと まあその日は時間あるし~タダなら行かせてもらお~ くらいなある意味不遜な気持ちで行ったんだけどこれが実に良かったのよね。ある種感動すら覚えた。
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一部の「ピーターズレヴュー」還暦なんてブッ飛ばせ
ピーターと四人のダンサーズによるレヴュー へ~ ピーターってもう60過ぎてるんだ・・・ 四人のダンサーズ(♂2 ♀2)と一緒に踊るピーターは背中の大きく空いた燕尾服風のスーツで現れる。年を感じないぜい肉のない鍛えた背中であった。
四人のダンサーズも女性は一人はアラフィフ もう一人は多分over50 なんだけどやはり鍛え上げた見事なスタイル。
最初 彼のデビュー曲 「夜と朝の間に」だったのだけど(知ってる人は同年代)あの低音と中音の切り替えの声にどうも違和感を覚えて内心(あっやっぱり来なければよかったかも・・・)と思ったが、その後に歌った 釜山が舞台のドラマティックな歌(なんて言うんだろ?)がすごく良くてここで真剣に聞こうと言う気持ちになった。
それから彼はトークがとてもうまいのである。一緒にしちゃナンだけど マツコなんかにも共通するあの女装の人たちってどうしてあんなに話が面白いのだろうか? 客席(殆どがover60のミナサマ)のジジババいじりが嫌味じゃなくて面白かった。
そして四人のダンサーズの振り付けもどこか昭和の香りがして、懐かしくってなんだか癒される(だって昭和の女なんだもの)ショーだったのである。
そして第二部は
「越路吹雪トリビュート」歌と語りで綴る越路吹雪へのオマージュを素敵なあなたに・・・
水谷良江 - 水谷八重子 越路吹雪 - 池畑慎之介☆
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最初は水谷良江さんが越路さんについて語る 長い長い語り
<水谷八重子>
私がデビューするかしないかの頃は、越路吹雪さんに腰巾着みたいについて回りました(笑)。年がら年中楽屋でご一緒・・・まったく気取らない、普段のご様子が私は好きでした。
越路吹雪という偉大な方をどこまで語れるのか、私は責任重大だと思っています。
お客様がコーちゃんを知り尽くしているなら、それなりのやり方、腰巾着だった私しかしらないことをお話しすればいい。ただ「越路吹雪ってどこかで聞いたことがあるけれど知らない」というお客様がいらしたときに、
どんな素晴らしい人だったか、普段もどんなに愛すべきひとだったか、
それを100%どうやって伝えることができるんだろう、それがドキドキです。 松竹ホームページより
一人舞台に上がり越路さんとの思いでを語る水谷さん。シンプルな舞台上でただ一人。そこにあるのは彼女の言葉だけ。それなのに退屈させないのはやはり大女優ってことと彼女がいかに越路さんへの思い入れがあるのか であろう。
56歳で癌で亡くなった越路さんは今存命だったら94歳だったと言う。
パウゼでお茶を飲んだ時に同じテーブルに居たグループは70代半ばの女性グループ。ちょうど憧れのスターとして越路さんを仰ぎ見た世代であろう。
その人たちが水谷さんの語りをうなずきながら聞き入り、ピーターの歌に彼女を懐かしむ。
水谷さんの語りの中で印象に残ったこと、約一か月に渡って、この日生劇場でロングコンサートを開いた越路さん。そのチケットが発売一日で完売して、文字通りのプラチナチケットだったこと。今のようにパソコンでポチっとして買えるわけじゃなく窓口までチケットを求めて買ったこと。そしてそのコンサートの間、東京のセレブたちが、ロングドレスと宝石で飾り立てて前方の席を占めたこと。
越路さんもそのコンサートのための衣装はパリのサンローランやニナリッチのオートクチュールで何枚も作るという贅沢さ。
そのパリの案内役は小林秀雄氏、初代の文化庁長官であった今日出海氏 など 当時の日本を代表する文化人だったそうだ。
すごい歌手だったんですね。改めて。
ピーターの最後の歌では「こーちゃん!」という越路さんの愛称の声がかかり、エンディングの後はアンコールの嵐であった。
もっと客席が若けれりゃスタンディングだろうが、年寄は腰が重いのであろう。
あれだけアンコールがあるんだから もう一曲くらい水谷さんとデュエットでもしてくれればと思ったが、やはり出演者の年齢を考えると無理しちゃいけないのかな?
とにかく昭和って時代、今(CD買って投票権を得てセンターを決めるようなそこらにいそうなねえちゃん集団がもてはやされる時代)と違ってスターはスターとして燦然と輝いていた存在があって、その頂点に立ってた越路さんという存在とその周りの文化の薫りってものが感じられたのはとても収穫だった。
越路さんの愛の賛歌をお聞きください ☆