トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

迷いの森にようこそ

2025-05-05 | お倉入り

           高歌一曲 明鏡を掩う

           昨日の少年 今は白頭  唐・許渾「愁思」

 肩の疼きに耐えかねて深夜放送のリスナーとなり睡眠の質が低下したままの孤爺であるが、一方では懐かしい歌曲や興味深い対談や講演の耳福も有ったりして覚醒著しく、ますます睡眠の質が落ちていく今日この頃なのだ。故に「春眠暁を覚えず」なんて諺の適用は全く無いのだった。思春期の頃、真空管式ラジオにかじりついて聞いていた当時の歌謡は未だに好みではあるものの、この頃は「アジアの歌姫」の歌声が心地よく感じる。しかし二つの漢詩をアジアの歌姫の歌声に重ねると「スターと言えど胸に穴が開いたままだったような」の想いもする「シルキーボイス」だ。流行していた当時は聴く機会など無かったのだが睡眠の質が悪化した現在は穏やかになる心地がする。年末以来深夜、長らくポッカリ目覚めて見えても現実はうずいているのだが「眠らなければ!」的な思いも無く「目が覚めたらそこは花園だった」なんて恐怖心も無いのだが、これは耄碌の恩恵なのであろう。

          春心 花と共に発くを争うこと莫れ

          一寸の相思 一寸の灰    唐・李商隠「無題」

 春は巡り来ても春心はカエルやトンボへのそれだけになった老境である。ただ世界は姥捨て山だけではないのでトンボの飛翔を真似て複眼で世界を見れば争う事ばかりで、敢て争いを前面に出す狂犬も出現している。しかし古来よりその先頭に立たされるのは蛙に近い立場の命だけであるのも事実だろう。前掲の「一寸の相思 一寸の灰」なんて詩句は「一寸の兵役 一寸の灰」としか思えない孤爺なのだが、だからこそ「花と共に発く事を争うこと莫れ」なんて世情は平和そのものなんだろうなあと感じる。「老兵は消えさるのみ」なんて達観した人物も存在したけれど吾輩は未だに自転車操業・水商売をやらなければならず、これも老兵の兵役みたいなもんであろう。実労の身体感覚は長いのだが「光陰、矢の如し」は若き日々より速く過去に遠ざかっている。

 


三日月池湛水なった!

2025-03-09 | 水辺環境の保全

 災の河原の砂礫掘りを行うつもりで雨予報の曇天下を出かけたものの途中からポツポツ落ちて来たから吐水量測定と水見回りに急遽変更する。吐水量は毎分12ℓ弱だったから2月末と比較すると少しだけ低下しているが、とりあえずは断水では無いのでホッとする。なんとか3月中に排砂作業を実施し送水量を復活させたい。そのためには老骨に鞭打ち、ン十肩に鍼打ちカイロを貼り、膝には発熱サポーターを装着し衰える身体髪膚を鼓舞し続けねばならん。その一端として我が体内の細菌叢や細胞の隅々にご褒美も与えなければ仁義が廃れるというもので、野菜スープに高蛋白食、ヨーグルトや糀、納豆の類いにオリゴ糖が砂糖代わりとして献上しているのだ。お陰様で毎朝の返礼品は良き色合いで美しくも穏やかである。まあ、夜間二回の目覚めは肩の疼痛も影響しているから痛し肩無し。

 ちょっと少々、大幅な脱線になったが本稿の主題は三日月池だ。前回、見回った時は底が現われてひび割れも見えていたのだがこの8日では湛水できていた。クロスジギンヤンマのヤゴに影響がなければ良いのだが水中にあったニホンアカガエルの卵塊は恐らく乾燥死しているだろう。この日、見た限りでは吸水してゼリー状のままを維持しているようだけれど胚までは確認しなかった。干上がった底を撮影した時にはゼリー状の卵塊は無かったはずだし、その後に産卵される事も無い環境だから確認無用だ。生きていれば儲けものなのである。


花はフグリだ!

2025-03-08 | 小父のお隣さん

 5日未明頃から7日にかけ積算雨量が60mmを越えたから「良いお湿り」だったのだ。雨水頼みの三日月池は干あがる前に辛うじてお湿りに恵まれただろう。ただ依然として取水機能の復旧には至っていないので送水量は減少する一方で、心配しても役には立たないので粛々と災の河原の砂礫掘りを続けるのみである。

 3月に入ると周囲の山の裸木の色が変わって白っぽい枯れ木肌色から霜焼けの指の色みたいな暗赤色に色が変わっている。近くの小枝を眺めれば芽は膨らんできており外皮も淡く色づいてきた。この集合体が裸木をうっすらと染めているのだ。一方、日当たりの良い地上部を見れば早春の草花が開花して来た。一般的には梅や桜が両横綱だろうけれど孤爺的には野草の方が勝る。その中でもとりわけご執心なのがオオイヌノフグリの花の絨毯だ。名前が名前だから連呼は出来ないが「押し」であるのは間違いない。久しぶりにしゃがみこんでオオイヌノフグリを見つめたのだが、まあオイラノフグリは見つめる事は無い・・・。

 周囲を見渡せばオオイヌノフグリだけでなくハコベやホトケノザなども開花して来た。昼近くまで災の河原の砂礫掘りを続けていた孤爺としては一服の清涼剤で、しばし撮影しながら遊んだのである。正月4日から続いている災の河原の砂礫掘りはようやく取水升傘型フイルターを確認できるところまで来たこの日、「自分を誉めてあげたい!」とも「ご褒美を!」とも思うけれど、遊興飲食娯楽などに癒される事は無い孤爺としては早春の妖精だけが癒される対象かも・・・。当フイールドにギフチョウは生息していないが、そろそろツマキチョウが飛翔する頃だしヒキガエルも産卵が始まる。朝も春も時の刻みで確実にやって来るけれど孤爺に春は巡っては来ぬ。まあ、人生の黄昏時、「誰そ、彼は⁉」なんて事態は赤い糸を手繰って降りて来る阿弥陀様くらいかあ。


「綺麗にしましょう!」ではないんだけれど・・・

2025-03-07 | 小人閑居して憮然

 水量測定にフイールドに入ったのだが林道添いの袖群落が綺麗に刈り払われていた。同じ里山保全活動をしている団体なのだが「綺麗にしましょう」が合言葉の様でホントに綺麗さっぱりしてしまうのである。侵入竹伐採が主だった頃には被害は無かったのだが除竹が一段落してしまうと刈り払いに主活動が向いてしまい林床も丸坊主になってしまった。それぞれの活動目的や考え方があるから注文を付ける事はお互いに無いのだが孤爺としては「もう少し学んでほしい」と言うのが偽らざる感想なのである。

 写真の斜面と擁壁面にはハンショウヅルで覆われていて初夏には赤紫の釣り鐘の様な花を見せてくれていたのだ。それを楽しみに季節になると来るファンもいたのだが今期に開花は絶望となった。どうして選択的刈り払いが出来ないのか孤爺には理解できないのだが、それは孤爺の所属している会でも似たようなものだし、周辺で活動している団体の刈り取り方法を見ればほぼ、選択的刈り払いは行っていない坊主刈りばかりなのだ。里山保全活動や森作りで坊主刈りが主流なのは学びも教育も出来ていない現れだと思ってはいるけれど小灌木や細い竹や笹などは斜め切りしていく。確かに鉈や鎌で切り込むには袈裟切りが早くて容易なのはわかるけれど危険この上もない。そもそも環境教育など受けたことが無いのが孤爺の世代だし、その後の世代も「君子は政に携わらず」の構成員での政策下に於いては無理も無いのだろう。


遅々として進まずんば、乳として成らずんや・・・

2025-03-06 | 今日は真面目に

 本日も晴天なり、本日も砂礫掘りなり。降雨前の先日の話になるが孤爺の0.1馬力未満の出力では小型重機の出番でもある砂礫掘りなど進展の仕様も無いのだった。水域の枯渇は目前だし、降雨が長く途絶えている状況では伏流水頼みの取水でしかない現状で排砂バルブを開けて管内の砂泥と共に水まで放出してしまうとどんな事態に見舞われるのか想像もできない。吐水口からエンジンポンプで引く事も考慮したものの、ポンプ購入直後に試した結果は陰圧で空気抜き弁から空気の流入があって排砂作用には繋がらなかった記憶がある。やはり取水升の排砂清掃管理が出来るようにし、エンジンポンプで強制排砂するようにしない限りは根本解決に繋がらないだろう。

 そこで日々災の河原の砂礫掘りに苦心しておるものの遅々として進まん。取水升は子宮体、送水管は臍の緒、その水は羊水に例えられようが、羊水が枯渇すれば生命は失われてしまう。当然、水域のお手入れ孤爺としては哺乳瓶での哺乳も不可能になるのだ。てなもんや三度笠で、この日は砂礫の崩れを防ぐために更に途中に丸太材を1本埋めた。掘り除く砂礫量を少なくしたいばっかりに傾斜角を上げたのだが結果として丸太材を増やさないと取水升までの傾斜が取れないのが判明して、掘り取りの障害になる水流を逸らし排水路を新たに設けるなど派生する諸々の必要雑事も増える勘定になるので進捗度はサッパリなのだ。その上、連日作業だと体力が持たない気もするから一日置き位の作業日設定にせねばなるまい、なんて妄想するから更に遅くなる。願わくば一雨来さえすれば一か八かの排砂バルブ開放が出来やすいものの、結果プラスの見通しが出来難くまあ、早い話が我が人生、日々耄碌中だわなあ。


Iロープを作る

2025-03-05 | 今日は真面目に

 先般、水源地河床整備のために必要な丸太材を調達するのに立ち枯れ木の伐採を行ったのだが重心方向のお約束で掛かり木になってしまった。牽引器が用意出来ていないので結局はそのままの状態で撤退したのだがようやく貸し出していた牽引器が戻ってきたから地上に落とす作業を行える事になる。牽引器のワイヤーロープは10mしかなく沢対岸の立ち木に支点を取れない。そこでクレモナロープを使う事にしたのだが片側に輪が無く解けたままであった。

 そこで補助ロープを使えるようにするには両端に輪を作らなばならず自宅に持ち帰り「雨の日の手慰みに」さっそく編みこんだのである。森作り作業を始めた当時、自力で牽引するための短いIロープは編み込んだ事があるのだが二昔も前の事で編み込み方のABCなど薄れた記憶になっている。どこかに編み方のプリントはあるはずだしネットで探せばすぐにヒットするだろうがうろ覚えのまま編み込んでみた。

 編み込みに廻り方が右だったか左だったかまあ、ロープの撚り目に添って編み込めば良いだけの作業だけれどまだら痴呆・時々ショートの回路では解は適わず、それでも使えれば良いのだと得心して出来上がり。撚り目を眺めれば不自然さは一目瞭然、であるけれど使えれば良いのだととりあえず完成としたのだ。作ってはみたものの災の河原の砂礫掘りはようやく取水堰上端面に到達したばかりで、取水升の在るべき位置は確定できたのだが掘り当ててはおらず、ロープを使う日は予定が立たない先送りになってしまった。でもまあ、「備えあれば憂い無し」で「早苗あれば田植えあり」であるわい。


掘って掘ってまた掘って・・・

2025-03-04 | 今日は真面目に

 お爺となったとて「ここ掘れワンワン!」なんてシバがいる訳も無し、桃太郎のように犬、猿、鶏だったかお供がつく訳でも無し、孤爺のお供は膝に保温サポーター、肩にカイロと湿布のお供であれば粛々と黙々と災の河原の砂礫掘りを続けるのみなのである。ホント、砂礫の中で蚤が掘り進めているに近い感覚だ。「おいらは蚤かいな⁉」と自問自答したところで孤爺のみしかおらんわい。返事が来るはずもない。

 で揉んで、は肩の痛む夜半の寝具の中だけれ「でもんで」今日もまた砂礫掘りを続ける。一応、砂礫の流れ止めに丸太を一本設えておいたのだが、やはり上流部から手当てが必要と判断し、もう一本を運んで据えてみた。その後に流路を逸らして堰上端面を露出させるべく掘り進めて、ようやく50cmほどのぞかせる事が出来たのだ。

 しかし取水升開口部は更に40cm下になる。これ以上掘り進めるには上流部の砂礫層を取り除く必要がある。そんな塩梅を考えてみると据えたばかりの丸太材は上流方向に移動させつつ下側に30cmほど沈めないと取水升フイルターを掘り出せないのが判った。で揉んで、いいえでもんでこの日はここまで。次回は水流を更に逸らして段差工の丸太を更に沈めて河床を下げておかないと取水升までは到着できない。

 25日に吐水量を量ったのだが12ℓ/分にまで低下していた。既に最大吐水量の半分を割っている。現状では伏流水が堰上端にまであふれているから取水升および送水管内の砂泥で水が細くなった、と考えてよいけれど、排砂バルブを開放しての排砂作業は一昼夜の断水をもたらすから降雨で水域が湿っている状態でなければ恐ろしくて排砂作業ができない。水量復活する前に水域の水切れとなる心配があるのだ。まあ、頭頂部に毛髪が減る訳である。3月3日頃に降雨の予報が出たけれど、さーてどうしよう⁉、と言うより粛々と砂礫を運び出し続けねば解決は無しなのである。スコップを使うにしても鍬で掻くにしても銭湯の湯桶一杯分が最大量だから孤爺にとっては天文学的回数だ。


降雨を切望!、三日月池干上がり寸前だ‼

2025-03-03 | 小人閑居して憮然

 雨が欲しいのにお湿りも無い。吐水量を増やしたいのだが取水升は150cmの砂礫層に埋もれたままでは強制排砂も取水升の手入れも不可能で吐水口からポンプで吸引しても空気抜き弁から空気が逆流するだけで水は来ないのだ。

 2月後半、既に三日月池西南端のクロスギギンヤンマの初期発生場所はお湿り程度になってしまった。3月2日、S先生等と見回った際には更に干上がりが進んで中央部の泥土はひび割れている。これだけで「今期のクロスギギンヤンマの消失甚大」のはずだがS先生は「以前調査した結果では、この程度でも湿り気があれば生きながらえている個体は多いはず…」との心証だった。3日月曜は降雨の予報なので降雨とは言わない豪雨を切望したい孤爺である。そうなると災の河原の砂礫掘りでせっかく探知出来た取水升掘り出し箇所がまた埋没する事になる。まあ人生、そうそう棚ボタや「ドジョウが二匹」なんてあるはずもなく「老手に花」なんて事はわが人生、全く持ってないのである・・・。それはともかく2日深夜から降雨の予報だが期待したい。

 ミミズに小便を掛けると降雨するのだったかチンチンが腫れるのだったか漠然とした記憶になってしまったが確かめる勇気もないなあ。

     

 ※3日未明より雨音が聞こえたものの「耳を澄ましてお聞きなさい ポトポトポットン」てな状況ではまとまった雨量は期待できそうも無いけれど、まだ一両日は降りそうだから底面が水域に戻っている事を期待しよう。三日月池は雨水頼みなので江の島の弁天様お願いいたします!。


春が来た来た、春が来た!ウグイス、キタキチョウ、キアゲハ、モンシロ・・・

2025-03-02 | 小父のお隣さん

 今日2日、昨日より気温が上がり22℃を記録したが午前のフイールドは20℃程度だったのでは無かろうか。「気温が上がる」との予報で春時間で出かけて取水堰発掘現場は8時半頃に到着したが、既にウグイスが鳴いている。初鳴きと言うか恐らく昨日の気温下でもさえずったはずだろうから初聞きと言った方が正しいかも。作業中にSさんから電話があって「フイールドにS先生と来ています」との事だったから小一時間ほど作業を行ってから向かった。何と言っても昨年11月以来である。まあ、お互い高齢者でもあるし冬期の姥捨て山など観察対象などそうあるはずもなくまあ、言わば越冬していたと言えるだろう。

 それはともかく姥捨て山フイールドを周れば吐水口の水溜りにはマルアメンボが5匹浮遊していた。S先生によれば「珍しいアメンボ」なのだそうで、小生は水域に大小取り交ぜて数種類のアメンボが観察されるのは日常茶飯事でもあるから「アメンボ」で通してしまう。飴んぼは喉を通すが・・・。水中にはニホンアカガエルの卵塊上に多くの羽化した幼生?が固まっている。ここまで生育すると拡散していくのも近々だろう。ちなみに卵塊が初観測されたのは2月3日で一部の孵化は2月27日に観察している。まあ、一挙に進んだのだと言えるかもしれない。

 しかし取水堰埋没の結果送水量が低下の一途で既に卵塊上部が空中に出てしまった池もある。このままだと大量死の可能性が高い。ニホンアカガエルは絶滅危惧種の類いで近隣にも産卵場所の情報は少ない。「生態系保全」なんてデスクワークの空論で保てる訳はないのだが、それが仕事なら楽だなあ、とバックヤードの黒子作業員は切に嘆くのである。希望的観測としては今夜から降雨の予報だからしっかりと降って欲しいものだし山火事鎮圧のためにも切望する。ホント、雨乞いで本当に降るならスッポンポンで踊るのも厭わない孤爺である。

 さてチョウ類はキタテハ、キタキチョウ、モンシロチョウが飛翔する姿を見せた。残念ながら撮影出来たのはキタテハだけだったのだがセントウソウだったか白い小花が開花している。ツマキチョウの食草にもなるとの話だったが名前が違うかも知れない。もう、聞いた先から忘れていく。ここまで季節が進むとツマキチョウやテングチョウの出現まじかなので目配りしたいけれど主戦場は災の河原の砂礫掘りなので今期は初出現日を見逃す可能性が大きい・・・。

     


今日のエッ!品「拙速なビスコッテイ」

2025-03-02 | 何よりの楽しみ

 ビスコッテイはパンの類いなのかお菓子に属するのか未だに理解できない孤爺なのだがどうであろうとも腹に入れば皆同じになるのはこの世の道理で常識なのである。気温が低くて肩の疼痛発症を避けるためお山詣では自粛したけれど何分、三度の食事だけでは何とも唇が寒い。茶を緑茶にしたりほうじ茶にしたり生姜紅茶にしたりしたところでお腹は茶プ茶プになるだけで口寂しいのは相変わらずだった。そこでココアに変えたりコーヒーに変えたりしたものの満足感は零なのだった。コンビニにでも出かけて「お茶菓子でも…」と思ったのだが気温は7℃程度では出かける意思も芽生えず散々と家の中で魂の彷徨遍歴の結果、ようやく三時のおやつにビスコッテイを用意する事にしたのだった。

 とは言え事前準備も計画性も無い毎度の手太楽で混ぜ合わせるドライフルーツの用意が無い。無くても構わないのだが庭に撒くつもりでシンクの上にぶら下げていた「小豆茶」の出がらしを入れてみた。もともとは小豆であるし、本来は全粒、腹に納める食材なのだからビスコッテイに入れて何が悪い!。本当に悪ければ官憲が獲り縄を持ってくるだろう。悪ふざけではなく更についでに「生姜紅茶」のパックの中身も混入させたのである。これで孤爺人生初、本邦初、世界初のビスコッテイが出来上がるのだ、と奔放さはまだ失ってはいない青春時代に戻った孤爺なのであった。

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 焼き上がってみれば「良い色合い・良い香り!」もう❤な気分で齧ったのだが、時刻は既に夕食時間で三時のおやつには間に合わなかった。まあ、残渣入りであっても香りも色合いも良い。口に含めば甘さがほろ苦い青春に回帰させるようだったのに思わぬ伏兵がいたのだ。それは小豆の粒子で煮え難い小豆の粒子を焼き上げてしまったから固くなって歯に当たる。健康な歯には問題ないのだが予約日待ちの患部の歯にはちょっと辛い粒子の固さだった。残渣物さえ活かすSDGsの試みはあえなく散々な手太楽であった。それでもまあ、歯の間に有る食物を意識しつつ嚙み砕き呑み込むので、お陰様で誤飲の事態は訪れなかったのは祝着至極であったわい。