トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

春よこいこい 早く来い

2025-02-02 | 感じるままの回り道

 「春よ来い 早く来い 赤いべべきたみーちゃんが 春よこいと待っている…」だったかどうだか記憶が薄い。まあ、頭頂部は若きみぎりより薄いのであるから年齢を考慮すれば「歳相応」なのだろう。前向きに捉えれば「健康に加齢しています」と爺我自賛の結論を出せる。それはともかくフイールドで春を感じるのは何と言ってもニホンアカガエルの産卵なのだが1月30日現在、卵塊は発見できていない。例年通りなら1月末には卵塊を見いだせるのだが水見回りも意気が上がらん。

 産卵がいち早く行われるトンボ池は日当たり良好、陽だまりヌクヌクなのだが他の水域はまだ尾根の陰になっていて氷結したままなのだ。水源地の復旧作業は孤爺の人力で尽力しても不可能なことが骨身に滲みて納得平伏したのだが、このまま伏流水の取水が止まればおっつけ速やかに水域は干あがるのである。昨年、県内東西の横綱と我がフイールドを比較検証して面積比較では盃と釣り鐘の差ほどあるもののその生物生息密度は圧倒的に横綱を凌駕している。

 この事実は数年前に報告書として県と市の担当部署に届けたけれど、昨秋のクラス会で「何の反応もなかった」とぼやいたところ、役所務めしていた級友は「そういう物は積読!」と説明してくれた。まあ、孤爺はそれなりに納得したのだが価値判断が緩いのは情けない。ともかく一点豪華主義ともいえる現状なので生息地を点在させてネットワークを広げるなんて面倒は考えないのかも知れん。どちらにしても断水の憂き目が大きく現実の事として実感できる今期、春になってもそうそう喜べない心情でもある。昨秋9月の吐水量は25ℓ/分だったのだが1月末は18ℓ/分にまで減少して来た。排砂バルブの操作で復旧するのか、あるいは砂礫の空間に泥土を引き込み断水に至るのかは全く分からず「為すべきか為さざるべきか⁉」老いたベルテルの悩みは続く。

     

 さてトンボ池は陽だまりなので今期の産卵は何時か?や春に現れるチョウの初見は何時になるのかとか楽しみは待っているものの「水を断たれて環境崩壊」もまた現実として迫っている。つまりは色即是空空即是色、すべて変わらないものなど無いのだと思うしかないなあ。

 


戻って来る⁉幾何回転体・・・

2025-02-01 | 今日は真面目に

 立体形を製作しつつ「手間暇ばかり必要で動きは円盤2枚を組み合わせた物より悪いのはなんて骨体!」と嫌気がさしてきて更に脅迫工作症を悪化させてしまった。「円盤型でブーメランのように戻って来る方策はないだろうか?」と乱暴な思考に入ってしまったのだった。要は「転がっているのだから右回りか左回りをすれば良い!」と単純に考えて即、製作開始である。まあ、脅迫工作症は悠長には決してならないのであった。

 「結論が正しいのか誤っているのか、誤っているならそれは何処か⁉」なんて論理的思考など出来なくなった脳軟化症耄碌の進行著しい孤爺であれば「やってみなけりゃ解らない!」のである。かくして2枚の円盤の片方を小さくすれば一回転で移動する長さが異なるから「カーブするはずだ!」との固い結論の元、曇天を幸いにフイールド作業を休んで縁台工作を開始したのである。直径の差をどのくらいにするか、元より資料もあるはずもなく「1割では大きすぎるから」と直径の差を5%に決めて円板を加工した。そこで問題になるのは「中心間距離」である。オロイドとツーサークルローラーは中心間距離の違いがあるのだが2枚の円盤の直径が異なる今回の数値、正しいのが判らない。まあ、回転距離の違いに委ねた試作だから中心間距離は同等径の数値としてみたのだった。

 昼を摂るのもあわただしく組付け試運転してみた。なんと「曲がらない」のである。考えてみれば見目麗しく真実一路、正直で曲がった事など大嫌いな孤爺の生み出したものであるからして「曲がるはずも無い」のでありました。で、どういう動きを見せてくれたことと言うとこれはびっくり仰天玉手箱!、ひょこりんひょこりんと回転速度が変化する様に見えている。これはこれで面白く見えるのだが直径の差を1割程度にしてみればどうなるのだろうか。フイールド作業を行わねばならないのに脅迫工作症が収まらない。ああ我が老後は、農耕牛馬の様に尻を叩かれて生きておる。

 仕上がったらこれも返礼品の中にいれて送ろう。肩の痛みを我慢しつつ脅迫工作症に付き合ったばかりに今度は座位姿勢多用の結果、腰が痛み始めて来た。まあ、何事も塞翁が馬だのう。


返礼品は幾何回転体で 2

2025-01-31 | 今日は真面目に

 贈ってもらった絵本のお礼にと知人友人経由で、あるいはお孫さんに渡っても構わないのだが幼児がよろこぶ幾何回転体の木製玩具を製作中だ。既に円盤型の物は作ってみたけれど「どうせなら立体形も…」と持病の脅迫工作症が出てしまった。難儀な思いをしながらの災の河原の砂礫掘りは取り止めとして河床安定化作業に変更したものの「痛む肩を休ませたい!」との親心で休日を入れたのである。とは言え脅迫工作症が発症してしまったので工作するほかはなく柱の端材を使い桐材の幾何回転体と円の直径が同じ幾何回転体を作る事にしたのである。たまたまと言うか板材と柱材の寸法が同じ幅だった事が幸いしたのだが考えるまでも無い製材規格の結果なのである。

 サイズは桐材の物と同じ寸法で製作するけれど板材とむくの立体形では加工の難易度が異なるし要領も異なって来る。必要な寸法に切り出し角材に製図した円の中心と円弧の0度、90度、180度に竹串を埋める。これは製作加工の途上で重要な点になるから外せない。全てはこのポイントを基準にして加工し仕上げるのだ。今回、加工を始めて気付いたのだが竹串を着色しておけば見やすくなる。次回からはそうしよう。

 まずは製図線に沿って荒取りをする。これは鋸で切断する。面倒に思えるけれどギリギリまで鋸で切断すると次の段階、サンダーで削るのが粉塵も少なく作業も楽になる。サンダーでの加工は左手に部材、右手にサンダーを持っての作業だからまあ、肩には辛い作業になった。それでも日中は何かと動かすから疼きは生じない。就寝中は動かさないので2時間程度で疼きが襲ってくる。こうなるとモミモミゴリゴリしながら深夜放送のリスナーとなってしまい不規則な睡眠が続いてしまうのだった。

 荒取りが終わったら円弧の部分を仕上げて、円弧から一点に向かう円錐形の部分を形作る。写真右側がその段階が済んだ状態だ。最終的にはサンダーで仕上げるけれど円錐面となるべきところが膨らみ易いから折々に直線定規を当てながら修正しつつ仕上げていくことになる。大雑把な荒取りは午前中で3個分が済んだもののサンダーでの中仕上げは夕方まで掛かり、最終仕上げは転がり具合を観察しつつ微調整の必要があり、更に1日以上必要だった。サイズが大きいだけに手間も余計に必要だった。こういう物は販売品とすると採算が取れない。趣味や好意で作るべき対象だなあ…と感じながらの作業になった。軟硬二種類の材を使ったのだが結果的には作る物を取り換えれば良かった。理由は簡単、ヒノキ材での立体形は柔らかい方が修正が容易だし軽くなる。

     


災の河原の砂礫掘りは終わった・・・

2025-01-30 | 水辺環境の保全

 覚悟して掘り続けてきた取水堰と取水升発掘作業だったが取水堰躯体に到着確認した12日目の作業で撤退を決めた。掘り続けた砂礫層の厚さは1mもあり、これは予想通りなのだったが取水升の維持管理が可能なように露出し続ける環境にするには取水堰下流を堰は最低でもオーバーフロー部の高さと同じにしなくてはならず、取水堰上流部は自然傾斜角に河床を整え更に浸食防止のために沢止め工を施す必要がある。これを可能にするには堆積した砂礫をダンプ2台分位を移動させる必要があるから、とても孤爺の馬力ではやりきれない。そもそも今回の発掘でも行うのは孤爺位なものなのだ。

 作業の必要上、水流は外してある ➡  発掘した溝に流入させる

 さて堰の躯体にたどり着いたものの水中から露わにするには排水路を更に掘り下げる必要があるけれどそこまでしたとて無益に等しい。現状、フイールドの吐水口での水量は16ℓ/分で黄信号なのだが水量が低下した要因に「砂礫に隙間に砂泥が蓄積」あるいは「作業で流路を遠ざけた事による伏流水の減少」のどちらかか両方の可能性があるものの掘削を止めた事で流路を取水升上部に戻せば伏流水の増加が得られるかも知れない。と言う事で早速、流路を掘り進んだ溝の中に戻したのだ。当然急傾斜の溝を流入していく訳なので砂礫もドドドーと流れ込んでいく。ものの数分で苦労して掘り下げた窪みは埋まってしまった。今回の労苦で報われる事のない老躯ではあるけれどとりあえず納得できたし気は済んだと言えよう。

 確認出来るところまで行ったし、これ以上行う事は二度童の孤爺が賽の河原で延々と崩される石積みを行うに等しい。現場は災の河原であるから「ひと掘りするのはケロの為、二掘りするのはヤゴの為、三掘りするのは界の為・・・」とは言え力尽き、伏流水に神頼み、てなもんや三度笠。

 

 伏流水頼みと言えど流路が逸れれば伏流水は減少する。まあ、流路を取水升上部に通しても砂泥の堆積が早まるから結果は断水なのだが「それまではやれることを行う」で、次なる災の河原の作業は上流部の河床安定工事を行わねばならない。幸いにも立ち枯れした大径木が4本ほど沢筋で調達できるので、これを導流堤代わりに使用する。この伐採と移動据え付けも難儀な作業だが水商売・自転車操業の範疇には変わりない。せめて今期生まれるトンボとカエルの幼体までは育てたい。全ては「水があるか無いか」に掛かっている。カエルが減ればキーストーン種の蛇類も減少するだろうから生態系の破壊はお約束である。


あたりがあったようだが濁りで見えない

2025-01-29 | 今日は真面目に

 年明けはほぼ災の河原の砂礫掘りを続けている。まあ、例えて言えば「ありんこが遺跡発掘」しているようなもんだけれど送水が滞れば我がフイールド環境は悪化の方向に一変する。前日、帰宅後に探索棒を黄色に塗装した。販売されているままだと濡れた砂礫と区別がつき難く足に引っ掛ける心配もあるので見えやすくしておく気遣いも大切だ。

 さてこの日は前日に探索棒で「あたり⁉」と思えた感触があった場所を掘り進める。掘り進めるに従い水深も深まるので排水の必要が増す。そのために排水路を穿つのは必要欠くべからざる作業で、この付帯作業が本来の掘り出し作業より量が多くなる。排水を円滑にするためには水勾配は必須で探索穴が深くなれば排水路の深さも下げねばならないし、水勾配を維持するためには流路が長くなる。そのうえ、水路に砂礫が落ちないようにするには水流幅の何倍もの幅で側壁を広げなければならない。故に探索穴を掘り下げ、排水路を掘り進みを交互に繰り返しながらようやくこの日、探索棒にコンクリート体と思われる手応えを確信できるところに到達したのだ。水が濁ったままなのでコンクリート面の視認は不可能だったが、素手で砂礫をどかして触ってみると平面になっている。間違いなく取水堰の一部に到達できたのである。

 視認で確認できるようにするには翌日回しにしたのだが既に元の河床より1mも掘り下げているし取水堰の上部に到達できたとしても取水升面は更に30cm下なのである。これ以上掘り広げても取水升を露わにしたまま取水できる環境まで築けない。この河床の埋まり方では個人の努力や力量を超えた世界になる。素手で触れたコンクリート面は堰き止め堤の部分なのか右岸部の擁壁部分なのか判明はしていないけれどこれ以上、掘り進めても取水堰と取水升を維持管理し易い様に露わにしておく構築は無理だろう。個人で出来る事は「ここまで」で所在を確認しただけで後は伏流水が取水升に入るのを「末永くお願いします」と神仏に願うしか孤爺には打つ手がないのだ。まあ、柏手打っても両手を合わせても肩が痛むし・・・。歳は取りたくなくても正月は開けてしまったし動ける間は動くしかない孤爺蟻の世界。

     


伐採用楔の再生

2025-01-28 | 今日は真面目に

 以前、丸太切断作業の折りに使った楔にチェーンソーの刃を入れてしまった。これで使えずアウトとなったのだが代わりの楔を購入したけれど捨てずに残して置いたのだった。今回、災の河原の砂礫掘りを掘り続ける無駄な作業を止める事にして上流部の流路と河床の安定化作業をすることにした。砂礫の河原幅が三倍にもなった結果、流路を氾濫流に委ねておけば抵抗の少ない取水堰が突破された左岸流になるのは必至だからだ。そのために立ち枯れた大径木を倒して流路を誘導する誘導堤代わりに使いたいのである。

 しかし伐採に必要な機材は現在貸出中で二月に入らないと戻ってこない。牽引器は無くても構わないが楔は必須なので破損した楔を再生して使う事にしたのだ。加工はどうて事も無い、傷んだ部分を切り捨てて先端部から程々のところまで傾斜をつけてやれば良い。実際問題として楔の長さが3割ほど失われているから「それなりの」楔であるけれど「楔もどき」であっても無いよりはましなのである。これが用意出来たので伐採への方向転換はいつでも可能になった。取水堰まで発掘し取水升のメンテナンスを常時可能にしておく事がフイールドの水域保全に必須だけれど堰下側をダンプ1台分、堰上流をダンプ2台分以上の砂礫を取り除き河床安定化の段差工を施す事は孤爺の体力でなくても個人の力量では不可能なのだ。行政も確実に手を出さないから伏流水が止まればフイールドの環境は消失する。

 それに加え必要欠くべからざる取水部の復旧は崩れる砂礫掘りの連続で果てる事のないもがきであり、それに引き換え伐採作業は超危険重労働なれど達成感もあり粛々と行ってさえすれば取水部の保全が為されるのである。とは言うものの取水升を露出しメンテナンスが不可能になった現在、流路を埋まった取水部へ誘導している作業なんて他人が見れば「何をしているんだか・・・⁉」程度にしか思えん行為だ。我が人生は無駄な行為の苦労で成り立っているのだ。まあ、このもがきは取水部のもがりに等しい。


一所懸命・一日一処

2025-01-27 | 今日は真面目に

 「本日も晴天なり。あーあ、掘ってますか⁉」掘ってますようんざりしつつも。と自悶自闘しつつ今日も日日是平日なのであった。寒中とは思えない温かさには有難いけれど水域に水が切れる事態は避けたくて砂礫掘りしているものの全くあたりは無い。探索棒を使うようになったしトレンチで溝を掘れれば作業も早いはずなのだが砂礫層は掘り下げれば掘り下げる程、比例して開口部も広げなくては崩れて来る。この量が掘り下げたい量の何倍にも達するからご老体かつ腕・肩の痛みに憑りつかれているわが身には辛い。

 30cmほど上流側を掘り進めたいけれど掘り捨てなければならない砂礫の量は何倍に増えるのだろうか。流路ギリギリまで攻めれば浸透水で更に崩れやすくなるし、ここまでくると「何時、撤退の決心をすべきかどうか」も現実的になっているのである。この日は前日に掘り出せれなかった流木を金梃子を使って水面上に持ち上げたのでチェーンソーを使って切断出来る。半分になれば動かすのも楽になる。まあ、穴から場外に出したとて探索棒からは何の返信も無かった。すでに元の河床からスコップの長さに相当する深さに達したのだが当たりは無いのだった。

 ➡  

 ここまでに至ると「伏流水で送水できているのだから、これにだけ頼って維持するか⁉」の浮気心もちょくちょく頭をもたげて来る。上流部まで河床が埋まり河原が広がった状態を放っておけば流路が出水の度に移動して取水堰から離れた左岸流になる可能性は高いままなのだ。立ち枯れしている大径木を伐採して流路安定化のための堤代わりにする作業をした方がベターに思えて来た。流路安定化作業の方が即効性があるからだし、仮に取水升を掘り出してみたところで周囲と上流側に大量に堆積している砂礫の再堆積で埋没を防ぐ算段は今の処皆無だし・・・。深夜、肩の疼きに悶えてみたところで解決策は出て来ないのである。そもそも孤爺の人力、馬力に換算すれば0.1馬力にも満たない出力では無勢に多勢なのである。勝負は決する事すら不要で既に決している中のもがきでありあがきなのである。

 まあ、溺れる者は藁をもつかむ、そのものでもある。そろそろニホンアカガエルが産卵に来る頃になったのだが水域への送水が滞るにしても、せめてオタマジャクシが幼体になるまでは水を維持したい。現状では定着したトンボの絶滅回避までは無理の様に思えて来た。

     


骨折り損!心はもっと折れる・・・

2025-01-26 | 小人閑居して憮然

 この日、大寒なのに暖かく穏やかな日になった。前日の作業は曇り空で作業を始めたらポツポツと落ちてきたのだ。シーツや包布を干したままなので大急ぎで帰ったから無駄もいいとこだった。この日は気合を入れなおし山側に添ってトレンチをする。もしかしたら透水壁や取水升のフイルターに当たるかもとの儚い希望はこの日も費えてしまったのである。探索棒に当たって探りの障害になる木質部、排除するために掘り始めたらことのほか長い流木だった。への字に曲っているがゆうに3mはあったのだ。その上、下側に枝が埋没しているようで上部だけを露出しても動きが悪い。この日はこの厄介者のせいで掘り上げは思ったほど進まない。

 牽引器があれば一発で引きずり出して蹴とばし三発くらいは見舞ったのだが孤老のご老体、肩の痛みに耐えかねての作業なのに足を痛めては万事休す、緑茶も急須、てなもんや三度笠。ツッツモッツと進まない作業なので妄想も著しくなる。孤老の傷心を埋めるものなどあるのかどうか、つらつら考えてみてもご馳走に魅力は無し、スイーツも麩菓子くらいでよろしい。まあ、遊興飲食娯楽など癒しにもならず、読書も睡眠導入剤代わりでは肩は冷えるし本を持つ腕は固定されたままだから肩や腕の痛みを増長させるだけだ。であるから図書館からの借り出しは数年ぶりで全面禁止にしている。

 で、テレサテンのCDを買ってみた。生誕70周年記念アルバムが出ているのだがスーパーのレジ前には置いてない。街に出かけるかネットで注文するか、まあ、とりあえずは傷心の孤爺をCD1枚で梃入れするのである。BGMにしながら聞きほれていると確かに「アジアの歌姫」と言える実力だけれど、音調が綺羅星の歌姫なのに何か哀しい。スターであっても心の深淵には寂しさや哀しさが満ち満ちていたように思えた。まあ、孤爺が流木一本で心を折ってしまうとは日本男児にあらざりき。頑張ろう!突き上げる空に…突きあがらない現実は痛いままである。フイールドのカラスさえ泣いてはくれなんだ・・・。


*内憂外患

2025-01-25 | 小人閑居して憮然

          今日は鍼外出懐炉夜湿布

          わび住まい温み感じし初日受く

          餅ひとつ無きぞ新年節痛し

          ああ疼く深夜動かす肩回り

          三角筋乳房の如く揉む深夜

          異常気症冬に笠雲ふじの嶺

          初春や冷報不二は吹き曝し

          不治の山大沢崩れや治山不可

          へたれ嶺樹海に迷う不二の人

          奢れ者久しからずや自滅なり


そろそろ産卵期だが…

2025-01-24 | 小父のお隣さん

 一月も終盤になるとニホンアカガエルの産卵が始まる。今期は隣り沢災の河原の砂礫掘りに勤しんでいる結果、水域の巡回が疎かである。その穴を埋めるために災の河原の砂礫掘りを終えてから我がフイールドに立ち寄って水見回りをした。前年の度重なる大量出水で各々の池の水深は浅くなっており早急に浚渫の必要があるものの取水地の破壊に振り回され手が回らないし肩の痛みで腕も肩も回らないのだ。なんと切ない老境だろう。

 取水升の在りかが判明しないまま伏流水が得られている状況で送水は維持出来ているのは天恵と言わざるを得ないけれど今日、吐水口で水量を計測したら16ℓ/分だった。通常は黄信号の水量であるが現在、隣り沢の流路は掘削発掘の関係で流路を取水堰から遠ざけている。その結果なら水路を戻せば水量は復活するはずだが、これはその時になってみないと判らない。

 さてニホンアカガエルの卵塊があるかどうか水域を辿りながら観察したがまだ産卵はしていなかった。だがエノキ林内に置いたトンボ用の産卵水槽の中にニホンアカガエルのメスが一体沈んでいる。孤爺に気付いて沈んだのかと思ったけれど既に絶命した個体だった。皮膚はまだ新鮮だったし、これと言った外傷も無いので絶命した理由は不明だ。腹部が膨らんでいるから産卵前のメスだと判断したのだが体格が小さ目だから今期、初産卵するはずの個体だったのだろう。水中に置くと水を汚染するので水から出したけれど埋めずに他の肉食生物に供する事にして草の上に置いた。惜しいかな惜しいかな、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。