トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のエッ!品「パジャマのサイズダウン」

2024-11-26 | 何よりの楽しみ

 中国土産の定番シルクのパジャマ、着る事も無く箪笥の肥やしだったのを大人用Lサイズをダウンサイズして子供用150に直してみた。既製品の手直しは二回目で手順は承知だけれど絹地の扱いにくさはなかなか慣れる事が無い。縁かがりすれば丸まるし待ち針は止まらずすっぽ抜けやすいし、何とも扱い難いのだった。その縫い方のムラを無くす方法は「紙を敷いて縫えば良い」と教えてもらった結果、綺麗に縫えたのだったが直線縫いならまだしもジグザグ縫いでは縫い目の中の紙が外せない。つらつら考えた末に洗濯機の「お洒落着コース」で水洗いする事を思いついたのだ。行ってみると挟まれた紙は綺麗に外れてくれたのだが結局、「紙を挟んだことで水洗い一回手間が増えた」事になる。

 しかしながら手間を掛けた事が幸いして縫い目が綺麗に揃い変な皺よりも無かったのである。紙が抜ければ、その厚さ分、縫い目が緩くなるけれど最終的には縫い合わせた切り端はジグザグミシンをかけてから倒して生地に縫い付けたので支障はない。さてズボンの縫い合わせをする段になって左右とも同じ型なのに気が付いたこれではズボンが出来上がらない。確認すると裏表間違って縫ってしまったのだった。結局は縫い目を切り外し新たに縫い合わせる事になった。概ね一作品に一回程度は間違いを起こし縫い目をほどき縫い直しする羽目になる。まあ、お約束みたいなもんか…

 それでも何とか完成したのだが仮縫いが出来る訳も無し、着る当人の趣味や意向を知っていてでは無しなので多分に押しつけがましくお仕着せなのは自覚している。それでも雨の日や早い日暮れの季節の暇つぶし・手慰みとしては上質だし楽しめた分だけ一文の得。作家なら「文才がある」と言われるのだけれど裁縫では「才縫がある」では意味わかんないし「縫才がある」と言ってみたところで「ホウ、そうかい…」で終わるか。やはり孤爺は孤爺なのであった。あーあ、人生は努力していても認められるとは限らんものだ。

     


二八ソバ粉でドライフルーツ入りビスコッテイ

2024-11-24 | 何よりの楽しみ

 今期最低気温の日は雨模様だ。当然、自宅謹慎・軟禁状態やむなしでさーて就寝時間まで長ーい一日になる。ソーイングは始末が一段落で「森の市」に出品する玩具でも準備するかとホームセンターの開店時間に合わせてヒノキ板を買ってきて製図したのは良いけれど室内でジグソーや木工旋盤を使う訳にもいかない。時折は雨が止む状況だったのだが外気温12℃前後ではおいそれと縁台作業もしたくはないし結局、午前は板材に部材の製図を済ませてお終い。午後は久しぶりにビスコッテイを作る事にしたのだった。

 と言うのもお茶菓子が全く無いのである。スーパーの棚を眺めてもこれと言って食べたいお菓子も無くて何時も買いそびれてしまっていたのだ。この日は暇つぶしに新機軸に挑戦した。そば粉でビスコッテイを作る事にしたのだが「そば粉100%」だとつながるかどうか分からず薄力粉を混ぜてみた。実際には卵を三個使うのでボロボロにはならないと思っても経験値を欠く。材料を混ぜ合わせた段階で水分が不足して固すぎた。原因は明白で「レシピは薄力粉80gに卵三個」なのを「二八そば粉100g」に卵三個だから当然だったのだ。結局、味醂を入れヨーグルトを入れ賞味期限が過ぎた青きな粉も投入して生地が出来上がったのだった。まあ、孤爺だけが食するお菓子なのだから何を入れようと文句はない。この逸脱感が食べたいより優っている様にも思えるので、やはり異人変人奇人老人の類いなのであった。

 大和男なので賞賛は恥であり程々にして後は焼くだけであって1回目と2回目は順調に終わる。量がレシピより多いので焼き時間を増やす事になるのだが理屈は無くて山カンで済ました。1回目は芯まで火が通っていたし2回目もカリカリにはならなかったものの十分な出来上がりで、これで漸く数日間はお茶菓子が食える事になった。さて、肝心のお味なのだが行き当たりばったり、だったにもかかわらず出来上がりまったりで、行き倒ればったりにもならず、なんとも小生孤爺の腕が上がった事よと独り悦に入ったのだった。まあ、難を言えばそば粉が主原料なので色合いが悪い。「焼き上げてきつね色」美味しそう、とにはちょっと遠かったものの満足で執着至極だったわい。

 二回焼きのレシピなのでそば粉の風味が飛んでしまったように思えて残念な気持ちもあるけれどそば粉は残っているからまた作ろうか、それとも蕎麦掻で風味を堪能しようかと浮気の虫の欲望は果てる事が無い。


今日のエッ!品「サイドボタンノースリーブを冬物に転用」

2024-11-21 | 何よりの楽しみ

 ロープカーディガンの生地購入に際して「間違うリスク」も考慮し長めに購入してきたのだが、当然余ってしまった。さーて、これをどうするか眺めていたら夏用のノースリーブなら型どり出来そうだった。しかし今は冬で寒冷地仕様にしたいのでサイドボタンは止めて前開きの前ボタンにし、着丈も少し長めにして腰回りも保温できるようにした。端切れを見ればポケットくらいは出来そうなので寸法を測ったけれど折り込んで縫い代を作る余裕がなく、ここはバイアステープで処理して使った。

 この日は絶好の小春日和で、当然フイールド直行日和でもあったが前日にはこの縫製を想起していたので迷わずフイールドはお休みにする。どちらかと言えばフイールドの優先度が高いのだけれど、向こうは一日行っても終わる事は無しで、こっちは本日で決着を見るから逐次処理の原則に立ったのだった。まあ、朝令暮改、手前勝手、支離滅裂を大手を振って行えるのも宮仕えの身では無くなった賜物でもある。

         じいさんが 夜鍋をして

         部屋着を縫ってあげた

         信濃の夜は 冷えるだろうと

         せっせと縫っただよ

         世話焼きの 小包送る

         加齢の臭いがした       元詩 窪田 聡 作詞・作曲「母さんの詩」

     


今日のエッ!品「ロープカーディガン⁉韓服⁉…」

2024-11-16 | 何よりの楽しみ

 我が年中行事みたいなものでもあるし自己脅迫的欲求みたいなものでもあるけれど早い話「ビビビッ」に追いまくられての結果であって私は弱い人間なんです。そして齢は忘れてしまった状態なんですけれど手作業と自転車の乗り方はまだ消えてはいないのである。先般、弟の処に立ち寄った折りに「オジサン風」を吹かせたく手土産を持って行ったのだが、これを結構喜んだとの話だったから再度の「オジサン風」を吹かしたくなってきたのである。「ヤナギの下に二匹目の泥鰌はいない」と言われるけれどKYなのが「オジサン」の特権である。しかしJKにはまったく無縁なのが姥捨て山孤爺の特筆事項である。

 で、今回のチャレンジは「ロープカーディガン」にしたのだが寒気厳しい佐久平の事だからキルトで作る事にした。キルトでは袋物を作った経験はあるものの洋服など未経験なのでどうなるやら全く見当もつかない。しかしそれはそれ「良い事も悪い事もすぐ、ビビビッが原動力」の今日日では「やるっきゃない!」のもまた事実なのだった。まずはキティちゃん柄のキルトとバイアステープを購入して来た。手順通り型紙を用意しパーツを切り出した。アイロン,縁かがり、待ち針の三要素は丁寧にやるのが綺麗に製作する秘訣だと理解できているから心を込めて行ったのだったが・・・。

 しかし、パーツの縫製やパーツの縫い合わせになるとミスが多発する。生地が生地なので裏表や左右を取り違える事はありえなかったが縫製が進むとモコモコと嵩張るし縫っている場所の邪魔をするようになる。これが結果的に赤い紐を同時に縫い付けてしまうミスにつながった。こうなると最小限、糸目を切り外し、再度縫い直しが必要になる。まあ、こんな手太楽で二日目にして完成したのだが、吊り下げて見て愕然とした。後ろ身頃に見返しが入っていないし見た目は「韓服」になっている。テキストにあった「ロープカーディガン」の軽やかな洋服のイメージは消えてしまった。がしかし、夜の防寒着としてキルト地にしたのだから、後は着る当人が好んでくれるかどうかが最終関門だ。まあ「NO!」となったとしても雨の日の手慰みで楽しんだのは帳消しにはならないのである。

 この洋服から妄想し回想療法に入ったのは小学校入学式当日の集合写真だ。保護者も含めての写真なのだが半分くらいが子を背負いネンネコバンテンを羽織っている。中にはおっとちゃんもいるのは時代であろう。表情を見れば笑顔は一人とていない。これも写真慣れしていない時代である。我がマドンナも仏頂面していたがやっぱり可愛い。まあ、「こんな頃もあったなあ…」が実感か。

     


手拭いで作った頭巾帽

2024-11-15 | 何よりの楽しみ

 スキンヘッドと言うレベルでも無いが3分刈りの頭部は何かと危うい。直射光は厳しいし何かに当たると傷にもなり易い。そこで「頬っかむり」では不審者通報に晒されるので箪笥貯巾の手拭いで頭巾帽を作り愛用しているのだ。手拭いは配り物で入ってくるものの、昔ほど使い道がある訳も無しで、最近はやりの美術的な飾りにも出来る手拭いであれば良いけれど、配る方も1枚千円以上もする手拭いでは気軽に配布も出来ない。

 てなもんや三度笠、いいえ、てなもんや頭巾帽てなもんで使っていても数年は使用できるのでそうそうは減らないのである。そんな折にクラス会に着用していた頭巾帽を「使いたい」とリクエストがあったから暇つぶしの手慰みに最適と早速、箪笥貯巾の手拭いを総動員して縫ってみた。雨の日の一日を朝食後から夜鍋仕事まですれば10枚程度は容易に縫える代物だ。しかしそこはそこ、メジャーリーグをチェックしたりお茶を一杯飲んだりとグダグダの休日だし裁縫ボランティアでもあるから気ままに作業する。

 やり始めれば浮気の気性がムクムクと頭角をもたげて来るけれど肝心の頭角はとうの昔にもたげる事も無くなったのであるからして貴重なムクムクなのだ。一方、頭髪のムクムクモコモコは青春時代を境に減退し始めて現在に至るのであった。まあ、人生なんて思い通りにも希望的観測のようにもならなかった思い出ボロボロ湿疹ボロボロだったなあ。そういう事は「水に流して」と想えども流せるもんで無し、わが身我が心が流されるままに時が経過したのだった。

 ここまでに至って本題から大きく逸脱した事に気が付いて被り物に軌道修正すると、貯巾してあった手拭いとインドネシアの手織りの民族布、越後の麻布でも作ってみたのだが使い勝手に難がありそうに思える。麻布の通気性は抜群なのだが固めでフイット感が悪いかも知れず民族布は派手過ぎて好みに合うかどうかわからない。頂き物の手拭いは基本「広告」なので装着者の好みやセンスにかかわって来るから被ってもらえるかどうかわからない。そこで少しはセンスの良い手拭いで作る気になって販売店を探したら車で15分程度の処にあった。HPを覗くとあるある好みの柄が、しかし数千円もするのだった。まあ、遊び半分手慰み半分のソーイングだからと廻ってみたけれど残念、扱いは無くて大型ショッピングモールもガーゼの品物だけで頓挫。通販にすれば良かった・・・。

 


ヘキサ・スフェリコンの製作デザイン

2024-11-05 | 何よりの楽しみ

 一月末に「森の市」が予定されていて出品はコロナの影響で今年と昨年は出品しなかった。そのため作りためた木の玩具が邪魔になり昔のよしみで施設に引き取ってもらったのだが、今になると市に出品する品物が無い。11月、12月はそれでも縁台加工が出来るのだが1月に入ると寒くて屋外工作は遠慮したい。そんな事から見本に残して置いた玩具の点検をしている時にビビビッと何時ものお告げがあったのである。

 幾何回転体は作り易いオロイド、スフェリコン、ヘキサ・スフェリコンと3種制作してきたが今回のビビビッはヘキサ・スフェリコンだった。今まで木材で製作していたのを簡便に塩ビ管で作れば早い、と思ったのである。

 とりあえず試作見本として作ってみる事にして塩ビの継手と中隔壁になるアクリル板を購入して試作してみた。管径で正六角形の寸法が決定するのだが計算できないから図面に現物の切断幅を合す事になる。材料の管と隔壁の素材が異なり、安い塩ビ用の接着剤が使えない。瞬間接着剤も瞬間では接着できなく固まるまで我慢辛坊が必要だった。固着してから転がしてみたのだが思ったよりうまく転がった。材の継手もワンサイズ太いのだと肉厚でこちらの方が丈夫だし接着面が広くなるから安心かも知れない。ネジ止めも可能な幅がある。しかし価格は倍近いからコストは上がる。

 さて、既に実物見本は無く画像も失せたので「半円形4枚接合型」が一番最初に試作したのだがパーツが多いのと正確に組み立て固定するのが面倒で円柱を縦半分に割ったのをずらして接着したのが二作目である。これは市販の円柱を外径で決まる高さを出して半割にすれば接合部も広く丈夫で重さもあるから転がる事は転がるのだが重心の偏移が大きいので慣性の作用も大きくなり平面で転がすと長続きしないし見た目も「野暮ったい」のでもう少しセンスを上げたデザインにした。

 三作目が木工旋盤で中刳りして円筒形に仕立てこの外寸から長さが決まるから切断・半割して接着した。デザイン的にも好きだったのだが旋盤で中刳りするのが結構、危険な作業で時折は材料を吹っ飛ばしたりするからそうそう数はこなせない。どのタイプにしても運動エネルギーの損失が大きく長く転がり難いので緩斜面で重力の助けを借りて遊ぶのがベストか…。 

 一方、片持ち状態では強度に難があり、また子ども等が遊ぶ事になると角が出ていたり指を挟むかもな、などの可能性が捨てきれないから隔壁を入れてリスクを解消する事にした。これで隔壁採用となり半円四枚使用時の中子や隔壁を伴った初期型に戻った感覚である。

 四作目が今回、ビビビッときた塩ビ管を使う制作方法である。作ってみれば製作時間も少ないし出来上がりも均一性がある。数を作るにはこれが楽だけれど、いかにせん木材ではないのが気になるのであった。ここにきて一番最初の試作過程を思い出した。「骨格だけだと接合部が小さく弱い」ので接合部にダボを入れて接着したのだが面倒だし強度も向上しなかった。そこで菱形の中子を入れたのだが、これも接合と正確に菱形を作るのが面倒で量産型にはならなかった。

 結局は写真左と右のタイプが量産型だろう。個人的には真ん中のタイプが好きで隔壁の樹脂板をカラーにすれば見た目にも可愛くなるし隔壁が正六角形なので半割した片側を60度ずらして合わせたのも一目瞭然、明快である。正式名称はヘキサ・スフェリコンと言うのだそうだが「なんのこっちゃい」であって小生は「ガタコン」で通した。他は「コロリン」と「コロコロ」と転がり方の特徴で名前を付けたのだ。

     


今日の素労風努「北秋田なっつとナチュラルチーズ、糀の合体」

2024-11-02 | 何よりの楽しみ

 常備菜の薄幸惣菜が切れてしまったのだがキムチを主材とした同じレシピにするかどうかで食べきるまでにつらつら妄想した結果、「もったいないけど…」なっつと合体させてみる事にした。テレビの画面に「合体!」と大きく出るシリーズ、合体だから尻sでもあるだろうが主役の突然死は他人ごとではない。今際の際は原因からして極めて短時間だっただろうと想像するが当人にとっては長い時間と感じたかもしれない。とは言いつつも長患いの無かった身じまいの結果は大方の高齢者にとってはポックリ様を信仰する、しないに関わらず願う事でもあろう。

 さてそれはともかく「もったいない」と思いつつ三味合体させたのはこの期でしか賞味出来ないと思った結果だ。ナッツはご飯のお伴として☆☆☆なのであるが材料を揃えるのに難があるし既にご飯にサラダにと使い回しをして体験もしたのでこの際、のこったなっつを合わせる気になったのだった。特濃特密ヨーグルトはスキムミルクを合わせ24時間培養したヨーグルトなので既に塩分の無いナチュラルチーズに近い。糀も水分最小にして保温して戻してあるからただ合体させるだけで済んだ。

 食べて見れば惣菜と言うより甘くないペーストスイーツを口に入れた感覚だ。咀嚼をしてみれば素材の漬物の粒々が感じられて、これはこれで新鮮だった。まあ、敢て難を言えばキムチやザーサイが主材の物よりインパクトと言うか物足りなさがある。キムチ主体のこれを食べ続けた結果もあるだろうが「穏やか、主張が少ない」美味しさだ。まあ、こんな老後が日々是好日なんだろうなあ。こんな物を作り続け食べる事の出来ている日々は、食が口まで届かない多くの子どもたちも居る事を思うと決して貧しくもなく不幸でも無い孤爺の日々なのであろう。自前自作であるにせよ世界唯一の薄幸惣菜なのだ。


今日の素労風努「特濃厚濃密ヨーグルト」

2024-10-25 | 何よりの楽しみ

 牛乳を毎日コップ一杯は至難であって、涼しくなればチャイ風にして飲用するけれど少々面倒くさいのだ。そこで乳製品は発酵させてヨーグルトにしたうえ、キムチや糀と混ぜたお惣菜風にし毎食食べるけれどヨーグルトの水分を抜くのもいささか面倒に感じる。そこで最初から「ホエーの生じない濃厚で濃密なヨーグルトを作るにはどうすればよいのか」なんて課題がまだら痴呆現在進行形の中でたまたま回路が繋がって「ビビビッ!」と来たのである。その発端は「ギリシャヨーグルト」で、小生は実物は知らないがなにか固さが勝ると言う様な話を思い出したのだ。

 店頭にギリシャヨーグルトは並んでいるかも知れないものの「さらに勝る一品」は先祖伝来雅な越後の水飲み百姓の出自と沽券に掛けても達成しなければご先祖様に恥ずかしい。本来、水飲み百姓であっても「百姓」と言われた誇りは保たねばならん。聞くところによると「百姓」は差別用語で放送禁止用語だそう職業蔑視を糊塗する本末転倒である。百姓をやってみればわかるけれど単細胞では成り立たない奥深さがあるからだ。その上、身をもって事に当たらねば出来ない仕事でもあって小生は「百姓」に燦然と輝く後光を見るのである。そもそも一次産業は国家国民の命の綱、生命線である

 さて、またもや馬鹿さ加減を晒してしまったが孤爺の思考は乳酸菌様の意向に沿ったものとなって大成功となったのである。まずはスキムミルク一袋を温めたミルク1ℓに十分に撹拌し溶かし込み、種菌も混合させてヨーグルトメーカーで24時間保温発酵させた。通常は8時間程度なので3倍の時間を掛けたことになる。その結果、ホエーは大匙1杯程度しか出て来ず、容器を横倒ししても流れ落ちない固さになっていた。例えれば「絹ごし豆腐」程度の固さなので容器を反転すればそのままの形で出て来るだろう。食味は長い発酵時間なので酸味が強くなっているが弱い甘味も感じられる。これにジャムや蜂蜜を掛ければスイーツになる出来栄えだった。冷蔵庫にあったのは梅とリンゴのジャムだけだったのでひと匙添えて試食した。

 そして半分は一晩更に水抜きしてみた。いつも通り、仕掛けに盛ったのだが何時もとは異なり半量しか盛れなくて「まあ。試しだから…」と一晩おいてみた。やはり嵩の目減りは無くホエーも大匙一杯程度溜まっているだけである。小匙で掬い口に入れてみるとほぼ「ヨーグルトチーズ」であった。庫内のヨーグルトチーズと食べ比べしてみると食味はほとんど変わらない。これを更に加熱し「蘇」になるまで調理してみようかどうしょうかとまたまた迷いが生じて来る。加熱すれば乳酸菌は死滅するし蘇にする意味があるのかどうか人生、煩悩とは切り離せないものである。


今日の薄幸食「北秋田なっつ」もどき膳

2024-10-19 | 何よりの楽しみ

 薄幸食にしてはご馳走すぎる嫌いがあるけれど低年金高齢の孤爺としては好き嫌いは言えない立場で、寂しい懐と頭頂部では贅沢も出来ない。その一方でこう言う献立を食したくても銭金積んで食べられる訳も無し、すべてはわが身阿修羅さまか千手観音様のようにその身を駆使て達成しなければ口に入らないのである。

 であるからして「北秋田のなっつ」もどきを夜鍋して刻み漬け込んで、ようやく試食の日となった。ここは郷里南魚沼の新米で食したのであるが、これも郷里の米であるから贅沢の内には入らないだろう。てなもんや三度笠の結果、献立は南魚沼のコシヒカリ新米ご飯、ナスの味噌汁、お惣菜は金時草のお浸しになっつをまぶしたサラダ風、フルーツとして柿である。

 まずは炊き立てのご飯をひと口食べて見る。これだけでもお茶碗一杯はいけるけれど「なっつもどき」と合わせて二口目にようやく試食となった。なっつもどきを漬け込んで上がってきた液は捨て、食材だけにしたからほぐせば容易にご飯と混じってくれるのだった。このまま混ぜ込んでお握りも「旨いはず!」と思いつつ、それはまたの御愉しみだ。結局はそれだけで一杯を食べ終えてしまい次は金時草となっつのサラダ風である。

 当地では金時草は店頭に並ばないから庭に多年草扱いで生えているけれど、元はと言えば春の開花に「アサギマダラが吸蜜に来る」記事を見てから植え付けしたのだが、大元は畑を借りていた頃にも栽培していたから既に30年も前の話だ。春の開花は南国ではない為か冬季には地上部が枯れ、春に萌えだしても蕾はつかず、目論見はオジャンだったし小生はおじんになったし普段の食事はオジヤかおかゆのかつかつの日々と相成ったのである。本来「なっつ」には漬物の旨さが凝縮されているからこれを調味材として混ぜればそれだけで旨い一品が出来る。この味は「美味しい」のではなく「旨い!」のであった。献立の反省点と言えば「蛋白質の不足」と言えるけれど一食や二食くらい蛋白質が少なくてもそもそもの人体髪膚の稼働には影響はしない。生命体細胞は融通が利くのだし精米体細胞は美味しいのである。

 残りのナスの味噌汁とフルーツは単なる付け足しになってしまい、無くても満足な夕食になっただろう。次なる混ぜご飯でお握りの試食には生姜漬けを刻んで足して喰ってみよう。寒い日のお握りに最適になるはずだ。

    


今日の素労風努「北秋田のなっつ」もどき、なんちゃって・・・

2024-10-14 | 何よりの楽しみ

 夕食を済ませテレビをつけたら「小雪と発酵おばあちゃん」が映っている。「そうか、録画予約していたんだっけ…」とそのまま視聴する。視聴しながら「美味しそう、食べて見なくては!」と材料を書き出してみたものの入手不可能な材料もある。そこは雑駁な孤爺であるからして「ともかく10種類混合だ!」と思いつくままに書き出したのだが翌日まで待てない。そのままスーパーへ直行して材料を用意する。山ゴボウの漬物とナメコの缶詰は無かったので結局は以下の様な材料になった。食用菊は冷凍した物が残っていたからラッキーである。これが欠けたら北国の献立にはならない。ともかく漬物中心に10種類を混ぜ合わせる事が肝要と台所に立った。

 夏の猛暑と度々のゲリラ豪雨でフイールドの手入れが遅れに遅れ、この日も泥水池内のチゴザサの群落を掻き上げて来たので「昼寝30分」を許したのだがアラームを止めてからまた寝入ってしまい寝すぎてしまった。これで普通に就寝すると深夜放送のリスナーになってしまうから夜鍋の惣菜作りはGOODなのである。揃えた材料は写真の物でバッド内は大根の味噌漬け、ラッキョウの溜まり漬け、キュウリの醤油漬け、エノキの瓶詰である。左横二点はしその実入りの昆布の佃煮と食用菊で上段左から高菜漬け、ザーサイ、梅干しのしその葉、ナス漬けの10点になる。これを刻んで混ぜ合わせただけなのであるが大匙一杯をつまみ食いしてみたらこれが馬鹿旨い、「溜息のでるよーな・・・」なのである。まあ、夜な夜なよからぬ妄想の果て寝落ちする人格品性じゃもの手間暇かけ工夫して喰いつなぐ伝統食品しか「旨い・美味しい・食べたい」と思わないのも致し方なし。何せ南魚沼の雅な米作水飲み百姓が出自じゃものグルメなど縁がない。

 さてすぐにでもご飯のお伴、にしたいところだったが夕食は既に済んでしまい、泣く泣く容器に詰めて重しをし、冷蔵庫で数日間馴染ませながら発酵を進めるのだ。糀とヨーグルトチーズを混入した一品も作っておこうと思いはしたものの、冷蔵庫内にキムチとザワークラフトにヨーグルトチーズと糀を混ぜた一品もあるから両者を混ぜて試食すれば良いだろう、と先送りする。こんな一品に納豆を混ぜたら最強の発酵惣菜になるだろうなあ。とは言え、こんな混合物を喜んで食べる孤爺とは「人間ではない化け物」みたいに思われているやも知れん。まあ、人生なんて薄幸の試練の連続なのであるから食材に発酵食を多用して何が悪い!。免疫が強くなるだけスイーツやご馳走なんかよりなんぼかマシだ。

 しその実が入れば香りと食感が増すのだが生憎、市販品が無かった。フイールドの畑に会友が作った紫蘇が放置されていて「実を取っていいよ!」と言われていたのを思い出したから明日採集しよう。既に開花後、日にちが経っているから時期を失しているかも知れないが、とりあえずは行ってみて使える様ならアク抜きの水浸け1日、塩漬け2日で混入できるはずだ。それから数日は馴染ませの時間だから、旨いものを食べようとすると時間が必要で、我慢辛坊はそれを上回るので待てない性格の孤爺にはつらい日々になる。人生、哀しみや辛さはいつでも横に背中にあるのだが小生には頭頂部にもおあしますのだった。


猛暑の中にも幸いあり⁉

2024-09-24 | 何よりの楽しみ

 「何でこんなに暑くなる!」は理解出来ないのだがマイアミの球場の熱さは理解できているから耄碌も一休み、であったものの彼の大記録達成を期待するより「怪我はしないでくれ!」の日々だった。それはともかく殺人的猛暑下ではひっそりと自宅謹慎蟄居閉門しか孤爺には無いのであって、そうなるとなんとか身の処し方を考えねばならない。そこで浮かんだのが「里山保全活動の集大成」とも言うべき自著の再構成と加筆であった。この引きこもりはエアコンの有る食卓での作業だったのだが以外に快適であったのだ。それでも浮気性の孤爺としては浮気心も忘れなかった「もったいない」精神は耄碌したとはいえ健全なのである。しかしここで大いなる疑問に突き当たる。「健全なのか執着なのか⁉」と言うロミオ様人生の大問題である。まあ、浮気性が本能に基づく三大欲求の中の現象なら減少するはずも無し。

 さて、そんなところで浮気性の求めるままに手を出したのだ。まずは冷凍コーンを加熱してから常温になるまで待って納豆と混ぜ合わせた。これをヨーグルトメーカーに入れ60℃24時間保温したのである。途中に二回ほど撹拌して試食してみたのだが試食の度に外皮が軟らかくなっている。子ども等が幼い頃、コーンを食べさせると外皮はそのまま排出されていたのを思い出した。まあ、それはともかくとして実食してみると大豆の納豆ほどの風味はこなかったが納豆の臭いは強くなっている様に思える。西の地域の人たちならコーン納豆より大豆納豆を選ぶだろうか、それとも双方アウトなのかなあ。

 コーンの納豆を作る前にヒマワリの種で作ってみたかったのだが何時も置いてあった店舗にはこの頃は見当たらない。暑さが一段落したら食材専門店でヒヨコ豆など世界の種実、幾つか購入して納豆バラエティーを楽しむ食欲の秋にするのだ。貧乏人は納豆を喰えである。アフリカではバオバブの種子で納豆を作るから納豆は世界の食べ物です。故に蘇鉄の実の納豆,トチノミの納豆なんかどうかなあ・・・。エグすぎるかあ。


酸っぱすぎる完熟梅ジャムに紅玉ジャムを混ぜた

2024-09-14 | 何よりの楽しみ

 ジャムなどは「手作り料理」の範疇には入らないだろうと思いつつまあ、どうでも良いのである。春に1ℓほど作った完熟梅のジャムは酸味が強すぎ「美味しい感」が無い。たまにパンを食したいけれど「梅ジャムではなあ…」と満漢全席やフランス料理のフルコースが日常食の孤爺としてはついつい仏頂面になるのであった。そこで庭で吸汁されるがまま落下するがままになった紅玉を全て回収してジャムにした。まあ、どう転んでも工夫してもジャムはシャブにはならない物質であるから逮捕される可能性は皆無だ。

 まずは比較的傷みの少ないのは生食用にととりわけ、残りを水没させ芯に入り込んでいる蟻を追い出した。包丁で切り分けている最中に腕に上って来る蟻はホントうっとおしいのである。浮いた蟻は水道水で流し終えてから調理開始だ。今回の試みは圧力鍋で加熱する事だ。こうすれば煮崩れが早いだろう。圧力鍋に呼び水と味醂を半カップ程加えて煮てみた。蓋を開けたら形は残っておらず、そのまま砂糖を加え煮詰める。適当なところで保存瓶にある梅ジャムを全て投入し混ぜ合わせ、一旦加熱して終了した。フイールドから帰宅する途中で食パンを購入して来たので早速試食する。梅ジャムより食べやすくなったのは勿論ではあるけれど、どうしても梅の味が強い。パンに塗るよりパイに入れた方が美味しいかも。カビが生えないうちに食べ終えたいのでヨーグルトにも入れて食べよう。

 


**深川どぶ板長屋井戸端嬶野次馬減らず口

2024-09-07 | 何よりの楽しみ

        物価高何の手も無き脳衰症         梅干し婆

        コメ不足薬にならない無能役        赤ひげ先生下働き

        五割高少し割高官鈍感            御用聞き丁稚

        下々に役に立たないべー政策        あかん米ー屋嬶

        メモ頼り一口読んで役終わり        鋳掛屋姑

        貧乏人黄変米を喰えば良い          隼人        

        トップ断少し割高でチョンチョン      越前守下女

        台風来ればどぶ板溢れ銭あぶれ       日傭取

        瑞穂の国に見ず呆のお人脳衰症やら無能役 ハアコリャコリャ    越後獅子

        白を黒にし黒を白にすめしいの王様居てござる ハアコリャコリャ 越後瞽女

        バスに乗らなきゃ鞭打ち追われ蛇が怖いで巻かれましょ ハアコリャコリャ  カエルの子

        天地神明誓って一途独裁権勢迷い無し ハアコリャコリャ  鈍気呆人           

        祭りごとゆえ神命なれば帰命頂礼ドンヒャララ ハアコリャコリャ 氏子総代

        政ゆえ君命なれば帰命奇天烈ドンシャアシャア ハアコリャコリャ 鍋奉行

        勘気の沙汰には平身低頭唯我独尊独り勝ち ハアコリャコリャ  暴れん坊勝群

        孤群奮闘多勢に無勢独裁権力いま盛り ハアコリャコリャ    瓦版元締め

 

        

        


今日の薄幸食「セネガル風納豆献立」

2024-09-05 | 何よりの楽しみ

 熱中症警戒アラート下、わが身を守るため蟄居謹慎で漸く雨模様となり「嬉しや嬉しや」と思いきや、今度は「雨降りお憑きさん」となって閉口蟄居の哀しい囚われ人となったのでありました。それでも生きるためには活きる日々が大切なのであり図書館から借りだして読んだ中に高野秀行著「幻のアフリカ納豆を追え!」があったのだが、納豆の意外な食べ方に目からうろこ口から涎となったのだった。そうなると我が精神状態に「待った!」は無くなって「思いついたが食べ時!」とばかり記述を参考にキッチンに立ってみた。

 勿論、材料は記載に準じたけれどトマトソースが無いので生のトマトと仕上げにケチャップを使って調理してみた。鶏肉も生が無く冷凍の照り焼きを用いる。記載に無かったのはリンゴなのだが、これは収穫した虫食い腐れリンゴを活かすために加えたのであり孤爺だってSDGsなんて言わない昔から食べ物を粗末にはしていない。「三秒ルール」なんて非科学的なルールに従う訳も無く、自らの腸内細菌様たちを信じ拾って口に入れるし日付が古くても口に入れるのである。

 使った納豆は二パック、レシピが載っていないので量は分からず、煮る事数時間だけが頼りだった。深鍋に入れて煮たてたけれどアルミの洗面器があればそれを使いたかったのだが生憎、我が家には無いので弱火でコトコト煮たてて1時間、汁も煮詰まって来たので火を止めた。具材は形をなしていないほどに崩れている。現地では鶏肉は多用していると考えたのだけれど100gで済ました。いわゆるサシスセソは使わず、照り焼きに付着しているソースとケチャップだけが調味料の出どころだけれどほとんど無視できる。

 煮詰めながらスープを味見し続けていたのだが、これがなんと「旨い」のである。前述の本の中に度々「納豆は調味料、旨味の元」と言う表現が出てきたけれど「なるほど!」と思わずにはおれなかった。煮込んだからスープと言うかシチュウと言うべきかお雑炊みたいなものになったもののサシスセソが入らなくても十分に満足できる味だ。ご飯もアフリカ風に納豆を入れて炊いた。食べて見れば飯粒も納豆風味で、これは関西など西の地方出身者には耐えがたい一品かなあ。その上にだが、夕食と朝食で全て食べ終え隣り沢の復旧に汗を流したのだが、この汗が納豆臭いのだ。納豆3パックを食べた勘定だからOh!モーレツ、孤爺で居なければならんかったわい・・・。

 閑話休題、台風10号のもたらした700mmを越える雨量で取水地の沢は埋め尽くされるほどの被害になった。この復旧は体力・持久力勝負だからこんな煮込み料理がベストなのかもしれない。次は鶏肉でなくウナギを入れてみよう。フイールドに「トンボとカエルの楽園を創る」と言う夢は儚く破り捨てる訳にはいかないのだ。


今日のえっ!品「半殺しの飯バーグ」

2024-08-31 | 何よりの楽しみ

 30日未明、台風10号の影響で既に24時間降雨量は300mmになり更に24時間で300mmの予報が出ている。猛暑で蟄居半月、乗り越えたと安堵する間もなく雨続きで更に閉口蟄居である。こうなると楽しみは口に入れる物に集約されるが雨降りお憑きさん状態では買い物にも行く元気も出ずのらくらぐずぐず病が発症しかねない。これでは孤爺が半殺し・生殺し状態であって、これでビビビッと来たのが「半殺し飯バーグ」だったのだ。

 まあ、有るもので作るしかないのでとりあえず「和風」として準備する。ご飯は1カップ分を炊き、魚は「利尻産真ホッケ昆布醤油干し」を使い、キャベツもコリアンダーも無いので食用菊にザーサイを合わせとろけるチーズ、ご飯に塗るのは砂糖酢味噌である。まずは炊き上がりを半殺しにしてステンレスの皿に詰め砂糖酢味噌を塗ってから焼き固める。つまり焼きおにぎりの風味を選んだのだ。二枚焼きの一枚目にはザーサイと食用菊の和え物を広げ、もう一方は背骨を除いたホッケにチーズを掛けて焼く。当然、半殺しの皿飯には砂糖酢味噌は塗ってある。双方、出来上がって嬉し嬉しやの初合体で初賞味である。「思い出すなあ…筆おろし・・・」なんて事は全く無いのだが脚色も時には必要なのである。これは高齢化痴呆防止行動の一環であって世間では回想療法と言うのだとか・・・。

 まあ、それはともかくとしてかぶりついて「美味しい!」のではなく「旨い!」のであった。欲を言えば食用菊とザーサイの和え物を多くしたかった。更に言えば「半殺しが生半可」で砂糖酢味噌を塗り焼くと結合が緩くなる。そんな事で食べる前にラップで包み押し固めねばならなかったのである。更に更に言えばステンレスの型皿に詰めて焼いた結果、下側が焦げず風味は半減してしまったのだ。とは言えラップで押し固めてから食したのだが付け合わせにブロッコリーにケチャップ、椀は味噌汁でなくコーンスープと言う変な取り合わせとなった。

 次回の要点は「しっかり半殺しの程度を高め皿は使わずしっかり両面砂糖酢味噌塗りで焼く」で決まりだ。チューブ入りの生姜があれば生姜味噌で仕立てたのだが、こっちの方が断然「旨い」のは間違いないだろう。半殺しで作るキリタンポや韓国の国民的人気料理、トッポギだったか名前が出て来ないのは短期記憶の劣化だけでなく耄碌にもよるのであるが「半殺しの美味しさ」は癖になる。こういう性向を分析すれば孤爺は「Sタイプ」と言う事になるだろう。性別はMで性向はSとは統一性が無いけれど調理でも作ってみなけけりゃ分からんしまあ、人生ケセラセラなんであろう。とにもかくにも若き日のみぎりから頭頂部の毛はせらせらだったのだから統一性はとれていたのだと今になって気が付いたのだが毛が付いたことは無く怪我は結構してしまったフイールドである。クワバラクワバラ・・・。