今週は、月曜日から木曜日まで毎日大学病院通いです。 母の、次の治療のための検査、娘のぶじこの指の精密検査。 ふたりの付き添いに行ったり来たりー。 幸いぶじこのほうはたちの悪いものではなく、 母のヨード制限食も終わりました。
病院内をあちこちして、医学の進歩はすばらしいと思いました。
それにしても待合室の人の多いこと。 よく見ていると、患者一人に付き添いが2,3人。 病院側も、受診に間違いのないように、行き先を迷わないようにシステムを工夫していることがよくわかるのですが、 それでも、広い病院内をあちこちして検査を受けるのはなかなか難しいです。 まして重大な病気だったらと思うと、いきおい付き添いの人数が増えるのもいたしかたありませんね。
ところで、病院へ行く道の分離帯にチガヤの穂が出そろっていました。
もうだいぶ開いています。
別の場所で出そろった穂。 ここはまだ出たばかりで開いていません。
わたしたちは子どもの頃、チガヤを「つばな」と呼んでいました。 このつばなのごく若い穂は食べられるのです。 ただし穂がまだ葉に包まれて隠れているときでないと硬くて食べられません。 ですから、穂が出る前に探し出すのですが、わたしはけっこう見つけ上手でした。
中に出遅れてまだこもっているのはないかと探してみたのですが、ありません。 季節をたがえず一斉に出てくるのですね。
いろいろなところを探してやっとまだ穂が出てないのを見つけました。 ここのチガヤはどれも出るのが遅いようでした。
中を見てみます。 まだ緑色の柔らかい穂が出てきました。 でも残念、 これくらいの穂だともう硬すぎます。
わたしが子どもの頃 何処の家でもこどものおやつは、今頃ならはったい粉(麦を煎って粉にしたもの)とか、そら豆のゆがいたものとかでした。 だから、こどもたちはおやつ代わりにつばなの穂を食べたり、苗代いちごを食べたり、イタドリをかじったりしていました。 お金持ちの子も貧しい家の子も、チガヤの穂のようにあまり変わらぬ横並びの暮らしだったと思います。
そして、野山で食べられる物を探すことで季節の変化を感じながら育ったのですけど、今では、チガヤの穂どころか野いちごさえも探す子はいないのではないでしょうか。