あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

初物

2009-03-11 00:30:48 | 植物

 今日はとてもよい天気。 今朝、にわとりにえさをやろうとして外へ出たら、目に飛び込んできたもの。


 


 石ころだらけの草むらに勝手に生えてきたムスカリです。 どうして今まで気がつかなかったのでしょう。 紫が色鮮やかで、ほんとにぶどうのよう。 思いがけない出会いに心が弾みました。


 そういえば、母にふきのとうをもらっていたっけ。 きっとふきのとうもあるはずです。
 去年荒れ地をきれいにしたとき見つけた場所へ行ってみました。



 小さな葉っぱのあいだに星のように開いているとふきのとうがありました。 すでに花が開いています。 今年こそは、まだ花の咲かないふきのとうを見つけようと思っていたのに~。


 葉っぱの陰から顔を出すふきのとう。 春の光に輝いていました。



 でも、わらびはまだよね~と言いつつもちょっと期待して探してみたりして。


 すると


 ありました 



 頭をもたげたばかりのがそこかしこに。


 そして向こうのやぶからはウグイスの声が。 もう2,3日前に初鳴きを聞きました。

 晩ご飯は、もらったふきのとうの天ぷらです。 からっと揚げると、ほのかに春の香りがしました。 
 


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梅まつり最終日

2009-03-10 01:39:35 | お出かけ

 理正院から車で10キロほど山の方へ行くと、小梅で有名な七折があります。 3月8日が梅まつりの最終日だそうなので、足を伸ばすことにしました。


 梅まつり会場の入り口近くには、見事なしだれ梅が咲いていました。



 大きな花の傘のようです。 おや、隅っこに鳥が飛んでますよ。



 向かい側の山には広い菜の花畑。 あそこまで行くと何かあるのでしょうか。 



 駐車場から見上げたところでは、紅梅はまだきれいに咲いているようでした。でも白梅はほとんどが終わっていました。



 梅は山の斜面に植えられています。 もともと観光用ではなく、実を採るために植えているものです。 その畑の間の道を登っていくのです。


 心惹かれる古木。 梅栽培の歴史を物語っています。 100歳の木もありました。



 大きな木に混じって、所々小さな木が枝いっぱいに花をつけています。これは花梅でしょうか。 



 例によって母はさっさと山道を登っていき、 父はゆっくりゆっくり休みながら登っていきます。 わたしは目についたもの片端から写真に撮りながら父の後を・・・・
 写真も撮らずに父の後をついていったらじれったくてたまらなかったと思います。


 山の中腹に広場があって、お茶の接待をしていました。



 梅ジュースと梅昆布茶をごちそうになりました。
 父は、猪うどんなるものに心惹かれたようですが、母が、「ご飯食べたばっかりじゃのに」と即座に却下。 実は母は猪肉などいっさい食べません。(わたしもですけど)


 梅畑は山を下る方がきれいでした。
 母はしきりに 「満開の時に来たらよかったなあ~。」と言っていました。
 「来年また来たらええがね。」と、わたし。 時期を逃さずに来ないといけませんね。


 梅の木の間に団体客の登ってくるのが見えます。 後ろの方から、添乗員さんらしい若い女性が、疲れた顔をして登ってきました。


 花巡りのツアーは添乗員さん泣かせでしょうね。 


 数年前、しだれ桜と片栗の花を見るツアーを思い出しました。 桜の中でも遅咲きのしだれ桜と、早春に咲く片栗とが同時に見られるなんてーとふっと疑問に思ったのではありますが・・・・ 

 行ってみると、桜は薄紅色さえも見えない固いつぼみ。
 せめて水芭蕉を見ていってくださいと言われました。 それも珍しくてよかったのですが、桜の華やかさにはかないません。とうとう、熟年の男性客が怒りだしました。 まだ20代とおぼしき若い添乗員さんはあやまるばかり。 
 例年より開花が遅れているのは彼女のせいではないのに。
 娘ほどの若い女の子が、たった一人で客の苦情を受け、対策を考え、機嫌をとりしている姿を見て、わたしたちはとても怒る気にはなりませんでした。


 運の悪いことに、片栗の花がこれまた1,2輪しか咲いてなくて、予定にはなかった場所に花を求めて移動しました。


 結局次の場所で片栗の群生が花開いているのを見て感動し、帰りには添乗員さんの計らいで岡山県津山市の鶴山城の桜を見ることができて、それなりに満足して帰ったのでした。 

 ここの、もうほとんどが終わりかけている梅を見て、ツアー客の皆さんどんな反応をしたでしょうか。 文句が出ないといいですね。


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伊予13仏参りその7 理正院

2009-03-09 01:35:24 | 伊予13仏参り

 日曜日、市のボランティアフェスティバルがあって、合唱団の子どもたちも参加するですけれど、練習をちょっと覗いただけでステージを見ずに帰ってきました。 今日は伊予13仏参りの続きをするつもりです。 


 先週、せっかく父のいる日にバス旅行を計画したのに、父は病み上がりで参加できず、来週も再来週もわたしの都合で出かけられません。 今日あたり、外へ連れ出しておきたいのです。 ごめんね~、こどもたち


 出発が遅くなりましたので、お参りは砥部町にある理正院一カ所だけ。 その後、七折れに立ち寄って帰るつもりです。


 車の中で 「きょうは、おじいさんの誕生日じゃなあ。」と、母が言い出しました。
 おっと~、忘れてました。 
 「おう、期せずしてお参りと重なったけんよかった。」 と、父。 
 


 誕生祝いがお寺参りとは・・・・  でも、無理して出てきてよかったかな。


 その理正院ですが、地図では道路沿いにあります。 車を走らせていて目についた建物。 多分あれです。


 



 行ってみると、理正院の文字はあるもののまだ新しいお堂らしきものがあるだけ。 どうもこれは永代供養のお堂のようでした。


 そばには坂村真民さんの詩を刻んだ石碑が。 後ろは広い墓地です。


  
 


 水子供養の池の水草がとてもきれいだったので



 お堂にお参りをして引き上げることにしました。
 車に乗ってすぐ、「袋がない。」と母が言い出しました。 手提げを持っていたはずなのにないと言うのです。 あわてて引き返して、広場に落ちていたのを無事回収しました。 それにしてもねぇ~。 なんであんな所に落とすかしらね。 会う度に、親が徐々に徐々に老いていくのを実感する出来事があるものです。


 理正院はすぐ近くでした。 駐車場から山門へ続く道は立派な木製のアーケードになっていました。 



 山門も堂々としています。



 両側につるされた大きなわらじ。 石手寺にもありましたね。



 本堂の前でおみくじや、お守りの鈴などを売っていました。 無人です。 参拝客の良心を信じていると言うことでしょう。



 母はおみくじを引いて、大吉だと喜んでいました。 手提げを落としたことにすぐ気がついたのも大吉だ、しばらくたってからだと見つからなかったかもしれない、とあくまでポジティブに。


 これは「嫁いらず観音」というのだそうです。 



 母はその意味がなかなか飲み込めなかったようでした。
 「つまりね、年取っても嫁さんに世話をしてもらわなくてよいように(ぽっくり死ぬように)というお願いをかなえてくれる観音様なんよ。」と、わたし。


 介護は嫁の役目といわんばかりのネーミングが気にはなりましたが、きれいな仏様でした。


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革が足りない!

2009-03-08 10:34:22 | レザークラフト

 2,3週間前からブログの更新が朝になっていることにお気づきでしょうか? 昼の時間パソコンの前にすわるのはもったいない、家事でも草引きでもしなくては、と思いつつ・・・・・


 ことの始まりは、秋の県展で使った革の残りでバッグを作ろうと思い立ったからなんです。


 額縁代わりに使った、特殊なコーティングをした焦げ茶の革、風合いがおもしろいのでカジュアルなバッグを作りたいなと。
 しかし、額縁に思いの外多くの量が必要だったため、ねこの目を巨大にしたような形の革しか残っていません。(写真とっとけばよかった)
 教室であれこれいじっているうちに、「こんなかぶせ(バッグのふた)にしたらいいんじゃない?」お友だちの一言で原型はすぐに決まりました。(一人で悩まないことも大事ね) 


 しかし、


 革が足りない!


 向きを変えて裁ってみたら?  う~ん、無理。
 もう少し小さくしてみる? そうだねえ。
 底は別の革にしたら? それしかないかぁ。
 
 その場にいた人みんなを巻き込んでの型紙作り。 何とか仕上がって、家でつくってきま~す。と言ったものの、また悩み直しだしました。


 底はやはり本体と続きでとろう、底マチを別にすると仕立てがややこしくなります。 
 かぶせは切り離した方が都合がいいな、 あとで説明しますけど。
 それでもぎりぎりしかない革にあわせて本体をさらに小さくし、1ミリ2ミリの微調整をしながら型紙を作り直し、制作に取りかかるまでに3日かかりました。

 作り出してからも、内側を革にするか布にするかとか、芯を貼るか貼らないかとか、外ポケットを付けるか付けないかとか、今回は考える時間がとても多かったのです。


 考えて、考えて、夜10時も過ぎると頭が回らなくて、パソコンの前でうつらうつら・・・・ というわけで、更新が朝になってしまったというわけ。 ああ、年をとりましたねえ。 若い頃は徹夜もたびたびだったのに。


 で、出来上がったのがこれです。 
 



 イメージと違う~~~~ ちょっとではない、だいぶがっかり。


 
 出来上がりでみると紙に書いたのよりはずっと大きくて、中途半端にかっちりしてて、2重のかぶせや大きめのステッチとのアンバランスがとても気になります。 
 「男物かい!」
ぶじこが言いました。 ちがう、ちがう。 かぶせが別の形だったら男物にもなったでしょうが。 
 おまけにみんなが「形がゆがんでる」と言うんですよ。 角度を測ってみましたが、ゆがんでません。 変則的な形のかぶせのせいで、目の錯覚をおこすのだと思います。 かっちりしたバッグは、かぶせも左右対称のきちんとした形にしないといけませんね。ひとつ勉強になりました。


 さらにもう一つ問題が。

 手紐をとる革が足りない!



 手紐は意外とたくさん革がいるのです。それも最低70センチの長さが必要です。 どうしましょう?


 結局、もう一枚革を買って、作り直したんですよ。


 中に何も入れてないのでちょっとゆがんでますけど、形は正確です。



 


 かぶせの部分を切り離して裁ったのは、ここをつくるためです。 バッグの裏側全体をポケットにしたの。



 足りない手紐は、



 リングでつなぎました。 これ、けっこう気に入っています。 必要は発明の母、困りごとは工夫の父?です。


 ただ、もう一枚の革を使ってもまだ足りなかったのですよ。 持ち手の部分の裏使いの革。 使っているうちに伸びてくるのを防ぐのと、貼り合わせを隠すためにどうしても必要な革なのですが、持ち手と同じ長さの革がいります。


 とうとう、同じ革を買ったお友だちからわけてもらって、やっと完成したというわけです。


 最後に残った革はこれだけです。 おみごと~。



 こんな細切れの革でもつぎはぎしたら何かできるかな? それより初めのあの無骨なバッグをどうしよう。これはあとでゆっくりかんがえることにしましょう。 いそがないと春の県展の作品が・・・。


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出すのが怖いおひな様

2009-03-07 01:26:19 | くらし

 今週は雛づくしです。


 3月2日にようやくうちのおひな様を出しました。 だいじょうぶ、こちらのひな祭りは月遅れの4月3日ですから、今から一月は飾っておけます。 


 でも・・・・・・・ おひな様を出すのがこわい・・・・・


 なぜなら、もう15年以上も出してないからなのです。 ほとんど使うことのない部屋の押し入れにしまいこんだまま。 今年こそはと、3月3日までに必ず出すという約束を娘としておりました。


 ぶじこのおひな様は実家の両親が買ってくれた大きな7段飾りです。 同じ値段なら小さくて質の良い方をと頼んでいたのに、やっぱり大きい方がみばえがよいからとー。 これだけで座敷の2/3をふさいでしまいます。 段を組み立てるのが大変でいやなんですよね。
 でも今年は、鞆の浦でいろいろなおひな様を見た後では、もう、自由に飾ったんでいいのではないかと思い始めました。 つまりできるだけ手抜きをしようという魂胆です。


 もう段は組み立てない。 


 そう決めたら、おひな様を出すのが少し気楽になりました。


 まず、下の娘の平台を出してみました。 案の定、漆塗りの台にはうっすらとかびが生えていました。 そして塗りの屏風にも。
 下の娘にはわたしたち夫婦が親王飾りだけを買っています。 当時はまだ珍しかった塗りの屏風の美しさに惹かれて即決して買ったもの。 それなのに~。 おひな様はいったいどんなになってるでしょうか。


 カビがはえて真っ青な顔になってるとか


 衣装が虫食いの穴だらけとか


 鼻や耳をねずみにかじられて傷だらけの顔とか・・・・


 3拍子揃ったらゾンビ雛    おお~どうしよう


 おそるおそる箱から出しました。
 ほっ


 おひな様は無事でした。 カビもなく、虫食いもなく、かじられてもおらず、きれいな姿を見せてくれました。 押し入れの天袋が良かったのかもしれません。 下の段に入れていた台やお道具にはカビがきていました。 それらをお湯でふいて乾いた布でふいてーとそれだけで1日たってしまいました。


  ぶじこのおひな様。



 明るく、活発そうなお顔です。 でも、もともとはこの顔じゃなかったのです。

 あれはぶじこの初節句の時、親戚中が集まってお祝いをしたのはいいのですが、そのとき座敷で焼き肉をしたのが不運の始まりで、

 翌日見たら、なんとおひな様の鼻がない!


 そう、焼き肉の匂いに惹かれてやってきたねずみにごちそうと間違えられ、かじられてしまったのです。 詳しくは言えませんが、当時うちの近くには大きなネズミが大量に住んでいるところがあって、我が家はその被害に悩んでおりました。


 わずか数日で首をすげ替えることになったおひな様、同じのがないということで代わりに送られてきたのがこの顔でした。


 下の娘のおひな様。 おっとりとして物静かな雰囲気です。



 ぶじこと同じ作者のものです。 だからぶじこのお内裏様もおそらくこれに似ていたと思われます。 かわいい顔だからまあいいけど、しみじみとながめてみるとやっぱり違和感が・・・


 三人官女以下、お付きの人形たちは七段飾りのもの。 顔の雰囲気はむしろ下の娘の内裏様に似ているのです。



 で、並べ方ですが、


 応接台の手前に内裏様をおく平台を置き、毛氈を敷きます。 その上にもう一つ平台を置けば3段になりますから、そこにこぢんまりとならべることにしました。


 窮屈そうにくっついてしまいましたが、仲の良い兄弟の内裏様ということでがまんしてもらいましょう。



 お付きの者たちは二組の内裏様をお世話するということに。


 この下に道具を並べました。 これもまあ、適当に。


 今はもう、ネズミの巣であった所はなくなりましたので、かじられる心配はない、はずです。


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道後に座敷雛

2009-03-06 10:09:35 | お出かけ

 鞆の浦の町並みひな祭りとともに、もう一つ前々から見たかったもの。それは八幡浜市真穴地区に伝わる「座敷雛」です。
 でも、ちょっと地理不案内だし、4月の2,3日の二日間しか公開しないので観光客が押し寄せて道も渋滞するとか、その地区に初節句を迎える女の子がいないと飾られないし、そんなことを聞くとちょっと行きづらいのです。 ところが、


 「座敷雛」が道後で見られるんですと! 


 行ってきました。 


 道後館。 あの、黒川紀章さんが設計したというホテルです。
 外観は、コンクリートむき出しで一見みすぼらしい。 でも、よく見るとけっこう凝ったデザインかも。   



 小雨の降る中、足湯から立ち上る湯気があったかそう。 左上にあるのは大きな鬼瓦です。



 


 以前、このホテルに泊まったことがありますが、とてもおしゃれなホテルです。
 ロビーにある大きなオブジェ。 滝を模しているのでしょうか、上から水が流れ落ちています。



 水は赤い橋の下をくぐって



 ラウンジの方に流れています。



 座敷雛は、左手の入り口を入ったところにありました。 正面玄関からではなく、気軽に入れるのがうれしい。


 7メートルもの舞台に、石や盆栽などを用いて里山の風景を造り、その中におひな様を飾っています。



 娘たちのおひな様に比べて今頃のは、衣装も洗練されていますねぇ。 柱には古布らしい着物生地が巻かれています。



 「里山春光」と題した風景。 小さな茅葺きの家を置くと、盆栽が松の大木に見えてきます。 反対側には雪を頂いた山と澄み切った水。 水はアクリル板で作っているそうです。


 


 


 天井部分には柔らかいきれいな布が垂らしてありました。 これに隠れている蛍光灯は50本だそうです。 桜の花はティッシュペーパーで作られています。約6000個あるそうです。 従業員の方が一月がかりで作ったとか。 じつはこの話、2月に行った網代天満宮の梅園で聞いたのです。 道後館の従業員の方が今治まで梅見物にいらっしゃってたんですね。


 この座敷雛の制作には、本場真穴地区の皆さんが協力をされたそうです。  


 真穴地区の女の子たちは、こんなにも生まれてきたことを喜ばれて、周囲の愛情に包まれて育つのですね。 いいえ、真穴地区だけではなく、表現やお金のかけ方はちがっても親が子に寄せる思いに変わりはないと、そう思います。 


 たっぷりとおひな様を楽しんだ後は、喫茶ラウンジでお茶にすることにしました。 
 古いオルゴールが3台を飾ってある店内。



 期間限定の珈琲膳をたのみました。 いちごのロールケーキと和菓子つき 650円。 ケーキのクリームは、酸味と甘みがほどよく調和してとてもおいしかったです。



 帰り際にもう一度写真を撮っていたら、「仲居さんが、おひな様の前で撮りましょうか?」と、声をかけてくれました。
 もう、適当でいいですよ、と言ったのですが、おひな様と人間がうまく入るようにあちこち移動して良い場所を探してくれました。 フレンドリーな対応がとても心地よくて、今日は幸せ3連発。


 この座敷雛、3月8日までだそうですよ。


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バス旅行 鞆の浦へ4

2009-03-05 10:53:56 | 旅行

 太田家の内部をもう少し


 向こうの部屋とこちらの部屋の間に小さな庭があって、やぶ椿が点々と。



 手水鉢



 この雰囲気に惹かれて娘と二人で写真を撮りまくっていましたら、ボランティアガイドらしいおじさまに声をかけられました。


 あれが何かわかりますか?



 え? 亀? 瓶? どうも水を入れるものだとはわかりましたが・・・・


 すると、おじさま、一般人が向こうへ行かないようにと立てられている衝立をひょいとよけてこっちへおいでと招いてくれます。 お言葉に甘えて、

 よいしょ


 廊下の板がギギ~、としなってひやりとしました。 体重減らさねば。

 壺の下の方の出っ張ったところ、亀の頭のように見えたところを引っ張ると、勢いよく水が飛び出しました。 涼やかな水音です。 女性が厠に入るときこの栓を抜いて水を流しておくんだとか。 昔版「音姫」だったのです。 娘が
「ああ、おとひめか~。」とつぶやくと、おじさまは
「その言葉、ようしっとるね。」とほめてくれました。


 どうも、みんなおひな様だけを見て回るのに、建物全体に興味を持っているらしいわたしたち母娘に大サービスしてくれたみたいです。 もちろん他の人は水を流したりしてはいけませんよ。
 この家に住む女性たちはこんな奥ゆかしい習慣を持っていた、だからこそ京のお公家さん(長州征伐の際の三条実美らのことか) でも泊まることができたのだと解説してくれました。


 実は、わたしは鞆の浦へ来るのは3回目です。 前回来たときは地元のガイドさんにいろいろ説明してもらったのですが、太田家の記憶がとんとありません。 もしかしたら、修復中で見られなかったのかも。 それで帰ってからネットでお勉強し直しました。(追記: よくよく考えたらやっぱりここへも来ていたような・・・・


 そうそう、きのう、押し入れの中のおひな様として紹介した写真、押し入れではなく、隠し階段のある廊下でした。 


 図面で見ると、蔵は東西南北の蔵と新倉と土蔵と、こんなにもたくさんあるんですよ。 東、南、北の蔵は一続きの建物のようです。 蔵でさえも趣のある魅力的な建物です。



 18世紀後期に建てられたらしい蔵の内部。 酒を保存する瓶が並んでいます。 奥の方には天井から何かが下げられています。



 近くで見ると、石の重りのようです。 が、何に使われたかがわかりません。



 2階に上がってみると、この石の上には、大きな滑車がありました。 酒造りのためになにか大きな力が必要だったのでしょうか。



 蔵の中には、朽ちかけた駕籠やら古い道具やらいろいろなタイプの石臼やら、おもしろい物がたくさんありました。 しかし、ここまで足を伸ばす人は少なく、ゆったりと見ることができました。


 これで3つの見所は見終わりました。 あとはのんびり町でも歩いて、集合場所にもどるだけです。 


 地蔵院


 これも高い場所にあります。 平地の少ない鞆の浦では、お寺や神社は山手の方にあるようです。



 本堂に飾られたおひな様は、うちのとよく似ていました。


 おみやげはもちろん保命酒です。
 現代の保命酒やさんに展示されていた古い入れ物。 今でも備前焼などに入ったのが売られています。 が、わたしが買ったのはただの瓶詰めですよ。 



 鞆の浦は、坂本龍馬ゆかりの地でもあります。 
 海援隊を組織した龍馬は海上交易に取り組みますが、積み荷を積んだいろは丸が紀州の船に衝突され沈んでしまいます。 そのいろは丸が引き上げられ展示されているのがここです。 



 そして紀州との交渉のあいだ龍馬が滞在した家に飾られていたおひな様。 玄関だと思われますが、簡素な造りながら、古風なおひな様を飾るにふさわしい美しさ。 飾られているお花もすべて生花で、母は、町中どこにも造花がなかったと感心していました。



 まだまだ見所はあるのですが、集合時刻が近づいてきました。 集合場所になっている鞆の浦観光情報センター前はテントの屋台も出てにぎわっていました。


 もうこれだけでおしまいという清見タンゴールのジュース。 250円→200円。


 目の前でぎゅっと絞ってくれます。 清見タンゴール1個半、添加物=氷だけの生ジュース。 おいしかったけどちょっとすっぱかった~。



 ちょうど出発の朝、新聞でこんな記事を読みました。


 「当たり前の景色 遺せ」


 父親が愛媛県、現在の西条市河原津出身で、子どもの頃「鞆の祇園さん」の話を聞いて育ったという、岡山大学の準教授の方の一文でした。 
 昔河原津の漁師たちは、漁船を駆って鞆の祇園さん(沼名前神社)へお参りしていたというのです。 鞆の浦は「瀬戸の海に生き、交流を繰り広げてきた幾多の海人たちの営みを、この古い港はずっと見つめてきたのである。」
 そして河原津の漁港も干拓される前は鞆の浦のような美しい漁港であったそうです。今は、使われることのない草ぼうぼうの干拓地の果てに漁港だけがあります。
 「奈良や京都の有名な神社だけが、日本文化の語り手ではない。庶民が日々の暮らしを重ねることによって作り上げてきたごく当たり前の景色の中に、本当の日本文化があり、日本人の心が残っている。」   「」内の文は新聞記事より引用させていただきました。


 しかし、こうした景色を保つことはむずかしくなった、と筆者は述べています。 たしかに、古いものは傍目には郷愁をかき立てる美しいものではありますが、そこに暮らし、維持していく人々はたいへんなエネルギーと忍耐とを必要とするのではないでしょうか。 観光客に溢れた町を歩きながらそう思いました。


 振り返って、
 柿畑の中にも遺すべきものはあるのではないだろうか、そんな目で自分の暮らす場所を見つめ直していきたい・・・・  わたしのブログもそうありたいなと、思っています。 


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バス旅行 鞆の浦へ3

2009-03-04 10:34:39 | 旅行

 「鞆の津の商家」の向かい側、坂を登ったところに歴史民俗資料館があります。


 入り口前の広場にはこんな看板が立っていました。 このおひな様、資料館の中に飾られていました。女びなが袖を長く垂らしているのはとてもめずらしいのだそうです。



 後ろに足だけ見えているおじさん、あのあたりから前回お見せした鞆の浦の全景を写したんですよ。


 館内は撮影禁止です。 なのでパンフレットの写真をお借りします。



 ずら~~~~~と並んだお道具。 江戸時代のおひな様だそうです。 幅が5メートル以上あり、お道具は、かごの天井まで彩色をほどこしたぜいたくなもの。 なにもかも2揃えずつあります。 男びなもお道具を持っているのです。


 入り口にどーんと飾られて圧巻なのは、明治期に作られた御殿びなです。 たたみ5,6畳分はありそうでした。 組み立てるのにどれだけ時間がかかるのだろう。 わたしの小さな御殿でさえ、組み立てるのに母が四苦八苦していたのを思い出します。



 資料館のおひな様はさすがに歴史的価値の大きいおひな様でした。 時代は初期の流しびなから昭和まで、絵に描いたものから、土人形、陶器の人形と材質も様々。 人の指ほどの小さなものから50センチ以上ある大きなものまで。 


 帰りは正面の石段を下りることにしました。


 おお~


 正面の景色はきれいけれど、景色を見ながら歩くと足を踏み外しますよ。 すごい急な石段です。


 


 石段を下りると車一台が通れるくらいの狭い道。 大勢の人と車とでしばし立ち止まらなければなりません。 「もう~、歩いて見て回れ」と、歩行者ならみんな思ったはず。 鞆の浦は歩いてこそ楽しいのですよ。


 3つ目の見所は、「太田家」住宅です。
 こんな蔵が建ち並ぶ豪邸です。 江戸時代、保命酒の造り酒屋だったところだそうです。 



 玄関を入ったところに飾られた、竹筒に入ったおひな様。 かわいい~。



 立ちびな(内裏様も立っていました)の下の方に、犬の散歩係が・・・ おもしろいですねえ。



 ここのおひな様は、住宅の造りを生かした展示がとてもすてきでした。
 


 大広間には、江戸時代のおひな様がどっしりと



 押し入れの白いシンプルな襖からのぞくのは、木目込み人形です。



 台所の大きな窯の上にも



 このお釜、学校の給食室にあるような大きなお釜です。 これで家族、お客様、使用人全部の食事をまかなっていたとしたら、相当の人数だったに違いありません。 当時の勢いがしのばれました。


 広い蔵の中には



 おひな様が隙間なく並んでいます。



 白髪のおじいさんとおばあさんを集めたものも。 わたしのおひな様にもありましたねえ、鶴亀と一緒に共白髪のお人形が。 



 なんと、お内裏様も老人なんです。



 いつまで見ても見飽きないおひな様たちでした。


 そうそう、出がけにひょいと格子の中をのぞいたら、そこにも小さなおひな様がいくつか飾ってあって


 ひゃぁ~


 男びなと女びなが一緒にお風呂に入ってました~。 もちろんはだか。 


 「のぞきびな」と張り紙がしてありました。 
 なんだか悪いことしたみたい。 
 動揺が手元に伝わったのか写真はブレブレでお見せできませ~ん。


 バス旅行もここらへんで終わりにしたいけど、まだまだご紹介したいものがあるんですよ。 もう少しおつきあい下さいませ。


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バス旅行 鞆の浦へ2

2009-03-03 01:49:40 | 旅行

 鞆の浦へ着きました。 バスを降りたところはすぐ海のそば。



 とんびが頭のすぐ上を舞っています。



 高いところから見た鞆の浦の町並み。 小さな入り江になっています。



 大小の島々と穏やかな瀬戸内の海。 


 狭い路地に昔からの家が建ち並び、



 着物姿のお嬢さんがぞろぞろと。 どこかでお食事と着物のレンタルがセットになったプランがあるのだそうです。 みなさん、町によく似合ってすてきでした。 持ってるバッグがヴィトンだったりするのがちょっと笑えるけど。



 とにかく人は多かったです。 というのは今、町を挙げてのイベントが行われているんですね。


 添乗員さんに、ここだけは絶対見てきてくださいと言われたところが3カ所ありました。 まずその一つに向かいます。


 大きな天井の梁です。 



 こんな古い建物の中には・・・・・・


 


 え、江戸時代の番頭さん?



 ここは「鞆の津の商家」と呼ばれる建物です。 中には古いおひな様が何体も飾られています。 
 そう、今鞆の浦では「町並みひな祭り」というイベントで、町中おひな様が飾られていて、観光客に公開しているのです。


 メイン会場となったここ「鞆の津の商家」には、鎌倉時代のおひな様もあるそうです。 


 


 おひな様を撮るってむずかしい~


 使い慣れないわたしのカメラ。 絞りが-3分の1になっているのが直せません。 
 オートにすると、フラッシュをたけという指示が出る・・・フラッシュは使いたくない、手動でフラッシュを入れる方法が分からない。 時折読んでいた説明書の内容は頭から飛び去っていました。


 なので・・・・ブレブレです。 正面から撮ると、二人のおひな様の真ん中、全く意味のない場所に焦点が当たるし、片方に焦点を当てると片方が写らなかったりするし、人が多くてどこから写せばよいのか分からないし、他の人のじゃましてはいけないと思うとじっくりとカメラは構えられないし・・・・・


 言い訳だらけの写真ですが、お許し下さい。


 江戸時代だったか、鎌倉時代だったかー 相当古いものです。



 



 


 こちらはコンパクトデジカメで撮ったもの。 娘がデジカメのバッテリーを切らしたというので、わたしのデジカメを貸しました。 これから紹介する写真の中には、娘が撮ったのも含まれています。 わたしとはまた視点が違うのでおもしろいです。


 


  これほど豪華ではないけれど、わたしのおひな様も御殿飾りでした。 懐かしい。


 


  障子からの明かりに浮かんだおひな様は、まさに「陰影礼賛」の世界ですね~。




 ここでは甘酒の接待がありました。 鞆の浦の特産である保命酒(ほうめいしゅ)という薬用酒の酒粕を使った甘酒でした。 とっても甘いのだけど、砂糖のような甘さではなく、後口がよかったです。


 第2の場所へは明日ー


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日帰りバス旅行ー鞆の浦へ1

2009-03-01 23:24:47 | 旅行

 かねてから予約していた日帰りバス旅行の日です。 2日間ほど降り続いた雨もやみ、今日はすばらしくよい天気になりました。 添乗員の女性、「お天気おばさん」なんですって。


 バスはしまなみ海道を渡って大三島へ向かいます。
 窓から見た瀬戸内海は、とても穏やかでした。



 まずわたしたちが向かったのは大山祇(おおやまずみ)神社です。



 ここの宝物館には古い鎧や刀などが数多く展示されていますが、きょうは本殿にお参りするだけ。 昼食までの時間調整といった感じです。


 宝物館の庭には緋寒桜がきれいに咲いていました。



  バスの駐車場にも緋寒桜。 メジロがきていました。 おとといは花瓶に挿した桜でしたが、外で見るのは一段ときれいです。



 椿のピンクがとてもきれいだったので。



 昼食のメインは、海鮮網焼き。 鰺の干物、えび、串に刺したたこの足などいたって庶民的な網焼きでした。 でも、鰺の干物がとってもおいしかったです。



  蛤のおつくりもめずらしかったです。 あと、ご飯は鯛飯でした。



  おなかいっぱいになったら、さあ出発です。 目的地は、広島県福山市の鞆の浦。 海上交通の要所として栄え、今も古い町並みが残っています。 「崖の上のポニョ」のモデルになった町として、また雛人形の町として、近年人気急上昇らしいです。 今日は街中に飾られたひな人形を見て回るというツアーなのです。 ーつづくー


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コメント (8)
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