越中富山いろいろ紹介

高山植物の花から身近な野草の可憐な花を。また野山でであった野鳥を含め又北陸の祭りや観光スポットなど紹介。

アメリカコハクチョウモドキ

2025-01-17 07:02:55 | 野鳥

【アメリカコハクチョウモドキ】

一般的にアメコモドキアメリカコハクチョウ ✕ コハクチョウ の交雑種)と呼ばれています。

☆アメリカコハクチョウ(亜米利加小白鳥) ベース

◎2024年12月4日 石川県にて 写真8枚 追加しました

アメコモドキ、アメリカン等など・・・?

 

◎2024年12月2日 石川県にて 写真3枚 追加しました

 

◎2023年11月26日 石川県にて 写真9枚

コハクチョウの中にアメコモドキが2羽いました。コハクチョウと一緒に採餌中でした。

この鳥はアメリカコハクチョウとコハクチョウの交雑個体と思われます。

もう1羽

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2024 ユリカモメ

2025-01-16 07:04:20 | 野鳥

【2024 ユリカモメ】

☆ユリカモメ(百合鴎) ベース

◎2024年12月2日 石川県にて 写真7枚

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2024 アメリカヒドリ

2025-01-15 08:13:41 | 野鳥

【2024 アメリカヒドリ】

☆アメリカヒドリ(亜米利加緋鳥) ベース

◎2024年12月2日 石川県にて 写真6枚 追加しました

 

◎2024年3月24日 石川県にて 写真6枚 追加しました

 

◎2024年2月19日 石川県にて 写真13枚 + 動画

動画です・・・アメリカヒドリ

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2024 メジロ②

2025-01-14 07:44:31 | 野鳥

【2024 メジロ②】

☆メジロ(目白) ベース

☆2024 メジロ 2024年6月22日

◎2024年12月2日 富山県にて 写真4枚 追加しました

 

◎2024年11月15日 富山県にて 写真4枚 追加しました

 

◎2024年10月15日 富山県にて 写真2枚 追加しました

 

◎2024年8月1日 富山県にて 写真6枚 追加しました

 

 

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2024 チョウゲンボウ

2025-01-13 12:35:14 | 野鳥

【2024 チョウゲンボウ】

☆チョウゲンボウ(長元坊) ベース

◎2024年12月9日 富山県にて 写真2枚 追加しました

 

◎2024年11月6日 富山県にて 写真4枚 追加しました

 

◎2024年9月26日 石川県にて 写真4枚

カラスに追われて

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2024 イソヒヨドリ②

2025-01-12 07:36:13 | 野鳥

【2024 イソヒヨドリ②】

☆イソヒヨドリ(磯鵯) ベース

☆2024 イソヒヨドリ 2024年2月24日

◎2024年12月2日 石川県にて 写真2枚 追加しました

 

◎2024年10月31日 石川県にて 写真4枚

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2024 ケリ②

2025-01-11 10:27:00 | 野鳥

【2024 ケリ②】

☆ケリ(鳧) ベース

☆2024 ケリ 2024年5月9日

◎2024年12月2日 石川県にて 写真3枚 追加しました

 

◎2024年10月31日 石川県にて 写真4枚

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2024 コクマルガラス②

2025-01-10 21:50:54 | 野鳥

【2024 コクマルガラス②】

☆コクマルガラス(黒丸鴉) ベース

☆2024 コクマルガラス 2024年2月19日

◎2024年12月10日 石川県にて 写真12枚 + 動画 を追加しました

動画です・・・コクマルガラス

 

◎2024年11月21日 石川県にて 写真15枚 追加しました

近くに居た淡色型1羽のほかに遠くに、淡色型(白黒型)2羽(内1羽はややグレー色)と暗色型(黒色型)2羽がいました。

暗色型は幼鳥(第一回冬羽)であり、白黒型は成鳥、中間色型は第一回~第二回の冬羽で成長に移換中だということだそうです。

 

◎2024年11月20日 石川県にて 写真5枚

 

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歴史の道《小原道(越)》⑤

2025-01-09 13:38:57 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》⑤】

臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往古より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波郡鎮座の荊波神社であると伝えられている。

また、臼谷の岡村遺跡は、縄文中・後期(4000年~5000年前)の集落跡といわれ、また、字岡ノ城の河岸段丘の上には、奈良時代より中世にかけての集落の跡が残されている。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月2日編集 富山県にて 写真15枚

★臼谷八幡宮・・・臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往昔より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波郡鎮座の荊波神社であると伝えられている。

階段の横の二つの案内板があります。

臼谷の地は古来より 八幡宮をはじめ、小白 山、臼谷砦、小原道、小原越等々 史跡多く、 また、ぶな、うらじろかしの混生林、或いは、 年中清冽な清水を湧出し、人びとに愛用された 大清水、あしつき等あり由緒の地である。

臼谷八幡宮・旧号 荊波(うばら)神社・・・境内入口に「八幡宮」と刻まれた社号標。当社の正式名は「八幡宮」だが、社前の案内板では臼谷八幡宮とあった。

平成十七年(2005年)四月二十四日、不審火のため焼失してしまったが、平成十九(2007年)年九月に再建されました。

現在の臼谷の大杉・・・拝殿の右後ろ、本殿の右にありますが、平成十七年(2005年4月)の火災の後、枯れてしまったので根元で切り取られていました。

万葉歌碑・・・「荊波の里に宿借り春雨に こもりつつむと妹につげつや(万葉集巻の十八)」

平成十七年(2005年4月)の火災の直後の撮った写真・・・以前の臼谷の大杉・一部熱により赤茶色になっています。(2005.6.5撮影)

案内板の左側も火災の折、黒く焦げていました。(2005.6.5撮影)

★人母シモヤマ遺跡・・・渋江川沿いの人母集落の東北の大地上に立地する旧石器時代及び縄文時代早期・中期・晩期の複合遺跡です。人母から渋江川をはさむ小矢部市の一帯には、埴生上野遺跡・松尾談義所遺跡・杉谷内床の山遺跡など、多くの旧石器時代の遺跡が発見されています。

★旧神明社古墳の石碑(小矢部フロンティアパーク)入口横

★内山集落にあったかわいいお地蔵様

 

 

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歴史の道《小原道(越)》④

2025-01-08 12:33:21 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》④】

加賀と越中の国境を舞台に繰り広げられた前田利家と佐々成政の争いの痕跡を現在に伝える「加越国境城跡群及び道」は、小原越を挟んで対峙する切山城(前田方)とともに、2015年(平成27年)10月7日に国の史跡となった。

佐々方と推定される松根城跡は、加賀と越中の境となる砺波山丘陵の最高所に位置し、東西約140m、南北約440mの規模で、門跡や道跡等が発見されました。西端の幅25mの大堀切によって尾根上の道跡(小原越)が切断されており、小原越を戦時封鎖した可能性が考えられています。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月2日編集 富山県にて 写真33枚

松根城跡

歴史の道《小原道(越)》④の地図・・・松根城跡から切山城跡までのコースです

松根城跡は、加賀と越中の境となる砺波山丘陵の最高所に位置し、東西約140m、南北約440mの規模で、門跡や道跡等が発見されました。

旧小原道は右側の道でで松根峠から現休憩所の横を通り切山城跡の方に進んでいました

休憩所

松根城跡の案内板

松根城では、佐々軍の前線として大規模な改修が行われ、城域を通過する街道(小原越)筋を大堀切で寸断するなどの処置がとられた事が発掘調査で確認された。これは道路を戦時封鎖した状況を示す遺構として初の検出事例となりました。

虎口の門跡

曲輪

主郭(本丸跡)

松根城跡の石碑

金沢方面

高岡方面

二の丸跡

三の丸跡

三の丸から見た鉄塔群

大堀切

松根城跡から切山城跡へ向かう途中「加越国境城跡群及び道 小原越」の石柱と案内板

案内板

旧小原道です

切山城跡の入口に到着しました。ここから車は入れません。旧小原道を進みます。

旧小原道の右手に城跡の横堀が見えてきました

小原道です

本丸近くの旧小原道横に案内板と石柱がありました。

切山城跡です。・・・前田方の城跡です。

主郭の下を小原道が続いています

小原道は金沢市吉原町方面に続いています

金沢市の小原町の起点の吉の交差点です

 

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歴史の道《小原道(越)》③

2025-01-07 15:10:05 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》③】

越中から加賀金沢に至る道。北陸街道の脇道として利用された。杉木新町(砺波市)からほぼ西へ進み、鷹巣村(砺波市)から浅地村―名畑村―平桜村―末友村―今寺村を経由、五郎丸内山人母(福光町)三ヵ村の岐路をたどって松根峠を越え、松根村(金沢市)を経て金沢に達する。

内山村から分岐した松根峠の北方の内山峠越の道も利用された。

江戸時代荷主が越中から金沢へ陸路で荷物を運ぶ場合、北陸街道を利用して宿継ぎで運ぶか、宿に上まい口銭、または庭口銭と称する挨拶料を支払って一気に金沢まで荷物を運ぶかした。

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月2日編集 富山県にて 写真36枚

五郎丸岐路と思われる分岐点・・・左側に林道(岡村岐路に向かう)⑫、真ん中にも林道(小矢部フロンティアパーク方面)⑬、右側に旧小原道(岡村岐路に向かう)⑩、手前が「お休み場」に向かう旧小原道⑪です。

歴史の道《小原道(越)》③の地図・・・五郎丸岐路から松根城跡までのコースです

五郎丸岐路と思われる分岐点・・・右側に小原越旧道入口(岡村岐路に行く)⑩があります。真ん中は⑬の山道入口、左側は林道⑫の道です。

小原越旧道入口(岡村岐路方面)⑩の入口です。

岡村岐路に通じる「小原越旧道入口」細い道

岡村岐路方面からくると五郎丸岐路に出ます。・・・左に進むと「お休み場」に行けます。

左に折れると小原越旧道 ⑪ に続きます

岡村岐路に向かう林道 ⑫ です。車道になっています。

小矢部フロンティアパーク方面に向かう道 ⑬ です。進入禁止用のポールが立っています。

お休み場方面に向かう小原越旧道入口 ⑪ です。

分岐点より小原越旧道⑪を「お休み場」方向に向けて進みます

「お休み場」が見えてきました

「お休み場」の標識の右側が少し道幅が広くなっています

「お休み場」を過ぎ、さらに進んでいきます。

朽ち果てた山小屋が見えました。

山小屋の手前に林道左側に分岐して小原越旧道が林道に並行してありました。・・・山小屋の裏を通っています。

再び林道に合流します

林道を松根峠方向進みます。・・・広い内山の分岐路に出ました(案内板がありました)内山集落⑰、人母方面⑯、松根峠(小原越旧道)⑮です。

人母方面⑯に少し行ったところに「人母岐路・百見坂」があります。

入母集落に向かう山道の入口

分岐点より小原越⑮を松根峠方向に進むと右側の小高い所にある「力もち地蔵」です・・・明治初期に内山村の青年に相撲を教授したという力士の碑です

一部小原越旧道は真っすぐ行きますが林道は左側に曲がります。そして右側の曲がると林道合流します。さらに進むと右側に松根城跡に向かう入口がありました。

林道から小原越旧道を進むと松根峠に着きます

松根峠です

ここを過ぎると松根城跡の入口に向かいます

松根城跡に着きました・・・振り返れば松根峠が見えます

小原道の道標です

 

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歴史の道《小原道(越)》②

2025-01-06 07:36:59 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》②】

この区間は令和元年10月29日に 「歴史の道百選」に新しく追加選定された小原越ルートで「歴史の道」選定箇所がほとんど該当する山道です。

小原道(越)と山道が入り混じる道で道なき道もありました。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月1日編集 富山県にて 写真27枚

小矢部フロンティアパーク近くの小原越旧道入口の標識

歴史の道《小原道(越)》②の地図・・・小原越旧道入口から岡村岐路までのコースです

小原越旧道入口の標識と案内板・・・ここから旧道が「馬つなぎ場」に続いています。

十字路の右手前の広場が「番所(ばどこ)」と思われる場所でしょうか?

十字路(旧道入口)から少し先の竹やぶから小原越旧道につながる小道です・・・「末沢新村北」

臼谷八幡宮の横の道がありました・・・「山鹿の里近道」

「山鹿の里」の小原越旧道へ行く道です

車で「山鹿の里」の十字路に行きました。左の道は登ってきた道⑤、正面の道は「旧小原道」②、右側の道は小矢部フロンティアパークへの道③、手前の道は「荊波の里」への道④、⑤です。

山鹿の里の十字路・・・左に進めば「旧小原道」、右に進めば「荊波(いばらなみ)の里」=越中国礪波郡の地名

「荊波の里」の方に進めば三叉路左側の道は左の道は「小原越旧道」地図の①の道の「馬つなぎ場」です。道の右側に脇に標識があります。右側に道は臼谷八幡宮の横の「山鹿の里近道」への道です。

「馬つなぎ場」・・・・このあたりで木に馬をつないで一休みしたそうです。

馬つなぎ場の向こうには「番所・小原越旧道入口」に向かう道が続いています。

馬つなぎ場の大木・・・手前は「山鹿の里」の広場です。

「山鹿の里」

「山鹿の里」の石碑

「山鹿の里」の広場

山鹿の里の「小原越」の石碑

「小原越」の石碑の反対側

「旧小原道」(地図上の②)の道

小矢部フロンティアパーク方面に進む道(地図上の③の道)途中獣進入防止のゲートが2箇所ありました。

今登ってきた臼谷八幡宮の近くに下りる道・・・地図上の⑤の道

地図上の②の旧小原道(舗装されていました)を「岡村分岐」に向けて進みます。

電柱も環境に配慮され、茶色になっていました。

右ヘアピン部分で旧道へ入ります。「岡村分岐」と呼ぶそうです。・・・真っすぐ進めば「旧小原道」(地図上の⑥)、右に進めば林道(地図上の⑧)で五郎丸岐路に行けます。

「岡村岐路」(地図上の⑨)

「旧小原道」(地図上の⑥)の道・・・五郎丸岐路へ進みます。

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歴史の道《小原道(越)》①

2025-01-05 08:49:07 | 観光スポット紹介

【歴史の道《小原道(越)》①】

小矢部市浅地から、名畑・末友を経て県境の松根城跡のある峠を越え、金沢市吉原町に至る歴史の道。

小原道(小原越、小原街道と表記される場合もある。)とは、富山と石川を結んだ古道で、旧北陸道の脇街道(わきみち)(裏街道)的な役目を持っていた。

旧北陸道(歴史国道)の倶利伽藍峠を越えるのとは違い尾根道を主に上るため勾配も緩く、金沢に近いということもあり、物資の輸送は小原道を使うことが多くなった。

しかし、藩は宿駅を保護するため金沢への届米は竹橋・津幡宿場の馬で運ぶよう達しを出した。しかしながら小原越は加越の住民にとって生活に密着した重要で愛着のある道であり続けた。

★歴史の道①(富山~石川) ベース

  ★歴史の道《小原道(越)》①・・・浅地追分~今町(一軒家)

  ★歴史の道《小原道(越)》②・・・末沢新町~岡村岐路(末友辻)

  ★歴史の道《小原道(越)》③・・・五郎丸岐路~松根峠

  ★歴史の道《小原道(越)》④・・・松根城跡~金沢市吉原町

  ★歴史の道《小原道(越)》⑤・・・臼谷八幡宮、人母遺跡、他

◎2024年12月1日編集 富山県にて 写真27枚

①小原越起点(浅地追分)・・・藩政の末頃までは、津沢に小矢部川を渡る橋はなく、砺波地方の人々は浅瀬を渡って浅地へ出るのが普通で、そこから堤防沿いの道を北へ進み、浅地追分へ出て、西へと小原道を蟹谷へ向かい、小原越をしたと伝えられています。

川除け地蔵・・・ここを起点として北の方へ行くと今石動の宿、また浅地から渋江川を渡って倶利伽羅峠に出て北陸街道を金沢へ、さらに浅地神社から南へ高木、蓑輪を経て安居寺へ向かう四方に分かれる昔の要所でした。

歴史の道《小原道(越)》①シリーズでは小原越起点(浅地追分)~今寺・一軒家までのコースです。

②浅地神社・・・2022/03/26に焼失。この地の比枝社、諏訪社、熊野社の三社合祀でこの地の村名に因み浅地神社と称しています。

浅地神社入口横の地蔵尊

盤持ち石(力石)と小原道の道標

小原道の道標

③安養寺神明社

④藤森神社(経塚)

神社の左奥にある「経塚」

⑤平桜広田(廣田)神社

⑥安養寺御坊跡・・・安養寺城(あんようじじょう)、または安養寺御坊(あんようじごぼう)は、日本の城および勝興寺旧伽藍跡。城跡としては史跡未指定だが、一向衆の拠点「勝興寺安養寺御坊跡」として小矢部市指定史跡となっている

⑦末友八幡宮・・・末友八幡宮は1928(昭和3)年、山間地から現在の場所に移された。春と秋の祭りでは獅子舞が奉納され、境内には公民館もあることから住民の心のよりどころとなっています。

⑧西教寺・・・小矢部市に雅楽が伝えられたのは、天保元年(西暦1830年)です。末友村の西教寺住職・木場深泰(きばしんたい)が郷里に持ち帰り、埴生(はにゅう)・松沢・水島各集落の同士を募り指導したことにより始まったといわれています。

⑨今寺(一軒家)・・・渋江川を渡り一軒家の横に道が続き、家を超えたあたりから急に登り道になり末沢新村へ続いていました。(右側の一軒家)

右側に渋江川が流れています。

画像の左端の最初の電柱、竹の茂った山の横が旧小原越の入口です。真ん中の白い建物の所が小矢部フロンティアパークへの入口です。

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2025年(令和7年) 元旦

2025-01-01 00:01:33 | 日記

【2025年(令和7年) 元旦】
2025年1月1日

皆様 明けましておめでとうございます
昨年中はいろいろとありがとうございました
今年もよろしくお願いいたします

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