どこか山下清的な雰囲気もあるけれど。
しかし、私にとってはそれ以上です。
歩き続けるヒトでありたいものであります。
どこか山下清的な雰囲気もあるけれど。
しかし、私にとってはそれ以上です。
歩き続けるヒトでありたいものであります。
いいなぁ。
実にいいなぁ。
理念も大事だけど、さらに文献学的な研究も大事だけど、
基本は人柄です。まだまだですが。
周防大島から出た民俗学者の宮本常一先生です。柔和ないい顔をされている。こういうヒトにアタシはなりたい。むりかもしんないけど。
90ccのバイクと、薄いノートを何十冊も持って、カメラ2台で古老達に(老女達に)昔話のひとつでもお聞きする。雑談風学問とどっかで言われていたような気がしますが、そうかもしれない。河出書房新社から出ているいい本です。
学問は人柄でやるということを教えていただいたような気がします。道遠しでありますが。
今、広島空港にむかっています。夕方には飛行機の中。退職後は、この一年よく旅行しましたなあ。夢のような話じゃ。来年は出来ないかも知れないから。生きてるかどうかもわからんし、ねぇ。(^-^)g" さっきまで津和野にいたけど、森鴎外(おうが変換出来ない)全集が食堂に置いてあった。感動した。さすが出身地は違うものじゃ。ポウオクの書庫にもアリマス。ずいぶんお世話になった全集である。レポート書くのに。また全集でも引っ張り出してノートとりでもはじめようかしらん。漱石大センセとは、まったく違っているから、グセイとしてはこちらのホウガ面白い。軍医としても超一流であったからである。文学はもしかしたらヨギであったかも知れないと思うと実に楽しいではないか。ある意味生涯学習に通じものがある。余裕がないといけません。確かに努力は尊い。さりとて命がけっていうのはあまり感心しませんなぁ。グセイのような何でも中途半端ってぇのも困るけど。(*^_^*)
おはようございます。萩城跡が部屋からみえます。昨日の夜、足湯につかりながら、萩の夜景を見ておりました。山の上にアリマスから、なかなかいい体験でした。宿の山ですので機関車のかたちをしたワゴンの送迎つき。運転手さんと萩のよもやまの話をしながら過ごしたので、運転手さんがご老人だったらまるっきり民俗学の取材ではないかと笑いました。退職後の貧しい経済生活ではございますが、精神的余裕だけはあるような感じがアリマス。漱石大センセがいたら、罵倒されるんでしょうなあ。馬鹿ヨバワリかも知れないですね。確かに、こういふのもいないと、いかんのでしょう。明日からシャバで日々の生活が始まります。現役サラリーマンの方々はご苦労様です。昨夜ロビーにいたら、会社員らしき青年がいて会話を聞いていたらどうやらこれから部長が来るのでお出迎えらしい。フロントを占領してたんだけど、遅れた部長どのさすが。グセイが困っているのを見てしかりつけた。出世する人は他人へのキクバリができるんですね。たいしたもんじゃ。
旅はいいものです。それが民俗学と結びついていると、さらにいい。日本人の精神というものを考えることができるからです。そして、埋もれたなにかを明らかにすることができるからです。今回、周防大島の雰囲気に触れることができたことは、ある意味これからのグセイに影響を与えるようなものでした。幅広くやっていこうと思います。いい体験でした。
今日は吉田松陰先生の松蔭神社の近くのホテルにいます。松陰先生は、茅屋の床の間にもかけ軸にておられます。二度目か。さすがに英傑は違う。そして、人口も5万に満たないのに、維新の英雄たちをあれだけ育成されたという事実に瞑目せざるを得ない。すばらしいことであります。
昨日は周防大島にいたのですが、民俗学者の宮本常一せんせのご出身地でもありました。ホテルに、宮本せんせの著書がたくさん置いてありました。愚生は、宮本せんせの「忘れられた日本人」の岩波文庫を持ってきたので、堪能しました。よかった。実によかった。
これからも、旅をしながら、ノート片手に駄文を書いていこうと改めて決意したのでありました。
明日帰宅します。
写真もいっぱい撮りましたので、もう少々お待ちください。この記事はホテルから打っていますので。
笑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山に抱かれて 小椋佳作詞作曲 ニコ動から
この歌いいですなぁ。実にいい。なんでか。歌詞がいい。曲のことはよくわからないが。愛を考えるには。つべこべ書くと、趣を損なうから、書かない。是非とも味わってくださいませ。何度でも。
小椋佳さんて、本当に哲学者ですわなぁ。学部は東大の法学部だけど、その後東大の文学部に再入学して、大学院修士で道元の研究をなさったと聞いたことがある。かすかな記憶だが。間違っているかも知れないけれど。間違っていたら教えてください。
しかしである。あれだけご多忙なのに、生涯学習をなさっているのだ。こういう日本トップレベルの頭脳を持っておられるのにも関わらず生涯学習なんである。すばらしいことである。
生と死ということを、考えておられるのであろう。修士論文を拝読したいものである。どんなことを書かれているのであろうか。 生きること、死ぬということをどう捉えておられるのだろうか。直接お聞きすることは不可能だろうし、どっかの大学で講義をしてくださることも無いだろう。それに、愚生じゃお聞きしてもわかららんちんか。(^0^)
後期の期間中に国会図書館でも行ってきますかなぁ。紀尾井町キャンパスから近いし。
山に抱かれて、木々を愛し、風に溶けて生きてみよう。
君は ほんの少しの 後ろめたさもなく 山や川や緑と話しが出来ますか、
山に抱かれて自然らしく、自分らしく生きて行こう
日テレ番組「視聴者の信頼裏切る演出」 BPOが意見書(朝日新聞) - goo ニュース
この記事にさもありなんと思った。
テレビが言うから、マスコミがああ言っているから、こう書いているからということを盲信してはならないのである。本当にそう思っている。なんか書かれていたら、その裏読みをしなくてはならない。言論統制が隠れた意図ならば、マスコミは実に格好のツールであるからだ。
愚生のようなじじぃほど簡単にそれにひっかかる。
だから、根拠をいちいちしっかり確かめるのである。文献主義と言ってもいい。定年退職したのだから、興味ある対象そのものを全て書籍の購入に充てることは不可能になった。だから、コピーの山である。つまり、借りてきた書籍を部分コピーして、いちいち根拠文献を明らかにしながら、毎日を生活しているのである。
昨日は嬉しいことがあった。ある学術交流センターのフォーラムに、愚生の原稿が掲載されたからである。7頁にわたってであった。歴史と伝統のある教育研究所である。お世話になった方へ感謝のメールを打って、昨夜は過ごしていた。もっとも、このBLOGも書けば書けたのだが、今度は別の組織に投稿する原稿をさっきまで書いていたのである。いくらでも内容を思いつくのである。しょうがないではないか。これがある意味理想であったし。定年後の過ごし方として。
で、冒頭の日テレのニュースに戻る。
関連して、大家族シリーズという番組が、これは日テレだけではなくて、あちこちの局で制作されて放送されている。子どもが11人とか、そういう家族を紹介して放送するわけである。ところが、この手の番組づくりは、ある意図のもとに演出されていたのだそうだ。夫婦の喧嘩まで、演出されていたんだそうである。放送中に夫婦喧嘩が無いと、抗議の電話までかかって来たそうである。
唖然とした。
愚生は、こういう大家族が嫌いではない。今のこの時代に、大家族を養って、苦心惨憺しているパパママに素直に応援したいと思っていたからである。しかし、騙されたという感じもあるけれども、それでもまだ愚生は大家族をひきいるパパママたちに期待している部分がある。出演料を払っていたということを問題視していたマスコミもあったが、別にそれでもいいじゃん!と正直思っているのだ。食費だって大変だろう。子どもが多かったらそれはそれなりに大変なのは目に見えている。
残念なのは、そういうことで視聴者の受けをねらっているというマスコミの姿勢である。これくらいのことをやれば、一般ピープルは喜ぶだろうとか、馬鹿だから感動するんだろうという制作者の意図がミエミエだからである。
一般ピープルはそんなに馬鹿ではない。選挙だって、イケメンの代議士せんせを出せば勝てるだろうと思っているところもあったから、なんということであろうかと思っていた。しかし、今回ばかりはイケメンで勝とうとしても、もう騙されないぞという雰囲気がある。結構なことである。
もう一般ピープルは見えているのだ。
意図がである。どこへどう誘導しているのかということが。短期間の、行き当たりばったりの浅はかな思考でもって、我々国民を騙してはならないのだ。一流と自称している某新聞社だって、戦前・戦中はなにをしてきたというのか。戦争をあおってきたではないか。黙ってシランふりをしているけれども。
根拠を明らかにしてほしいということである。
何をもって我々国民をそちらの方に誘導していこうとしているのかということを明らかにしていただきたいのである。マ*クス主義が裏に隠されているんだったら、それをはっきり言えばいいではないかと思うのだ。裏の意図を隠しながら、巧妙に文章を、あるいは映像を、音声を流すんだったら、それを作者の意図として最初から言えばいいのである。
作者はこの表現から何を言いたいのでしょうか?というのは、へたくそな大学入試問題と一緒である。そんなもんでごまかしてはいかんと思うのだが。いかがなものか。
愚生のようなものであっても、駄文を書いて、今回のように印刷された場合、根拠ロンブンとかをいちいち明らかにしている。当たり前である。演出はしていないからである。あるいは、盗作はしていないからである。オリジナルだからだ。もっとも、思考をするには先行研究の存在無しには、鍛えることもできないが。
それではまた!
ここんところ、ずっと院生室で文章書きをしていたんだけど、夏休みっていうのはまったく愚生にはないから・・・だって毎日が夏休みではないか。退職したんだから。ただし、原稿の締め切りがかなりあって、しっちゃかめっちゃかなんであるケド。
今日は、師匠に報告という形で、3種類の駄文を印刷して、準備をしていたのである。ロンブンという形で、バンバン書くことがオレの老後の主たるお仕事であるから。もっとも、一文にもならんからワイフには評判が悪い(^0^)
それで、ずっと院生室の無料コンピュータとにらめっこしていたんである。
そしたら、非常に美形のうら若きにょしょ~が隣の隣のコンピュータにお座りになって、やおら打ち始めた。こういふときは、愚生は目を伏せることにしている。なぜか?美形に弱いからである。ハハハである。緊張してしまうからである。
で、ずっと知らんぷりをしていた。
そしたら、その美形さんが「ちょっと・・」とのたもう。
「えっ?」
まさかオレに声をかけてくださるって、そんなのありか?と思ったけど、一応聞いてみたのである。
「あっしですか?」
「このチューインガム食べない?」って言われたのだ。そこで初めてご尊顔をしみじみ拝見させていただいた。若い。そしてお美しい。あ、このヒト、最近院生室にいるわなぁと気がついたのだ。殆ど、愚生と一緒だった。オレも晩熟(オクテ)でありまするよん。
「新入生なの?」
確かにそう聞こえた。
あああああああああああああああああ、感激である。42年ぶりに大学で「新入生なの?」と聞かれたではないか。オレでも新入生っぽく見えるのだよん。こんな禿アタマがである。
「はい!そうでありまする」(敬礼までしちゃったわい)
「ふうん、そうなんだ」
そして、高そうなチューインガムをいただいた。ご自分の手から直接である。オレのしわくちゃの手が震えたような気がした。だから、感激しちゃったのだ。だって、高そうな箱に入っていたんであ~る。
「専門はなに?」
「比較文化であります」
「ふうううん」
ここでどうやらこの淑女、もしかしたらオレの先輩なんじゃないかと気がついたのである。
「何をご専攻で?」
「同じよ・・比較文化」
「どういう分野を」
「中国の舞踊をやったの」
「日本でも影響されている能楽がありますが」
てな会話をしていたのである。
「修士を修了したの」
「そうでありますか。すばらしいことで」
完全に先輩であった。これは失礼をしてはいかんぞな。ごますりモードになってしまっているがな。オレもだらしねぇなぁ。
それから、いろいろと事情をお聞きした。先輩が勝手に語ってくれるから、ふんふんと伺っていたのである。ま、彼女の個人情報なんでここには書けない。でも、嬉しかったですねぇ、先輩!こんな体験絶対にできまへんな。どっかから携帯に電話がかかてきて、あっという間に退室されたが。修士の学位記を見せていただいたが、中国からの留学生であられた。名前でわかったのである。それにしても見事なまでの日本語会話能力である。たいしたもんである。帰国されたら、エリートとして、日本語教育の分野で活躍なされるんであろう。頑張ってくだされませ!先輩!
しかしである。60のオレが、新入生?って聞かれるんだから。おかしいけど、そりゃそうだわい。まったくそのとおり。本学では。まったくそのとおりである。ちなみに、県立銚子から看護学部に一人入学した女子生徒がいるが、あの子はオレの同期生ちゅうことになるんかいのぉ。年の差、42歳だわなぁ。実に喜ばしいことである。ますます若くなっちまうじゃないか。これじゃぁ。来年は、オレ、18歳になっちまうぞ(^0^)
これでいいんである。
なにも、60になったからって、先輩ふるこたぁねぇんだよん。
むしろ、ため口をきいてくださる方があればこれは喜ばしいことではないか。ありがたいことである。あちらは修士、こちらは博士なんてなんも関係ねぇんだねぇ。まったく。よくわかりました。最近ようやくオレが、院生をやっていることを知っている方が増えたような気がするし。ちょっとは、このBLOGで宣伝にもなっているようだし。マジに。
今日も大学院事務室に行ったのだ。用事がちょっとあって。で、律儀なオレは、ちゃんと学生証を出して、「と~ま君と申しますが」と挨拶をして、事務長サマと話をしようとしたのである。そしたら、「今日は、はじめまして」とにこやかにおっしゃられたのである。親切な事務長サマである。わかっているよ~ということであったのである。ありがたいことである。こんな何の特徴も無いただのじじぃを覚えてくださっておられたのだ。ありがたや、ありがたやである。
こんなふうに毎日楽しく勉強させていただいているのである。
良い学校ですよ。
ホントに。
じゃぁ!
中世の日本女性というのは、実にたくましい。
現代の日本女性もたくましい。
女性だけの旅を見ていてもよくわかる。
今日は、ずっと中世ものの読書を続けていたので、閑話休題。要するにくたびれたから、休憩である。休みながら、ブログの記事でも書いていると、また新しいアイディアが浮かぶのである。これはいいものである。どっかに提出する予定の駄文をずっと眺めていたら、もうこれくらいでいいやという時間が必ずくる。所詮才能が無いから、飽きるのである。そういうときは、潔く諦めるしかない。また書き直すのである。予定だけれども。あくまで。
宮本常一の「忘れられた日本人」に、周防大島の女性たちが出てくるのだ。これがかなり面白い。「女の世間」で自分を語る老女が出てくる。19歳のときに、女の友達3人で、「鬼の国」と言われた土佐を除く「女四国」を旅して、その途中「豊後の姫島」から来たやはり女性だけの「おんなしゅう」と出会うのである。そして一緒に歩いている。この女性たちは、善根宿に宿泊しながら和讃や詠歌をあげてもらいものをして、旅を続けた。さらには、吉敷郡のレンガ工場で働き、元気のよい女性は、夏は岩国で綿摘みに、秋は山口の奥で稲刈りに行ったのだそうである。
また、家出をする若い女性も多く、伊予で下女として働き、文化を身につけて帰ってくることもあったという。また一方では、能登半島の山の中で、生涯海をみたこともない老女のことも書いてあるが、この西日本の女性たちのたくましく働いているさまが目に浮かぶようである。
なんでこんな書き出しから入ったか。そうなんである。周防大島に行くのである。近いうちに。なんて書いていくと、それはずっと先のことだだろうと、政治の話にひっかけておめぇさんは書いているのか?と言われそうだが、違うのである。周防大島に行くのである。近いうちに。笑・・行ってきたら、このブログに写真だけでもアップする。アップ、アップしない程度に。
さらに中世の女性は、とくに芸能の民や、商人の女性の場合は実に広範な行動をしている。日常的にである。魚売(イオウリ)さんといわれる女性たちは、いろいろな民俗学の文献に登場してくるが、伊予の松山の近くにある松前の魚売(イオウリ)さんの行動範囲は実に阪神地域は言うに及ばず、北海道や樺太、中国大陸まで出かけているのである。
「ヨーロッパ文化と日本文化」(ルイス・フロイス)という本には、
①ヨーロッパでは、娘を閉じ込めておくことは極めて大事なこと
②日本では、娘たちは親に断りもせずに、一日でも幾日でも好きなところに出かける
③ヨーロッパでは、妻は夫の許可がなくては家の外に出ない
④日本の女性は、夫に知らせず、好きなところに行く自由をもっている
と書かれているのだ。笑っちまうではないか。
こりゃあこのまま、周防大島の女性たちのありようと一緒である。実にたくましいのである。中世は家父長制の厳しい社会であったとされるが、実態はかい離していたのかもしれないのである。
現代の女子だって負けてはいない。どこへでも、なんでも見てやろうと、たくましく出かけていくではないか。ウデまくりして、チョンマゲ結って。そうである。あの後ろ髪を縛ってあるのは、チョンマゲのように見えるからである。最近は男どもにもそんなのがいて、後ろから見るとなんだかわからなくなってしまうが。面白いのは、気のあう女性だけだと、怖いものはまったく無いようであることである。違いまっか?今日のタイトルは、「たくましいのは中世の女性ばかりか?」である。回答は、、、言うまでもない。
十六夜日記だって、そうである。相当の距離を旅している。あの時代にである。しかも体力抜群である。愚生なんかぜったいできない。歩けない。
むろん危険がなかったとは言わない。相当な困難もあったからである。とくに、宿泊を専門としていない素人の主人がいる家では危険であった。そのまま、下人にされたり、身分を落されることもあったのである。
古今著聞集にも遊女たちが、自分で宿主となって、山伏などを泊めている。琴、琵琶、和歌なんかをやりながらである。そのあたりは、非常に興味深いことである。ちなみに、江戸末期の遊女を撮した写真を見たことがあったが、実に美しい。教養もあったとのことである。ま、どうでもいいことばかり書いているが、これは性分なのでお許しねがいたい。
なんだか、中世期というと暗く寂しいイメージばかり抱いてしまう。事実はそうでもないのである。男共は、戦ばっかりにあけくれていているし、じゃぁ生活はダレが守っていたんだろうかと思うのである。家と、カネの入っている倉は女性が守っていたのである。今と同じではないか。まったく。
なんだか、弱きモノ汝の名は・・・・なんてホントだったのかねぇ?(^0^)
男共は、中世の戦ばかりしていた時代のように、「仕事」「しごと」「シゴト」とだけ言っていれば、家庭のシゴトは免罪符のごとくサボっている。晩酌と称して、大量の飲酒をして健康を害し、ウダウダと職場の、上司の悪口を言いながら、そのくせ「オレは使える男だ」「才能も、能力もある」「見栄えだっていいはずだ」「こんなオレを正当に評価していない」って、昔っから中世時代から言っていたのだ。馬鹿みたいにである。
もっとも、愚生もヒトのこたぁいえねぇなぁ。
アハハハハハハッハハハハである。
昨日は記事を更新しなかった。多忙であった。ちょっとS市のセレモニーホールに通夜に出かけていた。お世話になった方の御尊父様の通夜があったからである。96歳であったそうな。あやかりたいものである。どういう最期でもって、人生を終わるのかということは、愚生の大きな関心事である。どうしても避けられないからである。避けたいけど、ムリであるからだ。当たり前である。オレも、あなたもダレでも死んじゃうんだから。考えていなくたって、それは必ず来るんであるから。
Youtubeとか、ニコ動とかの動画を録画するソフトを買ってから、毎日のようにやっている。しかも、それをブルーレイディスクに落とすようにしたから楽しい、楽しい。一枚のブルーレイにDVDが何枚も入るのである。知らなかったなぁ。所詮、こういう分野もまったくの素人である。知らないことが多すぎる。
これまで、NHKスペシャル、中世歴史資料、民俗学、遠野物語、申楽関係資料、表章先生特別講義、空海の風景関係資料、最澄関係資料等々のフォルダーを作成してそこに動画を入れている。動画を見ながら録画して、メモをとり、そして保存するわけである。大学に行っても、見られるからこりゃいい。
最後の最澄関係資料というのが、今日書きたいことの柱である。
最澄は相当な秀才である。若くして、国家直属のエリート僧侶として躍進していた。天台宗を作られた。言わずとしれた比叡山である。それはそれでいい。けっこうなことである。信者ではないけど。
反対が、空海である。最澄と違って、若い時からエリート街道をばく進していたとは、ちょっと言えないであろう。ただし、圧倒的な学問量と質でのし上がってきたという感じはする。こちらも信者ではない。ただし、そのふてぶてしさというもの、したたかさということではかなり興味がある。空海さんにである。
最澄は、国家とか天皇制とか奈良仏教との対決とか、そういうシステムの内側にあって、学問としての仏教を構築していった。桓武天皇のひきもあっただろう。奈良仏教界との対立構図とのからみもあっただろう。対して、空海は、国家とかなんとかとかそういう人間のこしらえたシステムの内側にいない。この点が大きな違いであろうと思うのである。私的にはである。あくまで。愚生もまた国家的な官僚育成システムの外側にいたからである。あたりまえである。東京大学だけを育成システムの柱としている日本の状況では、愚生ごとき生涯学習人は、はじき飛ばされる。そういうシステムをありがたがっているカタガタの眼中に入ってこないからである、愚生のような変種の生物は(^0^)
これは儒学にも当てはまることである。儒学も処世学・世間学であるからである。こっちはなにしろ年季が入っている。論語の素読で鍛えてもらったからである。5歳前からだった。おかげで、高校の漢文のせんせを随分困らせていたっけ。そのせんせ、仙台の帝大を出たエライせんせだったんだけど。(_ _ )/ハンセイ
儒学に関連するいわゆるビジネス書も好きで、現役時代は会社経営者の方々の本も随分読ませていただいた。参考になることも多かった。儒学を標榜される方では、安岡正篤先生であった。ほぼ全部購入して読んだが、退職と一緒に古本店に引き取ってもらった。ほかにもアメリカの経営理論というのは、実に参考になった。一番好きだったのが、儒学とは関係ないんだけど、ドラッカーであった。こちらもほぼ全部を古本店にひきとってもらった。退職したら処世学・世間学には興味が無いからである。もう、そんなのはいいのである。ゲップである。腹いっぱいである。ワハハである。はいさようならである。
しかしである。ビジネス書というのは、世間というしがらみから一歩も抜け出ていない。人間のこしらえたシステムというものの内側にあって、その中でジタバタしているだけのような気がしてならないのだ。メリット追求の旅だけをしているのでは、定年後にやれることが限られてくるではないか。
否定しているのではない。それはそれで生きるためには、大切なことであろう。そういう現象学を追究することで、確かに我々はメリットをいただいている。生活するためには仕方のないことであるとは思う。
さりとて、あくまで謹厳実直に生きているのもいかがなものか。いわゆる「よい子アイデンティティ」という言葉があって、我々は親に周囲のモノに、それをおしつけられる。よい子はよい子で、精神的にいろいろと問題を抱えているだろうし、反逆児は反逆児でよい子に反発しているわけである。しかし、基盤は親や周囲の「よい子」であってほしいという願いにある。
挙げ句の果てには、欲望を否定し、まるで谷川の清流のような生き方を憧憬してしまうこともある。事実、世の中はあまりにも汚いから、それに憧憬する気持ちもわからないではない。
清流を求めて、深山幽谷を上流に行くことがあった。そういうこともである。そして、山の上流に行くと、清流があって、そこには苦悩とかそんなもんはなにも無くて、ただひたすらこの世のものとは思えない美しい源流があって・・・・と勝手に想像していたのだった。そういうところに行きたいから、バイクまで買ったのだった。
一緒につれていっていただいていた人生の大先輩にそんなことを申し上げながら、山を登っていたら呵々大笑。
と~ま君、清流の源流って言ったって、ソバで熊がおしっこしていたら、清流も下流も関係ないわな・・と言われたのである。会津のヒトであるから、愚生と一緒で東北弁でしゃべっていたのだったが、相当ショックを受けた。こちらも呵々大笑であったのである。
以来、随分考えが変わったんだけど。
つまらない話であります。
さ、これから登校しよう。
講義をいたたくからである。
楽しみである。 師匠とお会いできるからである。
Twitterからの投稿ができないので、日常的な忘備録が書けなくて困っている。Twitterは、あの東日本大震災の時に、在校生相手にかなり役だったツールである。だから、なんだか知らないが、BLOGとの決別だけは避けてほしいのだけれども。いろいろあるんだろうなぁとは思うが。
で、日常的なこともこちらのBLOGで書くしかないようである。こまったものである。
昨日はちびっこ柔道教室に行ってきた。暑いから汗びっしょりになってきた。教室の卒業生ともいろいろと話をしながら、稽古だけは彼とするのは避けた。(^0^)
理由は簡単である。体重が130はあるからである。ぎゃぁ~である。そんな偉丈夫と稽古したら踏みつぶされてしまうではないか。まだ,死にたくはねぇんである。ハハハである。されどあいつは優しいのだ。福祉の仕事をしていて、こんな偉丈夫に世話になったら、オレも安心して老後を過ごすことができるというもんじゃ。肩もみもしてくれた。ありがたいかぎりである。こんな尊いお弟子さんを持つことができたということは、実にオレのこうふくである。
しかしである。弱いなぁ、オレ。
130キロが言っていた。「もう骨と皮だけじゃぁないっすか?」って。わかっているんである。オレは闘うヒトではないんである。哀しいけど、そうなんである。体重も少なくなった。75キロしかない。え?そんなにあるんかい、って聞かれる方もあるかもしれない。違うのである。現役の時に、94キロあったのである。だから、寂しいのである。こんなになっちゃって・・・としみじみオレの細くなった腕を見つめて慨嘆しているのである。
男は度胸というが、やはりそれは当たっているぜよ。度胸と腕っ節である。サファリで生きていた時代から、男は狩猟をやってきたのだ。それができなくなったら、引退である。
寂しいけれどもそうなんだ。若い世代に贈るしかないのである。闘い方の極意をである。極意と言ったら笑われるか。コツだな。コツ。コツコツ。
柔道が終わって、それからジムに行った。温泉があるからである。何よりの楽しみである。もっとも会員になっているから、それなりの会費を払っている。元は取りたい。そのあげく、健康になるならこんないいことはない。
ただし、健康ノイローゼにはなりたくない。健康情報ばかり仕入れて、あれやこれやと心配ばかりしていて、結局早死にしたら全く意味がないではないか。90歳になって、老後のために貯金しているようなもんだ。
昨日も、暑い中を大学まで通学した。なにしろ定期券を半年分買ってしまったから、行くしかない。いや、そうじゃなくて、行きたいから行っているんだけど。(^0^)
院生室で、いろいろやっていた。一番良かったのが、高野聖の本を部分コピーしながら読んでいたのだ。そして、非常に新鮮な発見をしたのだ。まさか西行を高野聖に設定しているとは。角川から出ているから信用はできる。しかし、これはいい。これから駄文書きで使える情報をいただいたのである。早速、非公開のカテゴリにしまってある論文に書き込みをしたのである。
そうである。愚生は駄文という名の論文を書いていくしかないんである。それが、これからの老年学生の義務である。ある意味、非常にここちよい心境である。
こういう贅沢をさせていただいているということに感謝である。どっかで恩返しをしたいが、そんな場もないし。ま、いいか。じっとしている時期も人間には必要である。
空海にも興味があって、駄文との関連があるから調べているのだが、なかなか面白い人物だなぁと思う。最澄という人もいて、こちらは学者肌。空海はなんというかつかみどころのない、茫漠とした器の際限がわからない人物という感じである。ぜひとも高校の社会科の先生に教えていただきたいことばかりである。接点がないから無理だけど。
10月から、そういう専門の方々との接点だけはできる。楽しみである。しかもしすこぶるつきの、俊秀ばかりである。中には文学博士の方もおられる。そういう方々との関係性を持たせていただいたのである。ありがたいことである。内部で仕事をさせていただくので、ちょっと今よりはハードになるが。話を聞かせていただくだけでいい。碩学との対話は、自分を向上させていただけるのである。
今日も朝から暑い。昨日の晩は雨が降った。
しかし、だんだん季節が変わりつつある。
愚生も変わっていかんとなぁ・・・・・・
では!
昨日だった。
電車で通学しているのだが、このあたりではちょう~進学校のあるN駅で乗り換えて一番前の車両に乗ったのである。帰りであった。ボックス席であった。黒いリクルートスーツみたいなのを着ている若い男性が2名いた。愚生と3人になったのである。反対側のボックス席には妙齢の若い女性しか座っていなかったが、愚生は生来の遠慮深い性格であるから(?)その席を避けた。それに香水のにおいが駄目ときているから、余計にそうである。彼女一人で座っていた。その方が、ヘンな爺が前にいるより快適だろうという思いやりである。
いやぁ、同じボックス席に座って良かった。実に良かった。愚生は、やおら読みかけの「空海の風景」を汚い袋状物入れから出して読もうとしたその時である。
「修士論文が締め切りだ」
「書けない」
「どうする」
というようなお二人の黒ツバメのような若い男性が二人でしゃべっているのである。思わず聞き耳をたてた。どうやら東京の某有名私立大学の大学院生のようである。手に持った資料にも大学名が書いてある。オレでも知っている大学である。話の内容が筒抜けである。しかも、愚生も修士論文では苦労したから、手にした小説の中身は吹っ飛んでしまった。
資料の読み方で苦労しているとのことだった。イエローのマーカーをつけても、次から次へとアタマの中から内容が吹き飛んでしまうとのことであった。他の学者の論文読みも、ちょっと足りないなぁと言われていたが、失礼ながら同感だなと感じていた。
経済学か、政治学のようであった。いくつか単語を二人で言い合って内容のチェックをしていた。2年で修士論文を書かなくてはならないから、おいおいそれで大丈夫でっか?とクチを挟みたくなった。修士に通っているんだから、就職はしていないんだろう。タブン。研究者になりたいから、やっているんだろうと感じていた。
ま、それにつけても無防備ですなぁ。電車の中でそんな話はしない方が身のためでござりまするよ。得意だったのだろうけれども。オレのようなインテリはこんな田舎にはいね~だろうからって慢心があったのかもしれないし。しかし、隣に座ったきったねぇじじいが、全部聞いていたんだから、研究者になったらちと気をつけられた方がよろしいですわなぁ。これから先が思いやられる。
可能ならば、そのお二人の大論文を拝読させていただきたいくらいである。どんなにすばらしい大論文になっているかと思ったが、そのチャンスは永遠にない。当たり前だなぁ。(^0^)
思うに、22歳で学部を出て、23~24で修士論文を書いて、それで大論文が書けるんだろうか?20代で。ちょっと疑問である。哲学系ならふざけるなと叱られてしまう。ましてやインド思想なんてはるか彼方に終着駅がある。もっとも、その駅に到着する前に、ほんとの人生の終着駅に着いてしまうか(とほほ)
学者や研究者になるくらいの方なら、普段から隙のない生き方をせにゃぁあかんでっせ。ペラペラつまらんことを言っていると学者せんせだって、アカハラだとかなんとかだとかで訴えられて学者生命を断ちきられてしまう。ましてや徒弟制だとか言っていると、余計ことは面倒になる。最近は、いつでも録音可能な機材が胸ポケットあたりにあるから(ボールペン形式だって・・)もっと面倒になる。アハハである。
学問は人間を鍛える・人格向上のためのものであって、どうも立身出世のためにやっているのではないと、クチでは言うヒトが多いが、どれだけ本当にそう思っているのかねぇと思うんだ。どこの世界でも親分子分の関係はあるんだろうけれども。ちなみに、愚生くらいかなぁ・・親分も子分もいなくて校長をさせていただいたのは。ともかく徒弟制度は親の敵でござると福沢諭吉ばりに言っているつもりだけれど。(福沢せんせは別の単語を使われたですよ・・わかっております)
だから定年になったら学問をきれいさっぱり捨ててしまう方の気持ちがわからんのである。なんでそんなことができるんだろうか。まさか、もうこれ以上勉強しなくてもいい、オレは完成したのだからというつもりではあるめぇなぁ・・。
基本的な認識として、自己をどう規定しているかということであろう。
A:オレはインテリであり、エリートである。神のような人間である
B:オレは庶民である。そしてまだまだ勉強不足である(と~ま君である)
このAとBでどっちであるのか。どう自己規定をするのかということを考えた行動をとりたいものである。注意深く生きることである。萎縮してはつまらんが、しかし慢心してもならんのだ。慢心していたら、オレのような経験だけはいっぱいあるじじいに足下をすくわれますぜ。アハハである。
あの電車の大学院生、ちゃんと行き先まで行けたのだろうか。タクシーで会場まで行くと行っていたが、そんな場所あったっけかな?隣の駅で降りたから。なんだか心配になっちゃったですわ。それにしても、こんな田舎になんの用があってきたんだろうか。
それこそ余計なじじいの心配か。ほっといてくれと言われるわなぁ。
(^0^)
夏目漱石の「こころ」を読んだことがある。ささやかな読書体験である。10代の頃であった。早熟な文学少年というのが高校の文芸部にいて、アタシャ随分憧れたもんだった。その読書量にである。なんでも読んでいるんだ。なんでも知っているんだ。もちろん漱石なんか全部読んでいたから、驚いていた。世界の大文豪の作品も全部だ。
後で、その男の化けの皮がはがれたが。(^0^)
どっかの記事で書いたが、ダイジェスト版で仕入れた知識だったのである。今で言えば、マンガで読む名作シリーズというやつだ。その本の名前は、「アウトサイダー」(紀伊国屋書店)であったのだ。(こっちはマンガではないけど) 高校の文芸部の部室で見ちゃったのだ。
否、そんなことではない。つまり、「こころ」である。愚生は、この作品をなんで思い出したか。それは、あまりにも自殺が多いからである。今日は、過労死で亡くなった若い会社員のニュースを夜のNHKでやっていたのだ。中学生のいじめ自殺もずっとマスコミで問題にされている。
教育問題にすると、いろいろ愚生のようなモノでもコメントはできる。しかし、現役の教師だったのだからあれこれ言うのは差し控える。教員時代にいろいろと似たような問題で経験があるからである。守秘義務があるから、沈黙を守る。
今日の行き帰りの電車の中で、良い意味での「したたかに生きる」ということを考えていたのである。漱石の「こころ」を扱った雑誌を読んでいたせいもある。だから考えてしまったのである。
漱石はなんであんなに知的インテリの弱さと自死を書いたのか。そう思ったのである。その雑誌は、明治精神と近代的自我との葛藤というようにまとめていた。さらに、キリスト教でいうところの罪の意識というようにまとめていた。もっとも読んでいた雑誌がキリスト教専門の出版社から出ているのだけど。
ううううううううん。
果たしてそうであろうか。非常に疑問に思うのである。そういう近代的自我と、明治精神との葛藤というまとめかたをしたら、それでは救われないではないかと思ったのである。
愚生は、若い方に応援をしたい。これは間違いなくそう思っている。尊い命を、近代的自我とナントカ精神の葛藤というような論理で捨て去って欲しくないのである。当たり前ではないか。近代的自我なんて言ったって、それがどうしたというくらいの強固な意志を持って欲しいのだ。明治精神と言ったって、それより偉大なのは、あなたのこころですよと申し上げたい。漱石は、これを愚生と反対の意味で使っている。だから胃病で苦しんだのだ。(ちょっとこれは言い過ぎだけど・・・)
近代的自我を持ったおかげで、現代を生きる我々は、実にあふぉ~な現実(これも愚生は仮の姿だと思っているが)に振り回されているだけではないかと思うのである。島崎藤村の勉強を学部時代にしていたとき、師匠がよく近代的自我という視点から藤村を分析されていた。しかし、かなり疑問に思っていた。それがどうしたというように思っていたのである。それほどのものなのだろうか?ということである。
藤村の「夜明け前」も、上野から米沢に帰る時に、夜行列車で読了したっけ。(読み始めたのは、帰省のずっと前からだけど)あの頃は、九時間かかったのだった。夜行が。ちょうど読み終えた時に、見慣れた右側の奥羽山脈から夜明け前の太陽がカオを出してきたのには笑ったっけ。洒落にもならん。しかし、これが近代的自我なのかとおおいに疑問に思っていたのだった。ちなみに夜行列車で小説なんか読んじゃ駄目でっせ。お目々が悪くなる。もっとも、夜行なんて今はないんじゃないかねぇ。夜行バスは知っているけど。今は新幹線だから二時間くらいしかかからんのだ。(*_*) マイッタな。風情もなにもあったもんじゃないですな。夜行列車っていいもんですぜ。実にいい。夜行の急行で帰省するときに、どっかのばぁちゃんと話し込んだりしたっけ。そうか東京で苦学しておるんか、エライな、がんばっぺなぁアンチャン!って言われて不覚にも涙が出た思い出もあるからである。
あれから40年。今度はオレがじじいになっちまった。
愚生は千葉県に住んでいる。暖かくて実に明るい。太陽がぎらぎらと輝いていて、夏涼しく、冬暖かい。だからこういう自然の中に生きていると、希望とか、前進とか、向上とか、明朗とかの単語しか浮かんでこないのである。表日本とはよくも言ったりである。(この表・裏日本という言い方は気に入らないんだけど)表しか見えないのだ。なんと言っても、九十九里浜の隣は、ハワイなのである。これは得がたいシチュエーションである。こういうのを天賦の運と言うのである。こういうところに育ったら、常に前進、たくましく生きる、どんなことがあっても「したたかに生きる」才能に恵まれる。ありがたいものではないか。
閉じこもっていてはいけない。狭く生きてはいけない。そんな気分になったら、銚子に来てみることだ。大きな太平洋を見たら、くだらない近代的自我なんて吹っ飛んでしまう。
他者との関係性だけで生きることはいかがなものかと思っているのだ。自己の確立を図ったほうが、もっとよろしい。だから勉強しなくてはならんのである。
大学受験をしようとしている高校三年生を塾のアルバイトで指導している。国語と英語と数学である。彼らに実は読書法とか、勉強法をまことに失礼ながら伝授している。ちょっとした時間を活用して、愚生が実際に国語や英語、数学の学習をどうやっているのかを見せているのである。実物教育である。ショックを受けるようである。愚生の勉強法に。なんてったって、現役の大学生でありますからなぁ・・・・・(^0^)
愚生は出来が悪いから勉強をせざるを得ないのである。これは致し方ないのである。しょうがないのだ。天才だったら、愚生は定年後も天下りでどっかで仕事していただろうから。愚生にかぎってそんなのありえねぇですがね。アハハ!
明日も登校しようっと。
夜は柔道の稽古だけれども。まったく収入はないんですがね。(^0^)