と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日も千葉市の往復。電車の中では、独学をしていた。楽しいものである。

2018年09月06日 14時44分22秒 | とーま君の流儀2018

亭主元気で留守が良い。今日は、往復中国語の独学をしていた。電車の中である。Kindleでyoutubeからゲットした音声データで聞いていた。

 

 

すべては独学が基本にある。

太極拳を学び始めてそう思った。まったくそのとおりである。動きの連携を、師匠に教えていただいてから覚えられるのだろうと簡単に思っていた。しかしである。教本もなければ、DVDもない。ビデオを撮ってもいけないのだ。

言わば口伝でアル。それだけ絞っているのだ。むやみやたらに、範囲が広がれば良いというスタンスにない。逆にヒミツ主義であった。これは想定外であった。もっと簡単にできるようになれると思っていた。

簡単にできるという観点からは、買ってきたDVDで映像を見ながらやっていれば良いだけだと思っていたが違った。

そう気がついたら、ボキの求めているものとは違っているような気がしてきた。

つまり、ボキは他の方々とまったく動きを一緒にして、同じように動き、演武をするというのに適していないと気がついたのである。

ボキの求めているのは、型どおりやれるかやれないかではなかった。むしろ健康増進のためにやりたいということだった。

気功に関心があったと気がついたのである。

トータルバランスを崩したから、エコノミークラス症候群になってICUまで入ってしまったのである。

武術はもう良い。柔道でこりごりである。それこそ辟易してしまった。パワー柔道で、ベンチプレス140キロをあげてそれこそアホのように喜んでいただけである。

太極拳でもってこれから指導者になるわけでもない。そういう道を目指したら、また人間関係だのなんだのと破綻する要素が増える。

ただの趣味でよいのである。

流派が違っているらしいから、普及している24式太極拳だけやっていればボキは良しとしなくちゃアカンと思い定めた。

日曜日にやっている(教えていただいている)太極拳講座は社会教育の関係で師匠が無料で教えてくださっている。これは実にありがたいことである。太極拳とのご縁もできたからである。その後は、土曜日か火曜日に教室がある。有料となる。

そこでハタとコマッタのである。

時間がない。日程の調整がつかない。5つもバイトをやっていると、日程的にかなり厳しくなってしまう。これ以上、あちこちと趣味三昧の生活をしていたら破綻してしまう。しまいには、身体を壊して元の木阿弥になってしまう。

これじゃぁ、ナンのために太極拳を始めたのかがわからなくなる。アカン。

 

迷った時は、元に戻ればいいだけである。

本来のスタート時点に戻ることである。

太極拳もなんも知らなかった時に戻る。

これしかない。

もっともボキは本来無知である。

なんにも知らないのだ。

 

だから独学でもう一回DVDでも見ながら、稽古するしかない。すべての基礎は独学にあり、である。

 

今日も千葉市を往復してきた。バイトである。5番目の。

九十九里浜往復の電車は昔ながらのノンビリ旅。朝は早かったけど、仕事が終わったのが11時45分。それから千葉駅まで歩いて12時14分発の電車に乗った。駅構内で、駅弁を買った。トンカツ弁当である。600円。それを電車の座席で食べた。美味しかった。

わはははっはははっはははっははっはははっははははは。

 

今日は、これからヨルバイトの塾がある。夜の7時30分からである。こっちも楽しみである。

亭主元気で留守が良いである。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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9月5日(水)のつぶやき

2018年09月06日 06時21分34秒 | とーま君の流儀2018
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尾畠春夫さんに、記者が無理に聞き出した、モンスターボランティアの目に余る行状

2018年09月05日 22時32分35秒 | とーま君の流儀2018

ボランティアが、自衛隊の炊き出しを喰っていたら、そりゃアカン。

尾畠氏の云うとおりである。

自分で用意して、自分で喰っていくのだ。これぞ真摯なる精神である。

風呂だって、自衛隊の風呂に入っていたらアホである。

年金暮らしだから(国民年金月額5万5千円)、カネが無くなったら朝食しか喰わないこともあると尾畠氏は云っておられる。見事である。精神が違っているのだ。

 

 

 

 

尾畑春夫さんに、記者が無理に聞き出した、モンスターボランティアの目に余る行状

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川の上流から流れてきたというのが実感。童話の桃太郎みたいである。

2018年09月05日 06時58分38秒 | 精神のありかた

流されて生きてきたから、肩に力が入っていないのだ。ボキはそういう生き方をしてきたし、これからもそうなんだろう(^_^)。

 

 

ボキは強い強い決意と目標を持って生きてきたことはない。ある目標を自分に設定して、しゃかりきになって努力したこともない。他人に勝つことのみをオノレの課題にして、蹴落とし、蹴落とし生きてきたのではない。むしろ敗者経験の連続でもあった。世間的にはである。だから、強くなってしまったのかもしれない。挫折体験についてである。

人間関係で死にたくなったというようなこともない。トラブルには悩まされてきたが、そういう現象はそもそもがゼロだと思い始めてからは、まったく気にならなくなった。ただし、全面的にトラブルを忘れているわけではない。許しているわけでもない。気にしないことにしたのである。気にしていないのであるから、相手にしない。関わらない。アワナイのであるから、仮病を使ってでも会わない。これが一番良い。

仕事だって、いつのまにか向こうからやってきた。依頼とか頼まれごとだった。

川の上流から流れてきたというのが実感である。ボキはそれに流されて生きてきたのだ。童話の桃太郎みたいである。違いがあるけど。桃太郎は成功する。ボキは挫折の連続である(@^▽^@)。

美空ひばりの「川の流れのように」という歌があるが、アレである。アレ。あのまんまである。

ジタバタしたってしょうがないものはしょうがない。

まったく流されて生きてきたような気がする。

大学学部時代に苦学したのもそうである。学部の学費を出してくれなかった亡父亡母にも今となっては感謝している。あの選択肢しかなかったのだ。そういう人生のシナリオが書いてあったのだ。おかげで、人生勉強になった。世の中のことがよ~~~くわかった。冷酷な面もあるが、あったかい部分もあった。とりわけ映画の「フーテンの寅さん」シリーズで有名な葛飾柴又で、新聞販売店に住み込みそこで3年を過ごしたことがクスリになった。

アリガタイものである。こういうシナリオになっていたということがである。

昨日から始めた第5番目のアルバイトもそうだ。あらかじめシナリオが書いてあったのだ。若い方々と一緒に勉強させていただきながら、楽しい4時間を過ごしていた。これもまた「頼まれごと」であった。ご縁があるから、頼まれるのである。

ただし、家人は呆れていたが。いつまで働く気でいるのかとか、そんなにゼニが欲しいのなら海外旅行に行かないよとも言われた。違うのである。亭主元気で留守がいいのである。

病気しないで、元気で、しかもアルバイト代を稼いでくるなんてぇことはまさに理想の亭主ではないか。

わははあっはははっはははっはははっははははっははあっは。

 

今日は、古文書講座がある。午前中である。夜は中国語講座もある。

流されて生きているから、気楽なもんである。モノにならなくてもまったく気にならない。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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9月4日(火)のつぶやき

2018年09月05日 06時33分24秒 | とーま君の流儀2018
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天才は仕事の量がハンパではないと感じていた。しかもそれは「頼まれごと」でもあったのである。

2018年09月04日 18時37分34秒 | とーま君の流儀2018

頼まれごとを引き受けていると、なんだか生き生きしてくるのは気のせいか?マザーテレサも言っていたではないか。やることがないってことは、サミシイって。やることがあるだけ、ボキはシアワセである。

 

 

天才というのは、仕事の量がハンパではない。膨大な仕事量と闘った人のみが、天才と呼ばれる由縁である。だから歴史に名を残すほどの人物になるのだ。

しかもそれは自分からやりたいと言って、自薦でやったわけではないのだ。

西洋の画家たちがそうである。貴族から依頼されて制作したものがほとんどである。

つまり、「頼まれごと」なのである。自分から手を上げてやらせて欲しいというのではない筈である。中にはそういう人もいたのかもしれないが。

要するに、「頼まれた」からやったのである。

仕事は向こうからやってくるのだ。じっとしていても、やってくるのである。

そのためには、ナント言っても明るく生活していなくちゃアカン。暗い顔して、目つきも鋭く、相手をにらみつけていたら、頼みたいと思う人はいない。頼まれ仕事だってやってこない。

ましてや自営業だったら、仕事がやってこないと深刻度は増してしまう。

収入がなくなってしまうからである。

ま、頼まれ仕事も経済的に無理だとなったら、そりゃやっちゃアカン。物理的にも無理だとなったら、それもアカン。その辺りは計算して引き受けることである。

もっとある。借金の申し込みは頼まれない方がいい。これだけは例外である。保証人の依頼も受けない方がよい。なにが起きるかわからないからである。

自分にできる範囲での頼まれごとなら、チャンスがあれば引き受けることである。

それを、私のようなものが受けたら不遜でありますとか言って断ったらもう二度と頼まれごとはやってこない。謙虚に言っているつもりが、相手には不遜なやつだと思われてしまうからだ。困っているから、あるいはおまえならできるかもしれないと思うから、声をかけてくれるのである。

アリガタイではないか。言ってくれるだけでも。

要するに他人をシアワセにできるということなのである。自分のシアワセだけを追い求めていると、頼まれごとがやってきても時間がないとか、オレは忙しいと言って断ってしまう。

もう二度とご縁はなくなってしまうのである。

そういう考えは、「自分の思うとおりにしたい・生きていきたい」と普段から思っているからなのだ。

チャンスがあったら、チャレンジである。またまた世の中や人間関係が広がっていく。

楽しいではないか。

そういうことを楽しみにして生きていくことである。人間関係まで断捨離しているとサミシイ人生になってしまう。

 

今日から第五のアルバイトを始めた。楽しいモノである。若い方々と一緒に学んでいるからである。千葉市に行っていた。夕方の4時頃帰ってきた。朝は、6時に家を出た。

頼まれたから、あえてチャレンジしているのである。これもまた自分を変えるためである。

 

しかし、働くって良いモンである。心地良い軽めの疲労感がまたなんとも言えないからである。充実しているからである。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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9月3日(月)のつぶやき

2018年09月04日 06時19分43秒 | とーま君の流儀2018
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ドンキホーテのように楽しい・明るい生活を送っていきたいと思っている。

2018年09月03日 07時22分46秒 | 精神のありかた

笑われてナンボの世界である。楽しい存在でありたいから。

 

 

ドンキホーテたれ!というのが、ボキの信条である。

笑われる存在である。楽しい存在である。喜ばれる存在である。受け入れている存在である。

他人を否定しない。あるいは拒絶しない。自分のことばかりを考えていない。自己利益ばかり考えていることがない。さりとて、他人の利益ばかりを考えているのでもない。奉仕して、立派なボランティアをさせていただいて賞讃されたいとも思っていない。思うわけもない。そもそもが立派でないからだ。

太極拳に行ってしみじみそう感じた。まったくのお笑いものである。なぜか。いつまでも覚えられないからだ。

しょうもないボキである。

なんでだろうかと考えてみた。それは、ボキの心底に太極拳で発表会に参加したいというのが無いからである。

健康のためにやっているのだ。だから完成しようとか、発表のためにやるという視点がない。

自分が健康になれればそれで良いのである。あるいは、楽しければそれで良し。気功というモノにも関心を持ってきたし。トータルバランスでもって体調を維持していくことの大切さも教えていただいたからである。

ありがたいことである。

まさに、ドンキホーテである。あ、これって特定の店を指しているのではない。店ではなくて、人物の話である。

わはははっはははっははははははっはははははは。

 

楽しく生きていかなくちゃ、人生つまらない。つまらん人生を送っていてもしょうも無い。時々、食べ物の店にも行くときがある。あれも、店主が楽しそうにやっていればこっちも楽しくなる。料理も美味になる。それをである。ムスッとして不機嫌そうにやっていたら美味いモノもまずくなる。

経営のコツとはこの辺りにあるのではないのか。

組織体でもそうである。トップが楽しそうにやっていなければ、業績はアップしない。構成員である部下たちが、やる気にならない。

社長のために仕事をしているのではないのである。楽しい仕事をやりたいのである。それでサラリーを貰っていたら、こんな嬉しいことはないではないか。

結果として所属している組織体が発展していけばそれで良し。

社長の仕事なんて、組織員に感謝していれば良いのである。それをアレコレ口やかましく欠点を指摘しているから、ヒマだの悪党だのとワルクチを言われてしまう。

ドンキホーテで良いのである。トップが楽しそうに笑って仕事していれば良いのである。笑っても笑われても良し。そういうスタイルを所属員は見ているのである。

 

昨日眼鏡を新調した。けっこう高かった。13万もした。年金暮らしだから、財布が軽くなってしまった。もっとも元々軽い財布だけれどもねぇ。

明日からは、第五のバイトで千葉市に出かける。これまたドンキホーテですなぁ。

淡々として生きているから、こんなことも出来るんでしょうよん。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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9月2日(日)のつぶやき

2018年09月03日 06時20分42秒 | とーま君の流儀2018
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醤油もキャラも、薄味の方がよろしいようである。身体に良い。

2018年09月02日 08時50分52秒 | 精神のありかた

濃いキャラの方々と酒を飲んでいた。薄味のボキとしては辟易した。

 

 

昨日の懇親会では参った。退職した方々がたくさんおられた。ほとんどが再就職をしていた。大学のセンセをしているのもいたし、千差万別であった。

それにしても味が濃い。性格がである。

あまりにも濃い性格だと辟易してしまう。一緒に酒を飲んでいてもおいしくない。現役時代はこんなんじゃなかったのになぁと思った。キャラが濃すぎる。ボキ以外の人たちは。

ボキは本来が淡々として生きているだけである。いわばお任せ人生である。自分のわがまま勝手というのがない。生きているんだか、死んでいるんだかわからないような風来坊である。風が吹いたら、ふ~~~~~~っと飛ばされていくだけ。おもしろみもなんもない。

だから、味の薄い人間である。

もっとも人から食われたこともないし、他人を食ったこともないけど(^0^)。

 

味が薄い方がいい。なぜか。迷惑をかけないからである。自己主張ばかりしていると、毒素が体内に入ってしまう。自分の言葉で自分を痛めつけてしまう。そういう人は大病を患う。ボキがそうだったからである。エコノミークラス症候群で16日も入院したのだ。それで某大学大学院を中退してしまったのだ。せっかく大金ハラって入学(定年後)したのにである。もったいないことをしてしまったものである。

 

味が濃いと、どうしても他人への悪口が始まる。欠点を探して、それを責め立てる。アホだの、馬鹿だの、つまらねぇ人間だとか言っておだをあげていく。実際は自分の方がアホであり、馬鹿であり、つまらねぇ人間なにのに自分だけ舞い上がっている。

そんなことより、いるのかいないのかわからないくらいに存在感のない人間の方がずっと良い。だいいち、危険な思いをすることもない。他人からけんかを売られることもない。

宗教にも手を出さない方がいい。ある特定の宗教に凝り固まると、他の宗派から攻撃を受ける。どっちの教義が正しいのだ?とか論戦を挑まれる。新興宗教にそういうのが多い。だから手を出さない方が無難である。ただし、宗教が好きだったらその宗派の教典を読んでいればいいだけである。

好きなようにやっていればいいのだ。誤読の問題が若干あるが、自分が納得していればそれでよし。今は、インターネットでなんでも調べられる。要するに自分がそれでよしと思ったらそれで良いのである。

 

しかし、貴重な体験をしてきた。ボキは、宴会が始まって2時間もたってしまったから途中であったが帰った。ほろ酔い気分が心地良かった。「美女とアルコールのにおいでげっぷがでたから」と言って帰った。実際は、美女なんか誰もいなかったけどねぇ(^0^)。

あ、そうだ。

めがねを新調したから、これから取りに行ってくる。13万円もした。

それと教材研究をしなくちゃアカン。午後は太極拳がある。覚えの悪い弟子である。しょうもないか。もっとも師匠は、ボキの存在なんか忘れておられるだろうけど。

ヾ(*´∀`*)ノ

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9月1日(土)のつぶやき

2018年09月02日 06時26分36秒 | とーま君の流儀2018
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淡々として生きるのが、一番の目標である

2018年09月01日 18時35分20秒 | 精神のありかた

昨日は東京に行っていた。

それから高速バスで帰ってきて、夜は塾である。これを人は多忙だなぁと言うのであろう。

事実、ボキの長男は、「親父はいつまで仕事しているつもりだろうか」と嫁さんに言ったそうだから、多忙だと思われているんだろうなぁと感じた。

しかし、ボキはできるんだったら、いつまでも現役でいたいのである。惚けも防ぐことができる。

塾でもそうだ。教えているからこそ、自分から学ぶのである。英語なんかまさにそうである。NHKの語学講座も聴き始めて7年目になる。でないと、教えられない。むろんまだまだ不十分な知識でもあるから。

しかし、ボキは焦らない。

淡々としてやっている。

焦ったってどうにもならない。

自分を受け入れているからでもある。

過去も否定しない。過去にやってしまったことは消えない。しかし、自己嫌悪まで陥ることもない。そんなことをやっても無駄である。

現在もそうだ。今やっていることは非常に貴重なことでもある。会っている方々とのご縁を大切に、こだわらずに、淡々として生きていればハラもたたないではないか。

経験上。

未来もそうだ。未来は、現在の後に続くのではない。未来は、現在のままである。だから、「今」が大事なのである。今の連続が、未来でもあるからだ。

こういうボキのことを覇気がないと言う方もむろんおられる。元気がないとか、やる気がないとかとも言われる。

そりゃそれで大いに結構である。それは他人から見た評価であるからだ。

そんなもんにこだわって人生を間違えないことである。

 

今日はこれから千葉市に出かける。九時からある会合がある。退職した方々との懇親会もお昼頃ある。これまで、断ってきたが、今回は参加することにした。

なぜなら、あまり不参加を繰り返していたら忘れられてしまうからだ。ま、大先輩からの誘いもあったからだが。

つきあいというのは嫌いではない。それでも、つきあいと自称して、酒を飲み過ぎた。現役時代に。

だから病気になっちまったのである。

今日も、気をつけよう。

途中で帰ってもよし。

「あ、気持ち悪くなってしまった」とか「美人とアルコールには弱くて」とか言って帰ってしまおうっと。

わはははっはははっははははっはははっははははっは。

 

その前にウオーキングである。外は気持ち良い。

淡々として、出かけてきます。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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8月31日(金)のつぶやき

2018年09月01日 06時26分49秒 | とーま君の流儀2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/