雨ばっかりですね。
しかも、夜中に、けっこう激しく降ってます。
予報が当たってくれるのはいいけど、洗濯物が~
梅雨やから、しゃあないですけどね。
さて、某紙に、演劇鑑賞会の次回作の紹介文が掲載されました。
今回は、台本とDVDを見て書かせてもらいました。
700字程度の分量ですが、読んだ人が「観たい」と思うような、
そんな文章を書くのは、なかなか難しいです。
とくに、舞台作品としては、戦争物で地味ですしね。
でも、先日の、制作の方がおっしゃてたように、
観たら、誰もが、「わが家の場合はね・・」と、
話をしたくなる、そんな作品だと。
確かに、私ら世代の親は、かろうじて戦争に行ってます。
ウチの父も、戦争の後半に南方へ行き、
イギリス軍の捕虜になって終戦を迎えたらしいです。
例会(上演)は、7月13日(水)18時半~、ひこね文化プラザで。
その日を盛り上げるために、運営サークル(上演をお手伝いする会員)
では、受付にパネルを置いて、作品にちなんで、
99枚の写真を飾ろう、ということになりました。
今年は、私も、この作品の担当になったので、
早速、飾るための写真を探しました。
戦争に行った父の写真がいいやろうな^ということで、
この写真にしました~~
昭和34年の10月。
かわいい子どもは、私ですけど~~(笑)
本邦初、顔出し~(笑)
バックに写っているのは、当時住んでた大阪の借家ですね~
今にも、壊れそうなモルタル塗りの家。
道路を隔てた正面には、大阪環状線が走る土手があります。
土手に面して、洗濯物を干す丸太が建ててありました。
イチジクの木が植わってて、ちょうど今頃、
住民のみんなで取って食べたような~
父は、生きて帰れると思ってなかったから、
戦争から帰ってきてからは、何を目標に生きたらいいか、
本当にわからんかったと言うてましたね。
九州の実家に帰り、近くの大きな網元で漁師に。
網元の娘さんと仲良くなったらしく、
その娘さんが、音楽が好きな父に、
親戚の誰かが置いていったバイオリンをくれたとか。
漁に出た時に、海の上で練習して、我流ながら、
古賀メロディとかを弾きながら歌ってたようです。
結局、田舎の生活に飽き足らなくなって、
父は、バイオリンを持って大阪に出て来るんですけど、
いろいろあって、母と結婚に至るんですが、
母を落としたのは、バイオリンを弾きながら歌った、
「水色のワルツ」やったらしい~
ほんまにいろいろあって、生活がちょっと落ち着いた頃、
それが、この写真の頃のようです~~
父の形見のバイオリンは今でもあります。
亡くなるまで、時々弾いては、歌ってましたからね。
そんなふうに、いろいろ語りたくなる、
そんな舞台です。
チラシにある写真は、本当に当時撮影された写真。
昭和18年、一回だけシャッターを切った、氏名不詳の家族写真。
原作は、児玉隆也氏のルポルタージュ。
・・・児玉氏って、早世したけど、
田中角栄さんのことを取材してて「・・・越山会の女王」
という記事を書いたことで有名な人らしいです。
写真を撮った桑原甲子雄さんも、
戦後に活躍されたカメラマン。
舞台、楽しみです!
しかも、夜中に、けっこう激しく降ってます。
予報が当たってくれるのはいいけど、洗濯物が~
梅雨やから、しゃあないですけどね。
さて、某紙に、演劇鑑賞会の次回作の紹介文が掲載されました。
今回は、台本とDVDを見て書かせてもらいました。
700字程度の分量ですが、読んだ人が「観たい」と思うような、
そんな文章を書くのは、なかなか難しいです。
とくに、舞台作品としては、戦争物で地味ですしね。
でも、先日の、制作の方がおっしゃてたように、
観たら、誰もが、「わが家の場合はね・・」と、
話をしたくなる、そんな作品だと。
確かに、私ら世代の親は、かろうじて戦争に行ってます。
ウチの父も、戦争の後半に南方へ行き、
イギリス軍の捕虜になって終戦を迎えたらしいです。
例会(上演)は、7月13日(水)18時半~、ひこね文化プラザで。
その日を盛り上げるために、運営サークル(上演をお手伝いする会員)
では、受付にパネルを置いて、作品にちなんで、
99枚の写真を飾ろう、ということになりました。
今年は、私も、この作品の担当になったので、
早速、飾るための写真を探しました。
戦争に行った父の写真がいいやろうな^ということで、
この写真にしました~~
昭和34年の10月。
かわいい子どもは、私ですけど~~(笑)
本邦初、顔出し~(笑)
バックに写っているのは、当時住んでた大阪の借家ですね~
今にも、壊れそうなモルタル塗りの家。
道路を隔てた正面には、大阪環状線が走る土手があります。
土手に面して、洗濯物を干す丸太が建ててありました。
イチジクの木が植わってて、ちょうど今頃、
住民のみんなで取って食べたような~
父は、生きて帰れると思ってなかったから、
戦争から帰ってきてからは、何を目標に生きたらいいか、
本当にわからんかったと言うてましたね。
九州の実家に帰り、近くの大きな網元で漁師に。
網元の娘さんと仲良くなったらしく、
その娘さんが、音楽が好きな父に、
親戚の誰かが置いていったバイオリンをくれたとか。
漁に出た時に、海の上で練習して、我流ながら、
古賀メロディとかを弾きながら歌ってたようです。
結局、田舎の生活に飽き足らなくなって、
父は、バイオリンを持って大阪に出て来るんですけど、
いろいろあって、母と結婚に至るんですが、
母を落としたのは、バイオリンを弾きながら歌った、
「水色のワルツ」やったらしい~
ほんまにいろいろあって、生活がちょっと落ち着いた頃、
それが、この写真の頃のようです~~
父の形見のバイオリンは今でもあります。
亡くなるまで、時々弾いては、歌ってましたからね。
そんなふうに、いろいろ語りたくなる、
そんな舞台です。
チラシにある写真は、本当に当時撮影された写真。
昭和18年、一回だけシャッターを切った、氏名不詳の家族写真。
原作は、児玉隆也氏のルポルタージュ。
・・・児玉氏って、早世したけど、
田中角栄さんのことを取材してて「・・・越山会の女王」
という記事を書いたことで有名な人らしいです。
写真を撮った桑原甲子雄さんも、
戦後に活躍されたカメラマン。
舞台、楽しみです!