おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

国宝彦根城

2017-11-29 23:41:39 | 湖国日記
友だちが彦根へ来た目的は、こちら。


※クリックすると大きくなります。

NHKの、おんな城主直虎特別展「直虎から直政へ」、
彦根城博物館で開催中の(明日まで)展示を見るためです。

ついでに彦根城を見ていこうと。
ずいぶん昔に、一度来たことがあると言うてはりました。



彦根城博物館の入り口。

直虎については、資料が少なく、不明なことが多いようで、
ドラマが始まった時に、「直虎は男」という資料が見つかったとか、
話題になりましたよね~

展示されてるものには、静岡の井伊家の史料や、
涼潭寺の南渓和尚やその弟子、昊天らの資料、
彦根藩井伊家に至るまでの美術品や古文書などが展示されてました。

昊天さんは、彦根の涼潭寺を開いた人。
直政の配下として、武装して戦っていたようですよ。

いろいろ発見があって、おもしろかったですね。



キレイなのでパチリ。
開国記念館で、410年祭の展示をしています。
時間切れで、入らなかったんですけどね。



佐和口から入るとここを登ります。
天秤櫓の石垣が見えていますね。



堀切をすすむと、左手に鐘の丸。
春は桜が見事なここも、秋は紅葉が広がります。

くるりと曲がって、天秤櫓に廊下橋。



敵が攻め込んできたときは、廊下橋を壊して敵の侵入を防ぎます。
天秤櫓は、長浜城大手門のリサイクルと言われています。
左右対称の形状から天秤櫓と呼ばれていますが、
左右の石垣が、組み方が異なっているのも特徴。

右が築城された時の打ち込みはぎ積み、左は、
江戸後期に修復されたという落とし積み。



ちょっと曇ってますが、彦根城天守。
キレイですよね~~ 種類の違う破風がカッコいいですよね。
大津城を移築したと言われてます。

この日は混んでて、入場制限がありました。
小さなお城で、階段の傾斜がきついしね。

文句をいうてるオジサンがいたんですけど、
ちょっと、ムッと来ましたね。

「並んで階段登ったのに、なんもないとこやな。
 降りるために登ったようなもんや。
 これで1000円も取って、ぼったくりやな」

1000円は、国の名園である「玄宮楽々園」の見学と、
410年祭の展示をしてる多聞塔(開国記念館)の見学も入ってますよ。

というか、国宝のお城ですよ。
410年前のまま、戦いのために、武装してるお城です。
鉄砲狭間や侍の隠し部屋とかありますよ。

確かに、姫路城のように大きくはないですけど。

なんもないって、城になにを期待してるんですかね。
資料館のように展示物があるのは、
大阪城とかのようにレプリカのお城ですよ。

展望台もないですけど、窓から琵琶湖が見えます。



ほんとに、残念なオジサンがいるもんです。
もっと、彦根城について勉強してからきてください!

もやもやしましたけど、天守を降りてから、
急いで、彦根城博物館のお庭の方へ。

そうです。ひこにゃんです。
登場時間が決まってるので、急がないと会えないっ!



間に合いました~~
とにかく、ゆる~く、動いてはるんで、間に合いました!

いつ見ても、いやされるますね!

デビューした頃は(10年前)ハグして、
ツーショット写真も撮れたんですけどね。

さてさて、ドラマの方は、あと3回ですって。

直虎が亡くなったのは、天正10年と史料に書かれているそうです。
天正10年といえば・・・そう、6月2日、本能寺の変がありました!
・・・その後に、亡くなるということですね。

ということは、直政は堺まで行っていた家康と一緒に、
あの「伊賀越え」をするシーンが描かれるんでしょうね。

信楽の多羅尾氏の館に宿泊して、
御斉峠のあたりを通ったようですけどね。

今週も、楽しみです~~




埋木舎にて

2017-11-28 23:13:20 | 湖国日記
彦根城は、手始めに「埋木舎」(うもれぎのや)へ。
ここは、13代彦根藩主、井伊直弼が、三百俵の捨扶持居候の身で、
17歳から32歳まで、15年間過ごしたところです。
国指定の特別史跡。



11代藩主・直中の十四男として産まれ、5歳で母を亡くし、
17歳で父を亡くしてから、ここに弟とともに暮らすことになります。

当時の大名の息子は、跡継ぎ以外は他に婿養子に行く、
というのが通例だったようですが、直弼はそれにももれます。

そんな不遇の身でありながら、和歌を詠み、茶道を究め、
焼き物をし、居合術の流派をつくり、国学者・長野主膳と交流。
それらが、直弼の人格形成につながったと言われています。



建物の内部には入れませんが、庭から、
建物内をみることができるようになっています。
説明書きの看板がいっぱいあって、
ちょっと興ざめなところもあるけど、ま、いいか(苦笑)



この建物は現在、大久保家の持ち物らしいです。
彦根藩の側近で、直弼のときは大久保小膳が務めていたとか。

明治になり、井伊家から大久保家に寄贈されたようです。
桜田門外の変以降、幕末、明治の、忠勤、功績が認められたのですね。



直弼に関しては、いろいろな評価があるようです。
大老になってから、日米修好通商条約の締結し、
対立する諸勢力を押さえようと反対派を処刑、安政の大獄・・・

これが、直弼を悪人にしてるんですよね~

直弼が老中に上がった頃、幕府は将軍の後継者問題でもめていて、
そこへ、黒船に乗ってハリスがやってきて、開国を求め、
貿易をしたくて、条約を結ぼうと迫るんですね。
でないと、イギリスが攻めてくる、なんて脅してたかも。

開国に賛成してたわけでもないようやし、
大老になった直弼にも、いろいろ事情があったみたいですけど、
でも、結果、反対派に暗殺されてしまうんです。



歴代の、井伊直弼を演じた俳優さんの大きな写真パネルが、
ずらっと並んでました~~
けっこう、いろいろな方が演じてはるんですよ。
古くは、「花の生涯」で直弼を演じた尾上松緑さんとか、
一番新しいのは、「花燃ゆ」での高橋秀樹さんみたいです。



井伊直弼は、文化人としての評価は高いですね。
茶道に通じ、「一期一会」の言葉を広めた人、らしいですよ。
著書の『茶湯一會集』の冒頭に書いてあるそうです。

その考え方は、わび茶を広めた千利休が説いているのですが、
四字熟語にしたのが、直弼らしいんです。
現代も使われる言葉ですよね~



時代劇のロケでよく使われるという、埋木舎の前の小道。
お堀端には、直弼が好きだったという柳の木があります。

部屋住み時代に、庭の柳をよくながめていたとか。
風に身を任せて、部屋住みから幕府の大老まで登りつめた人。
「独裁者」と言われたり、「開国の元勲」と言われたり。

でも、地元の人には、自慢のお殿様ですよね~




浜御殿

2017-11-27 23:58:40 | 湖国日記
日曜日、神戸の友だちが彦根に来るというので、
最寄り駅で迎えて、案内がてら車ででかけました~

目的は、「おんな城主直虎特別展、直虎から直政へ」です。
10月から、彦根城博物館で開催しているんです。

博物館へ行く前に、彦根藩の松原下屋敷(浜御殿)の庭園が、
紅葉の季節に合わせて、特別公開をしているというので、
そちらへ、先に寄りました。(12月3日まで、公開中)

鳥人間コンテストで知られる松原海岸の近く、
彦根港のすぐそばに、浜御殿はあります。



11代当主の井伊直中によって琵琶湖のそば、自然環境の良いところに、
藩主が、政務を離れてくつろぐ場所として造ったようです。

大名庭園の様式で造られたお庭は、中央に池泉があり、
いくつか橋を架けて、庭園内を散策できるようになっていたとか。



表札が掛かってました。「井伊直愛」・・・
昭和30年代から9期に渡って彦根市長を務めた16代目の方ですね。
明治以降、この浜御殿が井伊家の居宅になったようです。

建物は長く使われていないようで傷みもあり、
見学できないのですが、お庭は、市が整備をしているようです。
まだ、整備途中ですが、観光用に公開しているのだとか。
昨年も、公開してたらしいですね。

建物の左側から浦にある庭へ。



うわ~、キレイ!

思わず、声を出しましたわ。



ヨシが生えているところが池泉ですね。
琵琶湖の水を引き込んで、かつてあった内湖まで、
水路で繋がっていたようです。船も通ったとか。

今でも、満水になるときはあるんかしらねぇ。



書院棟など、現存しない建物もあるようですが、
紅葉がキレイですね。



燈籠など景物もあります。



水路を見下ろす、ここには築山があり、茶室もあったとか。



このあたりには、橋もかかってたようです。



観光客はまばらでしたけど、なかなかいい雰囲気です。

琵琶湖のすぐ近く、記録には、
直亮のころ、船を出し、魚釣りをして楽しんだ、
というような記載もあるようですよ~

このあと、彦根城の方に向かいました~~


※写真のサイズを、少し大きくしてみました~




近江孤篷庵の紅葉

2017-11-24 23:00:42 | 湖国日記
前から行きたかった紅葉スポット、
せっかく湖北まで行ったのだからと、寄ってきました。
17時まで開いているというので、なんとか日暮れ前に到着。



あぁっ、残念ながら、一番見たかった参道のドウダンツツジは、
すっかり葉っぱが落ちていました~~

遅かったようです~(涙)

近江孤篷庵、小堀遠州の菩提寺です。

小堀遠州といえば、「庭」っていうイメージですけど、
建築家であり、千利休、古田織部とともに日本三大茶人としても有名ですね。

近江の国坂田郡の小堀村出身。現在の長浜市。

遠州が京都大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで、
ここを近江孤篷庵と、名付けたようです。

江戸時代後期に、小堀家が改易となり、
明治維新後無住のままに荒廃していたようで、
昭和になってから再建されて、庭園も整備されたのだとか。



門をくぐると迎えてくれるお庭。



向こうに見えるのは、東に面した池泉回遊式庭園。
自然をいかした庭で、近江八景を模してるらしい。



本堂南にある簡素な石組の枯山水の庭園。



静かなとことです。
夕暮れ時なので、だんだん薄暗くなってきます。



コケの上の落ち葉も、風情がありますね。



駐車場のそばにあったもみじ。
西日に照らされてキレイでした~~




鶏足寺の紅葉

2017-11-23 23:14:52 | 湖国日記
火曜日、この日しかないと思って紅葉狩りに。
ダンナが間の悪い?歯医者さんを予約してたようで ←しかもお昼前(汗)
帰ってきてから出かけたので、12時を回ってました。

まんの悪いことに、名神八日市インターの手前で工事渋滞。
30分ぐらいロスしたんやけど、その時間、下り線は、
彦根~多賀の間で多重事故が発生、炎上してしてたらしい。

そこを通過した頃は、事故発生後2時間ぐらい経ってたけど、
くすぶってるトラックとかがまだあって事故処理中でした。

なので、彦根から八日市まで下りは通行止めになったのかな。
彦根インターで降りる車が渋滞して、彦根トンネルまで繋がってました。

コワイ、コワイ~

多賀SEでおうどんを食べて、いざ、湖北へ。

滋賀県の紅葉情報には必ず登場する、鶏足寺まで。
観光バスがいっぱい来て、お客さんを降ろしていきます。
周辺に、臨時駐車場があるようですが、
観光バスの駐車場はないらしいです。
多分、北近江リゾートに駐めてるようですよ。
土日は、シャトルバス(無料)が出てるようなので、
マイカーも、そこに止めると良いらしい。土日だけね。

人も多かったけど、とにかく、
鶏足寺(旧飯福寺)まで、たくさん歩きましたわ~

鶏足寺は、江戸末期には廃寺になったようで、
その後、ご本尊などを、己高閣という建物の中に安置し、
地域の人が守ってきたそうです。

車から降りて歩いて、まずは、己高閣の方へ。









向こうに見えるのが己高閣という建物。



ここから先に、世代閣という建物もあり、
観音さまなどを保存しているのですが、
時間も押してるので、とりあえず鶏足寺の方へ向かいました。



己高閣から見た鶏足寺方面。
田んぼの中を歩いていきます。
途中、無人の野菜販売の棚がいくつもありましたよ。



雑誌などで紹介される参道です。
立ち入り禁止になってます。





建物が遺ってますが、トタン屋根ですね。



濡れた石段を滑りそうになりながら上がり、
上から下を眺めました。

こんな滋賀の田舎ながら、外国人も多いです。

「なんでこんなとこまで~」

ダンナが言うんですけど、ネットに上がってるからね。
すごいな、インバウンド!

とにかく、平日の午後でも、人は多いですね~



ここから右に歩いていくと、石道寺へと向かいます。

こちらは、ちゃんと人がいるお寺でした~ 


続きは、次回に。




いただきものの「ゆず」で

2017-11-21 23:35:36 | いやしん坊バンザイ!
自宅になっているからと、「ゆず」をもらった。
もらった時は、まだ青くて、どうしたもんかな・・と思い、
ネットでいろいろ検索・・そうや、「ゆずこしょう」を作ろう!

そう思って、スーパーへ行ったら・・・ない!
そう、青トウガラシがないんですよ。
満願寺トウガラシと、ししとうはあるんやけど、
辛みのありそうなトウガラシは、もう売ってないんですね。
まぁ、どっちいうと夏の野菜ですもんね。

あらま~、どうしたもんかしら・・・

ということで、ハチミツ漬けにしました。



わりとすぐに漬かるので、お湯割りでゆず茶にするとおいしい。

タネを取るのがめんどうですけどね。

マメに作るね~って、言われるんですが、
多少、主婦らしいことをしないと。
掃除とか片付けはやりかけたら終わりがないので(汗)
料理とかは、わりと手早くできるものをするし、
食べてもらえるという達成感?があるからね。

最近は寒いので、あったまるものを作るようにしてます。




粕汁。
週に1回は作ってるかも。
ちなみに、この日はお総菜特集のような晩ご飯ですね。
鶏きも煮、肉入りきんぴら、おから煮・・・



ポトフ風スープ。
シャウエッセンと冷蔵庫の野菜を入れて。
コンソメで味をととのえて、コショウをきかせます。

そうそう、いただきものの「もち米」(昨年の)が余ってるので、
きのこおこわを、作ってみました。



おかずは、豚肉のショウガ焼き、筑前煮。

冬場は、大根、人参、ゴボウ・・根野菜を使うことが多いですね。
昨日は豚汁でしたしね~

いろいろアップしましたが、いつもマメに作ってるワケではないですよ。

今日は、帰りが遅くなったので、
スーパーの出来合い・・・手抜きでした~

ま、ええやん。



浮き世を描いたもの

2017-11-20 13:10:36 | 日々のつれづれ
寒いですね~~
先週の水曜日、買い物に出かけようとしたら、

♪ゆきやこんこ、あられやこんこ

このメロディがなり出しまして、
そうです、そうです、灯油の販売車のテーマソング。
毎年、11月か12月から翌年の3月ぐらいまで、
このへんは、毎週水曜日に回ってはるんですね。
あわてて、ポリ缶を持って出ていきました。

このへんは、今年初めて来たとのこと。
だいたいお昼頃に来るのですが、この日は15時をまわってます。
たまたま家にいたからええけど・・と言うてたら、
チケットを買うと、ポリ缶に貼って出しておけば、
留守でも、入れて玄関に置いておいてくれるって。

早速チケットを5缶分購入。

近くにあったガソリンスタンドがなくなって ← 最近多いね~(汗)
車で買いに行くのもめんどうやしね。助かります。
が、この日2缶入れてもらって、チケット5缶・・・1万円札が~~~(涙)
絶対に必要不可欠やし、しゃあないけど。

実はこの日、佐川美術館まで行ってました。
お天気良かったですよ。寒かったけど。



知り合いから、チケットをいただいてたんですね。

「百花繚乱 浮世絵十人絵師展」

「浮世絵」は、日本が世界に誇る芸術作品。

ゴッホやモネといった名立たる画家たちに影響を与えたというし、
現代でも、国内外で高く評価されていますね。



鈴木春信、鳥居清長、東洲斎写楽、喜多川歌麿、葛飾北斎、
歌川広重、歌川豊国、歌川国貞、歌川国芳、渓斎英泉 の10人。

知ってる人の方がはるかに少ないけど(苦笑)
浮世絵は、江戸時代の人々の生活、風習を描いているのが多くて、
それがおもしろいなぁと思いますね。

鈴木春信は、錦絵創始期の第一人者で、
ロマンチックな女性像で知られるとか。

「錦絵」というのは本格的な多色摺の木版画のこと。
古典文学を当時の江戸の風俗に置き換える=見立ての手法で、
美人画を描いたようです。なるほど~

鳥居清長は清楚な八頭身美人像を描いた人で、
八頭身のプロポーションを持つ「江戸のヴィーナス」が有名らしい。
確かに、春信とは違って、女性の背が高くて顔が小さいかも~

東洲斎写楽は、ぱっと出てきて、
あっという間に姿を消した謎多き浮世絵師。
・・・阿波徳島藩のお抱え能楽師とする説が有力とか?
人物の上半身や顔を強調して描く「大首絵」が有名。
・・・そういや、高校の体育祭で、応援バックに描いたよね~

三大美人画家の一人、喜多川歌麿。
遊女など当時の女性の内面までを見事に表現したと言われます。

葛飾北斎は、赤富士や波富士で新たな風景画を確立。
生涯にわたり3万点以上の作品を描いたらしい。
代表作「冨嶽三十六景」の展示も、佐川美術館で観たような。
作品が海外へ輸出され、ゴッホやモネなど影響を与えたようです。
最近、よく取りあげられてますよね~

歌川豊国は、歌川派の創始者・歌川豊春の元で学び、
役者絵における人気絵師の地位を確立した人。
歌川派の総帥で一門の隆盛に生涯をかけ、
写楽とともに、浮世絵の人気を牽引したようです。

歌川豊国の門人で3代豊国を襲名した歌川国貞。
役者絵や美人画に長けていたとか。

同じ豊国門下の歌川国芳は、
パワー溢れる武者絵やユニークな妖怪画で大衆を魅了。
幕末社会の閉塞感を打ち破ったといわれています。
なるほど!

武士でありながら遊女の情念を追及し、
妖艶な美人画を描いた溪斎英泉。

そして、歌川広重。
風景画における庶民の人気を北斎と二分した浮世絵の大家。
北斎より37歳若いとか。
東海道五十三次の浮世絵がよく知られているけど、
「広重ブルー」と賞賛されるほど鮮やかな青の色使いが、
多くの人々を魅了していますね。

「東海道五拾三次」シリーズの初摺と後摺を比較展示してあって、
それがおもしろかったですね。

版画ではあるけど、明るさとかがちゃんと変えられるようで。
すごい技術ですよね~

広重の作品では肉筆の絵も展示されていて、それも貴重やなと。

浮世とは「憂き世」、現実の世界という意味。
現実世界にあるものを描いた絵、ってことですね。

26日まで、展示しています~



ほんまに、気持ちの良い日でした~~




成田屋っ~!

2017-11-18 14:48:07 | 演劇・舞台
もう週末ですね~
早い、一週間が!

書くことが溜まって来てます(汗)
秋は行事が多くて~

昨日は、朝早くから湖西まで。
就園前の子どもさんとママのための、いわゆる、
子育て支援のお楽しみ会に、参加してきました。
年に一度、こちらに呼んでいただきます。

赤ちゃんから2歳児ぐらいまで。
ママにも楽しんでもらわないとあかんし、
子どもたちが飽きないようにしないとあかんし・・

反省点はいろいろありますが ← 最近、反省ばかり(涙)
次回は頑張りますんで ← 呼んでくれるかはわかりません(泣)

さて、先週の日曜日は、地元市民ホールで、
市川海老蔵企画、「古典への誘い」があり、観てきました!
チケット発売日に、早くから姉と並んでA席をゲット。
・・・・センター中段ですけどね。



10月、11月と、全国をまわるそうです。
少しでも、歌舞伎を地方に届けよう、ということですね。
2012年から、始めたいる企画やそうです。

えらいね~
勘三郎さん亡き後、伝統文化を守っていく世代として、
思いを継いでいこうとしてはるんかな。

この辺は、まだ、大阪の松竹座、京都の南座とかまで、
歌舞伎を観に行こうと思えば行けますけどね。
なんせお高いし(その代わり、3本か4本観られます)
観たことない人も多いですよね。

でも、ファンの方もおられるのか、お着物の方もいましたよ。



出し物は、新古演劇十種の内「身替座禅」。
大きな松が中央に描かれた舞台で繰り広げられる物語。
常磐津連中、長唄囃子連中など、鳴り物も登場する舞踊劇。
豪華で、楽しいお話でした。

主人公の右京を海老蔵さん。
山の神、つまり奥方・玉の井の役を片岡市蔵さん、
身代わりになる太郎冠者を、市川九團治さんが演じます。

松羽目があるように、狂言の「花子(はなご)」が素材らしい。
奥方の目を盗んで恋人の花子のところに行きたい右京が、
時念堂にこもって座禅をすると言い立て、
太郎冠者を身替わりにして出かけるのですが、
玉の井とのやりとりがなんともおもしろいです。

夫のことが心配なんですよね、奥方は~
鶴の恩返しのごとく、座禅をしてる間は、ひとりにするように、
中に入ってきてはダメだと、右京は言うんですが、
どうしても、夫のことが心配で、のぞきに来る玉の井。

右京に命令されて身替わりになる太郎冠者も、
玉の井の怖さを知ってるので、断るのですが、
主人の命令をきけないのかと言われ、渋々受けます。

九團治さん、メイクもコミカル!
歌舞伎ではこういう役を演じはるんですね。
・・・なんせ、昨年は「Honganji」で平将門を演じてはって。
偶然?? ナマ舞台で拝見したので~

座禅用の衣裳をかぶってるので顔は見えないんですが、
玉の井がそっと入って、顔を見てビックリ。

今度は玉の井が太郎冠者の身替わりになって
座禅用の衣裳をかぶっていると、
酔っぱらって千鳥足の右京が戻ってきます。
調子に乗って?花子との逢瀬をしゃべり・・・
太郎冠者やと思って着物を取ると、
鬼のような形相の玉の井が!
一気に興ざめ、逃げていこうとします。

花道の代わりに、下手のステージへ続く通路を使用。
行きつ戻りつ倒れそうで倒れない酔っぱらいの右京
なかなか楽しい演出ですね~

右手に常磐津の浄瑠璃、三味線の人たちがひな壇に並び、
後半、松羽目が引かれて、中央奥に長唄の人たちがひな壇で登場。
三味線に、太鼓、小太鼓、笛などの囃子方も入って、
浄瑠璃と一緒に演奏=掛け合いっていいますが、
音楽がすっごいなぁ~って、感じです。

焼きもちは現代にも通じる話。
おもしろかったですね~

25分の休憩のあと、「男伊達花廓」。
長唄の入る舞踊劇ですね。短いけど、華やかです。

吉原へ恋人の傾城(けいせい・遊女のこと)に合いにくる、
江戸一番の伊達男・五郎蔵。これが海老蔵さん。
なれそめとか逢瀬が語られますが、そこに、
遺恨を持つ男伊達たちがやってくる・・・

セットが華やかですねぇ~
お茶屋が左右にずらっと並ぶ吉原。
中央に桜の花が満開の大きな木があります。

伊達男達の舞踊も圧巻。
役者さんが見得を切るとき(決め姿の瞬間)や、
足音や物が落ちたときなどに床の板を拍子木で叩いて音を出すのを「ツケ」、
音を出す人を「ツケ打ち」というらしいのですが、
上手の端でこの音を出す人が若い人のようで、
海老蔵さんの呼吸と合わせてタイミングよく打つのも、
たいへんそうでしたよ。体力いりそう~

14時から始まって16時まで、短い時間ながら、
なかなか楽しい舞台でした。

海老蔵さんと言えば、何かとブログが話題になりますが、
頻繁に更新されてて、この日は、滋賀に来ることも書かれてましたが、
終演後には (楽屋で更新??)

「とても気持ちのいい風の吹く土地で 心地よかったです」

と書かれてました~ ちょっとうれしいですね~



その日は京都にお泊まりされたようで、
翌日から神戸公演。今月いっぱい、全国を回られます。

オマケ・・

カーテンコールは5回??かな。

舞台上から、海老蔵さんが客席に何かを投げるんです。
だいたい、左右、中央と、3個ほど投げるので、
次を期待して拍手が鳴りやまない・・・で、また登場して投げる、
だまた、次を期待して拍手を送る・・・またまた登場・・・
と言う具合に、5回ぐらい出てきて、投げてくれました。

残念ながら、中段の私らの席までは届かず、
ナニを投げてはるのかわからんかったのですが、
物販に並んでた小さいオペラグラス(3000円弱)の形に似てたので、
姉と、これを投げはったんかなと・・・そんな高いものを投げはるんかな。

物販と言えば、滋賀県の菓子匠である、叶匠寿庵さんが、
海老蔵さんとのコラボ商品の干菓子を販売されてました。
すっごくお高かったので、買えませんでした~
でも、試食でちっさいのをいただいたけどね。

3年ほど前から販売してるみたいです・・→ こちら



老いて学べば死して朽ちず

2017-11-15 16:16:43 | 日々のつれづれ
土曜日は、市民カレッジの最終講座でした。
講師は、元総理大臣の小泉純一郎氏。

今でも、人気はすごいね。
この人のおかげもあって、今年の市民カレッジは、
すぐに完売してましたよ。通し券。



グレイのスーツ、白髪で、さすがにお年を召されましたね。
75歳やそうです。声も小さめで、聞き取れないときも。
でも、原発について、熱く語ってくださいました。

テーマは、「日本の進むべき道」

最初に話されたのは、消費税が10%になる件。

「消費税が10%になるからといって、私は、軽減税率には反対です!」

食料品など、生活に密着するものについては、
軽減税率を導入して、8%のままにするとかいうものですね。

「お金を使うのは高所得者で、低所得者は使わない。
 高所得者からはしっかり税金を取るべきなのに、
 軽減税率で得するのは、高所得者だけです」

そうなんですかね~?

「軽減税率で、ナニが対象になるのか、
 また、各業界が、陳情に行ったりするわけで、
 第一、ややこしい。税制なんてシンプルがいいんだ」

それはわかるような気がする。

そういう、税金の話から入って、原発問題に。

原子力発電は、夢の発電システム。
安全安心、しかもコストが安い、そう言われて、
現職の時は、それを信じてきたという小泉さん。

しかし、2011年の東日本大震災で、福島原発がメルトダウン、
あの事故で、それがウソだったことに気付いたのだと。

それから、資料や本をたくさん読んで、
原発について勉強したんですって。

除染作業のため現場で働いている作業員がたくさんいます。
あの防護服は使い回しができない。1回着れば、全部捨てなければならない。
でも、捨て場所がない。自治体は受け入れない。
燃やせば放射能が出る。どこに捨て場所をつくるのか。
どの産業よりも税金、国民の金を使うのが原子力産業なんだと。

今、たった2基しか原発は動いていない。
実質的に実質5年2カ月、原発ゼロでやって、
日本は、たいして不自由していない。

確かに・・・電力制限は実際には起こらなかったよね。


政治家で『憲政の神様』と言われた尾崎行雄という人がいますが、
96歳で亡くなる年に、こういってるとか。

『人生の本舞台は常に将来にあり』

人生の活躍する場は常に将来にあるんだということだから、
年取っても、向上心を忘れず、努力しなさいってことだと。

だから、小泉さんも、引退してもなお頑張っているんだそうです。
ピンチはチャンスだと。
原発に費やす知識とお金を、
自然エネルギーにシフトするチャンス、ってことでしょうかね。

最後に、好きな言葉をおっしゃってました。
美濃の国出身の儒学者、佐藤一斎のことばです。

若くして学べば、壮にして為すあり
壮にして学べば、老いて衰えず
老いて学べば、死して朽ちず

老いて学べば、腐らないって!

年を取っても、役に立つとがあるだろう、
そうおっしゃってました。



伝統的工芸品

2017-11-13 23:56:25 | 湖国日記
金曜日、仕事終わりにスーパーへ買い物に行ったら、
イベント会場で「滋賀の匠展」をやってました。



思わず足を止めて・・・17時を過ぎてたので、
実演は、ほぼ終了してました~

彦根仏壇のろくろ師、和ろうそく、近江真綿・・・
残念ながら見らませんでしたけど、近江上布のところで、
麻糸をつくる、手積み作業をされているのを見ることができました。



遠い昔、近江上布の館へ行ったことがあったのですが、
当時は上布や機織りの展示だけやったけど、
今は、工房があって、体験もできるようになっているとか。

ちなみに、近江上布は、麻織物ですが、絣(かすり)と、
生平(きびら)が「近江上布」として国指定の伝統的工芸品に指定されています。

大麻(ヘンプ)の茎から繊維を取り出し、乾燥させて、
細い糸を取り出しつなぎながら1本の糸にしていき、
その「手積み糸」で織った布が「生平(きびら)」。

一時、「生平」はすたれてしまったらしいのですが、
近年、また再び、織られるようになったそうです。



そのうち、また、愛荘町の近江上布の館に、行ってみないとね。
またぜひ、取材したいものです~

県の中小企業課が行っている展示会のようで、
担当の方と少しお話・・・昨年の秋号で、
伝統工芸を紹介したとこやし、というか、中小企業家で、
紹介してもらって、取材に行ったんやしね。

担当の方(・・・若いお兄さんですけど)に、その話をしたら、

「わたし、今年から配属されたので・・」

なるほど、そうなのね~

三日間の展示。
土日が忙しかったので、
結局、ほかの実演は見ることができず・・・

また、どこかでお会いできますように~