良いおてんきが続きますね~
今日は、汗をかくほど暑かったし~
某事務所が、明日から1週間お休み。
私はその間に、フィールドワークをします。
お仕事のね。ほんで、今年も祭りが~~
そうそう、今回は、琵琶湖の治水について学ぼうかと。
なので、一昨日、チラッと行ったインクライン・・・
大津から流れ出る琵琶湖疎水の向こう側へ、行ってきました。
すごい水量ですよね~
京阪蹴上駅の上のほうにあるんですが、
大津から山の中(トンネル)を通って流れてきた琵琶湖の水が、
平安神宮の鳥居の前をとおり鴨川へと流れていくところです。
落差があるので、すごい勢いです。
疎水通船の試行船体験ツアーの船は、大津から出て、
蹴上にある、旧御所水道(旧九条山浄水場)ポンプ室が終点。
敷地内には入れないので、遠目に撮った写真がこれ・・・
向こう側にトンネルが見えます。
山科につながる諸羽トンネルです。
この疎水の先(写真を撮ってる側)は・・・・
行き止まり??
水は、右手の方に流れ、1枚目の写真のように、
京都市街の鴨川へ流れて行くのですが、昔、疎水を通ってた船を、
蹴上からの36mの落差を、傾斜鉄道で運んだのですね。
模型が置かれています。
傾斜鉄道はインクラインと呼ばれるんやけど、現在は、線路だけが残っています。
疎水の水は、この落差のある傾斜を流れて行きますが、
インクラインの横に、こんな施設が作られています。
この大きな管の中を、水が流れてるんでしょうね。
ゆるやかな傾斜になってるインクラインをたどっていくと、
上の道路は、右側へいくと南禅寺です~
くぐると、向こうに見えているのは、動物園・・・
平安神宮前を流れる疎水へとつながっています。
振り向くと、インクラインの横の水路を、勢いよく水が流れています。
琵琶湖から水をひくのは、京都の夢、やったそうです。
明治に入り、東京に首都が移されて意気消沈していた京都市。
衰退していく京都を復興させるため,特に産業の振興を図ろうと、
計画されたのが疏水事業やったんですね。
土木工事を担当した田邉朔郎の像がありました。
北垣知事に主任技師として選ばれた、工部大学校
(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師でした。
疎水工事は、すべて日本人の手によって行なわれた、
日本で最初の大土木事業で、明治18年着工、
23年に大津から鴨川合流点まで完成しました。
船運のほか、水力発電で産業の振興に絶大な能力を発揮し、
日本最初の路面電車も開通、京都市発展の原動力となったそうです。
琵琶湖疎水は、明治の先人たちが気づいた産業遺産。
開通から数十年、疎水を使って、舟が、人や貨物を運び、
大いに利用されて、昭和26年に姿を消しました。
琵琶湖疎水開通125年を記念して、
試行船体験ツアーが実施されたんやそうです。
当時、日本一長いという長等山のトンネルを通るのは、
ちょっとコワそうやけど、
乗ってみたかったなぁ・・・
今日は、汗をかくほど暑かったし~
某事務所が、明日から1週間お休み。
私はその間に、フィールドワークをします。
お仕事のね。ほんで、今年も祭りが~~
そうそう、今回は、琵琶湖の治水について学ぼうかと。
なので、一昨日、チラッと行ったインクライン・・・
大津から流れ出る琵琶湖疎水の向こう側へ、行ってきました。
すごい水量ですよね~
京阪蹴上駅の上のほうにあるんですが、
大津から山の中(トンネル)を通って流れてきた琵琶湖の水が、
平安神宮の鳥居の前をとおり鴨川へと流れていくところです。
落差があるので、すごい勢いです。
疎水通船の試行船体験ツアーの船は、大津から出て、
蹴上にある、旧御所水道(旧九条山浄水場)ポンプ室が終点。
敷地内には入れないので、遠目に撮った写真がこれ・・・
向こう側にトンネルが見えます。
山科につながる諸羽トンネルです。
この疎水の先(写真を撮ってる側)は・・・・
行き止まり??
水は、右手の方に流れ、1枚目の写真のように、
京都市街の鴨川へ流れて行くのですが、昔、疎水を通ってた船を、
蹴上からの36mの落差を、傾斜鉄道で運んだのですね。
模型が置かれています。
傾斜鉄道はインクラインと呼ばれるんやけど、現在は、線路だけが残っています。
疎水の水は、この落差のある傾斜を流れて行きますが、
インクラインの横に、こんな施設が作られています。
この大きな管の中を、水が流れてるんでしょうね。
ゆるやかな傾斜になってるインクラインをたどっていくと、
上の道路は、右側へいくと南禅寺です~
くぐると、向こうに見えているのは、動物園・・・
平安神宮前を流れる疎水へとつながっています。
振り向くと、インクラインの横の水路を、勢いよく水が流れています。
琵琶湖から水をひくのは、京都の夢、やったそうです。
明治に入り、東京に首都が移されて意気消沈していた京都市。
衰退していく京都を復興させるため,特に産業の振興を図ろうと、
計画されたのが疏水事業やったんですね。
土木工事を担当した田邉朔郎の像がありました。
北垣知事に主任技師として選ばれた、工部大学校
(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師でした。
疎水工事は、すべて日本人の手によって行なわれた、
日本で最初の大土木事業で、明治18年着工、
23年に大津から鴨川合流点まで完成しました。
船運のほか、水力発電で産業の振興に絶大な能力を発揮し、
日本最初の路面電車も開通、京都市発展の原動力となったそうです。
琵琶湖疎水は、明治の先人たちが気づいた産業遺産。
開通から数十年、疎水を使って、舟が、人や貨物を運び、
大いに利用されて、昭和26年に姿を消しました。
琵琶湖疎水開通125年を記念して、
試行船体験ツアーが実施されたんやそうです。
当時、日本一長いという長等山のトンネルを通るのは、
ちょっとコワそうやけど、
乗ってみたかったなぁ・・・