3日目の午後、国営公園「吉野ヶ里歴史公園」へ行きました。「国営公園」てことばを初めて聞いたような気がしますが、全国に17ヶ所あるとか。国がお金を出して整備してる公園てことやけど、歴史公園としては奈良の飛鳥と、この吉野ヶ里だけみたい。今まで整備にかかった費用は600億円。年間6億円の維持費がいるのだとか。なんで、この吉野ヶ里が国営公園になったかというと、BC3世紀~AD3世紀の約600年間の弥生時代すべてが、この遺跡から把握出来るからやそうです。ふ~ん。
学芸員の方のプチ講習のあと、皇居と同じくらいの広さがあるという園内を見学しました。弥生時代の前期、中期、後期と遺跡は徐々に広くなっているらしいのですが、クニの成り立ちを、そこからたどっていけるというんですね。考古学史上、最大の謎と言われてる邪馬台国の所在地をめぐる論争も、吉野ヶ里は大きく影響してるとか。昔、歴史で習った「魏志倭人伝」にある施設らしき建物跡がここにはあって、それらの建物が復元されてるんですね。高床式の倉や竪穴住居、それに、当時の国会議事堂にあたる主祭殿など。主祭殿は高床式の建物で、下から階段を上って見学するんやけど、誰もいてないと思って2階へ入った瞬間、私は、気配を感じてビクっとしてしまったんです。よ~く見ると、古代人の人形がいっぱい並べられてて。復元シーンとか。ホント、ビックリ! 3階では、卑弥呼らしき人形が「霊のお告げを聞くために祈って」ましたね。当時は、国全体の決め事が合議で決まらない時には、最高司祭者、つまり、祖先、神の声を聞ける特殊な能力を持った人に祖先の霊の声を聞いてもらって、その声に従って決定してたそうです・・・ズバリ、言うわよ~って感じかな。(笑)
壱岐で出会った吉野ヶ里サポーターの方もいはりました。壱岐の会場では、私たちのよしの笛にすごく興味を持って下さり、「吉野ヶ里にもよしがあるので、是非、笛を作ったりしたいですね」と言ってはりましたね。
いろんな人と交流が持てて、知らなかった知識も得られて、いろいろもりだくさんの旅でした・・・しっかし、3日目の夜遅くに帰ったら、ダンナが一人で出来合いのお総菜を食べてました。う~ん、ちょっと胸痛い・・・娘らはどうしたん? メールで聞いたら、それぞれ外食の予定やとか。ダンナ曰く。「大人やねんし、ちゃんと死なへんように食ってるから」・・・。娘曰く。「心配やったら、オトンも連れて行ったらええねん」。
ダンナの可哀想さ?と、娘らがいかにアテにならないか、よ~くわかった旅でした。
吉野ヶ里遺跡についてはこちらから
学芸員の方のプチ講習のあと、皇居と同じくらいの広さがあるという園内を見学しました。弥生時代の前期、中期、後期と遺跡は徐々に広くなっているらしいのですが、クニの成り立ちを、そこからたどっていけるというんですね。考古学史上、最大の謎と言われてる邪馬台国の所在地をめぐる論争も、吉野ヶ里は大きく影響してるとか。昔、歴史で習った「魏志倭人伝」にある施設らしき建物跡がここにはあって、それらの建物が復元されてるんですね。高床式の倉や竪穴住居、それに、当時の国会議事堂にあたる主祭殿など。主祭殿は高床式の建物で、下から階段を上って見学するんやけど、誰もいてないと思って2階へ入った瞬間、私は、気配を感じてビクっとしてしまったんです。よ~く見ると、古代人の人形がいっぱい並べられてて。復元シーンとか。ホント、ビックリ! 3階では、卑弥呼らしき人形が「霊のお告げを聞くために祈って」ましたね。当時は、国全体の決め事が合議で決まらない時には、最高司祭者、つまり、祖先、神の声を聞ける特殊な能力を持った人に祖先の霊の声を聞いてもらって、その声に従って決定してたそうです・・・ズバリ、言うわよ~って感じかな。(笑)
壱岐で出会った吉野ヶ里サポーターの方もいはりました。壱岐の会場では、私たちのよしの笛にすごく興味を持って下さり、「吉野ヶ里にもよしがあるので、是非、笛を作ったりしたいですね」と言ってはりましたね。
いろんな人と交流が持てて、知らなかった知識も得られて、いろいろもりだくさんの旅でした・・・しっかし、3日目の夜遅くに帰ったら、ダンナが一人で出来合いのお総菜を食べてました。う~ん、ちょっと胸痛い・・・娘らはどうしたん? メールで聞いたら、それぞれ外食の予定やとか。ダンナ曰く。「大人やねんし、ちゃんと死なへんように食ってるから」・・・。娘曰く。「心配やったら、オトンも連れて行ったらええねん」。
ダンナの可哀想さ?と、娘らがいかにアテにならないか、よ~くわかった旅でした。
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