団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

広島交響楽団第291回定期演奏会

2009-08-08 13:52:53 | 音楽
            広島交響楽団第291回定期演奏会

                           2009年7月12日(日)

・シベリウス(1865-1957)  悲しきワルツ作品44-1
・糀場富美子(1952-)    未風化の7つの横顔―ピアノとオーケストラのために
・ラフマニノフ(1873―1949) 交響曲第2番ホ短調作品27
  指揮:秋山和慶
  ピアノ:長尾洋史
  2009年7月10日、広島厚生年金会館ホール



・シベリウス
 弦の各パートが、それぞれ「音を手渡す」ような感じで曲を繋ぎ、微妙なニュアンスも十分奏でていた。

・糀場富美子
 最初と最後に打ち鳴らされる鐘の音がこの曲のモチィーフだ。
 冒頭、日々の安穏とした生活を思わせる鐘が鳴らされる。一転、その鐘は原爆、その後の喧騒を思わせる激しい楽曲により打ち消され、最後は鎮魂を思わせる静かな鐘が打ち鳴らされる。
 12音技法の曲ではないと思うのだが、シェーンベルクの「ワルソーの生き残り」を思わせる部分がある。原爆への怒り、恐怖、怨念・・いや不条理を表現するには無調という手法も確かにありそうだ。

・ラフマニノフ
 ラフマニノフの交響曲を聴くのは初めてだ。しかし、2番と聞いて、主題メロディが直ぐに頭に浮かんだから、再生音楽では何度も聞いていたのだろう。
 第3楽章、秋山の指揮は歌わせ、歌わせる。穏やかで大きな波に身も心もまかせているかのようだ。酔った心地になる。(いや、実は演奏の前に友達と飲んだ。その友達は、ふと見ると、コックリコックリしている。酒と音楽に本当に酔ったようだ。)
 第4楽章、一転軽快なテンポになり、クライマックスへと続く、めくるめくズムに体が震えだし、最後は硬直し、「ブラボー」が言えなかった。

 この日の広響は、弦、特に低弦がよく響いた。ベースは7人と何時もより1人多く、交響楽団の基本はやはり弦だと再認識させられた。全体に破綻もなく、良く訓練されている印象だ。

 広響で、これほど感動した演奏は、めったにない。




(2009年8月8日、追記)

 7日付けの朝日新聞に、星野学の音楽評論が出ていた。(作曲者の「責任」に喝采)
 朝日新聞に、広島交響楽団の演奏会の評が出たことがあるかどうか、私には記憶がない。
 8.6の時期であり、原爆をテーマにする演奏だったので、1か月も前の演奏会にもかかわらず、掲載したのだろうか。
 一部を抜粋する。


 「美術作品が展示場所によって趣を変えるように、音楽作品も響く場所が特別な感興を呼び起こすことがある。」
 
 「冒頭、鐘のようなチューブラベルの音型にピアノが呼応する。同じミとドなのに複雑な倍音がからみあい、うねる。その溶け合わぬさまが聴き手を不条理の世界へいざなう。第3楽章でハープとピアノに現れる秒針のような音型は、一瞬にして命を奪われた人々が失った時か。激し和らぎ「語る」ピアノに寄り添う管弦楽が色を変え、聴き手の想像力をかきたてる。」

 「風化しつつある被爆の記憶、依然残る核への脅威へのいらだち・・。その結節点が実感できる街だからこそ、この日の感動は生まれたように思う。

 「デザイナーの三宅一生が、黙してきた原爆体験を米紙に寄稿し、オバマ大統領に広島訪問を呼びかけた。大統領の核廃絶演説に触発され、『個人的、倫理的責任をかつてないほど感じた』という。糀場の創作もまた、一つの『責任』の果たし方に違いない。」


 実に見事な評論と思う。

 被爆地広島で核廃絶の声を上げることが特別な意味を持ち、全世界に響き渡ることになるという確信を持った。

コメント
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