団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

西条秀樹さん死去

2018-05-19 07:07:42 | 社会

西条秀樹さん死去

2018年5月19日(土)

 歌手の西条秀樹さんが、亡くなりました。63歳と若いです。死ぬのは歳の順番が良いですね。逆だと不条理を感じます。

 ・・で、私は、西条さんと関係があるのです。←・・な、バカな! →いえいえ、本当にあるんです。無関係に近い関係ですけど・・。

 

 恩師が共通なんです。何時か忘れましたが、恩師から西条さんの話を聞いたことがあります。もっとも内容は覚えていませんけど。この恩師にとって、西条さんは自慢だったようで、いろんな場面で良く話をしたそうです。この恩師にとって自慢なことがもう一つあって、それは、暴力団の組長の家が隣だったということです。こんなことは自慢でも何でもないハズですが、恩師にとっては、話しのタネとして面白いと思ったのでしょう。

 

 その恩師に関して、私は極めて不思議な体験をしたことがあります。以下です。(2009年9月10日に書いたものです。)

 

 何時思い出しても、恩師(中学校の担任の先生)に係わるあの時のことは、神のなせる仕業としか思いようがない。
 1996年10月(注 多分9月の間違いと思います。)、数年先生の家を訪問したことがなかったのに、その日ふと先生を思い出し、先生の家の方に足が向いていた。

 黄金山(広島市南区)の中腹にある先生の家を訪問するのは、歩いてもしんどい坂なのに、その日の私は自転車だった。途中女子高校生に道を尋ねながら先生の家にたどり着いたのは、麓から30分も経った頃だろうか。フウフウいいながら先生の家の玄関を叩いたが、返事がない。勝手に敷地内を通り勝手口に回りドアのノブを見て蜘蛛の巣が張ってあるのを発見した。

 どうしたものかと思案していると、隣の妻女が、先生は入院していると言う。入院先を尋ねても、私を不審に思ったのか直ぐには教えてくれない。先生の教え子だと言って、やっと教えてもらった。
 
 翌日、先生を記念病院(広島市中区)の病室に見舞った時には、既に意識がなかった。甥の妻が付き添っておられた。彼女によると、昨日、長男さんが東京から見舞いに駆けつけ、夕方までは意識ははっきりしていたということだった。

 あと一日早ければ、意識のあるうちに見舞うことができたのだったのだが・・。

 それから、数日後に先生は永眠した。(1930.4.10→1996.10.3)
 あの時、先生は意識の無くなる間際に私を呼んだのだろうか。同彼女によると、「先生は○○さん(私のこと)を病床で話していた。」というのだ。しかも、その時刻は、私がふと先生のことを思い出した時と符合するのだ。

 

 注 人間からは、絶えず脳波が出ているそうですよ。

https://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/9568c2f21b6ef6c15f40f9a6ccc28b44

 

 

コメント
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