江戸東京博物館でおどろいたのは、自分が生まれてからのや出来事や風物が展示対象になっていたことだ。かごに座ってみる、人力車に乗ってみる、という体験ができるのだが、畳の部屋でちゃぶ台に向かって座ってみるというようなコーナーもあったのだ。チャンネルがダイヤル式のテレビや、手回しで脱水する洗濯機はたしかに懐かしいものではあるが、自分のなかで過去の遺物というほどのものではない。しかし、たとえば平成生まれの現高校生が目にしたら、「こんなだったの?」と珍しがるのだろう。昭和は遠くなりにけりだ。扇風機やダイヤル式の電話が展示される日も近い。
もちろん東京オリンピックのときの赤いユニフォームも飾ってある。新幹線も首都高速もこのころできた。「Always三丁目の夕陽」が描いたようにこの少し前に東京タワーができた。敗戦から立ち直った日本が、いっきに近代社会を完成させようとして、街をつくりかえ、生活ぶりを変えようとした。
当時、オリンピック反対と言った日本人はいただろうか。そう思った人も少しはいたかもしれない。時期尚早だとか、もっと他にお金を使うべきだとか、自然を破壊するなとか思った人が、ほんの少しはいたかもしれないが、おそらくそんな意見を述べることが許される空気はなかっただろう。
いまの中国の人たちのなりふりかまわぬ様子を見て、なんだかなあとは思うけれど、当時の日本も同じだったのかもしれない。
もちろん東京オリンピックのときの赤いユニフォームも飾ってある。新幹線も首都高速もこのころできた。「Always三丁目の夕陽」が描いたようにこの少し前に東京タワーができた。敗戦から立ち直った日本が、いっきに近代社会を完成させようとして、街をつくりかえ、生活ぶりを変えようとした。
当時、オリンピック反対と言った日本人はいただろうか。そう思った人も少しはいたかもしれない。時期尚早だとか、もっと他にお金を使うべきだとか、自然を破壊するなとか思った人が、ほんの少しはいたかもしれないが、おそらくそんな意見を述べることが許される空気はなかっただろう。
いまの中国の人たちのなりふりかまわぬ様子を見て、なんだかなあとは思うけれど、当時の日本も同じだったのかもしれない。