1年生のソロコンテスト。ういういしい。おわったあと、お辞儀のしかたや登場の仕方について先輩たちからいくつか注意があったが、「それはおわった後に言うことではなくて、事前にぼくたちが指導しないといけなかったんじゃないか」という、さこう君の言葉があってよかった。
バッグをきれいに置こうとか、合奏中の姿勢や返事がわるいとか、最後の集合に言っててもしょうがない。そのつど注意して、そのつど改善していかないと。
居残り練習の子をおくり、ヨーカドーで水谷豊のCDを買って帰った。
昔繰り返し聴いた音源とくらべ、声は全然老けてないけど味わいは増した気がする。こんなふうに歳をとれたらいいなと思う。
それにしても「レモンティーで乾杯」は隠れた名曲だ。
ちょっと困るよ テーブルで 失くした愛を並べ換えてる
そんなせつないまなざしの 雨を浴びたら何も言えない
愛することと憎むこと 紙一重だと知ってはいるさ
やさしすぎればなお哀しいね 責めるそばから許しすぎてる
ぼくは別れ上手じゃないし 君は愛し上手じゃないし
さよならひとつスプーンに乗せて レモンティーで乾杯
愛することと憎むことは紙一重。部員を愛するがゆえに、しょぼい練習には腹が立つのも同じ、と結びつけるのは無理やりすぎるかな。でもたしかに「責めるそばから許しすぎてる」。
僕がいなけりゃ 地下鉄の乗り換えさえ とまどう君が
見知らぬ愛の乗客に 想像さえもできない話
待つ女にはなれないと 女性雑誌のセリフみたいさ
君も大人の顔になったね 言葉のはじにとげがあるもの
僕は別れ上手じゃないし 君は愛し上手じゃないし
肩をおとして 立ち去る君に レモンティーで乾杯
「僕がいなけりゃ地下鉄の乗り換えさえとまどう君」という具体例の出し方がいい。いい歌詞というのは、具体例がいい。具体的な単語が並べられるだけで、その印象や場面がぴたっと決まる瞬間がある。
俵万智の
思い切り愛されたくてかけてゆく六月サンダルあじさいの花
なんてのも、後半は名刺が並んでるだけなのにぐっとくる。
石川さゆりの「天城超え」にもあったな。
♪ わさび沢 隠れみち 小夜時雨 寒天橋 …
「僕」には「あいつはオレがいないとだめだから」という感覚があるから、彼女を待たして平気なふるまいになっていたのだろう。
「もう待てない」と言う彼女の言葉のはじにトゲを感じるのは、「僕」がそう思うだけなのかもしれない。
彼女はわざとそういう言い方をする。「こんなふうに言ってもわかってもらえないのね」という思いだ。
だから、できれば一緒にいたいけど、しかたなく別れるのだという気持ちが「肩をおとして」去っていくという描写で暗示される。
さすがだ。松本隆大先生。
バッグをきれいに置こうとか、合奏中の姿勢や返事がわるいとか、最後の集合に言っててもしょうがない。そのつど注意して、そのつど改善していかないと。
居残り練習の子をおくり、ヨーカドーで水谷豊のCDを買って帰った。
昔繰り返し聴いた音源とくらべ、声は全然老けてないけど味わいは増した気がする。こんなふうに歳をとれたらいいなと思う。
それにしても「レモンティーで乾杯」は隠れた名曲だ。
ちょっと困るよ テーブルで 失くした愛を並べ換えてる
そんなせつないまなざしの 雨を浴びたら何も言えない
愛することと憎むこと 紙一重だと知ってはいるさ
やさしすぎればなお哀しいね 責めるそばから許しすぎてる
ぼくは別れ上手じゃないし 君は愛し上手じゃないし
さよならひとつスプーンに乗せて レモンティーで乾杯
愛することと憎むことは紙一重。部員を愛するがゆえに、しょぼい練習には腹が立つのも同じ、と結びつけるのは無理やりすぎるかな。でもたしかに「責めるそばから許しすぎてる」。
僕がいなけりゃ 地下鉄の乗り換えさえ とまどう君が
見知らぬ愛の乗客に 想像さえもできない話
待つ女にはなれないと 女性雑誌のセリフみたいさ
君も大人の顔になったね 言葉のはじにとげがあるもの
僕は別れ上手じゃないし 君は愛し上手じゃないし
肩をおとして 立ち去る君に レモンティーで乾杯
「僕がいなけりゃ地下鉄の乗り換えさえとまどう君」という具体例の出し方がいい。いい歌詞というのは、具体例がいい。具体的な単語が並べられるだけで、その印象や場面がぴたっと決まる瞬間がある。
俵万智の
思い切り愛されたくてかけてゆく六月サンダルあじさいの花
なんてのも、後半は名刺が並んでるだけなのにぐっとくる。
石川さゆりの「天城超え」にもあったな。
♪ わさび沢 隠れみち 小夜時雨 寒天橋 …
「僕」には「あいつはオレがいないとだめだから」という感覚があるから、彼女を待たして平気なふるまいになっていたのだろう。
「もう待てない」と言う彼女の言葉のはじにトゲを感じるのは、「僕」がそう思うだけなのかもしれない。
彼女はわざとそういう言い方をする。「こんなふうに言ってもわかってもらえないのね」という思いだ。
だから、できれば一緒にいたいけど、しかたなく別れるのだという気持ちが「肩をおとして」去っていくという描写で暗示される。
さすがだ。松本隆大先生。