机の上においてあったZ会のパンフに、夏休みの過ごし方という特集が載っていた。高校時代、こういう記事を読むのが好きだった。そう、とくにZ会の宣伝冊子には、教科別の勉強法がくわしく書いてあって、それを読みながら「よし、これをやってみよう、これもやってみよう」と思い、計画表をつくり、その日はそれで終わり、翌日はすでに計画通りにはやっていないという日々の繰り返しだった。
そうか、今も勉強法や仕事術の本を大量に読み、それに書いてある時間の使い方をしようとしてみたり、いろんな手帳を買い求めたりしているわけだから、本質は変わっていないのだ。
で、そのパンフに、東大理Ⅲに合格した人の体験談が書かれていて、「夏休みを利用して徹底して基礎固めをした」とあった。
この人が夏休みにやった勉強と、平均的な川東生が取り組む「基礎固め」の内容には、かなり差があることは想像に難くない。
人によって、「基礎」のレベルはちがうのだ。
思えば、伊奈学園の生徒さんのやっている基礎練習とうちの部員のやっている基礎の違いというのも同じではなかろうか。
やっている当人どうしは、それぞれに普通にやっているだけだ。しかし、そこには大きな差がある。あたりまえのことをあたりまえにやることが大事なのだが、その「あたりまえ」の設定そのもののレベルも問題なのだ。
そうか、今も勉強法や仕事術の本を大量に読み、それに書いてある時間の使い方をしようとしてみたり、いろんな手帳を買い求めたりしているわけだから、本質は変わっていないのだ。
で、そのパンフに、東大理Ⅲに合格した人の体験談が書かれていて、「夏休みを利用して徹底して基礎固めをした」とあった。
この人が夏休みにやった勉強と、平均的な川東生が取り組む「基礎固め」の内容には、かなり差があることは想像に難くない。
人によって、「基礎」のレベルはちがうのだ。
思えば、伊奈学園の生徒さんのやっている基礎練習とうちの部員のやっている基礎の違いというのも同じではなかろうか。
やっている当人どうしは、それぞれに普通にやっているだけだ。しかし、そこには大きな差がある。あたりまえのことをあたりまえにやることが大事なのだが、その「あたりまえ」の設定そのもののレベルも問題なのだ。