結果はどうでもいいと最近よく思う。地区で終わろうが、全国金賞とろうが、そのこと自体はささいなことではないのか。そこにいたるまでにどんな経験をしたか。できたか。どんな思いを持てたか。その時点で別人になれたか。別のバンドになれたか。なんとなくやって、まあまあで終わるくらいなら、死ぬほどやって全く結果が出ない方が、よほどいい思い出になるのではないか。
先日5月のマーク模試がかえってきた。多くの3年生はうちひしがれていた。私自身も上から言われた。「3年生だいじょうぶか。このままじゃやばいんじゃないのか。これまで築き上げてきた進学実績を維持できるのか」と。
学年主任としてびしっと言い返した。「全然だいじょうぶではないです」と。
大丈夫なはずがない。今のままでは。でも、だからおもしろいのではないか。
現時点でみんなA判定とかで、あとはほどよくキープしてそれなりに受かりました、なんて高校3年だったら、まったくおもしろくない。
今時点ではとんでもない目標にみえるけど、死ぬほどやってったら、いつのまにか可能性が生まれ、そのままいけるかと思ったら伸び悩んで苦悩して、でもあきらめずにやったら、またがんばれた、みたいなドラマがなかったらおもしろくない。
さしあたって衣食住に恵まれ命の心配もなく、目標に向かって頑張って生きてればいい人生なんて、どんだけ幸せなことか。
がんばらせてもらえたうえに、結果まで求めたらバチがあたるとさえ思う。
と、自分に言い聞かせて、やるだけやっていきたいという心境になっている。ただし、そのがんばりに「自分なりに」という修飾語をつけることはしないように自戒せねば。この魔法の言い訳ことばを発しないのが今年の目標だ。
先日5月のマーク模試がかえってきた。多くの3年生はうちひしがれていた。私自身も上から言われた。「3年生だいじょうぶか。このままじゃやばいんじゃないのか。これまで築き上げてきた進学実績を維持できるのか」と。
学年主任としてびしっと言い返した。「全然だいじょうぶではないです」と。
大丈夫なはずがない。今のままでは。でも、だからおもしろいのではないか。
現時点でみんなA判定とかで、あとはほどよくキープしてそれなりに受かりました、なんて高校3年だったら、まったくおもしろくない。
今時点ではとんでもない目標にみえるけど、死ぬほどやってったら、いつのまにか可能性が生まれ、そのままいけるかと思ったら伸び悩んで苦悩して、でもあきらめずにやったら、またがんばれた、みたいなドラマがなかったらおもしろくない。
さしあたって衣食住に恵まれ命の心配もなく、目標に向かって頑張って生きてればいい人生なんて、どんだけ幸せなことか。
がんばらせてもらえたうえに、結果まで求めたらバチがあたるとさえ思う。
と、自分に言い聞かせて、やるだけやっていきたいという心境になっている。ただし、そのがんばりに「自分なりに」という修飾語をつけることはしないように自戒せねば。この魔法の言い訳ことばを発しないのが今年の目標だ。