1月1日。帰省。東京駅から乗った「ひかり」も米原からの「しらさぎ」も、指定席は満席と放送されていた。しらさぎの自由席には立っている人もいる。1月1日でこんなに混んでいるのは初めて見た。混まないだろうと思っておまかせで購入した新幹線の席は3列の方の窓側だった、いったん座るとお手洗いに立ちにくい。通路側にすればよかったなあと思ってたら、B・C席に並んで座ったのは外国人親子で、会話を聞くとフランス語ではないか。どうしよう。ま、いざとなえば、その昔第二外国語で学んだ仏語で「マドモワゼル、ちょっと通していただけますか、ボン・マルシェ」とか言えば大丈夫だろうと思ったが、「これはテーブルです」しか頭に浮かんでこなかった。なんとかなるさと思い、いつものパターンで持ち込んだビールとサンドイッチをおそるおそる飲み食いしてたが大丈夫だった。隣のお母さんがずっと書き物をしてたので、「サガンか!」と心の中でつっこんでおいた。米原で乗り換え福井に着きあてもなく駅前をふらっと歩いていたら、大学の寮の後輩と偶然出会い、立ち話をする。20年以上あってないくて、よくお互い瞬間に気づいたものだ。夜は宴会と麻雀。
1月2日。幼なじみの車で日本海を眺めに連れてってもらう。わりとおだやかな日だったが、海までくるとさしがに風が冷たい。午後、弟に福井駅まで送ってもらう。水ようかんを買い、お腹減ってないけど念のために今庄そばを食べて、表日本まわりで東京へ。
1月3日。登校して少し仕事。購読しているいくつかのメルマガに目を通す。新年への思いや抱負があふれてて、自分もなんか考えようかと思ったけど、何もわいてこない。「なるべく健康にすごす」「無理しない」「想定外の出来事にあっても、なんとか生きながらえる」ぐらいを目標にしようかと思う。もちろん、「いい授業をする」とか、「コンクールでいい賞を狙う」とかはあるけど、これらはふつうにやるべき仕事であって、目標という感じがしないのだ。午後は池袋へ本を買いに出かける。100円ローソンで豆大福風パンを発見した。
1月4日。「ビッグコミックオリジナル」の発売日。「スポーツを通して『育てる力』を考える」というコラムが連載されている。流通経済大サッカー部、中野雄二監督の「夢をあきらめさせるのも監督の大事な仕事」という言葉が頭に残る。
サッカー名門の流通経済大には、プロサッカー選手を目指す学生もたくさん入ってくる。とくに9月のセレクションに訪れる選手はほとんどがプロ志望だ。でも中野監督の目には、ほとんどの選手が力不足で、取り組む姿勢も甘いと見える。入学を希望する選手や親にはっきりとこう言うそうだ。
「今のままでは、プロになるのは無理。入学して一度も試合に出られない自分が想像できますか。それが嫌なら他の大学に行ってください」と。
現実を認識させることも教育者として必須の仕事という考えがあるからだ。
夢をあきらめさせる仕事。
これは、われわれの仕事と真逆のようでありながら、一面真理かもしれない。
学校って基本的にそういう機能ももつのではないか。
才能を開花させる場であることもたしかで、その機能は一定の分野については果たしうる。
しかし人間は、何かに興味をもったからといって、そのことで成功するとはかぎらない。というか、ふつうは成功しない。いくら歌が好きでも実際に歌手になって、しかも「成功」というレベルに達するのは、同世代の百数十万人のうち二、三人だ。おれの年なら徳永英明と、学年でいえば松田聖子ぐらいのはずだ。佐渡くんとか須川くんは別の音楽でがんばっているけど。調べてみたら藤あや子さんもいた。
かけっこが早いと自分で思っていても、運動会では真ん中くらいだったという現実を自覚するのも学校だし、机に向かって勉強し続けることが苦手な自分を自覚できるのも学校だ。
「願えば叶う」「無限の可能性がある」という言葉は、それがあてはまる人がいればそうでない人もいる。
無限の可能性を人はもつのかもしれないが、「何」に対してそれをもっているのかは、神様は教えてくれない。イチロー選手だって、お父さんが音楽家だったら、毎日ピアノを特訓させられて、なんとか音大には入ったが、就職は一般企業でしたという人生になっていたかもしれない。
中野監督は、だから、サッカーを教えることより、礼儀を身につけさせることを大切にし、人間として成長させることを第一に考える。それが「結果として」選手としてのいいパフォーマンスを生みだすようになるという。部活を運営するうえでの指標になった。