水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ワン・モア

2012年01月19日 | おすすめの本・CD

 内科医の柿崎美和は、道東の市民病院で、長患いをする患者を安楽死させた疑いをかけられ、ほとぼりがさめるまでと、今は島の診療所に勤務している。島民のほぼ全員がなんらかの形で漁業に携わり、誰が何をしているのかは島民のみんなが知っているような閉ざされた共同体だ。
 そこで知り合った漁師木坂昴と逢瀬を重ねるようになると、当然それは島の噂となり、昴の妻からも罵倒を受ける。


 ~ 美和は学生時代からの、割に合わない恋の数々を思い出した。誰かを恨んでいられれば、心のやり場に困ることもない。それは茜に対する親切心などではなかった。いつの間にか美和が、恨まれることを選ぶ方が楽になってしまったというだけのことだ。
「ちゃんと別れる。大丈夫、心配しなくていい。こういった湿った話、実はあんまり好きじゃないんだ。彼がどう思っているかは分かんないけど、こっちはただの遊びだし。悪かったと思う。ごめんね」 ~


 屈辱に耐えて唇をかむ妻の茜に、「もう一度だけ寝てもいいかな」と追い打ちをかける。体だけには未練があるからと。
 漁師は、オリンピックの候補になるほどの元水泳選手で、ドーピング疑惑をおこし結果として選手生命を絶つことになった。故郷にもどり鬱屈を抱えながら漁師をしている昴が、何か秘めたような目をもつ美和に惹かれるのも自然だったのかもしれない … 。
 ていうのが、一つめに入っている「十六夜」という短編。


 そんな暮らしをしていた美和に島を出る決心をさせたのが、幼なじみであり、同じ医者になった親友の滝澤鈴音だ。
 医学部を出て一生懸命はたらいて、父の遺志を継ぎ、やっと父の開業した滝澤医院を再開できたと喜んだのもつかのま、自らが癌に侵されていることを知る。
 医者の目で客観的に自分を診たとき、余命は1年を切っていると判断せざるを得なかった鈴音は、病院を美和に託したいと連絡する。
 二つめの短編は、その鈴音の視点で描かれる。


 勤務医時代からそばで鈴音をささえてきたベテラン看護師の浦田さん、高校時代から鈴音に思いを寄せ続ける放射線技師の八木くん、鈴音の元夫、コンビニ店員の佐藤君、次々と視点をかえて語られる短編集だ。
 それぞれの短編では、その視点人物が主人公となるが、全編を通して美和の存在との関わりが提示される。 「十六夜」でいきなりキャラ立ちしてる美和が一つのモチーフで、楽章が替わっても必ずそのモチーフがすっと立ち現れてくるような感じだ。


 浦田さんの章「ラッキーカラー」にこんな場面がある。
 滝澤医院に来る前の時代、癌を治療した赤沢さんが浦田さんに結婚を申し込む。
 そうやって申し込まれる患者さんがたくさんいるけど、みんな元気になると忘れるみたいですと、浦田さんはあしらう。
 五年経って再発してなかったら、もう一度会ってくださいと言い残して退院していった赤沢さんが、今の勤務先を見つけて連絡をよこし、二人は会うことになった。


 ~ 赤沢が、クロークの前に立っていた寿美子に気付いた。健康そうな頬がぱっと持ち上がった。紺色のスーツを着ていた。着慣れていないのがひと目でわかる。ネクタイの結び目が少々怪しかった。靴は新調したばかりという気配で、そこだけ妙に光っている。どんな思いで今日にのぞんだか、靴の先が教えた。 ~


 浦田さんは49歳だったかな。赤沢さんは5歳年下だ。
 この章は浦田さん視点なので、ここの描写は、赤沢が気合いを入れて来たことを読者に示すとともに、そんな赤沢をうかれることなく冷静に観察できる浦田さんということが伝わるようになっている。
 「正式に結婚を申し込まれたらどう断ろうかと思っていた」とか書いてなくても自然にわかる。
 視点を問うなら、こういう効果とのセットで問題にしてほしいものだ。


 ああ、それにしても美和さんは魅力的だ。女優さんならどなただろう。
 滝澤医院を美和に任せ、自分は治療ではなく緩和ケアを選ぼうとした鈴音を、なんとしても治すと宣言した美和の様子は、この浦田さんの章で描かれてた。


 ~ 「あんたの体のブツは、わたしが叩く」と言い放った柿崎美和のことを、鈴音は「彼女らしい」と笑った。五年間再発の恐怖に耐えた赤沢と、未知の治療に耐えている鈴音の面影が交互に内奥で重なりあう。 ~


 どんなふうに幕を閉じるのだろうとどきどきする最後の章。 
 重松清っぽく泣かせられるのはやだなと思いながら頁をめくる。
 タイトルの意味を最後に確認し、あたたかな気持ちで、この作品と出会えたことを感謝した。
 登場人物のすべてがこれほどきっちりとキャラ立ちしてる作品も珍しい。
 桜木紫乃さん、こっちが直木賞候補だったら受賞したのになあ。

コメント
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