学年だより「後悔」
~ 食べ終わった。激辛ラーメンと冷やし中華、ともに大盛りを一杯ずつ。餃子を一個と、炒飯をお椀一杯。 … 四十歳のジン先生も、麺の一本、ご飯の一粒、スープの一滴すら残さず、きれいにたいらげた。
… そんな僕たちに、先生は「食いすぎたーって思ってるだろ」と笑って言った。「後悔してるだろ、バカみたいに食ったこと」「 … はあ」
「でもな、腹はすぐにまた減る。もう一生ラーメンなんか食わないぞって思っても、明日になれば食いたくなる。で、大盛り頼んで、また腹がはちきれそうなほど食って、また後悔して … 次の日になれば、また腹が減って、ラーメン食いたくなって … その繰り返しだ」
わかる。ほんと、オレらってバカ、と思う。
でも、先生は「それでいいんだ」と言った。「そうなんですか?」
「あたりまえだ。高校生から後悔をとったら、なにが残る。いまのうちにたくさん後悔しとけ」 ただし、と真剣な顔で付け加えた。「やらなかった後悔じゃなくて、やっちまった後悔だぞ」(重松清『空より高く』中央公論新社) ~
今年で廃校になる東玉川高校(通称トンタマ)に赴任してきた神村仁教諭は、自身もトンタマの一期生として学んだ過去をもつ。
「神村先生には、国語だけでなく、廃校に向けての『さよならイベント委員会』の指導もしてもらいます。」学校長が神村を紹介する。
「だっせー」「そんなのやるのかよ」「かったりーっ」
近いから、アツい高校生活を夢見たわけではないから、勉強も部活もそこそこでいいからと、廃校になることを知りながら入学してきた最後の代の生徒たちがリアクションする。
「どうぞ」とよばれてステージ袖から登場した神村をみて、がっかりしたような拍手がパラパラとおこった。「小太りで丸顔、髪の毛が額から撤退気味の、絵に描いたようなオヤジの風貌」だった。
ステージの真ん中に進みマイクを持った手の小指がカラオケのように立っている。
平然とした顔で体育館を見渡すと、満足そうにうなづきながら、やけに若々しい声でこう言った。
「帰ってきたぞ、オレは、青春のふるさとに」
体育館が、しんと静まりかえる。
「高校時代と同じようにジンとよんでほしい、ジン先生だ」と続けるが、みんな唖然としたままだ。「この学校ももうしばらくで終わりだ。今までずっと、終わりだ、最後だとみんなは言われ続けてきたはずだ。でも、『最後で』『終わり』だからこそ、何かオレたち、始めてみようじゃないか!」と続ける。「レッツ・ビギン!」と叫びながら拳を振り上げたジン先生を呆然と見つめる生徒たちだったが、そんなジン先生のエネルギーが、ウイルスのように学校にひろがっていくのだった。
トンタマ生いきつけの店ピース軒を、20年ぶりに生徒たちと訪れたのが、上の場面だ。
(ここで突然飛躍します)人間は基本後悔する生き物だ。
どうせ後悔するのなら、やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいではないか。