水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「也」の用法

2012年11月08日 | 国語のお勉強(漢文)

  「也」は終助詞(中国語では語気助詞という)で断定や強調の意味をそえる働きをする。
 「也」は文末で「なり」、文中で「や」と読むのが基本。語調の関係で訓読しない場合もある。
 「今日はあいつの誕生日なんだよ」と言うときの「よ」とか、「ワイルドだろぉ」の「ぉ」に相当する。
 「だからそのことわぁ、さっき言ったじゃん」の「わぁ」とか、「ほんとに本気なのかよ」の「よ」に相当する。 もし、漢文がいまの日本に入ってきて、今の日本語にあわせた訓読をあみだすとしたら、「よ」とか「ぜ」とか読むことになり、「也」って読み方いっぱいあるよね、という話になるだろう。
 訓読みは複数できるだろうが、もちろん中国の人は「ye」とよむだけだ。
 いろんな読みは日本人が勝手につくりだしているだけで、大事なのはその意味の本質だ。
 文末の「也」を「なり」と読むのか、読まないのか、「や」なのか「か」なのかは、表面的な問題にすぎない。
 「也」のついている一続きの部分を、強く表現したかったという筆者の気持ちを大事にしないといけない。
 これをふまえて、読み方の大原則は次のとおり。

 文末の「也」は「なり」と読み、文中の「也」は「や」と読む。

 文中の場合、「なり」と読んでしまうと後に続かないので、「や」として、その直前の部分が強調されるようにする。
 ただし、疑問文の文末に置かれているときは、これも上からつながりがへんなので、疑問ぽく「や」もしくは「か」と読む。どちらで読むかに決まりごとはない。

  ① ~ 也。「~なり」 ~だ〈断定〉

 ② 何~也。「~や・か」 ~か〈疑問〉or〈反語〉

  ③ ~ 也、 「 ~や、…  」 ~というものは・~よ〈話題の提示〉〈強調〉〈よびかけ〉
  評論文にはこの形が頻出する。「~也」と提示されている一続きの部分が、議論の主題になる。

 ④ ~ 何也。「~は、何ぞや」~は、どういうものか。いったい、どうしてか。
  これも評論文で多く見かける。「何ぞや」ととりあげられる話題は、当然批判の対象となる。

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