昨日は、音楽座ミュージカルを観劇し、そのあと演奏してきました。会場で応援いただいた保護者のみなさま、こころよくチケット代をご負担いただいた皆様、ありがとうございました。
濃ゆ~い週末だった。
土曜は、学校説明会。個別相談のときのこと、だいたい相談し終えたあとに、「あの吹奏楽の先生ですよね」と言われる。「はい、そうです」「実は先生のブログを拝見させていただいてます」「え、どういうご縁で?」「兄がおりまして、○○高校で吹奏楽をやってたんですが、そのときたまたま読む機会がありまして」「そうですか、ありがとうございます」「それでこの学校の存在を知って、受験校の一つに考えさせてもらいました」
ありがたいことである。気ままに書かせていただいているこの場が、生徒募集にも役立っているなんて。
カツカレー愛やら、女装の決意やら書いてる場合ではない。もっと格式高い論考を載せていかねばと思った。
個別相談を終えて、大講堂に向かうと、音楽座さんステージで発表するメドレーの通しが始まっている。
だいたい大丈夫かなと思った。あとは元気よくやるだけだ。楽器をトラックに積み込んで練習を終えた。
打楽器の件や、搬入だんどりの件で担当の方からお電話をいただき、セッティング表を書いたりする。さあ、帰ろうかと思ったら、某TSAXの○○君から、親用チケットを置き忘れたので探してもってきてほしいとの電話が入るので探しにいく。
明日にそなえて早く寝ようと思ってたが、帰宅すると、そうだった田舎からカニが届く日だった。
カニさんを解体し、みそを食べやすくし、足から身をほぐしていくと、妻子がどんどん召し上がってくれるので、けっきょく自分は解体の合間に飲んでるだけで、相当時間が経過しても、おなかがくちくならないが、寝る前の過度の飲食はいけないと自制した。
日曜。8時半過ぎに銀座につくと、ジャイアンツ優勝パレードにそなえて、ものものしい警戒態勢が整えられつつあった。さすがにまだ部員の姿は見えないなと思い、近くのドトールでモーニングセット(380円)をいただいていると、担当の北村さんから「今日はよろしくお願いします」とメールをいただいたので、こちらこそよろしくお願いします(ハート)で返信する。
集合時間が近づいたので会場前に向かうと、出演する各高校の生徒さんがずいぶん集まっていた。
うちの部員の姿もいるが、なんで君たちジャイアンツの旗もらってるの。
北村さんと共に井田安寿さんが、いっしょに川越東を担当しますとおいでになる。うそみたい。
役者さんが無線で連絡をとりながら、次は川越東さん搬入です、客席に行きますから着いてきて、ここに荷物おいて、いったんロビーに行きますと、何から何まで面倒見てくださるので、顧問の仕事は皆無にひとしかった。
参加高校生が全員客席に顔をそろえたあと、みんなでロビーに出て簡単なワークショップ。そして再度客席に戻ってリハーサルの見学。
まさか、ここまで盛りだくさんの一日を過ごさせてもらえるとは考えてなかった。
普通に一回上演するだけでもおそらく大変なのに、まして踊りっぱなし、歌い放しのステージなのに、そのうえ一日高校生を面倒みようとまで思う彼らのパワーはどこから湧いてくるのかとか、素直に感心した。
昼休憩に、なかじま先生、武蔵越生のすがの先生と、どこかでお昼とりましょうか、近くでいいですよね、と入ったのが、会場のすぐ前のあった「ボエム」さん。存在は知ってたが、入るのは初めてだ。
ランチのパスタは、スープ、サラダ、飲み物がついて1480円。おいしかった。もういい歳なんだから、山田うどんばかりではなく、せめてボエムぐらいふつうに行くようにしようかと思った。
開演が近づく。からだをこわして練習にこれてなかったMくんも、見に来れてよかった。チケットをわたし、安心して席につくと、開演のチャイムがなる。
音楽がはじまる。ああ、来て良かったと思う。
ふだんなら、そのまま身をゆだねていればいいのだが、観劇後に自分の本番があるということが、途中からプレッシャーになってきたのも事実だ。
なので、いつもほど没頭してなかったのかもしれない、あれサビの音程が少し低いかもとか、ハモりのバランスがリハでも指摘されてたけどまだ少しよくないかもとか、ふだん思いもしないことを思った。脚本ももう少し説明してもいいんじゃないかなと思える部分もあった。
週末、もういっかい一人で来るときは、どっぷりひたろうと思う。
さて、お芝居が終わる。高校生たちが準備する。
武蔵越生さんが、さすがのパフォーマンスをする。3年生まで参加しての85名のステージだ。ディズニーランドに五年出続けているというそれは、一つ一つの動きが実に勉強になる。サウンドもちょっとかなわない感じだが、うちには秘策もある。その秘策は見事にはまり、メドレー全体の構成感も悪くなかったなと自分では思えた。
片付けをして、現地解散。いい経験をさせてもらえた。
部員一人一人、楽しみ方や感じ方はいろいろだったと思うが、体験しなければわからないことがある。
こんな表現形態があるということを知るだけでも、なんらかの財産になるはずだ。
その結果すぐに楽器がうまくなるとか、偏差値あがるとかではもちろんないが、人としての器をちょっと広げることに後々つながっていくことになるとは思うのだ。
もちろん当事者にはそんな実感はないだろうけど、そういう場を用意してあげることが大人の仕事かなとも思う。
無事終了し、池袋の「ふくろ」に移動して、なかじま先生と一献傾け、こい週末を終えた。