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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

11月5日

2012年11月05日 | 学年だよりなど

 学年だより「遠回り3」

 ~ 通常は、不得意の反対側のところに得意なものがあると思いがちです。
 でも、それは、180度離れているのではありません。
 すぐ横にあるのです。
 誰しも自分が何が得意かはわからないのです。
 究極は、自分の好きなものもわかりません。
 「好きなことをやりなさい」というのはムリなことを言っているのです。 ~


 「自分が好きだと思っていることは、実はそうではない」こともあると作家の中谷彰宏氏は言う。
 だから、予期しなかったこと、望んでいなかったことが自分に与えられるとき、それは実は神様からの贈り物であると。
 中谷氏は、小学生のころ放送委員になりたかった。格別かわいい女子が放送委員だったからだ。しかし複数の希望者がいて、ジャンケンで負けた結果それは叶わなかった。
 かわりに新聞委員会に入った中谷少年はそこで、思い切り記事を書くことができたという。
 ちなみに現在の中谷氏の著書は約900冊になる(少なく見積もっても半分は読みました)。


 ~ 放送委員のジャンケンに負けたから、委員会は新聞委員になりました。
 そこで思いきり記事を書けました。放送委員では書けません。
 面白いことに、自分が好きだと思っていることは、実はそうではないのです。
 神様は「おまえが好きなのはそれじゃないだろう」とわかっています。
 自分で「これが好きに違いない」と思い込んでいても、神様は「ほら、その横だよ」と言ってくれています。
 だからジャンケンで負けさせてくれるのです。
 なりたい仕事につけなかった人のほうがヤル気が出ます。
  … 入りたかった学校に落ちた人のほうが頑張るのです。
 入りたかった学校に入れた人は、そこで満足してしまいます。
 入学することがゴールになっているのです。
 入れなかった人はくやしく思います。
 だから続くのです。いつか見返してやるというリベンジの気持ちも生まれます。
 「好きなことをやりたい」と言う人は、好きではないことをやることで、本当に好きなものに巡り合えるのです。 (中谷彰宏『中学時代がハッピーになる30のこと』PHP ~


 みなさんがこの学校に来たということは、ここで頑張れという神様のおぼしめしだ。
 この学校は第一志望ではなかった、未だに後悔している、という人もひょっとしたらいるかもしれない。悔いているならなおさら、卒業時のリベンジを誓ってがんばるべきだ。
 自分はここにいるべき人間ではないという思いを持ち続ける人は、結局どこに言ってもそうなってしまう傾向がある。
 正味の自分を受け入れたうえで自分の力量を高めようとし、機会があればいつでもその能力をいかそうと準備している状態、いつまでもウジウジ悔やみ続けるのとは真逆の、そういう状態の人を自負心のある人とよぶ。

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