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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

一之輔

2012年11月09日 | 日々のあれこれ

 春風亭一之輔さんのCDを車で聴いている。落語協会会長小三治師匠の肝いりで、今春21人抜きで新真打ちに抜擢された期待の若手だ。
 一回くらい披露目の興業にいきたかったが叶わなかったので、落語三席と真打ち披露口上の収められたCDを買ってみた。
 やっぱうまいね。ライブを聴いたのは二回かな、噂通りの若手だ、将来楽しみだなとか上から目線で聴いてた気がする。
 収録された演目は「五人廻し」「百川」「あくび指南」という、落語が好きな人はよく知っている噺だ。
 ただ「あくび指南」なんかは、おもしろくない噺家さんが演じると、かなりつまんない。
 町内の暇な若い衆が、風流な「あくび」のしかたを習いにいくという筋立てだ。
 いろんなお笑いネタ、コントがちまたにあふれている昨今、たとえば若い人にこの噺を20分聴かせるには、よほどの技量が要るだろう。
 このおれさまの知性あふれる、きれのあるギャグ満載の授業でさえ、ときに眠りにおちる若者がいるくらいだし。
 で、一之輔師は、ふつうにはなしてるだけ、つまり今風のギャグはほとんど入れないのだが、聴けるのだ。
 何が違うのだろうと思い、ふと吹奏楽の演奏にも同じことが言えるかもと思った。

 同じ曲を演奏して、うまい下手があるのは当然だが、うまいけど面白くない、下手だけど感動するという演奏にでくわすことがある。
 同じように演奏してても、妙に古くさい音に聞こえるときと、なんかすっきりとおしゃれに聞こえるときとがある。こっちの方がいまの話題に近いか。

 落語、とくの古典落語のネタは、基本誰が話しても中身は同じなのだ。
 でも噺家さんによって、まるっきり印象が変わる。
 何がちがうのか。その人自身がちがう。その話をいったんからだに入れるけど、そのからだが異なる。
 それを話す話し方も異なる。
 話し方そのものが演奏技術だとすれば、面白いかどうか、伝わるかどうかは、どれだけその噺を自分のものとして消化しているか、どういうイメージをもっているか、ということになるだろう。
 そして自分の中にあるイメージが、聞く側に伝わるかどうかをちゃんとシュミレーションしているかどうか。
 話している自分を客観化できるかどうか。
 そういう感覚をもっててはじめて、今の人に伝わるものになる。
 客席にいるのは、江戸末期や明治時代の人ではない。
 たまに寄席に出かけると、客席の平均年齢の高さに驚くけど、でも現代を生きる人々だ。
 何十年前の名人をそのままコピーして、完璧にできたとしても、今のお客さんは納得しない。
 楽譜の音を譜面通り完璧に再現できたからといって、いい演奏になるとはかぎらないというのと同じだ(かな)。

 楽譜に書いてあることをそのまま音にしても音楽にはならないと、バンドレッスンの先生から、そして常日頃わたなべ先生から繰り返し言われているものの、なかなか一段階上に進めない。
 今の自分の演奏は聞く側にどう伝わっているだろうかという感覚を育てるのは難しい。
 ただし、うちの場合は、まず楽譜に書いてあることを、まずちゃんと再現することを目標にしなければならないのは言うまでもない。

 漢文2こ、現代文2こ、昼休みに幹部会、放課後は会議で練習をみれず、居残り組を駅まで送って、校舎の戸締まりをしてちょっと一息。そろそろ映画館か寄席のいすにぐだっと座りたくなってきた。そうか、そこでは受け身でいられるからいいんだ。ありがたいぐらい充実した毎日だが、ちょっと力抜きたい気分もしてきた。とにかく明後日のバッハザールを全力で乗り切ろう。

コメント
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