スキー実習直後に、高文連主催の技術講習会に1年生だけ参加させてもらう。
その楽譜を主催の先生に送っていただいた。アレンジされたのは、指導していただく植田薫先生だ。
武生東高校を何度も普門館に導いた、吹奏楽の世界では全国的に有名な方だ。私の母校の先輩でもあらせられる。
吹奏楽の世界では、こうしてご自身で編曲される先生がかなりいらっしゃって、それが出版されるレベルになっている例さえある。
ただし、演劇部顧問の先生が、ご自身で脚本を書かれる例が相当あるのに比べると、吹奏楽の先生で作曲される方の話はそれほど聞かないなとふと思う。
音楽で、まったく新しいメロディーがふってくるのは、限られた才能をもつ方のところだけで、それはちょっと別次元のものかもしれない。
アレンジも、もちろんきわめて創造的なお仕事で、もとの素材が平行に移動してできあがるものではない(そういうのもあるけど)。クラシックやポップスの曲が吹奏楽曲として立ち上がるには、そう、立ち上がるだな、平行移動ではなく立体的に組み立てられ、元の素材とは別種の作品になる。
お芝居の脚本は、現実のこの娑婆の姿が素材なのだ。
新しい物語を生み出せるのは神かそれに近い人だけ。
現実世界の素材をどういう観点でとらえて、どう立体的に組み立て直すかで脚本ができると考えたら、吹奏楽でアレンジをしてしまう顧問と、お芝居を自分で書いてしまう顧問と、同じくらいの比率で存在するのではないかという仮説を思いついた。