学年だより「武器」
あるお芝居のオーディションが行われる。書類審査に通った若い女の子が、審査する劇作家・演出家の前に立つ。「○○先生(その演出家)に、私という箱をあけてほしくて来ました、よろしくおねがいします!」的なアピールをする。
自分の可能性をひきだしてほしい、埋もれている才能を見いだしてほしいというような意味だ。
演出家は内心「おまえの箱をあけたって、何も入ってねえよ」と思う。
自分が芝居一本書くのにどれくらい苦労しているか知ってるのか。たくさんの資料をひっかきまわし、自分の経験をふりかえり、何時間、何日間も頭をふりしぼって、やっと一滴の言葉をしぼりだしているんだ。
自分の箱とか言う前に、何か身につけて来い、なんでもいいから自分で中身を埋めようとしてみろ! なんて思うことがよくある … というような話を、演劇のワークショップに参加したときに伺ったことがある(ちなみに鴻上尚史という方です)。
丸腰で出かけていってしまったんだろうなと思う、その女の子は。
もしくは、自分というものには、もってうまれた何かがあるという幻想を抱いているということでもあろう。
その幻想はわれわれ現代人のほとんどが抱いているものでもあるが。
自分の武器をふやすのは経験だ。
どれだけたくさんの経験をしたか、どれだけ多くの人と出会ったか。
スポーツでも、どれだけたくさんの場数を踏んだか、つまり本気レベルの実戦をどれだけ経験しているかで成長の度合いが決まることを、みんなも知っているはずだ。
こんな人とは出会わない方がよかったと思うような出会いさえ、それをどう受け止めるかによって自分の武器にすることができる。
西原理恵子氏の「女性の悩み相談本」に「結婚してもいい男の条件とは何ぞや」という章がある。
ある独身の女性から「自分は病気のため赤ちゃんのできない体になった、先日も身内の心ない言葉に傷ついた」という投書に対し、西原氏はこう答える。
~ 凪心さんもさ、泣きたい気持ちはわかるけど、そういう無神経なこと言う人たちに対しては、鉄の心持たないとね。これからも「なんでそんなこと言うんだろ」って人に会うかもしれないし、「自分だったら、そんなこと絶対に言わないのに」って悔しい思いもするかも知れない。そんな時はね、「自分はスカウターを手に入れたんだ」って思ってほしいですね。
知ってます? スカウターって?
『ドラゴンボール』に出て来る道具なんだけど、瞬時に相手の戦闘能力を数値化することができるの。あなたはハンデを抱えてるんじゃない、いいスカウターを手に入れたんですよ。人の心の機微や痛みがずっとよくわかるようになったの。 (西原理恵子『スナックさいばら おんなのけものみち』角川書店) ~