学年だより「竜退治の騎士になる方法(4)」
竜退治の騎士になるには、スリッパをそろえないといけない。
「自分がなりたいのは竜退治の騎士であって、スリッパ係ではありません。騎士になる方法を早く教えてください」という人には、騎士への道は開けない。
落語家になろうとして師匠に弟子入りを許されると、当分の間、師匠の家のそうじや寄席の楽屋での雑用が続く。
立川流(故立川談志門下)にいたっては、多くの弟子が築地の魚河岸で働かされた経験をもつ。
「こんなことをやりたいんじゃない、早く噺を教えてください」と訴えると破門されるのだ。
板前になろうとする者は、まずは「追い回し」と呼ばれる雑用係からはじまり、毎日をそうじ、洗い物、ひたすらタマネギをむくといった地道な仕事が続く。当然のことながら料理のやり方などは教えてもらえない。
武道の修業も同じだろう。師から直接「技」を教わることなどはまれだ。
師と同じ空気を吸い、同じものを見、同じもの感じようとすることこそが修業だ。
そのことに一点の疑いも抱いてはならない。修業は論理ではない。
ジェリーが言ってたように、騎士は「生き方」なのだ。
何の職業でも、たんにお給料をもらうためにいやいや時間を過ごしている場合、そこにあるのは「作業」だけになる。
自分なりに工夫し、何かを作り出している、ちょっとしたことでも誰かのためになっているという意識が生まれたとき「仕事」になる。
お金を儲けよう、生活を支えたいという気持ち以前に、それをやらずにいられない「職業」になったとき、もはや「生き方」になる。
しかし、その境地にたどりつくためには、スリッパをそろえるところからスタートしなければならない。
普通の会社務めでも、同じことは言えそうだ。
「自分は、こんな雑用ばかりやるためにこの会社に入ったんじゃない」と言って、すぐに辞めてしまう人は、そのままでは何も身につけられいまま、転職を繰り返すことになる。
「スリッパをそろえました、次は何をやればいいですか?」と質問する人も騎士にはなれない。
本気でスリッパをそろえたなら、次の課題には自然と気づくようになるはずだから。
逆に考えると、次に何をやればいいかわからない状態というのは、本気でスリッパをそろえきれてない状態だとも言える。
物事がうまくいってない時とは、その「物事」以前にスリッパをそろえていないのだ。
岡田淳作『竜退治の騎士になる方法』の寓意は、他にもあると思う。
たとえば、「好きなことをやってたら、食うていくのは、なんとでもなるもんや」という言葉。
主人公の「ぼく」は、この出来事のあと、好きなアニメの道を目指してがんばりはじめる。
たとえば、「目に見えるものだけが真実ではない」という言葉。
竜退治の騎士なんているわけないやん、と最初から相手にしない人は何も気づけない。
勉強が思うようにすすまないのは、自分の能力や勉強方法以前に、机の周りがちらかっていることが原因であったりする。