スクリーンにぱらぱらとふってきた図柄が文字になる
~ ねぇ君 ぼくはこう思うのさ 人生なんて紙芝居だと ~
おー、という客席中から今日一番かも知れないどよめき。
イントロがはじまる。
ステージ中央の階段を、小柄なジーンズ姿が降りてくる … 。
~ ビー玉 ベーゴマ 風船ガムに ニッキとー えーと
それから メンコとおはじきと あっそうそう 竹とんぼ
やったわ、やった なつかしいなあー ~
そりゃ、泣きますわ。
ていうか、隣に座ってたおっさん。
原田真二や山下久美子に手拍子一つせず盛り上がらずにいて、急におれより先に号泣するのやめてほしい。
~ でっかい夕陽を 背中にしょって 影踏み遊びの 子供が走る
涙の乾いた 頬ほころばせ 明日に向って一直線に
ねぇ君 ぼくはこう思うのさ 人生なんて 紙芝居だと
涙も笑顔も 続きは明日 時っていう名の自転車こいで
やさしさ 紙芝居 そして誰もが主人公 ~
こう歌っていた頃、いまの水谷豊氏ほど立派な役者さんになられるなんて、みんな思ってただろうか。
しかし、たたずまいは、当時も今もかわらない感じがした。生で見るのは初めてだけど。
30年以上前も今も、見ている自分もふくめて何も変わってないかかのような錯覚に陥る。
同時に、過ぎ去った時間と、二度ともどれない当時の自分への愛おしさに胸がいっぱいになる。
カラオケスナックで「やさしさ紙芝居」を歌っていた自分。この時間を勉強にあてていたら、教員採用試験に受かり小学校の先生になれたかもしれない。
教育学部を受けようと決めるにあたり、「熱中時代」の影響は大きい。
高校2年から3年になる春休みに、幼馴染み三人で連れ立って、夜行列車に乗って東京にやってきた。
今は季節列車としてもなくなってしまった寝台急行「越前」だ。
担任の先生には東大の下見に行きますからと言って学割をもらった。
対面式イス席の窮屈さと軽い興奮とで三人ともほとんど眠れないまま、朝七時に上野駅に着く。
歌舞伎町なるものを見てみようと、さらに電車に乗る。
さすが噂通りの街だ。朝っぱらから営業しているそういうお店がある。
客引きのおじさんが田舎者に声をかけようとし、「なんだ、子どもか」と冷たい声を発する。
危険地帯に身を置いている自覚のないうぶな高校生たちは、それでもドキドキしながら「日活ロマンポルノ」を観るという、当時の自分たちにできる最高峰の悪事を行い、そのあといくつか大学を見にいったはずだ。
その夜、親戚の人に世話してもらった宿の部屋で、「熱中時代」の最終回を観た。
三人とも枕をかかえて泣きながらみた。
それほど熱中し、受験学部決定の決め手にしておきながら、大学に入ってから放映された「熱中時代2」は、たぶんそこまで一生懸命は見なかった。
自宅を離れて暮らす自由さを謳歌していからだろう。
自分以上の熱中先生バカが、案の定、教育学部小学校教員養成課程にはいた。
そいつとずいぶんつるんで遊んだ。
麻雀卓を囲みながら、突然そいつが「やさしさ紙芝居」歌い出すと、みんなの合唱になった。
30年以上経ったいまも、歌詞はするすると口を出る。
毎日会っている生徒さんの名前が出てこないことがあるのに、なんてことだ。
初めて、生水谷豊の歌声を聞きながら、あいつにも聴かせたかったなあとしみじみ思った。
~ 三角定規を心に当てて 真っすぐ君へと 線を引きたい
陸橋渡って 君が消えても あとには確かな 絆が残る
ねぇ君 ぼくはこう想うのさ 人生なんて紙芝居だと
白くて大きな愛のぬり絵を 笑いや涙の絵の具で染める
やさしさ 紙芝居 そして誰もが主人公 ~
あらためて歌詞を書いてみると、縁語のオンパレードでできていることに気づく。
こんど和歌の修辞を教えるときには、これも使おう。
さすが松本隆氏。松本隆作詞生活45周年記念「風街レジェンド2015」は、一曲だけでもこんなに語ってしまうような曲ばかり、休憩無しで4時間続いたコンサートだった。