水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「目に見える制度と見えない制度」(中村雄二郎)2 二段落前半

2020年12月06日 | 国語のお勉強(評論)
3 そこでまず、交通法規や物権法など、一般に法律が、また制度がなぜあるのかということから考えてみる。言うまでもなく私たち人間は、単なる個人としてではなく、集団のうちで他人との関係において生きている。それも、初めに個々人がありそれらが集まって社会となるのでも、また、初めに社会がありその一部分として個人があるのでもない。集団あるいは社会といい個人というのは、私たち人間の在り方の二つの相であり側面であって、両者が結びついているところに現実の私たち人間の姿がある。もしも集団や社会のうちに個人が含まれているというならば、同時にまた、〈 個々人のうちにも社会は内面化されている 〉のである。

〈内面化〉
 社会学的観点:社会の価値や規範を自然に受け入れている状態。
 心理学的観点:自分の担う役割をそった行動や態度が自然にできる状態。

人間
 個人→社会・社会→個人
     ↑     ではなく
     ↓
 社会〈個人〉― 個人〈社会〉
          ∥
        社会の内面化

Q4「個々人のうちにも社会は内面化されている」とはどういうことか。40字以内で説明せよ。
A4 自分は社会の一員であるという意識が、個人のなかに自然に備わっているということ。


4 だが、この集団の中での他人との関係は、集団が大きくなり複雑になるにつれて、直接的ではなく間接的なものになるだろう。家族や友人仲間のような小さな集団では、通常とくにそれを律する規則がなくとも秩序が保たれる。しかし居住地の地域社会でも学術団体や政治団体でも、とにかくその成員の数が多くなると、どうしてもそこでの人間関係が間接的なものにならざるを得ない。けれども人間関係の間接化はそれだけに尽きない。もっと本質的なことがほかにある。すなわち、私たち人間は社会の中で集団生活を営みながら、〈 労働 〉によって周囲に存在する自然の物体にはたらきかけ、さまざまなものを作り出してきた。それは衣食住の必需品からそれを超えたいろいろな技術的製作物や文化的な諸施設にも及ぶ。そして、そのような活動は、〈 自然物に人間の刻印を押すこと 〉であり、自然物を人間化して自己の所有とすることであった。この場合、そのようにして作り出されたさまざまのものは、強く人間的な意味を帯びるだけではない。それ自身が私たちの社会生活にとって不可欠な部分となり、それらの仲立ちなしには社会生活が円滑に営めなくなるのである。

5 人間によって加工され、作り出され、所有されたさまざまなものを仲立ちにして社会生活が営まれるとき、私たち人間相互の関係は直接的なコミュニケーションではなくなって間接的なものになり、そこでどうしても『 意思の疎通を欠きやすくなる 』だろう。従来にはなかった争いごとがあれこれ起こることになるだろう。たとえば、自然のままの原野であったならばなんらの争いごとも起こりようがないところに、人々が開墾して農作物を作ったり牛馬を放牧したりして住みつくようになると、そしてまた土地の所有権を主張するようになると、そこに、所有地の境界をめぐって争いごとが起こるようになる。その所有者たちがその現地に住んでいる場合には、境界線がたえず確認できるから、まだいい。ところが、境界を接している二人の地主の一方が他の地方に移り住んでいるような場合には、意思の疎通がいっそう難しくなり、悪くなり、もめごともいっそう多くなるだろう。

〈 人間関係の間接化 〉

 ①集団が大きくなり複雑になる → 他人との関係は間接的なものになる
    +
 ②労働による自然の人間化、所有 → 物を仲立ちにする社会生活ゆえの間接化
    ↓
 人間関係の間接化 → 意志の疎通が難しくなる
  具 土地の所有権


Q5「労働」によって私たちが行っていることはどういうことか。20字以内で抜き出せ。
A5 自然物を人間化して自己の所有とすること

Q6「自然物に人間の刻印を押すこと」を端的に言い換えた漢字二字の語を抜き出せ。
A6 加工

Q7「意思の疎通を欠きやすくなる」のは、どういう状態のときか。25字で抜き出せ。
A7 さまざまなものを仲立ちにして社会生活が営まれるとき
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