第3問 次の文章は、『栄花物語』の一節である。藤原長家(本文では「中納言殿」)の妻が亡くなり、親族らが亡(なき)骸(がら)をゆかりの寺(法(ほう)住(じゆう)寺(じ))に移す場面から始まっている。これを読んで、後の問いに答えよ。
出典は、平安時代の歴史物語『栄花物語』より。古文の出典としては、ど真ん中のストレートで、その意味では「試行テスト」で示されていた方向性どおりだ。東大二次でも繰り返し出題されているが、それより本文は難しい気がする。ていうか、古文はやはり難しい。理系の子はなかなか手が回らないだろう。
もし今自分が高3の古文をもつなら、授業の半分は『栄花物語』か『大鏡』を読みたい。あと『源氏』少しと「歌論」をいくつか読んでおけば、奇を衒わない大学の入試には100%対応できると思う。
問5で『千載和歌集』との比較問われているのは、複数テクストを出題するとの方針に従うものだろうが、別になくてもよかったなんじゃないかな。
〈本文〉
大北の方も、この殿ばらも、またおしかへし臥(ふ)しまろばせたまふ。これをだに悲しくゆゆしきことにいはでは、また何ごとをかはと見えたり。さて御車の後(しり)に、大納言殿、中納言殿、さるべき人々は歩ませたまふ。いへばおろかにて(ア)〈 えまねびやらず 〉。北の方の御車や、女房たちの車などひき続けたり。御供の人々など数知らず多かり。法住寺には、常の御渡りにも似ぬ御車などのさまに、僧都の君、御目もくれて、え見たてまつりたまはず。さて御車かきおろして、つぎて人々おりぬ。
さてこの御忌(いみ)のほどは、誰(たれ)もそこにおはしますべきなりけり。山の方をながめやらせたまふにつけても、わざとならず色々にすこしうつろひたり。鹿の鳴く音(ね)に御目もさめて、今すこし心細さまさりたまふ。宮々よりも思し慰むべき御消(せう)息(そこ)たびたびあれど、ただ今はただ夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ。月のいみじう明(あか)きにも、思し残させたまふことなし。内裏(うち)わたりの女房も、さまざま御消息聞こゆれども、よろしきほどは、A〈「今みづから」とばかり書かせたまふ 〉。
〈現代語訳〉
大北の方(亡き妻の母)も、故人と縁故のあった人々も、また繰り返し転げ回って悲しみなさる。このことさえも、悲しく不吉なことだと言わないとしたら、他に何を言うだろうかと思われた。さうして(亡骸を運ぶ)お車の後ろに、大納言殿(斉信)・中納言殿(長家)が乗り、しかるべき方々は歩いて付いていかれる。(その悲しみの大きさは)言葉で表しがたく、〈ア そのまま書き写すことなどできない 〉。
大北の方のお車や、女房たちの車などをその後ろに引き連れている。お供の人々は数しれず多い。法住寺では、普通のお越しではないお車などの様子を見て、僧都の君も、涙に暮れて、拝見なさることもできない。そうして御車から牛をはずして車をとめ、続いて人々が降りた。
さて、この服喪の期間は、人々は皆、そこ(法住寺)に籠っていらっしゃらないといけないのだった。(長家は)山のほうをぼんやりと眺めなさると、木々の葉はそれとなく様々に色変わりしている。鹿の鳴く声に目を覚まされて、さらに少し心細さがつのっていく。(彰子や妍子の)姉宮さま達からも、気持ちを慰めくださるお頼りがたびたびあるけれど、今はただ夢を見ているようにばかり感じられて、そのままにして過ごしなさる。月がたいそう明るいのを見ても、思いをとどめなさることはない。宮中の女房も、あれこれとご連絡申し上げるけれど、まずまずの相手に対しては、〈A 長家は「すぐに自分で(行きますから)」とだけお書きになる 〉。
出典は、平安時代の歴史物語『栄花物語』より。古文の出典としては、ど真ん中のストレートで、その意味では「試行テスト」で示されていた方向性どおりだ。東大二次でも繰り返し出題されているが、それより本文は難しい気がする。ていうか、古文はやはり難しい。理系の子はなかなか手が回らないだろう。
もし今自分が高3の古文をもつなら、授業の半分は『栄花物語』か『大鏡』を読みたい。あと『源氏』少しと「歌論」をいくつか読んでおけば、奇を衒わない大学の入試には100%対応できると思う。
問5で『千載和歌集』との比較問われているのは、複数テクストを出題するとの方針に従うものだろうが、別になくてもよかったなんじゃないかな。
〈本文〉
大北の方も、この殿ばらも、またおしかへし臥(ふ)しまろばせたまふ。これをだに悲しくゆゆしきことにいはでは、また何ごとをかはと見えたり。さて御車の後(しり)に、大納言殿、中納言殿、さるべき人々は歩ませたまふ。いへばおろかにて(ア)〈 えまねびやらず 〉。北の方の御車や、女房たちの車などひき続けたり。御供の人々など数知らず多かり。法住寺には、常の御渡りにも似ぬ御車などのさまに、僧都の君、御目もくれて、え見たてまつりたまはず。さて御車かきおろして、つぎて人々おりぬ。
さてこの御忌(いみ)のほどは、誰(たれ)もそこにおはしますべきなりけり。山の方をながめやらせたまふにつけても、わざとならず色々にすこしうつろひたり。鹿の鳴く音(ね)に御目もさめて、今すこし心細さまさりたまふ。宮々よりも思し慰むべき御消(せう)息(そこ)たびたびあれど、ただ今はただ夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ。月のいみじう明(あか)きにも、思し残させたまふことなし。内裏(うち)わたりの女房も、さまざま御消息聞こゆれども、よろしきほどは、A〈「今みづから」とばかり書かせたまふ 〉。
〈現代語訳〉
大北の方(亡き妻の母)も、故人と縁故のあった人々も、また繰り返し転げ回って悲しみなさる。このことさえも、悲しく不吉なことだと言わないとしたら、他に何を言うだろうかと思われた。さうして(亡骸を運ぶ)お車の後ろに、大納言殿(斉信)・中納言殿(長家)が乗り、しかるべき方々は歩いて付いていかれる。(その悲しみの大きさは)言葉で表しがたく、〈ア そのまま書き写すことなどできない 〉。
大北の方のお車や、女房たちの車などをその後ろに引き連れている。お供の人々は数しれず多い。法住寺では、普通のお越しではないお車などの様子を見て、僧都の君も、涙に暮れて、拝見なさることもできない。そうして御車から牛をはずして車をとめ、続いて人々が降りた。
さて、この服喪の期間は、人々は皆、そこ(法住寺)に籠っていらっしゃらないといけないのだった。(長家は)山のほうをぼんやりと眺めなさると、木々の葉はそれとなく様々に色変わりしている。鹿の鳴く声に目を覚まされて、さらに少し心細さがつのっていく。(彰子や妍子の)姉宮さま達からも、気持ちを慰めくださるお頼りがたびたびあるけれど、今はただ夢を見ているようにばかり感じられて、そのままにして過ごしなさる。月がたいそう明るいのを見ても、思いをとどめなさることはない。宮中の女房も、あれこれとご連絡申し上げるけれど、まずまずの相手に対しては、〈A 長家は「すぐに自分で(行きますから)」とだけお書きになる 〉。