〈本文〉
かやうに思しのたまはせても、いでや、もののおぼゆるにこそあめれ、まして月ごろ、年ごろにもならば、思ひ忘るるやうもやあらんと、われながら心憂く思さる。何ごとにもいかでかくと(イ)〈 めやすくおはせしものを 〉、顔かたちよりはじめ、心ざま、手うち書き、絵などの心に入り、さいつごろまで御心に入りて、うつ伏しうつ伏して描(か)きたまひしものを、この夏の絵を、枇(び)杷(は)殿(どの)にもてまゐりたりしかば、いみじう興じめでさせたまひて、納めたまひし、B〈 よくぞもてまゐりにけるなど、思し残すことなきままに、よろづにつけて恋しくのみ思ひ出できこえさせたまふ 〉。年ごろ書き集めさせたまひける絵物語など、みな焼けにし後(のち)、去年(こぞ)、今年のほどにし集めさせたまへるもいみじう多かりし、(ウ)〈 里に出でなば 〉、とり出でつつ見て慰めむと思されけり。
注1 この殿ばら――故人と縁故のあった人々。
2 御車――亡骸を運ぶ車。
3 大納言殿――藤原斉信。長家の妻の父。
4 北の方――「大北の方」と同一人物。
5 僧都の君――斉信の弟で、法住等の僧。
6 宮々――長家の姉たち。彰子や妍子(枇杷殿)ら。
7 みな焼けにし後――数年前の火事ですべて燃えてしまった後。
人物関係図
彰子――東宮――若宮
妍子(枇杷殿)
長家(中納言殿)
∥
大北の方 ∥
∥―――――― 亡き妻
斉信(大納言殿)
僧都の君
〈現代語訳〉
このように(世の無常など納得できないと)お思いになりおっしゃってはいるが、「いやしかし、私はまだ世のあれこれを分かるのであるようだ、この上、数ヶ月、数年も経ったら、(亡き妻を)忘れることもあるのだろうか」と、自分の心ながら、つらいものだとお思いになる。
(妻は)どんなことでも「どうしてこんなに」と思うほど(イ)〈 感じがよくていらっしゃったのになあ 〉、容姿をはじめ、性格、筆跡もよく、絵などにも関心が深く、つい先頃まで、熱心に、うつ伏しうつ伏ししてはお描きになったのだが、この夏に描いた絵を枇杷殿(妍子)に持参申したところ、たいそう素晴らしいと褒めなさって、納めていただいたが、B〈 「よくぞ持参しておいたことよ」と、思い残すこともないまま、何につけても恋しくばかり思い出し申し上げなさる。 〉長年、(亡き妻が)書き取りなさった絵物語などは、みな焼けてしまった後、去年、今年の間に書き取りなさったものも大変多かったが、(ウ)〈 実家に戻ったならば 〉、(その絵を)取り出して見て気持ちを慰めようとお思いになった。
かやうに思しのたまはせても、いでや、もののおぼゆるにこそあめれ、まして月ごろ、年ごろにもならば、思ひ忘るるやうもやあらんと、われながら心憂く思さる。何ごとにもいかでかくと(イ)〈 めやすくおはせしものを 〉、顔かたちよりはじめ、心ざま、手うち書き、絵などの心に入り、さいつごろまで御心に入りて、うつ伏しうつ伏して描(か)きたまひしものを、この夏の絵を、枇(び)杷(は)殿(どの)にもてまゐりたりしかば、いみじう興じめでさせたまひて、納めたまひし、B〈 よくぞもてまゐりにけるなど、思し残すことなきままに、よろづにつけて恋しくのみ思ひ出できこえさせたまふ 〉。年ごろ書き集めさせたまひける絵物語など、みな焼けにし後(のち)、去年(こぞ)、今年のほどにし集めさせたまへるもいみじう多かりし、(ウ)〈 里に出でなば 〉、とり出でつつ見て慰めむと思されけり。
注1 この殿ばら――故人と縁故のあった人々。
2 御車――亡骸を運ぶ車。
3 大納言殿――藤原斉信。長家の妻の父。
4 北の方――「大北の方」と同一人物。
5 僧都の君――斉信の弟で、法住等の僧。
6 宮々――長家の姉たち。彰子や妍子(枇杷殿)ら。
7 みな焼けにし後――数年前の火事ですべて燃えてしまった後。
人物関係図
彰子――東宮――若宮
妍子(枇杷殿)
長家(中納言殿)
∥
大北の方 ∥
∥―――――― 亡き妻
斉信(大納言殿)
僧都の君
〈現代語訳〉
このように(世の無常など納得できないと)お思いになりおっしゃってはいるが、「いやしかし、私はまだ世のあれこれを分かるのであるようだ、この上、数ヶ月、数年も経ったら、(亡き妻を)忘れることもあるのだろうか」と、自分の心ながら、つらいものだとお思いになる。
(妻は)どんなことでも「どうしてこんなに」と思うほど(イ)〈 感じがよくていらっしゃったのになあ 〉、容姿をはじめ、性格、筆跡もよく、絵などにも関心が深く、つい先頃まで、熱心に、うつ伏しうつ伏ししてはお描きになったのだが、この夏に描いた絵を枇杷殿(妍子)に持参申したところ、たいそう素晴らしいと褒めなさって、納めていただいたが、B〈 「よくぞ持参しておいたことよ」と、思い残すこともないまま、何につけても恋しくばかり思い出し申し上げなさる。 〉長年、(亡き妻が)書き取りなさった絵物語などは、みな焼けてしまった後、去年、今年の間に書き取りなさったものも大変多かったが、(ウ)〈 実家に戻ったならば 〉、(その絵を)取り出して見て気持ちを慰めようとお思いになった。