水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

3月11日のこと

2022年03月21日 | 学年だよりなど
1学年だより「3月11日のこと」


 春めいてきた。11年前の今頃、なかなかガソリンを入れられなくて自転車通勤をしていた。
 小学校にあがる直前だった11年前の3月を、みなさんは覚えているだろうか。
 個人的な記憶を書かせてもらえば、3月11日のその時、新宿にいた。
 河合塾新宿校舎で行われる教員セミナーに参加するためだ。
 15時から受け付けだったろうか。西口を出て歩道橋を歩いていたとき、突然衝撃音と揺れに襲われた。思わず手すりにつかまって転ばないようこらえた。トラックがぶつかったのかと思った。
 予想外に長く続く揺れに、地震だとわかった。
 揺れが収まると、周囲の建物から人が溢れ出てくる。
 心配そうな顔、困ったような半笑いの顔、周囲を伺う様子。
 高層ビルがメトロノームのように揺れている。中にいる人は生きた心地がしなかっただろう。
 とりあえず、河合塾に向かう。エレベーターが動かないので階段で上がってくださいと案内され、大きな教室に入り指定の席につくと、また大きな揺れが来た。
 非難訓練の動きとはまったくちがうスピード感で、先生方がみな机の下に隠れる。
 その後もかなり大きな余震が何回かあり、セミナーの中止が伝えられた。
 新宿まで来てフリーの時間が生まれたことに、少しラッキーと感じた自分は、事の大きさを理解してなかった。
 三丁目の方に行ってみる。せっかくだからと訪れた新宿末廣亭という寄席は、出演者が来られないので本日の演目は中止と張り紙してある。
 デパート、衣料品店、飲食店、ゲームセンターなどほとんどが店じまいしている。または店じまいしようとしている。
 しかたない、帰ろうかと東口の方へ向かうと、駅前のロータリーは人であふれていた。
 電車が動いていないようだ。そしてアルタのスクリーンで津波の映像を見て、とんでもないことが起こっているのだと、やっと理解した。
 行き場所がなくなり河合塾にもどると、どうぞここで待機してください言っていただく。
 ありがたかった。自習室の一席に座らせてもらい、セミナーのテキストや、数日後に予定している演奏会の楽譜を読んだりしていた。
 夜になっても、余震は続く。家族はそれぞれ無事であることが確認できた。
「東北地方で大きな地震が起きた、交通機関はすべてとまっている、水や食料はあるので、無理に帰ろうとせずにここで過ごしてほしい」との館内放送が度々流れた。
 河合塾のスタッフさんもそれぞれ家族のことなど心配だったろうが、夜を徹して対応にあたられていた。頭が下がる思いだった。
 「明日の試験、どうなるのかな」
 そんな話し声が聞こえてきた。翌3月12日は国立の後期試験日だった。
 河合塾で最後の仕上げをしようとし、そのまま帰れなくなった生徒さんたちの声だった。
コメント
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