水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

3月11日のこと(2)

2022年03月23日 | 学年だよりなど
1学年だより「3月11日のこと(2)」




 河合塾さんから配給された水とパンをいただき、自習室でその夜を過ごした。
 余震は続く。東北の状況が少しずつ分かってくるにつれて、一晩帰れないくらい何でもないことだともわかってくる。
 亡くなった方、行方不明の方、その数の予想は時間を追うごとに増えていく。
 外が明るくなってくると、運転再開になった路線の情報がアナウンスされ始めた。
 必要な情報を伝え、必要以上に心配させないような落ち着いた話しぶりは、同業として見習いたいと感じた。
 西武新宿線が動き始めたという放送があったので、スタッフの方に謝意を告げ駅に向かう。
 学校にもどると、前日は夜遅くまでかかって生徒全員をバスで送ったことなどを聞いた。
 この先どうなるのか、その時点では予想もつかなかった。
 地震、津波の被害の大きさは想像を絶するものになりそうだった。
 一緒に夜を明かした受験生たちは、あの後、帰宅できただろうか。
 結局、後期試験を実施しなかった大学も多く、その場合はセンターの結果で合否が判断されることとなった。
 センターで思うような点がとれず、後期で挽回しようとしていた受験生は、その場を与えられなかった。
 そのため浪人生となった子たちは、自分自身の受験と震災とが不可分の経験となって体にしみついている。
 その年の夏のこと。駿台の霜栄先生から、「今年の浪人生は、例年よりしっかりしている」というお話を伺った。
「自分の受験と震災とが、一つの経験として結びついていて、受験生として過ごせることに感謝する気持ちを持っているからではないだろうか」というお話だった。
 あの日校舎を出て帰途についた学生さん達は、おそらく途中で事態のあまりに深刻さに気付いたことだろう。まだ、みんながスマホをもっている時代ではなかった。
 自分の受験どころか、理不尽に命を奪われた人々がいることを知る。
 一命をとりとめたものの、家族や友人を失い、家も学校もなくなった多くの若者がいる。
 そういう状況を目の当たりにした受験生たちは、自分たちに与えられている時間のかけがえのなさに、無意識のうちに感謝したことだろう。
 当時のみなさんと同じ年齢で、波にのまれていった幼い子どもたちも、たくさんいた。
 そんな人生を誰が予想するだろう。
 震災がなければ、今頃は元気な高校生活を過ごしていたはずだ。
 コロナで部活休みになったとか、学校行かなくてすむとか言いながら。
 4月は誰と同じクラスになるのかな、担任だれがいいなとか言いながら。
 この何でもない日常が、いかにかけがえのないものであるかを、私たちは忘れがちだ。

コメント
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