おかげさまで元気であるとはいえ、そんなにすいすい都内を歩けるわけではなく、なるべくエレベーターやエスカレーターのあるところを歩こうとしながら両親を案内していた。あちこちでエレベーターの設置工事などをみかけるので、世の中ずいぶんバリアフリーも進んだのだろうと思っていたが、実際にはなかなかだ。上がりたいと思っても下りのエスカレーターしかなく、反対側にまわるにはけっこう面倒だったり、上りはあるが下りがなかったり。膝の痛い母は、下りの方が階段は大変だと言う。当事者になってみないとわからないものだと思った。日本の社会はますます高齢化していくはずだが大丈夫かな。でも電車に乗ると、何人かの方が席をゆずってくれてありがたかった。
江戸東京博物館でおどろいたのは、自分が生まれてからのや出来事や風物が展示対象になっていたことだ。かごに座ってみる、人力車に乗ってみる、という体験ができるのだが、畳の部屋でちゃぶ台に向かって座ってみるというようなコーナーもあったのだ。チャンネルがダイヤル式のテレビや、手回しで脱水する洗濯機はたしかに懐かしいものではあるが、自分のなかで過去の遺物というほどのものではない。しかし、たとえば平成生まれの現高校生が目にしたら、「こんなだったの?」と珍しがるのだろう。昭和は遠くなりにけりだ。扇風機やダイヤル式の電話が展示される日も近い。
もちろん東京オリンピックのときの赤いユニフォームも飾ってある。新幹線も首都高速もこのころできた。「Always三丁目の夕陽」が描いたようにこの少し前に東京タワーができた。敗戦から立ち直った日本が、いっきに近代社会を完成させようとして、街をつくりかえ、生活ぶりを変えようとした。
当時、オリンピック反対と言った日本人はいただろうか。そう思った人も少しはいたかもしれない。時期尚早だとか、もっと他にお金を使うべきだとか、自然を破壊するなとか思った人が、ほんの少しはいたかもしれないが、おそらくそんな意見を述べることが許される空気はなかっただろう。
いまの中国の人たちのなりふりかまわぬ様子を見て、なんだかなあとは思うけれど、当時の日本も同じだったのかもしれない。
もちろん東京オリンピックのときの赤いユニフォームも飾ってある。新幹線も首都高速もこのころできた。「Always三丁目の夕陽」が描いたようにこの少し前に東京タワーができた。敗戦から立ち直った日本が、いっきに近代社会を完成させようとして、街をつくりかえ、生活ぶりを変えようとした。
当時、オリンピック反対と言った日本人はいただろうか。そう思った人も少しはいたかもしれない。時期尚早だとか、もっと他にお金を使うべきだとか、自然を破壊するなとか思った人が、ほんの少しはいたかもしれないが、おそらくそんな意見を述べることが許される空気はなかっただろう。
いまの中国の人たちのなりふりかまわぬ様子を見て、なんだかなあとは思うけれど、当時の日本も同じだったのかもしれない。
5日、田舎の両親が上京。江戸東京博物館に行きたいと言ってたので、東京駅からそのまま両国へ向かう。巨大な建物だが、中身は外見ほどではなく、典型的なはこもの。この建物の建設で誰がもうけ、その維持では誰がもうけているのだろうと思わざるを得ない建物だった。
お昼頃、中央のロビーでは無料の寄席がはじまる時間になった。連休中でたくさんのお客さんが開演を待っている。吹き抜けの2Fにある模型の日本橋の欄干からも、たくさんのお客さんが身を乗り出している。池袋演芸場満員の倍以上はいただろう。そこで登場したのは立川流の前座。登場の仕方を見ただけで、多くのお客さんの期待を裏切るであろうことが予想できたが、案の定だった。せめて連休中くらい、せめて二つ目の噺家さんをセッティングするくらいの仕事はできないのだろうか。まあ公のお金で働く方々のテンションにはあらためて驚かされる。たぶん博物館のお偉いさんはたっぷり連休をとってしまってるのだろうなあ。
芝居小屋の模型を見たのだから本物の歌舞伎を見ればなおいいと思い、タクシーで歌舞伎座へ移動。市川團十郎の「幡随長兵衛」を鑑賞。歌舞伎の名作ということだが、どうでしょう、単純なストーリーで、芝居にもあまり深みがなく感じたのは見慣れないからだろうか。たぶんそうなのでしょう。脚本のおもしろさなら、川東定演の2部の方が面白い。そんなことを言ったらおこられるかもしれないが、怒るような人はこのページをご覧になってないはずなのでこのままにしておく。伝統的な芝居をそのまま演っていることに満足できる人にとってはいいだろうが、自分としては物足りない。内容はビミョーだったが、有名な役者さんを見れたし、美しい舞台も見れたし、幕の内弁当も食べてみたので、よかった。
歌舞伎役者の方には、伝統芸を徹底して継承していこうとする方と、現代の血を入れたいと考えられる方と二つの傾向に分かれ、後者の傾向が強すぎて、たもとを分かってしまった方も過去にはあった(かな?)。
落語の世界も同じだし、吹奏楽にも同じような傾向があると言えるかもしれない。
コンクールといえば「ローマの松」や「ダフニスとクロエ」というバンドは伝統死守のバンド。上手に演奏するだけにとどまらず、新しい可能性を試みる続ける伊奈学園さんや栄さんは、勘三郎や玉三郎だ。市立柏さんはスーパー歌舞伎の猿之助かな。とはいえ、うちは伝統死守にも達していないのだから、まずは目の前の譜面をちゃんとやらねばならないが。
6日はのんびり過ごし、7日に「はとバス」に乗るので都内に泊まるという両親を送り、元気でいてくれることを感謝しつつGWがおわった。
お昼頃、中央のロビーでは無料の寄席がはじまる時間になった。連休中でたくさんのお客さんが開演を待っている。吹き抜けの2Fにある模型の日本橋の欄干からも、たくさんのお客さんが身を乗り出している。池袋演芸場満員の倍以上はいただろう。そこで登場したのは立川流の前座。登場の仕方を見ただけで、多くのお客さんの期待を裏切るであろうことが予想できたが、案の定だった。せめて連休中くらい、せめて二つ目の噺家さんをセッティングするくらいの仕事はできないのだろうか。まあ公のお金で働く方々のテンションにはあらためて驚かされる。たぶん博物館のお偉いさんはたっぷり連休をとってしまってるのだろうなあ。
芝居小屋の模型を見たのだから本物の歌舞伎を見ればなおいいと思い、タクシーで歌舞伎座へ移動。市川團十郎の「幡随長兵衛」を鑑賞。歌舞伎の名作ということだが、どうでしょう、単純なストーリーで、芝居にもあまり深みがなく感じたのは見慣れないからだろうか。たぶんそうなのでしょう。脚本のおもしろさなら、川東定演の2部の方が面白い。そんなことを言ったらおこられるかもしれないが、怒るような人はこのページをご覧になってないはずなのでこのままにしておく。伝統的な芝居をそのまま演っていることに満足できる人にとってはいいだろうが、自分としては物足りない。内容はビミョーだったが、有名な役者さんを見れたし、美しい舞台も見れたし、幕の内弁当も食べてみたので、よかった。
歌舞伎役者の方には、伝統芸を徹底して継承していこうとする方と、現代の血を入れたいと考えられる方と二つの傾向に分かれ、後者の傾向が強すぎて、たもとを分かってしまった方も過去にはあった(かな?)。
落語の世界も同じだし、吹奏楽にも同じような傾向があると言えるかもしれない。
コンクールといえば「ローマの松」や「ダフニスとクロエ」というバンドは伝統死守のバンド。上手に演奏するだけにとどまらず、新しい可能性を試みる続ける伊奈学園さんや栄さんは、勘三郎や玉三郎だ。市立柏さんはスーパー歌舞伎の猿之助かな。とはいえ、うちは伝統死守にも達していないのだから、まずは目の前の譜面をちゃんとやらねばならないが。
6日はのんびり過ごし、7日に「はとバス」に乗るので都内に泊まるという両親を送り、元気でいてくれることを感謝しつつGWがおわった。
大久保の石森楽器で、ほんだ君の楽器を及川先生に選定していただく。大久保駅から少しおくまった場所に、知る人ぞ知るこの楽器店があった。DACさん、ウィンドクルーさんもこのあたりだが、なぜこのアジアンな場所に楽器屋さんが集結しているのだろう。めったに来ない土地柄だが、新宿署の鮫島警部と出会いそうでどきどきした。
高田馬場のゴーゴーカレーで、カツカレー。第二に故郷金沢の味わいだ。カツカレーはスプーンではなくフォークで食べるのが金沢の流儀である。
西武線で航空公園に移動し、奏和吹奏楽団の記念演奏会にでかけた。さすがの大人の演奏だった。もっとお客さんが入ってもいいのではないかな。たしかに派手な演出はないし、ダンスも芝居もないけど、吹奏楽を学ぶためには、こういう大人のバンドを聴くのは大事だと思う。
高田馬場のゴーゴーカレーで、カツカレー。第二に故郷金沢の味わいだ。カツカレーはスプーンではなくフォークで食べるのが金沢の流儀である。
西武線で航空公園に移動し、奏和吹奏楽団の記念演奏会にでかけた。さすがの大人の演奏だった。もっとお客さんが入ってもいいのではないかな。たしかに派手な演出はないし、ダンスも芝居もないけど、吹奏楽を学ぶためには、こういう大人のバンドを聴くのは大事だと思う。
GWの練習を午前中でうちあげ、午後は机のまわりや車の中に散乱していた本を2箱ブックオフにもっていった。帰りがけにとんとらラーメンで味噌ラーメン。
夕方から伊奈学園さんの定期演奏会。5月の定演はひさしぶりだ。この日は午前中にファミリーコンサート、午後に昼の部をやり、そして夜の部だから一日三回公演。一日三回公演というのは、お笑いや歌手の営業でもめったにない。キツいからというより一カ所で3回公演するほど集客のある芸人さんはめったにいないと考えるべきだろう。
なのに、伊奈学園さんは翌日の昼の部、つまり4回目まで含めて満員。一万人の動員だ。これを「どんだけぇ」といわずにいられようか。そして、それだけのお客さんをよんでしかるべきの内容。はっきりいって一県立普通(ま普通じゃないけどね)高校の行うイベントを完全に越えている。
とはいえ、われわれがやろうとしていることとまったく違ったことをやっているわけでもないし、思いつかない内容ではない。「何を」ではなく、「どう」「どのくらい」の部分が圧倒的にことなるのだろうと思う。
「夢は大きくさわやかに」。同じ部活をやっている以上、このレベルを目指したい。コンクールで西関東に出るとかよりはるかに距離は隔たっていることはわかっている(どのくらいの距離があるのかは実は理解し得ていない)。
こんな高い目標・お手本が身近にあることは幸せだ。
夕方から伊奈学園さんの定期演奏会。5月の定演はひさしぶりだ。この日は午前中にファミリーコンサート、午後に昼の部をやり、そして夜の部だから一日三回公演。一日三回公演というのは、お笑いや歌手の営業でもめったにない。キツいからというより一カ所で3回公演するほど集客のある芸人さんはめったにいないと考えるべきだろう。
なのに、伊奈学園さんは翌日の昼の部、つまり4回目まで含めて満員。一万人の動員だ。これを「どんだけぇ」といわずにいられようか。そして、それだけのお客さんをよんでしかるべきの内容。はっきりいって一県立普通(ま普通じゃないけどね)高校の行うイベントを完全に越えている。
とはいえ、われわれがやろうとしていることとまったく違ったことをやっているわけでもないし、思いつかない内容ではない。「何を」ではなく、「どう」「どのくらい」の部分が圧倒的にことなるのだろうと思う。
「夢は大きくさわやかに」。同じ部活をやっている以上、このレベルを目指したい。コンクールで西関東に出るとかよりはるかに距離は隔たっていることはわかっている(どのくらいの距離があるのかは実は理解し得ていない)。
こんな高い目標・お手本が身近にあることは幸せだ。
恒例のバーベキュー大会。さすがに100人いると、ドラム缶三つでは焼けるスピードが追いつかないが、それも一興だ。わいわい集まっていっしょにものを喰うことでコミュニティーができていくのだ。
今年は新企画で保護者会の役員さんにきていただき、おにぎりやスープをつくっていただいた。あらたにさん、なかがわさん、かさはらさん、お世話になりました。ありがとうございました。
今年は新企画で保護者会の役員さんにきていただき、おにぎりやスープをつくっていただいた。あらたにさん、なかがわさん、かさはらさん、お世話になりました。ありがとうございました。
長編小説やマンガを映画化するのはたぶん難しい。したことないのでわからないけど。「砂時計」は、原作のコミックが10巻分のお話。どう2時間にまとめるかが難しいだろうと予想していたが、健闘したのではないだろうか。
名場面はなるべくつかいたいと考えるのは自然だろうが、その欲望にしたがうといいとこばかりがつながってしまい、伏線の部分や、そこにいたるまでのじっくりした過程が描ききれないことになる。
コンクール自由曲のカットと似ている。このモチーフが発展して、このメロディーと一体化して、その結果として最後のフレーズで泣けるんでしょ、みたい流れをすっとばしてしまうと、もっといい曲のはずなんだけどなあ、という演奏になる危険性がある。でもそれをやらざるを得ないことは当然あり、その強引さをカバーするのが演奏そのものの質だ。
「砂時計」も、かなり無理やりっぽいところはあったが、役者さんがカバーしていた。異論もあるだろうが「大悟」と「杏」の役はぴったりだったと思う。
夏帆ちゃんは、マイペースな少女を演じさせたらいま日本一だ。そして松下奈緒さん、ほんっとにきれーなお嬢さんですな。
名場面はなるべくつかいたいと考えるのは自然だろうが、その欲望にしたがうといいとこばかりがつながってしまい、伏線の部分や、そこにいたるまでのじっくりした過程が描ききれないことになる。
コンクール自由曲のカットと似ている。このモチーフが発展して、このメロディーと一体化して、その結果として最後のフレーズで泣けるんでしょ、みたい流れをすっとばしてしまうと、もっといい曲のはずなんだけどなあ、という演奏になる危険性がある。でもそれをやらざるを得ないことは当然あり、その強引さをカバーするのが演奏そのものの質だ。
「砂時計」も、かなり無理やりっぽいところはあったが、役者さんがカバーしていた。異論もあるだろうが「大悟」と「杏」の役はぴったりだったと思う。
夏帆ちゃんは、マイペースな少女を演じさせたらいま日本一だ。そして松下奈緒さん、ほんっとにきれーなお嬢さんですな。