水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2012年をふりかえる(3)

2012年01月11日 | 日々のあれこれ

 1月9日。
 朝、成人式の着付けに娘を川越まで送ってから学校にもどる。
 午前、午後と、「エアーズ」を中心にバンドレッスンしていただく。
 あらためて難しい曲だと実感したが、これを勉強しておけば、近々送られてくる新年度の課題曲をやるための力に間違いなくなると思った。
 夕方、ミニ合宿をうちあげて帰ろうとしてたら迎えに来いとのメールが母親から入り川越にいく。
 けっきょく式自体にも母親は出席し、荷物持ちなどしてたから芸能人の付き人みたいなもので、成人の日だというのに、まったく独り立ちしてない状態だったというのはどうなのだろう。
 会場の川越市体育館では特にあばれる若者たちもいなくて、ふつうに終わったという。
 市長やら、来賓やらのお話や紹介がえんえん続く会に、みんなと同じような格好をしておとなしく出席しているのは、本当に若者と言えるのだろうか、などと思うのは言いがかりかな。
 ちがうな。まあ成人式なんてそんなもんでしょ、としばらく我慢していられる状態になっている若者たちは、やはり大人と思うべきなのだ。
 でも、みんな大人すぎる。二十歳の時の自分はさすがにそんな場にはいられないと思って行かなかったけど、暴れるよりは大人だったか。
 暴れる成人たちにしても、メディアと、その報道を待ち望む国民のために、あえて一升瓶もって練り歩く姿を提供してくれてるのかもしれない。
 おえらいさんのあいさつでは多分、「震災後の日本を立て直すのは君たちの力にかかっている」とか、「今までの常識は通用しない、激動の国際社会を生き抜いていこう」とかの言葉がとびかっていたに違いない。
 本気でそう思ってるのだったら、例年通りの成人式をひらいて、例年どおり壇上にエラい方々を並べて、あいさつして、という式自体を見直そうという声があってもおかしくないと思うのだが。
 違うな。そういう意見は当然あったはずだ。しかし、あえて例年と同じ式を行うことができる幸せを味わおう。その感謝の思いをもって心新たに大人への一歩を踏み出していこうという暖かい配慮にちがいない。お役所の方はさすがに深い。

 1月10日。
 三学期がはじまった。始業式のあと、三年生を残して受験に向けての決起集会を行った。
 進路指導部長、学年副主任のことばにつづいて、ここはこのおれさまの出番であろう。
 アントニオ猪木師匠の「道」を朗誦し、「1・2・3・ダー!」の雄叫びをあげる。みんなやってくれてよかった。こういう時にノってくれる学年は、いい結果がでる。

 1月11日
 センター講習の国語は今日が最後。講習とはいえ、センター形式で問題を解いてもらい解説をわたしているだけだから試験監督にひとしいのだが、十分に教えてなかったこととか、プリントにしようと思ってて完成させられなかったこととかが思い浮かぶ。あとは祈るしかない。さすがに今週は誰も添削をもってこないので、時間的に余裕がある。新人戦の曲については精神的余裕がまったくない。
 それらが重なって桜木紫乃さんという作家の本を読み続けてしまった。
 『ラブレス』『硝子の葦』『恋い花』。どれも濃くて、大人の味わいだ。
 直木賞をとるかどうかは微妙だけど、こんな書き手がいたことを知らなかったなんて。
 上から目線で言うと、今後が楽しみだ。

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2012年をふりかえる(2)

2012年01月10日 | 日々のあれこれ

 1月5日。部活がはじまっているが、ニューイヤー、新人戦と、さしあたり4曲をお客さんの前で演奏できる状態にしないといけない。なかなか厳しい状況だが、新学期がはじまって予想できる事態を考えると、強制勉強の時間も取らざるを得ない。15時まで練習し、17時までは宿題完成タイムにした。
 そのあと、今更ながら「ステキな金縛り」を観た。昨秋から、三谷監督があまりに番宣というか映画宣伝でテレビにでまくってて、なんとなく「よし行こう」という気持ちになれず、こんな遅くなってしまったのだ。でもよかった、観ておいて。芝居もふくめて三谷作品の最高峰ではないだろうか。芝居は観たことないけど。あ、いっこ観たな。中井貴一さんと戸田恵子さんの二人芝居。おしゃれで楽しかった。
 この作品だったら、誰になんと言われようと番宣に出続ける気持ちはわかる。作品にかかわった人への感謝を形にするには、たくさんの人に観てもらうしかない。そのためなら人寄せパンダでも何でもなりますよと思ってるのだろう。「監督・脚本 三谷幸喜」というクレジットが小さいのも、謙虚ぶりっこしてるんじゃなくて、自分もスタッフの一員にすぎないとの思いからだ。
 それにしてもおもしろかった。ちりばめられたネタも、全部ツボにはまった。中井貴一はかっこいいし。
 深津絵里さんは、声がいい。深田恭子さんと比べると圧倒的だ。
 で、2011年度の邦画ベスト3は、「奇跡」「八日目の蝉」「ステキな金縛り」に決定しました。あと「エンディングノート」「阪急電車」もよかったけど、日本映画今ひとつ盛り上がりにかけてなかっただろうか。
 洋画はあんまり観てないけど「タウン」「マネーボール」「ミッション8ミニッツ」などハイレベルな作品が相当あったような気がする。
 そのなかで「奇跡」は、圧倒的にすごかったと思うけど、この先の日本アカデミー賞とかそういう場ではそれほど話題にはならないのだろう。全国大会の場で、伊奈学園さんの評価がそれほど高くない年がたまにある。大きな音で大曲を演奏する派手派手バンドは評価されて、緻密な完成度の高さに気づいてもらえない、そういうのと似てるかもしれない。

 1月6日。
 練習のあと、東京セレソンデラックスの永田恵吾さん引退公演に新宿まで。
 セレソンデラックスの5人のコアメンバーの一人である永田さんがこの公演をもって引退するという。今回は五つのチームに分かれて5本のオムニバスで構成された公演で、タイプの違うお芝居が観られてよかった。最後に永田さんのあいさつはさすがにしんみりしたなあ。
 ご自身の役者としての才能、今後の人生を考えて決断したと話されていた。セレソンさんはお芝居の世界ではよく知られた存在だとは思うが、セレソンの舞台だけで生活できるとはとても思えない。
 演奏活動だけで食べていける音楽家が一握りであるように、純粋に役者として、しかも舞台の仕事だけでごはんを食べていける方って、何人ぐらいいらっしゃるのだろう。
 若いうちは夢を追っていられても、30歳、40歳となれば、人生どうするのかという悩みを多くの役者さんが抱くのではないかしら。
 それでも、いやそれだからこそ、プロとして舞台に立っている方は尊敬に値する。役者という生き方を出来るだけですごい才能だと思う。うらやましいけど、自分にはできない。

 1月7日。
 本番前日はさすがにお勉強時間はとれない。でもニューイヤーの曲はなんとかなりそうになった。なったので、無理かなと思っていた小ネタを入れることにした。その確認のために帰りがけにネットカフェに寄り、松田聖子動画などをチェックする。数十年前の映像を見ると、歌唱力といい、容姿といい、楽曲といい、アイドルとしてここまでグレードが高かったのかとおどろく。今も聖子さんが現役であるのは立派だが、あと何年かしたら娘の沙也加さんに二代目聖子になってもらい、代々継承していったらどうだろう。それほど貴重な存在だと感じた。襲名披露のときは、ぜひ大向こうをかけにいきたい。

 1月8日。午前の合奏で、聖子メドレー途中での「聖子コール」をいれ、手の空いてる二人に親衛隊の格好になってもらう練習。午後バスで東邦音大へ。時間に余裕をもっていったのだが、前の団体さんが15分予定の演奏を3倍くらい時間をつかっていただくという、ホームならではの無法地帯な感じで、けっこう待ち時間があった。そんなこともあり、お客さんのノリはどうかと心配したものの、一曲目「夢への冒険」が終わった瞬間の拍手で大丈夫だと思い、マイクで「のってくださいね」とおねがいした際の反応でいけると思った。願いどおりあたたかい手拍子と「フレッシュ・フレッシュ・フレッシュ!」の大合唱をしていただく。うちは賞がかかってないとき、ほんとにいい演奏ができるのさ。学校にもどり、そのままみんなでお泊まりをする。

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2012年をふりかえる

2012年01月09日 | 日々のあれこれ

 1月1日。帰省。東京駅から乗った「ひかり」も米原からの「しらさぎ」も、指定席は満席と放送されていた。しらさぎの自由席には立っている人もいる。1月1日でこんなに混んでいるのは初めて見た。混まないだろうと思っておまかせで購入した新幹線の席は3列の方の窓側だった、いったん座るとお手洗いに立ちにくい。通路側にすればよかったなあと思ってたら、B・C席に並んで座ったのは外国人親子で、会話を聞くとフランス語ではないか。どうしよう。ま、いざとなえば、その昔第二外国語で学んだ仏語で「マドモワゼル、ちょっと通していただけますか、ボン・マルシェ」とか言えば大丈夫だろうと思ったが、「これはテーブルです」しか頭に浮かんでこなかった。なんとかなるさと思い、いつものパターンで持ち込んだビールとサンドイッチをおそるおそる飲み食いしてたが大丈夫だった。隣のお母さんがずっと書き物をしてたので、「サガンか!」と心の中でつっこんでおいた。米原で乗り換え福井に着きあてもなく駅前をふらっと歩いていたら、大学の寮の後輩と偶然出会い、立ち話をする。20年以上あってないくて、よくお互い瞬間に気づいたものだ。夜は宴会と麻雀。

 1月2日。幼なじみの車で日本海を眺めに連れてってもらう。わりとおだやかな日だったが、海までくるとさしがに風が冷たい。午後、弟に福井駅まで送ってもらう。水ようかんを買い、お腹減ってないけど念のために今庄そばを食べて、表日本まわりで東京へ。

 1月3日。登校して少し仕事。購読しているいくつかのメルマガに目を通す。新年への思いや抱負があふれてて、自分もなんか考えようかと思ったけど、何もわいてこない。「なるべく健康にすごす」「無理しない」「想定外の出来事にあっても、なんとか生きながらえる」ぐらいを目標にしようかと思う。もちろん、「いい授業をする」とか、「コンクールでいい賞を狙う」とかはあるけど、これらはふつうにやるべき仕事であって、目標という感じがしないのだ。午後は池袋へ本を買いに出かける。100円ローソンで豆大福風パンを発見した。

1月4日。「ビッグコミックオリジナル」の発売日。「スポーツを通して『育てる力』を考える」というコラムが連載されている。流通経済大サッカー部、中野雄二監督の「夢をあきらめさせるのも監督の大事な仕事」という言葉が頭に残る。
 サッカー名門の流通経済大には、プロサッカー選手を目指す学生もたくさん入ってくる。とくに9月のセレクションに訪れる選手はほとんどがプロ志望だ。でも中野監督の目には、ほとんどの選手が力不足で、取り組む姿勢も甘いと見える。入学を希望する選手や親にはっきりとこう言うそうだ。
 「今のままでは、プロになるのは無理。入学して一度も試合に出られない自分が想像できますか。それが嫌なら他の大学に行ってください」と。
 現実を認識させることも教育者として必須の仕事という考えがあるからだ。
 夢をあきらめさせる仕事。
 これは、われわれの仕事と真逆のようでありながら、一面真理かもしれない。
 学校って基本的にそういう機能ももつのではないか。
 才能を開花させる場であることもたしかで、その機能は一定の分野については果たしうる。
 しかし人間は、何かに興味をもったからといって、そのことで成功するとはかぎらない。というか、ふつうは成功しない。いくら歌が好きでも実際に歌手になって、しかも「成功」というレベルに達するのは、同世代の百数十万人のうち二、三人だ。おれの年なら徳永英明と、学年でいえば松田聖子ぐらいのはずだ。佐渡くんとか須川くんは別の音楽でがんばっているけど。調べてみたら藤あや子さんもいた。
 かけっこが早いと自分で思っていても、運動会では真ん中くらいだったという現実を自覚するのも学校だし、机に向かって勉強し続けることが苦手な自分を自覚できるのも学校だ。
 「願えば叶う」「無限の可能性がある」という言葉は、それがあてはまる人がいればそうでない人もいる。
 無限の可能性を人はもつのかもしれないが、「何」に対してそれをもっているのかは、神様は教えてくれない。イチロー選手だって、お父さんが音楽家だったら、毎日ピアノを特訓させられて、なんとか音大には入ったが、就職は一般企業でしたという人生になっていたかもしれない。
 中野監督は、だから、サッカーを教えることより、礼儀を身につけさせることを大切にし、人間として成長させることを第一に考える。それが「結果として」選手としてのいいパフォーマンスを生みだすようになるという。部活を運営するうえでの指標になった。

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