水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

記述のコツ一つ

2015年02月16日 | 国語のお勉強(評論)

 最近の記述問題練習で、身につけさせたいと思った技。

 マイナスの抽象語を説明するとき、ちょっとした表現に気をつけると、ひきしまった解答になる。
 たとえば、こういう言葉たち。
 「幻想」「信仰」「擬制」「倒錯」「錯覚」「事態」「作りもの」 … 。

 本来「A」ではないはずなのに、近代人は「A」と勘違いしている、みたいな話のとき、線がひかれやすい。
 「~という錯覚」とあるが、どういうことか説明しない、のように。

 「非AをAと思っていること」と書ければ、答えの方向性としては何の問題もないのだが、もう一歩アピールしておきたい。


 
  本来  実際は  現実には
   「非A」「無A」
  であるはずなのに  であるにもかかわらず
   「A」「有A」
  であるかのように
  考えられている状態  みなされてしまうこと

 

 という表現で説明するといい。
 「にもかかわらず」とか書いてあると、「この生徒、読めてるね」という印象を与えられるので、おすすめです。

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ポップス講習会

2015年02月14日 | 日々のあれこれ

 高文連主催「ポップス講習会」は、1年生しかいないし、土曜だから朝からは行けないので、参加をためらいそのままにしていたら、担当の金子先生からぜひ来て下さいと連絡をいただき、急遽1年生と行くことにした。
 二限目を終えてから出発する許可をもらい、マイクロバスに乗り込み、16号から大宮栗橋線に入り、122号バイパスに入ってしばらく走ると、周囲に建物がなくなってくる。
 埼玉は広いものだと思いながら走っていると突如巨大な商業施設モラージュがそびえ立つ。近くに座るおかもと君が、しきりに桶川にもなんとかウオークがあるとアピールする。
 1時間15分ぐらいで不動岡高校に着いて、お昼をとり、午後からのレッスンは、80年代ポップス「Walk  the Dinosaur」の合奏だった。
 ポップスをいかにファンクに演奏するか。
 講師は、吹奏楽の世界では知らない人のいない植田薫先生だ。
 楽譜をさらうより、スピリットを習うようにと、部員たちに諭してきたが、体感してもらえただろうか。
「おれは、ほんとは吹奏楽で、こういうのをやりたいの。ちまちまコンクールの練習とかしたくない。でも、それだとバカにするやつがいるから、コンクールでも全国大会に出てるんだ」って、どんだけかっこいいのだ。このおやじは。
 なかなか声をだしきれてない、殻をやぶりきれてない様子には見受けられた。でも、何か感じたものはあったのではないかと思う。

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最後まで

2015年02月12日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「最後まで」


 奥村幸治氏は、オリックス・バッファローズ時代、イチロー選手の専属打撃投手を勤めた。
 その後、トレーナーとして活躍し、現在指導にあたっている少年野球チーム「宝塚ボーイズ」は全国大会の常連チームとなった。ヤンキースの田中将大投手を、捕手から投手へと導いたのも奥村氏だ。奥村氏の指導の原点は、イチロー選手との出会いであり、ともに野球談義をし、努力の仕方を間近で見てきた経験だという。


 ~ 一流の選手を目指す上で、素質があることにこしたことはないが、それがすべてではない。おそらくイチロー選手には生まれながらの素質があったのだろうが、それ以上に彼にはいま自分にとって何が一番必要なのかということを追い求める探求心と、負けたくない、少しでも上を目指したいという強い気持ちがあった。
 同時に、成功していく人というのは、多くの失敗を経験している人だともいえる。イチロー選手は日米通算四千本安打を達成した時の記者会見で次のように話している。
「四千本のヒットを打つために八千回以上は悔しい思いをしてきている。その苦しみと自分なり に向き合ってきた。誇れるとしたらそこじゃないかと思います」と。
 どれだけ失敗しようとも、その苦しみを乗り越えるたびに人の心は強くなっていく。そしてその積み重ねが、より高い壁を乗り越えていく力になっていくのだろう。 (奥村幸治「イチローに学んだこと」月刊致知3月号) ~


 「少しでも上を目指そうという気持ち」と「多くの失敗経験」。
 何事かをなしとげようとするなら、どちらも欠けてはいけないものではないだろうか。
 「失敗したくない」「かっこ悪い思いをしたくない」というためらいは、人を成長から遠ざける。
 自分がこうしたいと決めてやりはじめたことは、思うように物事が進んでいかなくても、チャレンジをやめてはいけないのだ。
 「うまくいくかどうかわからない」とか「どうせ、だめだろう」とか、自分に言い訳するヒマがあったら、一分でも一秒でもやるべきことを積み重ねよう。


 ~ 灘校の生徒たちは本番に強い。本番に強いってことは気持ちが強いってことやけど、気持ちの強さを支えるのは、やっぱり「これだけやってきた」という自信なんや。本番に強い人がいるのではなく、練習をしっかりやってきた人にしかわからない強さを持った人がいるだけのことや。本番に強くなりたいのであれば、そう思えるぐらいまで万全に準備をするしかない。
 そして、「こんなにやったんやから、あとはもう本番にぶつけるしかない」という意識が芽生えるようになれば、ほぼ100% に近い確率で合格するよ。 (木村達哉「キムタツブログ」) ~


 結果をおそれることなく、まずやれるだけやってみようではないか。

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エアコン

2015年02月11日 | 日々のあれこれ

 所沢市内の小中学校へのエアコン設置の賛否を問う住民投票が始まっている。
 航空自衛隊入間基地の防音対策がなされた学校は、二重サッシを締め切ると暑くなり、窓を開けると時折飛行機の音で授業が中断する。
 ふつうに考えたら、「エアコンぐらいつけてあげなよ」と思うはずだし、もともとそういう動きだったそうだ。
 しかし、東日本大震災で計画が見直される。
 見直しを求めたのは、自身も被災地で支援活動を行った経験をもつ藤本市長である。
 深い思索に基づいてなされた見直し案かとも少しだけ思ったので、藤本氏のプロフィールなどを読んでみた。
 同学年じゃん。早稲田の一文だそうだから、おれも行ってて知り合いになった可能性もある(受けてないけど)。
 さらに国語の教員も10年されていたという。
 今回の件に関する主張が市役所のホームページにリンクされていた。


 ~ 「快適で便利な生活」を見直し、行動を起こすとき 
  東日本大震災、原子力発電所の事故。あのときの気持ちを忘れてはいけない。今変わらないで、いつ変わる。
 昨年の大震災、原発事故を経て私たちが追求してきた便利さや快適さが実は、地方の犠牲の上に成り立っていたのではないか、と気付きました。私たちは、あのときの気持ちを決して忘れてはいけないのです。
 原発の問題は、便利さや快適さを求めた私たちにも責任の一端があるのではないでしょうか。私たち一人ひとりが足元を見つめ、生き方や路線を変える時との思いがありました。 ~


 立派なお考えだ。
 あれ? でも、先日所沢ミューズに行ったとき、快適に空調が入っていたし、そこら中自動ドアになり、ふんだんに電気が使われていた。夏に落語を聴きに行ったときは涼しかった。
 所沢市役所は、冷暖房を全く使用してないのだろうか。ここまで立派な思想をお持ちの市長さんのご自宅はまさかエアコンおいてないよね。
 人の生き方について高邁な目標をかかげるのは、個人としてなされる分には勝手だが、行政の長として、判断の一番の根幹にそれを置かれるのはいかがなものか。
 「あなたの気づきなど、どうでもいいです」と個人的には思う。
 まして、こどもの学習環境におしつけるというのは。
 氏のブログを少し読ませていただいたところ、「エコ大好き!」な方のようだ。
 とても同世代とは思えないような若々しく純粋な持論を展開されていて、うらやましいくらいだが、所沢市だから市長になれたのだろうなとも思う。
 悪い方ではないのだろうが、視野の狭さに無自覚な方が、自分の善意の方向性を疑うこともなく突き進んだときに、周囲は迷惑する場合もありうる。いい年なんだけどなあ。

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さよなら歌舞伎町2

2015年02月10日 | 演奏会・映画など

 「さよなら歌舞伎町」は、複数の登場人物に焦点が当てられる群像劇方式なので、マトリックスを考えてみた。
 横軸右方向に献身(利他)度、左に自己中(利己)度をとる。
 縦軸上方向に女子度、下におばさん度をとる。
 すると、献身・女子枠(A)には、イ・ウンウさんが、献身・おばさん枠(B)に南果歩さんが入る。
 自己中・おばさん枠(C)には河合青葉さんが、自己中・女子枠(D)には我妻三輪子が入る。
 河合さんをおばさん枠とするのは心苦しいが、役柄としてはそういう位置づけではないだろうか。
 今日は現代文の日だったが、解いてもらってる間にふと思いついてプリントのすみにメモってみたら、上手い具合にどの枠にもふりわけられた。
 すると主役の前田敦子さんは、どこかな。
 女子度はそれなりに高い。メジャーデビューという自分の目標のためにレコード会社のプロデューサーと一夜を共にする設定だから、自己中側のD枠だろうか。
 ただし、微妙な女子力設定でもあるので、枠取りが一番はっきりしない彼女が主人公であるところがポイントなのかもしれない。

 もうひとりの主役は染谷将太くんで、いかなる役をふれれても、ふった側の期待以上の仕事をする度合いが最も高い若手ではないかと思うが、この作品でも絶妙な中途半端さを演じている。
 お台場のグランパシフィックで働いていると、彼女(前田敦子)にも故郷の家族にもウソをつきながらラブホの店長を勤める役。
 (それにしても、23時前に宿泊でチェックインしようとすると、休憩料金と宿泊料金のあわせて2万円近くを要求されるホテルだったけど、そんなに高いとは。前田敦子を連れ込んだ大森南朋さんが「たっけーな!」と思わずもらしていた。気をつけないと。)
 染谷くんは、他の微妙な従業員たちと微妙な距離感を保ちながら働き、内心では「早くこんな職場から抜け出して、ましなホテルで働きたい」と思っている。
 思ってはいるが、思っているだけで動き出そうとはしない。
 「自分はこんなところにいる人間じゃねえんだよ」と思い、時には口にも出しながら、自分から何かをしかけていこうとはしない。
 AVの撮影に来た女優が妹だったり、献身の極致であるデリヘル嬢が韓国に帰ることを知ったり、指名手配犯をかくまう従業員に自転車を貸したり、あっちゃんが男と部屋に入るのを見て何もできない自分にいらだったり。
 いつも通り何でもない一日だったはずの日が、いろんなことの積み重ねで特別な一日に変わる可能性をもってくる。
 大きく踏み出せそうで、しかしどうかなと思わせたまま作品は終わる。
 そこがまた現代的で、リアルな若者らしく描かれていて、あの優柔不断さは自分にもつくづくあてはまるなと共感してしまうのだ。

 登場人物が、D枠からA枠に変化するとか、CからBに変わるとか、たくさんの変化が描かれると作品が複合的で立体的になる。
 多くの登場人物をあえてそれほど変化させず、主役だけに大きな変化をさせて際立たせる方法もある。
 この作品は、主役も微妙なままの状態に据えることで、リアルさとせつなさを描いたのかなとさっき思った。
 小説の登場人物をマトリクスで整理して、その変化との関係性で役どころをつかませる作業を、来年はやってみたい。

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静かな日

2015年02月09日 | 日々のあれこれ

 

 1年生がスキー実習へ、2年生が修学旅行へと旅だった。 
 登校するのは一部の3年生だけ。職員室もがらんとしている。校長、教頭もいない。ふふ。 
 自分の机で落ち着いてパソコンに向かい、二次直前講習に向かう。
 私大入試に出かける子が増えてきたので、午前の文系漢文は四人、午後の理系国語は一人だった。
 その子の受験校の過去問を一緒に解き、間違ったところをチェックし、残りの日々にやるべきことを確認する。
 30分5000円の楽器の個人レッスンを3セットぐらいした感覚だから、けっこうお得だったのではないだろうか。
 生徒との私的なメールを禁止する、というお達しが公立学校にはあったそうだが、いいことじゃないかなと思う。
 午後の個人レッスンをしながら、もしここにいるのがO君ではなく、女生徒だったら、少し意識してしまうことも皆無ではないなと思ったので。
 個人対個人(であるかのような)のコミュニケーションが成立し、しかもメールとかラインとかで笑顔とかハートがついてると、絶対に積極的に勘違いしはじめるのが男の基本的な性情だ。
 いったん勘違いがスタートすると、その関係が制約の多いものであるほど、夢をふくらませ妄想をかきたて心臓をばくばくさせてしまうのが男なのだ。きも。
 高校生にもなれば、女性性をおびた生徒さんもたくさんいる。
 大会にいくと、女子部員とフレンドリーに会話している顧問(おっさん)の先生をみかけるが、よくあんなに平気で会話できるなと思う。自分だったらまともに目をあわせることもできないだろう。
 なにかの間違いで、「先生の今日の言葉が心にしみました」なんてメールがきたりしたら、平静ではいられない。
 「卒業したらごはんでも行こうか」と軽く書いてしまい、「卒業まで待つのはつらいです」なんて返ってきたら、どうすればいいだろう。人生かけて勝負(なんの?)にでるか。
 もしかすると本校においても、めったにあることではないが、うかつに個人的にメールを送ったりしない方がいいのだろう。
 じゃ、手紙ならいいのか。個人的に叱るのはどうだ。個人的に教えるのもよくないのか。
 教師と生徒の関係性というのは、根源的に危険な要素をもっていることが、より明らかになっている状況にあると言えるのかもしれない。

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さよなら歌舞伎町

2015年02月08日 | 演奏会・映画など

 「天使か … 」と口にしてしまいたくなる女性はいる。
 天使のような女性を設定するとしたら、やはりビジュアルの美しさはほしい。
 もちろん、見た目はそんな感じではないのに、ストーリーの展開とともに、天使に見えてくることもある。
 彼女のふるまいが神すぎるときだ。
 そこまで許してくれるのか、そこまでつくしてくれるのかと頭の下がる所行を目にしたとき。
 「さよなら歌舞伎町」は、新宿歌舞伎町のラブホテルを拠点にした一日を描き、登場人物たちの人生ドラマがうかびあがる群像劇だ。
 達者な役者さんばかりだったが、なかでもデリヘル嬢を演じた韓国の女優、イ・ウンウさんは神だった。
 天使としか言いようがなかった。
 ラブホの清掃職員役、南果歩さんは、指名手配から遁れる松重豊さんをかくまいながら、まもなく時効になる日を待っている。パートで彼を養いながら、絶対に外に出ないように毎日釘をさし、食べ物のゴミさえも調べられて複数が住んでいることを疑われないようにと気を配る。思えば、松重さんの天使が南果歩さんだ。
 家出少女を演じた我妻三輪子さんが、ホスト風の男に連れられてそのホテルにやってくる。
 一週間も風呂に入らず、ろくにものも食べてないのをひろってもらい、風俗店に売る目的で連れてこられたことにも気づかず、ひたすらその男に感謝し、自分の身の上を語る。そのあまりの純粋さに心うたれた男は、足を洗う決心をし、けじめをつけにいき、リンチを受けたあとホテルにもどってくる。我妻さんも天使だった。
 警官役で、上司との不倫でホテルを訪れた河合青葉さんは、おしげもなくその魅力的な裸体をさらしてくれて天使だった。
 前田敦子さんの印象は、インパクトのある他の女優さんに比べるとやや弱い。でもお芝居は上手になる一方だし、存在感も申し分ないから、ここはがっつり天使化して殻をやぶってみてほしいと思う。
 日曜午後のテアトル新宿は、七割ぐらいの入りだろうか。せつなさあふれた佳品に、盛況が続いている。

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睡眠のはたらき

2015年02月04日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「眠る・起きる」


 ~ 1歳頃の赤ちゃんは昼寝することで覚えた単語を汎化させるそうです。今朝の『Nat Comm』より→http://goo.gl/b0LKj9 例:イヌと覚えても、直後はある特定のイヌだけが「イヌ」でしかな
いけど、90分睡眠後には、より全般をイヌと認識できる。 (「池谷裕二@yuji_ikegaya) ~


 脳研究者、池谷先生のTwitterで読んだ。すごくないですか?
 睡眠が脳内の情報を整理することは随分前から明らかになっていたが、脳の形成期においてすでに、このような仕事をしてくれているのだ。
 眠らなければ、人間は言葉さえ覚えられない。
 睡眠にはあらく言って以下の4つのはたらきがあるとされる。
 一つは「疲れをとる」こと。昼間ほんの数分眠りに落ちただけで頭がすっきりした経験をした人は多いと思う。とくに夜の睡眠は、自律神経やホルモンの働きによって、昼間の活動でたまった疲れを取り除いていく。
 二つ目「成長ホルモンを作り出す」こと。とくに成長ホルモンは睡眠中に活発化し、細胞の成長を促したり、再生・修復したりする。筋肉痛になった後、睡眠によって細胞が修復し超回復するメカニズムは、運動部の人なら体感しているはずだ。
 三つ目「免疫力を高める」こと。メラトニンというホルモンの分泌量は睡眠中にピークをむかえる。これは朝の光をあびると急激に低下し、14時間後には再び増えて血中濃度が高まっていき、眠くならせる。メラトニンは睡眠を支配するとともに、体内の活性酸素を抑える酵素にも働きかけるので、寝ることは二重の意味で身体を守ることになる。


 ~ 朝は大半の方が目覚まし時計で起床されているようですが、脳機能を高めるには光で目を覚ますほうが望ましいのです。音で目が覚める場合は、一気に覚醒し、血圧も急上昇します。これが脳の血管に負担をかけるのです。また、音の刺激がなくなると、脳は元の睡眠状態に戻ろうとするので、二度寝につながるわけです。 … 一方、光で目覚める場合は、ゆっくりと時間をかけて覚醒するので、脳に優しいのです。しかも、光の刺激で脳内の体内時計がリセットされるので、パッチリ目が覚め、二度寝もしなくなります。 (吉田たかよし『試験に受かる「技術」』) ~


 そして四つ目は「記憶を整理する」こと。つらいことがあっても、一晩眠ると落ち着いたり、悩みが整理されたりするのは、睡眠中の脳の働きのおかげだ。夜暗記ものをするといいというのは、この作用があるからだ。
 とりあえず暗記だけしておけば、寝ている間に脳が適当な場所に格納しておいてくれる。寝ないと、せっかく覚えたことも、生の状態のままだ。目の前のイヌをイヌと判別できても、他のイヌに応用できない状態になる。
 自分という身体のパフォーマンスをあげるために、睡眠をおろそかにしてはいけない。

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第10回川越市合同音楽祭

2015年02月02日 | 演奏会・映画など

 第10回目を数えた今年の川越市合同演奏会で特筆すべきことは(二次対策やってると、つい長い主語を書いてしまう … )、高校の参加が7校あったことではないか。
 1回目を立ち上げてからしばらくは、高校と言えば、県立川越高校さんと、星野高校、そしてうちの3校の参加が続いていた。
 川高の本田先生、今はいらっしゃらない星野の齋藤先生、そして自分が打ち合わせて段取りしていた。
 市立川越さん、城北埼玉さん、川越女子さんと増えてきて、今年は川越総合さんが加わる。
 長く県の吹奏楽連盟を支えていらっしゃった大矢部先生が来られたことが大きい。
 そして、どの学校さんも、さすが高校と思える演奏であったことが素晴らしい。
 去年は部員が減って困ってると聞いていた川越さんは、三十数名の一年生部員がいて、夏のコンクールのときより圧倒的に成長していた。
 市立川越さんは、吹奏楽大好き森先生のカラーが浸透している。
 城北埼玉さんは、自分が知っているかぎり歴代もっともバランスよく充実している。
 川越女子高さんは、きちんと技術をもっている子たちに集団なので、作品として完成度の高い曲(今回は「春の猟犬」)をきちっち演奏したときに、本当にいい演奏になる。
 川越総合さんは、ひょっとしたらはじめて演奏を聴くかもしれないが、技術的にも演出的にも期待以上で、とくにダンスはよかった。
 星野高校さんの演奏は圧巻としかいいようがない。今年度赴任された中島先生だが、ここまで色をかえてきているとは思わなかった。中島先生自らが構成・アレンジしたJPOPメドレーは、昭和の歌謡曲、コマーシャルソング、最新ヒット(最新すぎるのがあったなあ)曲まで全27曲の構成。昨年聴いた大阪桐蔭高校や東海大高輪台さんにも劣らないパフォーマンスだったと自分的には思う。この調子で成長し続けるとなると、とんでもないことになるかもしれない。今のうちにもっと親しくなっておかないと。
 中学校さんは女子比率が圧倒的に高いが、男子校三校あるとそれなりに男手もあり、最後の全体合唱も良い感じになる。
 参加した中学生たちは、川越市内の高校に進学して吹奏楽を続ければいい、と感じたのではないか。
 最近はすっかりおまかせしてしまっている本田先生には感謝したい。そして次の「男祭り」には、ぜひ川高さんに加わってもらいたいと思う。
 そして … 。負けないようにがんばらないとなあ。

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川越市合同演奏会

2015年02月01日 | 演奏会・映画など

 

ぶじ、演奏できました!

応援ありがとうございました(_ _)

 

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