本日のテレビ朝日の「モーニングショー」で、スポーツ選手へのパフォーマンスへのネットでのバッシングと、最近話題の芸能人の失言へのバッシングとが共通の問題として取り上げられていた。
このようにバッシング対象を類別すると、見る側にもその視点が刺激される。
というのも、失言バッシングの対象なら、芸能人だけでなく、政治家もその対象だったと思い付かせてくれるから。
いやむしろ、そもそも政治家、とりわけ閣僚級の人たちの、国会答弁や記者会見ではなく、内輪の地元懇親会での、リップサービス的な”軽口”を、鬼の首でも取ったかのように、というよりこれを材料に閣僚としての首を取らんとする勢いで、猛烈に批判する風潮というのが、一般人のネットバッシング以前から、醸成されていたのではないかと、気づかせてくれた。
まず、一般庶民の浮世床談義レベルにおいては、贔屓チーム選手のエラーと政治家の失策は、同列に悪口の対象となる。
なぜなら、怒りの”程度”がほぼ等しいから。
言い換えれば、政治家だけが特別というダブルスタンダードではない。
なので有名人(政治家や芸能人)の失言は、辞任に追い込むまで糾弾していいものだ、という堂々とした先例を目の当たりにすると、自分もその轍を踏んでいいものと思うのは、人間の学習行動としてノーマルといっていい。
失言の内容や程度という差異に忖度しないのも その影響だろうか。
私個人は、人に向かって「死んでください」という最悪の発言(文脈によっては”殺意”の認定になる)と、「男性の体臭が苦手」という個人的好悪を一般的価値として論じる失礼な思い上がり(ハラスメントに通じる)と、槍投げ女性選手の寝そべった姿を「トドみたい」という例えの不適切さ(視覚印象的には妥当でも、マイナスのイメージが付着している)とでは、失言の深刻さの程度が異なり、私自身の許容度も異なるので、このへんはもう少し、反応が細分化されてもいいと思う。
ということで、あの番組はなかなかいい切り口で問題を扱ってくれる。