今日は、昨日6時間続いた6つの会議の後始末のため、ずっと研究室で作業をしていた。
そして午後2時46分、室内に設置してある仏壇に進み、線香をつけ、リンがわりにしているシンギングボウルをゆっくり3回鳴らし(真言宗のやり方)、合掌して、犠牲者の冥福を祈った。
思えば、9年前の本日以降、3月の間とても重苦しい気持ちで過した。
あの時ほどではないものの、今年も別の原因で重苦しくなっている。
9年前、地震後の津波に遭った地域は、この日のこれからが地獄だった。
当日、東京(震度5強、死者3名)にいた私も、茫然とその映像に見入っていた。
そしてその翌日から今度は原発が爆発しだす。
後日、関東も放射線がどんどん高くなっていった。
9年前、目に見えない放射線の脅威に怯えていたように、今年は目に見えないウイルスの脅威に怯えている。
夕方になって、研究室のドアがノックされ、席を立ってドアに向うと、学科主任がいて、今後の大学の行事(春休み中の在学生ガイダンス、そして4月の入学式)が中止になったと知らせてきた。
ということは、ガイダンスの一部を担当している私には、春休みの業務がなくなるわけで、このために東京から新幹線で日帰りで往復しなくてすむ。
時間と安くない交通費が浮くので、小躍りして喜んでいいはずだが、
実際には、思わず腰が砕けて両手で両膝頭を抱えてしまった。
すなわち「肩を落とす」と「膝から崩れ落ちる」の中間の状態で、まさにその中間レベルの落胆であった。
個人的都合よりも、わが職場にこれほどまでに影響することに愕然としたからだ。
今月末のガイダンスの準備をする一方で、それが中止になった場合の対策(実は昨日の会議でその可能性が示唆されていた)を、今朝からずっと考え関係者と調整していたところだった。
なので、その対策の方を実行すればいいので、業務に混乱はない。
9年前と同じように、今(3月)がひたすら耐える時なのだろう。
9年前、東京電力が津波被害を真面目に想定していれば、原発での全電源喪失というバカげたこと(原子炉が地震・津波の直撃を受けたのではない)にはならなかったはず…と恨みがましく思ったように、
今年は、政府が(ウイルス騒ぎは始まっていた中)春節インバウンドを”歓迎”せず、厳しく入国制限していれば、日本中に影響(特に死者)が広がることはなかったのに…と恨みがましく思いながら。