先月末、やっと『史記』五巻を読み上げた。第一巻の読了が二〇一五年十一月だから、約五年間かかった。大体が、寝る前に一節を読み、ほとんど漢文は分からず、漢字の多様な意味に驚き、読み下し文と解説を読むという読み方だった。正直に云うと目を通したという程度である。
実は、五年と言っても、約二年間のブランクがあった。その躓きは「英雄伝」から「酷吏伝」になってパタッと読めなくなった。面白くないのである。B.C.62年ころ『史記』はできたというが、当時から残酷なだけの人間性に欠ける官吏は居たのである。
今で言う「官邸官僚」もつまらん人間なのかもしれない。彼らは死んで、この国に何を残すのだろうか。
文書は隠蔽できなければ、改竄し、出張は遊びを兼ねてコネクティングルーム、天下り先を名前を変えて、山のように作り、それを公費(税金)で賄っていく。
あとは時の権力者に面従腹背して、国民を全く顧みない。今や彼らは国家のゴミ(廃棄物)のようなモノでになってしまった。