抑々、「国体」が鈎言葉にならない。「国体」は戦前において、あまりにいろんな野心家からいじくり回されて、なにが実態だかわからなくなっている。
ポツダム宣言受諾の際の「国体の護持」は、軍人、天皇、政治家によって其々に捉え方が異なっていた。
天皇や側近は「国体」を天皇を中心とした国家統治体制と捉えた。だが、軍部は統帥権も含めて「国体」として捉えていたので、当然に軍も天皇に付随しているものとして、軍体制を最小限残すための四項目を条件とすることを要求した。
だから、軍部は最後まで「ポツダム宣言」の受容できずに、天皇の終戦命令に服する形で休戦(もしくは停戦)を認めざるを得なかった。
戦後は新たな憲法のもとに「象徴天皇制」となって、「国体」の概念は死滅させられ、今更に政治体制を規定する概念用語と成り得るのだろうか。
白井は、向こう受け、つまり「保守・右傾の人々」を意識し過ぎているのではないだろうか。
戦後は多種多様な「国体」を悉く破壊した上に始まっている。この國は戦争に負けたことも、降伏したことも、何も明らかにせず、ともかく形の上での天皇制を「象徴天皇制」としてアメリカに与えられた憲法によって走り出したに過ぎない。
しかし、その底流では依然として昭和天皇が大元帥の看板は外したが、元首として君臨していた。
1989年1月昭和天皇の崩御の後、平成天皇によって象徴天皇の仕事は「祈り」と定義され、年齢的に「祈り」が不完全になるのを避けるために生前退位を2015年8月に自ら国民に申し出た。
無論、平成天皇はその申し出を内閣総理大臣にも、国会議員にも、一国民として知らせただけであった。そこに平成天皇の民主国家の元首としての強い想いを感じる。
当時の安倍官邸はこれに痛く不満なのか、即座に侍従長を更迭した。
『国体論』の帯では、内田氏と保坂氏の感想は型通りの大讃辞で、実は中身を読み取っていないのではないか…。
『永続敗戦論』の帯では、内田氏、孫崎氏は、若い思想家として好意的な感想を書いている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます